1.昼夜空美
知らない間に状況がものすごく変わってしまったみたいです。
あまりにも変わりすぎて、そんな他人事みたいな一言しか出てきません。私も輪の中に混ざっている一人なんですけどね。
仙人さん──じゃなくて、暁さんとお姉ちゃんと合流したあと、私たちは音無さんがいるという森の中央に向かいました。そして音無さんはちゃんといました。寝てましたけど。それはもう、すやすやと。安らかに。
囚我先生が居ましたし、手当てを受けた様子だったのでなんとなく何が起きたのかは分かりますけど、なんだか脱力してしまいました。いいんですけどね、別に。
さて、そんな音無さんなんかよりも問題なのは猫さんです。
私たちとは別方向に向かって気流子さんたちを回収しにいった組。そこで何か大変なことが起こったようです。
それも全部含めて、今までのこと、これからのことを話し合うことになりました。“組織”だとか音無さん側だとか、そういうのは関係なしに、全員で。
ただ、その中で一人──いえ、二人。雪乃さんと猫さんはこの場から離れていきました。勿論話し合いには参加しない方針です。
「……悪いけど、私たちは外させて頂戴」
その時見た、雪乃さんに抱き抱えられた猫さんのドロリと濁った瞳を私はこれからずっと、忘れることはできないでしょう。
……あんな猫さん、初めて見ました。猫さんのことを知っているかと聞かれれば、私はあまり知らないと答えるしかないわけですが、それでも『あんな猫さんは初めて見た』と言わざるを得ないです。
なんでも、雪乃さんが猫さんが暴れだすのを防止するために思い切り強い幻術を何重にもがっちがちにかけて、肉体を動かせないレベルにしているのだとか。
あれだけ猫さんを愛してやまない雪乃さんがそんな暴力的な手段に出るのです。よっぽどのことがあったのでしょう。そして、その事についても今から話し合いがされるのでしょう。おいてけぼりを喰らわないためにも、きちんと話を聞かなくては。
「あー……どっから話すのがエエかな? なあ、戸垂田君?」
「いや、俺に聞かれても困るんですけど……」
「えー? だって何だかんだキミが一番把握するの早そうやん? 今んとこどこまで把握しとる?」
早くも説明役を小坂さんにぶん投げる囚我先生。相変わらずフリーダムですね。
小坂さんはそんな囚我先生の相手を真面目にするようで、風さんから聞いたことを話し始めました。
本当の目的は音無さんを殺すことではないこと。目的をすり替えた犯人が恐らく我殿さんであること。彼の目的が『神の力』であること。
そこまで話すと囚我先生は驚いたような顔で「なんだ、その辺の説明は必要ないやん」と言いました。どうやら囚我先生が把握してる情報と一致したみたいです。
「第三部隊の部隊長、我殿雹狼。『操り人形』っちゅー能力を持ってるとは言っとったな。俺が知らん間にいつの間にか第三部隊なんて作って、その部隊長になった奴や。だからその面子も俺はよく知らん。荊も答えてくれんかったしな」
答えられん事情があったんやろうけどな、と囚我先生は困ったように笑いました。まさか、囚我先生も第三部隊について詳しく知らなかったなんて。それでは益々怪しくなってきました。
“組織”に乗り込んだ日、我殿さんは私たちの前に現れました。しかも、第三部隊を連れて。『神の力』がほしいとか言って、気流子さんにちょっかいをだして返り討ちにあってましたけど……あのとき音無さんがすぐ側に(転がって)いたらどうなってしまっていたんでしょう。
……なんだか、身内なのにそんな人がいるって怖いですね。よく知りもしない人が部隊を持っていることに疑問すら抱かなかった自分が怖いです。普通に考えて、そんな人おかしいじゃないですか。
「まあ、我殿はおいおい何とかする……つーか、向こうから仕掛けてくるから今は置いておくな。次、猫神のねーちゃんのことや」
一瞬だけ、囚我先生の表情が曇りました。何を思い浮かべたのでしょう。全くいい話ではないのは確かです。少し、覚悟していた方がいいかもしれませんね。
猫さんと一緒に行動していた筈の雷さんが居ないことが全てを物語っている気がします。
