6.嘘誠院音無
勝てる気がしない。それでも意地で食らいついていたつもりだった。
涼しい顔で刃を振るう桜月君の手がやっと止まると、僕は自分の考えの甘さに嫌でも気付かされてしまった。
「う……ぐっ」
なんだよ、本気で殺しに来てないじゃないか。
こんなに必死だったのに、あの手この手で攻撃をかわす方法とか、完全に避けきれなかったとしてもダメージを減らす方法とか、その攻撃がどういうメカニズムなのかとか、真剣に考えて試行錯誤して戦っていたのに、こんなにも歯が立たなくて、その上相手は考え事をしていて全力ではなかっただなんて。
悔しいにも程がある。不甲斐ない。情けない。
「桜月お兄ちゃんッ! お兄ちゃんはなんで、生き残ったんですかッ!!」
頭がぐらついてきた、と思ったら大音量で更に脳を揺らされた。キーンと響いて辛い。仁王くんもあんな声出せたのか……なんて思っていたけど違った。拡声器を使ったみたいだった。その後ろにいる物体には今は触れないでおこう。
仁王くんのそんな呼び掛けに、桜月君の表情は急変した。常に不機嫌フェイスでたまに皮肉な笑みを浮かべるというのが印象的だったのだけど、それが一気に崩れてうろたえているようにも見えた。まあ、すごい質問ではあると思う。
『何故生き残ったのか』
桜月君は僕の被害者だと言っていた。僕が狂偽兄さんを召喚獣にして世界を滅ぼしてしまったときに巻き込まれたのだと。きっと、桜月君以外の桜月君の知人は例外なくみんな消えていったのだろう。だから彼は僕を恨んでいる。その話は空美さんから詳細に聞いて納得した。聞いて少し、胸が痛んだ。
でも、なんでそこに疑問を持つ必要があるのだろう?
何故世界は滅んだのに生き残っているのか、なんて言われてしまうと、僕たち全員にも疑問が残ってしまう。
仮に、僕が滅ぼした原因であるから生き残ったのだとしよう。じゃあ、原因ではない全くの無関係である猫さんは? 気流子さん、葉折君、小坂くん、空美さん、雪乃さん……。仙人さんと仁王くんは何が起こっても生き残っていそうな感じがするけど、他の人はそうじゃない。なんだったら師匠だってそうだ。確かに僕に色々と教えてくれたのは師匠だけど、狂偽兄さんを召喚獣にすることについて師匠はなにも触れていない。当たり前だ、止められるだろうと思っていたから隠れて勝手にやったのだから。
でも仁王くんの話は、あくまで桜月君だけの、桜月君が生き残った理由について、で進んでいく。
「教えて下さいッ! 嫌かもしれませんが、その日起きたことをッ」
「っは、なんで僕がそんな」
「それが最善だからですッ!」
辛そうな顔で仁王くんが叫ぶと桜月君はぐ、と黙った。ひどいことを聞いていて、卑怯なことを言っていると仁王くんなりに考えてるみたいだ。でも、それでもその選択をとらなければならないというのは一体どんな気分なんだろう。僕には全く想像がつかない。
でもここで桜月君のあの日について掘り下げることが本当に最善なのだろうか?
「つっきー、きいとくれ。あの日、世界が滅んだとき、みんな闇のなかに引きずり込まれてったんや。少なくとも俺は、そんな光景を見た記憶がある」
ちらっと仁王くんの背中から顔を出した師匠は桜月君にそう語りかけた。
へぇ、闇のなかに引きずり込まれていったんだ……。僕はあのときどうしてたかな……狂偽兄さんが目の前から居なくなって、それが嬉しくて、ずっと笑っていたような気がする。そのあとすぐ、現実に引き戻されたけど。
「…………闇?」
師匠の言葉に、桜月君は怪訝そうな表情を浮かべた。なにか引っ掛かるものがあるらしい。
それから桜月君は考え込むように目を閉じて、それから小さくため息をついた。それはたぶん、何かを一つ諦めて、決心したような仕草だったんだと思う。
「……僕の前には紅が広がってたよ。僕の家族は引きずり込まれたんじゃない、殺されたんだ。僕も殺されかけたんだと思うよ。そのあとは知らない」
「そか。思い出させて悪かったな。そしてすまん、やっぱり言わせてもらうわ。つっきー、つっきーの家族は、オトがやったんとは違う。世界は紅には染まっとらんかった」
「……だろうね。紅いのは僕の家だけだったよ」
そう言って桜月君は力なく笑った。呆気なく、一つの結論が出てしまったのだ。
僕が世界を滅ぼす一瞬前に桜月君の家族を何者かが殺したということ。
それが分かったからといって、きっと桜月君の僕に対する感情が変わることは(悲しいことながら)ないのだろうけど、それでも恨みをぶつける矛先が増えることには繋がる。そして、考えなければならないことも。
どうして桜月君は生き残ったのか。何故、師匠と仁王くんはそこに目を向けたのか。
ううん、血が足りない頭じゃ到底答えには辿り着けそうもない疑問だ。足りていても辿り着けない気がしなくもないけど。
「あ、おいこらつっきー、何処に行くんか」
