3.雨宮雪乃
何が逆鱗に触れてしまったのかは分からなかった。
ただ触れてしまったのは確かで、親友は見たこともないような表情で暴れ狂っていた。
そんな親友の変わり果てた姿に、私が何も思わない訳がなく。
「うるっさいわね! いい加減にしたらどうなの!?」
ましてや、苛立ちを覚えないなんてそんなことが短気な私に出来るわけもなく、喚き散らす綾に私も怒鳴って、その辺に生えてる木を引っこ抜いてその口を塞ごうと潰しにかかる。
「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れ! 何にも分からないくせに!」
綾はそう言って、今まで私には向けたこともない、殺意のこもった瞳を向けて、大粒の涙を溢しながら、氷でできた左腕で木を粉砕しつつ叫ぶ。絶叫する。本当に、心からの叫びだったのだと思う。
それは恥ずかしいことに、親友と名乗っておきながら初めて親友から聞いた本心だったのかもしれなかった。
「ええそうよ、何にも分からないわよ! 分かるわけがないじゃない! 分かりたくもないわよ!」
知ったことか。私が分からなきゃいけない理由がない。散々教えてくれなかったのだから、今更そんなことを言うな。分かってほしいんだったら常日頃から本心ぐらいさらけ出すぐらいのことはしなさいよ。お前が言うなって? あなたが何も言わないから私も言わないのよ。察しなさい。
いい加減にしてほしい。こんな状況になってもまだ、『感情が戻ってきたばかりだからー』とか言って優しくしてあげるほど私は甘くないの。
「ッ」
剣山のように地面から生えてくる氷をバク転で回避する。どうやら下がりすぎたみたいで、ガチホモ乙女達との戦いを見守っているのであろう妹と目があってしまった。妹を殺す、ねぇ。
お互いに声をかけることもなく、そんな余裕があるわけもなく、私は再び綾に向かって駆ける。全速力で、一直線に。
すると綾はそんな私を氷の左腕で凪ぎ払おうと腕を振るう。ので、それを跳んで回避。
「ああ、あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
バカな綾はその自らの行為で記憶がフラッシュバックしたらしく、狂ったように叫び出す。本当にバカね。感触が残るような殺し方をどうしてしてしまったの。
そんな状態だけど、生憎私は優しくしてやる気はこれっぽっちもないので、そのがら空きになった身体に拳とだめ押しに肘を叩き込む。
私を、気流子を、ここ最近で出会った彼らを、彼らとの生活を全て捨てようとしている大馬鹿者にはこのぐらいが丁度いい。くれてやる言葉もない。ただ一言、言うことがあるとするならば──
「目を、覚ませ!」
復活した綾が放った大量の氷のつぶてをまた新たに引っこ抜いた木で凪ぎ払い、そのまま綾めがけてぶん投げる。どうせそれは左腕で止めてしまうだろうけど、別にそれでいい。その間に私が綾をぶん殴れればそれで。
案の定、綾は飛んできた木を左腕で受け止めた。それだけじゃ衝撃を殺しきれなかったらしく、右手を左腕に添えている。つまり両手が塞がっていた。
流石に両手が塞がっていればガードすることも出来ず、後ろに回って飛び掛かりながら放った私の拳は思い切り綾の顔面に突き刺さった。そして吹っ飛んだ。
「……、もう、ほっといてよ……」
立ち上がる意思を見せず、それでもなんとか起き上がった綾は俯いて、弱々しく言う。左腕は砕けてしまったのか、所々が凍った袖だけが残されていた。
「……僕のことなんか、どうだっていいだろう……? だったら、死なせてくれたっていいじゃないか……」
また始まった。二言目にはこれだ。このわからず屋は何時になったら人の話を聞くのだろう。
「ッ、何回言ったら分かるのよ! 本ッ当にいい加減にしなさいよ!」
「だから……」
「だからもなにも無いって何度も言ってるでしょう!? どうでもよくないからダメだって言ってんのよ!!」
妹を殺してしまったから。家族がみんないなくなったから。雷ちゃんを殺して目的を果たしたから。だからもう全部どうでもよくて、自分も死んでしまいたい。死んでしまおう。
綾の言い分はこうだ。
ふざけるんじゃないわよ。
どれだけ妹が好きだったのか知らないけど、そもそも妹の存在も知らなかったのだから知るわけもないのだけど、だからってあの子一人のためになんで私たちが捨てられなきゃならないのよ。綾にとって私たちは、みんなどうでもいいで切り捨てられる存在だったと? 楽しそうにニコニコと笑っていたのは感情が無くて仕方なくそうしていたと?