「まず全員に伝えとこか。雷ちゃん──九十九雷は、死んだ。殺された。殺されにいって、成功した……って言えば正しいんかな」
「ッ!」
なんとなく想像はついていましたが、それでもその言葉は重くて。ここにきて、初めての死者が出てしまったという事実にみんなが目を見開いていました。……気流子さんと、時雨さんと仁王くんを除いて。
「ちなみに、雷ちゃんを殺したんは猫神のねーちゃんや」
……まあ、そうでしょうね。“組織”に乗り込んだときの猫さんの様子を見ていれば自然な流れです。ただ、それだけでは囚我先生がこんなに深刻な顔をするわけがないですよね。もっと、複雑な事情があるようです。なかったとしても、なんで殺したのか、ぐらいは聞きたいですけどね。
「資料に載ってた、俺の知る限りの話をするな。あんまり質問はせんでほしいな。俺もわからんから。
えっと……猫神のねーちゃんには二人の兄弟がいたんや。弟と、妹な。それと親戚家族。それらを皆、猫神のねーちゃんは殺されてる。猫神家は昔、皆殺しにされたみたいやな。
そんで、猫神家を皆殺しにした犯人が雷ちゃんらしいんや。正確に言うと、犯人によって全てを失い、器だけとなった猫神雷──猫神のねーちゃんの母親な。
さて、猫神家を皆殺しにしたクソったれは、更にもうひとつやらかしたんや。三兄弟の感情を一つずつ奪って、それを器だけになった雷ちゃんの身体に突っ込む。こうして九十九雷ちゃんは誕生したっちゅーわけや」
想像していたよりもずっと重たい話でした。猫さんにとって雷さんは、母親であり、仇であり、自分達の感情。それを相手にするとき、自分達と一緒に暮らすと告げられたとき、猫さんはなにを思っていたのでしょうか。私だったら……凄く、嫌ですね。穏やかな気持ちでいられないのは確かです。二人きりになったときに、殺してしまうのも頷けます。
でも、それだけだと半分ぐらいわからないままです。さっき、囚我先生は『殺されにいって、成功した』と言っていました。雷さん自ら殺されにいく理由がわかりません。
「めでたく九十九雷ちゃんとして生まれ変わって、九十九雷ちゃんとしての人格も植え付けられた。……色々とぶっ壊れとったけどな。
そんな雷ちゃんやけど、実はその中にはずっと、もう一つの人格が眠っていたんや。どうやら奪われた感情から出来上がったらしいんやけどな、三兄弟の末っ子、猫神宵の人格が雷ちゃんの中にはいた。宵ちゃんの人格は一回だけ君らの前に出たことがあるらしいわ。覚えとるか?」
「……あ」
そう言われて、やっと気流子さんが言っていたことの答えが出ました。雷さんが誰に似ているのか。それは、“組織”で雪乃さんのドームを維持し続け、小坂さんを呆れたように説得し、私たちの脱出を手助けしてくれたあの子。『お姉ちゃんをよろしくね』とは、猫さんのことを指していた。
ああ、そこまで聞かされるとあとは嫌でもわかってしまいます。自分の中に姉の感情があることを知っている宵さんは、その感情を返すために、そして仇討ちの為に、猫さんに殺されることにした。そして無事、殺された。
でも、猫さんが殺してしまったのは人格だけとはいえ実の妹。その事実に気付いたのはきっと殺してしまったあとなのでしょう。だから、暴れだしてしまう。そうですよね、殺した相手が兄弟だったら……考えただけでもおかしくなってしまいそうです。
「さて、猫神のねーちゃんの話はこれでおしまいや。次は……月明の話やな」
そう言って、囚我先生が目を伏せため息をついたときでした。何かが凄まじい勢いで突っ込んできて、一発、大きな金属音を響かせました。その、音の中心には今正に話題に上がろうとしていた葉折さんが居ます。
そして彼は、音無さんを殺そうとその刃を音無さんに向けていました。
「お久し振りです……っ、葉折さん!」
もう一回金属音が響いて、葉折さんは音無さんから離れました。
葉折さんの刃を受け止めた音無さんはシニカルな笑みを浮かべて二振りのナイフを構えていました。一体いつから起きていたんですか……。全く気付きませんでしたよ。
「おかえりなさい、は……もう少し、後、みたいですねッ!」