「どっか、嘘誠院音無のいないとこ……出来れば時雨さんのとこがいいかな。萎えた」
突然背を向けた桜月君に、師匠と仁王くんはそれ以上なにも言わず、すたすたと森の中へ消えていく桜月君を送り出すこともしなかった。なんなんだろう、一瞬にして茅の外に追い出されて、おいてけぼりを喰らってしまった気分だ。ついてくことができない。急展開すぎだよ、こんなに血だらけになったのに。
痛すぎて最早痛くない。ちょっと視界が霞んできて、頭にももやがかかってきたような気がする。これはちょっとまずいかな……。
「ぼく、桜月お兄ちゃんについてくね」
「ん? ああ、分かった。気ィつけてな」
「うん。先生もね」
ちょっとして、桜月君の姿が見えなくなってから仁王くんはそんなことを言う。そして行ってしまった。止めることすら出来なかった。大丈夫、なのだろうか……。いや、大丈夫なはずがない。動かなきゃ。
「あー、ストップ、ストップ。オト、お前は大人しくしとれ。安心せい、あの子は何もせんでも平気や。それよかオトのが重傷なん分かっとるか? 俺は治療とか出来んからな」
立ち上がろうとした僕を押さえつけて師匠はため息をついた。ああ、久しぶりだ。狂偽兄さんを召喚獣にしたとき以来だから二年ぶりぐらいだろうか。
三年前のあの日、僕は実験材料として売られて、師匠は僕を買った。それから一年、僕は師匠と共に暮らしていた。召喚術はそのときに教えてもらった。
「……師匠……僕、あのころ師匠のことが嫌いでした……」
「なんや急に。めっちゃ傷ついたんやけど……知っとるけどな」
二年経って思うことは色々ある。伝えたいことも、山ほど。
普通だったら恥ずかしくて言えないようなことも、今なら素直に全部言える気がするのは、血が足りなくて朦朧としてきたからだろうか。僕は自分でも気付かないうちに、頭のなかに浮かんだ言葉をぽつりぽつりとこぼしていた。
「居場所なんて、無かったんです……どこにいても、嫌で嫌で……でも、違ったんですね」
僕がほしいと望むものは全て狂偽兄さんが持っていて、僕にはそのおこぼれすらもらえることはなかった。
愛されたかったんだと思う。でも、そうしてくれる人は何処にもいなくて、僕はどこにいても許されないような気がしていた。
でも違った。今ならわかる。師匠はずっと僕に手を差しのべていてくれていて、居場所をずっと作ってくれていた。僕がそれを払い除けて無視していたんだと思う。
「ごめんなさい、師匠……もう二度と、会えないと……っ」
「なんやなんや、そんな雰囲気なかったのに、急に。どんだけ俺のこと恋しかったんよ」
師匠の困ったように笑う声が頭のなかに反響する。でも、だって、あの日以来師匠に会うことが出来なかったのだから仕方ないじゃないか。一緒に暮らしていた師匠の研究所はもぬけの殻で、どこにいこうとも師匠は何処にもいなかったんだから。死んでしまったのかと、本気で思っていたのだ。
ああ、もうぐちゃぐちゃだ。
内側から色々な感情が溢れて止まらない。こんなの知らない。こんなの、どうやって処理しろって言うんだ。
「居なくならんよ、俺は。だから落ち着けって。な?」
「はい……」
「あーはいはい、じゃあ気分転換にアレや、恋バナでもしようや。オト、お前、好きな人ができたんやろ?」
「……すきな、ひと……」
呟いて、思い浮かべる。それだけで幸せな気分が一瞬胸のなかに広がったけど、それはすぐに消えてしまった。
僕の好きな人は今、僕のせいで生死をさ迷っている。
意識が戻らないまま、もう十日になるはず。このまま猫さんが目覚めなかったら……そんな考えが脳にこびりついて消えない。そんなこと、考えたくもないのに。
「猫さんは、目を……覚ますでしょうか……」
「悲観的になりなさんなって。きっと大丈夫や」
「でも……」
最初はただ、綺麗な人にいいところを見せたいだけだった。少しでも良く思われたいだけだった。それが変わったのはいつのことだったのだろう。
猫さんは、こんな僕の内側を見て、きっと全てを見てしまって、知ってしまっていて、それでも眩しいほどの笑顔を向けてくれる。僕の汚い内側を見ても、軽蔑の視線なんて寄越さずに受け止めてくれている。
そんな猫さんに、僕は初めて、生まれて初めて愛されたいと心の底から思った。僕を見てほしいと思った。その笑顔を僕だけに向けてほしいなんて、そんな傲慢な考えすら抱いた。親友である雪乃さんに敵うわけがないのに、雪乃さんに対して嫉妬心を抱いてしまった。こんな僕でも好きになってもらえるように、振り向いてもらえるように、頑張ろうだなんて思ってしまった。ちょっと前までは、誰からも愛されないと諦めていたはずなのに。
「分かった、オト。いいからお前さんは今は……寝てろ」
僕はどこまで口にしていたんだろう。
気付いたら師匠の手が僕の頭に触れていて、僕はそのまま揺りかごにゆられるような気分でゆっくりと、意識を手放していった。