「綾にとってこの生活は何だったのよッ!」
家族みたいなものに初めて触れることの出来た少年に夢とか希望とか与えておいて、私もその馴れ合いの中に巻き込んで、だというのに自分はそれを捨てますだなんて。
「許されるわけが無いでしょう!」
腑抜けた馬鹿に思わず平手が飛んでしまう。手をあげるのはダメだと分かっていながらも止められなかった。なんでもいいから目を覚ましてほしかった。もっと周りを見てほしかった。
みんな、あなたが死にかけて生死をさ迷っていた今日までの時間をずっと心配して見守っていてくれていたというのに、そんなこと言わないでほしかった。
あなたも含めて私たちは今成り立っているのだから。
「でも僕は……ッ、僕は雷ちゃんを、宵を、……ッ! そんな僕がもう居られるわけがない!」
「ッ」
油断した。もう戦う気力は無くなったものだと思っていたのだけど、まだまだ残っていたようだ。
綾が叫ぶのと同時に飛んできた細い氷の刃は私の肌を切り裂いていった。傷は全て浅いけど、だからと言って痛くないわけではない。それを表情に出すわけがないけど。
「甘えないで」
氷の刃は一回だけでは終わらない。何度も綾は私めがけて放ってくる。でも、それはかするだけで突き刺さることはない。近寄るなという意思表示のつもりだろう。従ってやるつもりはこれっぽっちもないけど。
綾の攻撃を無視して綾に近づく。立ち上がる気力が無かったから簡単に触れられる距離までこれた。
腕を伸ばす。
胸ぐらを掴んで無理矢理立たせ、目線を私と合わせる。いいか、よく聞け。
「一度、あの子が何を思ってあなたに殺されたのか考えなさい。あなたのその発言は、あの子の想いすら踏みにじる行為だってことを認識するべきね」
確かに綾は人を殺した。しかも実の妹を殺した。罪の意識に囚われて、絶望して、その後を追ってしまいたくなるのも、一時の気の迷いとして仕方のないことなのかもしれない。
でも、綾が置かれている状況は、そんなことが許されるほど優しくないし甘くもない。殺された張本人がそうなることを望んで、その先を託してこの結果をもたらしたのだから、罪を意識を持つのであれば一層生きて、その想いに報いなきゃならない。
苦しいだろう。きっと、死んだ方がマシだと思えることだろう。
でも許さない。放棄するなんてそんなことはさせない。苦しいなら私を、私たちを頼ればいい。
だから今は生きて。
しっかり前を見て。
周りを見て。
「頭を──」綾の胸ぐらを掴んだまま、私は腕を思い切り振り上げ、そして降り下ろす。胸ぐらを掴んだままだから当然綾もその動きに合わせて動く。思い切り振り上げられて、勢いよく降り下ろされる。頭から、地面に向かって。「──冷やせ!!」
我ながら凄まじい音がして、パラパラと砂やらなにやら巻き上げて、綾は地面に叩きつけられた。これで正気に戻らなかったらどうしようか。あと私に出来る方法でどう治せばいいだろうか。
「……昔のテレビじゃないんだから、もっと平和なやり方にしてよ」
「平和なやり方じゃあなた聞く耳を持たないじゃない」
フラフラと綾が立ち上がる。額の右端を切ったらしくて、綺麗な金髪が血に汚れていた。目は真っ赤に腫れているけど、そこからもう涙は零れていない。絶望に濁っているわけでもない。いつもの綾の目に戻っていた。
「……ごめん、雪乃」
「本当よ」
どうやら正気に戻ってくれたらしい。素直に謝られたら、こちらも許さないわけにはいかないわね。
で? これからどうするつもり?
「我殿をぶっ殺す」
そう言って綾は少しだけ笑みを浮かべたが、それはいつもの穏やかな笑みではなくて、とてもシニカルな笑みだった。




