5.月明葉折
夢とも現実とも区別のつかない狭間をふわふわといったり来たりしている間に色々起こったらしく、僕の意識が覚醒すると、僕は音無に押し倒されていた。
ふぁッ!?
押し倒されて、いる!
音無に!!
なんだこれなんだこれ超幸せ。幸せと呼ばずになんと呼べばいいんだ。天国? ここがヘヴン? 最ッ高だね!
なんだか自分の中でぐるぐると渦巻いていて体調としては最悪なんだけど、気分が最高だからそんなものきにならない。病は気からって本当なんだと思う。
「おい葉折、いい加減離してやれ」
上からそんな声が降ってくる。無視した。蹴られた。なんて奴だ。そんなことしたって僕は離さないからな。むしろもっと抱き締めて音無の感触と匂いを心行くまで堪能してやる。多分一生やってられる気がするけど。
「そんな状態だと解毒も出来ねぇだろ。さっさと離れろ」
……むぅ。
そう言われてしまうと離さないわけにはいかない。なんせ僕の中にたらふく仕込まれたのは鬼だろうとドラゴンだろうと飲めば絶対服従を誓うという(本当にそんな効き目があるのか知らないけど)洗脳薬だ。それをジャンキーもいいとこ、薬漬けにされにされて血液すら薬になってんじゃないのかってレベルで仕込まれた。当然のことながら、薬はまだ僕の中に残っている。僕がいつまた自我を失うかなんて分かったもんじゃない。
渋々僕は音無から手を離して、音無が起き上がるのを待ってから僕も起き上がる。立ち上がって初めて、少し離れたところに囚我先生やら海菜ちゃんやら風君やらが居るのが見えた。なるほどなるほど、これはもう、音無を殺すって話が無かったことになったのかな? それはとても喜ばしいことだよね。
「あ」きっと解毒は囚我先生と風君がやってくれるんだろうな、なんて思いながら歩き出したところで音無が僕を呼び止めた。「伝え忘れていました」
「おかえりなさい、葉折君」
音無はそう言って僕に屈託のない笑顔を向けた。向けてくれた。
……こんなの、卑怯すぎる。こんな笑顔、惚れないわけが無いだろ。
散々好きだなんだ言っておいて、こんな笑顔ひとつでぐずぐずになってしまうなんて本当に格好がつかない。音無にはそのうち責任でもとってもらおうかな。
解毒というか、僕に施された洗脳の完全な解除は呆気なく終わった。囚我先生に渡されたコップ一杯の液体を飲んで、風君の笛の音を聴いているだけ。本当にそれでいいのかって感じだけど、体内で渦巻く不快感が確かに綺麗さっぱり消えたので信じることにした。この二人の力を知らないわけでもないしね。
「……さて、ようやく揃ったか」
「ああ、待たせとって悪かったな」
一段落ついて、これからどうするんだろうな、なんて思っていたらそんな声が聞こえた。その声に返事をしたのは囚我先生。ではその声の主は?
分かってる。忘れるわけがない。分かってるんだけど……。
「さあ、話を始めよう──この世界の始まりから、全て」
黒髪長髪。細身の黒いパンツと黒いシャツを身に纏った彼は、優雅に大きめの岩の上に腰掛けて、手に持った手帳のようなものを広げている。
まさか、創始者である荊様──壱獄煉荊様がこんなところまで出張ってくるなんて思うわけがないじゃないか。
「……あんた、誰だ?」
ごめん小坂くん、その反応は荊様に会ったことのない君たちにとっては至極普通だしごもっともなんだけど、失礼すぎて殴りたい。無理。荊様にそういう口の聞き方しないでほしい。
「私こそ『お前は誰だ』と問いたいところではあるが──まあ、今は良い。名乗ろう。私は、壱獄煉荊と呼ばれている。然るべき時が来たため、話をしに来た」
超絶失礼な小坂くんに対して荊様はそう言って自ら名乗った。名乗ってくださった。そして小坂くんの名前は聞かなかった。
話をしに来た。この世界の始まりから全ての話を。それはつまり……つまり? あ、だめだ、多分みんないろんな話をしてきたんだと思うんだけど、僕その辺のことなんにも知らないから何を言いたいのかさっぱりわかんない。まず“組織”と敵対してないこの状況もさっぱりだし。荊様が自ら話をするんだから余程重要なことだとは思うんだけど。
「なーにが『話をしに来た』よ。私なしじゃほっとんど喋れない癖に私を置いていくなんていい度胸してるじゃない」
優雅に足を組んで座る荊様の頭を鷲掴みにして現れたのはリユさん。風見リユさん。“組織”のNo.2まで出てきたのだから、いよいよ事の重大さが増してきたところだったんだけど、そんな登場の仕方をするもんだから場の空気は弛緩しきってた。台無しだよ。
「えーっと……?」
「眼帯の君が嘘誠院音無君? 思ってたよりも可愛い顔してるのね」
「あ、えっと、ありがとうございます?」
マイペースすぎるリユさんは首を傾げる音無を更に困惑させる。お陰で話が全く進まないわけだけど、音無が可愛いことについては全く同意なので文句はなかった。そうなんだよ。可愛いんだよ、音無は。
「あー……彼女は風見リユ。一応“組織”のNo.2な。神様のありがたーい御言葉を授かり伝播する巫女っちゅーことで荊の言葉を代弁してもらってんのな。立場上、荊が言えないことが多すぎるから来てもらったんや」
全く自己紹介をしてくれないリユさんの代わりに、リユさんの紹介をしてくれる囚我先生。リユさんが巫女だったなんて僕も初耳だった。聞いてないぞ。というか、その言い方だと荊様がまるで神様であるみたいな……
「ああ、こっから言わなきゃいけないわよね。今、君たちの目の前にいる壱獄煉荊という人物は、滅びたこの世界をこの状態で維持し、現在管理している神様よ。『仮の神様』がいるってことでなんとなくその存在は知ってるわよね?」
え。
え?