そんな音無さんを気にも留めず、葉折さんはすぐさま第二撃を放ちました。当然、それを読んでいたかの如く音無さんは攻撃を受け止め、上手くかわします。
音無さんに対して殺意以外の感情を向けないこともそうですが、女装も化粧もしていない、髪もボサボサで、真っ黒な服をただ着ただけの葉折さんは、果たして本当に葉折さんなのかという疑問を抱きそうです。……いえ、彼が月明に属している以上、何が起こっているのかは当然わかっているのですが。
「──必要ナイ」無機質な声で葉折さんは言います。「全員、殺ス」
「来るで!」
「……ッ、全員伏せろ!」
だらりと葉折さんが両腕を下げると、囚我先生とお姉ちゃんが同時に叫び、周囲の木という木から葉が、葉の刃が降り注いで来ました。
葉折さんは植物の使い手。こんな植物まみれの森のど真ん中は彼にとって武器の宝庫。お姉ちゃんが身体中に仕込んだ刀という刀で降り注ぐ葉を切り刻んでいきますが、それでは全然足りません。桜月さんと時雨さんは風を操って葉の軌道を反らしていますが、葉折さんが操ることができる以上無効化出来るわけでもありませんし、暁さん(稲荷様?)は手加減をし続けないとこの森全てを焼き尽くしてしまい兼ねないですし……私も空間移動を使って葉を明後日の方向へ飛ばしてはいますがキリがありません。まず、この刃の雨が止む気配が一向にない。こ、こんなの、いきなりどうしろっていうんですか!
なんてほんの数秒で泣きそうになった私でしたが、すぐに思考が停止しそうになりました。急激に気温が下がって凍えて死にそうになったからです。
「さ……ッ、寒ぅ……ッ!?」
ガチガチと歯が鳴ってしまう程度には寒いです。急激すぎる気温の変化に訳がわからなくなります。
お陰で攻撃を防ぐことが出来なくなりましたが、よくよく見てみればその必要はなくなっていました。だって、葉っぱが、木が、森が、ガッチガチに凍ってしまっていたんですから。
こんな芸当出来るのは一人しかいません。あんな状況に陥ってしまっていましたが、もしかして、こちらの状況に気付いて助けを──
「ごめんなさい、ちょっと怒らせ過ぎたみたいだわ」
はい、私の考えが甘かったみたいです。
凍りついた木の影から飛び出してきた雪乃さんの顔は青ざめていて、腕には赤いシミがチラッと見えてしまいました。
その視線の先には巨大な左腕の形をした氷を構えた猫さんが、呪詛のように何かを呟いて雪乃さんを睨み付けていました。睨んでいたのだと思います。涙を流し、真っ黒な瞳を見開いたその表情を私は直視することができませんでした。音無さんですら幻滅してしまいかねないような、そんな酷い顔です。
「こんな時にごめんなさいね。ちょっと私たち……喧嘩をして来るから、そっちはそっちで解決してもらえるかしら?」
丁度近くにいたから、という理由で雪乃さんは私にそう伝えて、近くの木を引っこ抜いてハンマーのように猫さんめがけて降り下ろしました。
猫さんはそれを当然のように氷の左腕で受け止めて、凍った木をそのまま砕いてしまい、がら空きになった雪乃さんの腹部めがけて右手で練っていた魔力の塊を撃ち込みます。雪乃さんはそれをヒラリと飛んでかわしましたが、直撃していれば間違いなく腹部に風穴が空いたことでしょう。
喧嘩? 殺し合いの間違いなんじゃないですか?
というかなにやってるんですか! 何をどうしたら猫さんがこんなになるまで怒るんですか!
「あー! あれは当事者同士で何とかさせとき! 俺らは月明の相手や! 全員薬で洗脳されとるから、動けんようにして解毒するで!」
そんな二人のやり取りにポカンとしてしまった私たちに囚我先生はそう指示を飛ばしました。そうでした。葉折さんの相手があるんでした──って、え? 全員?
「殺ス」
「皆殺シ」
「命令通リニ」
「全員ヲ」
葉折さんと同じような無機質な感情のこもっていない声が更に四つ、聞こえてきます。同時に自分の顔がひきつっていくのが十二分にわかりました。悪夢としか思えません。
やがて姿を現したのは左から順に、甲骨さん、五樹さん、涙目さん、怖目さんの四人。
私たち(主に音無さん)を殺しに来たのは葉折さんだけではありませんでした。