ええええええええええええ!?
居るとは知っていたけど、確かに荊様は神様みたいな存在だよなーなんて思うことは多々あったけど、でも神様だと今まで思わなかったのはこうしてはっきり人間として存在しているからであって。え? 神様ってこうやって普通に歩くの? 座るの? 存在して僕たちと同じ空気を吸うの? 驚きのあまり海菜ちゃんが石化しそうじゃないかどうしてくれるんだ。誰よりも“組織”の面子が一番驚きだよ初耳だよ!!
なんて、超パニックな僕たちをおいてけぼりにしてリユさんはサクサク話を進めていってしまう。
「世界はここだけじゃなくて、いくつも存在しているの。……そうねぇ、建物みたいなものだと思ってくれていいわ。そして、神様はその建物の管理人。そして、建物全体を見守る管理人の集団みたいなところがあって、荊はそこから派遣された仮の管理人って感じね。どう? 分かりやすくなった?」
「全くわかりません」
「どういうことかさっぱり……」
「わ、分からないです……」
「えっと……?」
「分からないですだ」
「神様……? 管理人……?」
「……これ、なんの話かな……」
「分からないわ」
お陰でこの様だ。誰一人ついていけない。もちろん僕もだ。世界がいくつも存在してる……? とりあえずそういうものだと適当に思っとけばいいのかな……。前提すら理解できなくて、ここから先の話を理解できるか甚だ疑問だ。
「さて、前提もわかったし、先ずは君たちの話からだね。この辺は自分で言えるのかしら?」
「ああ、大丈夫だ。
私はこの世界に降り立った後、先ずは人集めを始めることにした。それが猫神綾、雨宮気流子、月明葉折、黒岩暁、雨宮雪乃、昼夜海菜、昼夜空美、風見リユ、風見風──お前たちのことだ。お前たちは本来、この世界の住人ではない。本来いた世界で死亡した魂を私がこの世界に呼び寄せたのだ」
だからお前たちには不可解な『死』の記憶があるだろう? と荊様は言う。そして、呼び寄せた全員を出会わせるために“組織”と音無の家に僕たちが向かうように仕向けたのだと。
到底理解できるものではない。訳の分からない言葉の羅列ばかりだ。
でも。
だけど、この説明で確かにしっくり来てしまう部分はある。
何故僕たちは広い世界の中で音無の家に集まったのか。そして何故、当然のように音無の家に居候をしたのか。音無の家が不自然に大きかったのも、もしかしたらこの為なのかもしれない。呼び寄せられた僕たちが住むための──
「ちなみに、嘘誠院音無、琴博桜月、紫時雨、囚我廃人。お前たちはこの世界の生き残りだ。この世界の住人であることを証明しよう」
まあ、流れ的にはそうだよな、と納得しかけたところで留まった。待てよ。まだ六人、名前を呼ばれていないじゃないか。
それどころじゃない。僕がこの世界の住人じゃなくて、一度元の世界で死んで呼び寄せられたのだとしたら、じゃあ、月明一族はどうなるんだ? 彼らだって確かに今、この世界に存在している。存在しているから僕は連れていかれ、薬漬けにされ、洗脳され、音無を殺そうとしたのだから。
「月明一族についてはまた後で話をするが……そこにいる四人とその他大勢は私ではない者の手によって連れてこられている、とだけ言っておこう。そして源氏蛍仁王についてだが──」
「僕、自分のことは自分で話すよ」
不穏な話を後回しにされた。要は荊様みたいな存在がもう一人いるってことなんだけど……。
そんなことはさておかれて、荊様の視線を受けた仁王くんは緊張した面持ちで口を開く。そういえばずっと静かだったけど、何で桜月君の膝の上に座ってるんだろう、この子。
「信じてもらえないと思うけど……僕は、いずれ今の荊様と同じ存在になるって決められてるんだ。神様のたまご、みたいな。本当は消えちゃった神様の次に僕がなるはずだったみたいなんだけどね」
僕が成長する前に神様が消えちゃった、と仁王くんは苦笑した。
確かに到底信じられないような話だ。子どもの戯言だと、ごっこ遊びだと普段なら切り捨てたかもしれない。でも今は違う。到底信じられないような事実がぽこぽこ出てきてるんだ。それらよりはよっぽど仁王くんが次の神様だって方が信じられる。『最善の選択肢を選べる』なんて能力も、神様になるためなのだとしたら大いに納得がいく。そうなるために生まれた子なんだと頷くことが出来る。
「さて……大体の正体が分かったところでもう一度問おう」ここまで明かされてくると、荊様の質問の意味が変わってくる。そして、その問いの答えは僕たちも聞きたい。「戸垂田小坂──お前は、誰だ?」
スッと目を細めて荊様は小坂くんの方を見る。小坂くんはどこか覚悟したようにじっと目を瞑っていた。
それからややあって、小坂くんはようやく口を開く。
「──俺は、あんたの消えた前任者だ」
それは今日出たどんな事実よりも衝撃的な、だれもが予想だにしなかった事実だったと思う。




