気紛れ猫と血染めの黒ウサギの探し物はお医者さん?
遅れました。申し訳ありません。
「おさっ、長! おーさ!」
可愛げのある澄んだ声が聞こえて彼ははっとする。
その声が夢幻の思考の淵から「長」と呼ばれた青年を現実に引き戻したのだ。
紫眼の青年は虚ろになっていた焦点を徐々に合わせて宙空を眺めていた視線を少し下にやる。見れば養い子の紅眼の少年がなにをやってるんだこの人、という心の声が篭った視線でこちらを見ていた。青年は思わず紅眼の少年が今食べている朝食に目を落とす。
「あ、ああ、なんだね桜花クン? 今日の御飯が不味い? いや~ごめんね? ちょっと焦がしちゃって。すぐに作り直すよ」
朝食は異国の文献に作り方が載っていたという簡単料理。どこから探してくるのやら青年は時々このような異国のレシピなるものを試して、桜花と呼ばれた少年を含む身内に振る舞い楽しむ癖がある。今日のメニューはパンとハムと卵焼き。パンは小麦から紫眼の青年が手作りして焼いたものだが、口に含んでみると青年の言うとおり、どれもこれも少し………苦い。桜花は眉間を寄せてじっと手にした朝食を見て呟くように、
「確かに少し苦みが……って、違いますよ。ごはん、零してます。盛大に」
「え? あ……」
気づけば開いた口がふさがらない惨状。卵焼きは潰れ、サンドウィッチにして食べていたハムは零れ落ち、パン屑はぼろぼろ零れて青年の白シャツを汚している。更にさらに朝食のお供にと作ったコーヒーが飲まれずに机と服に零れて………。
「あちゃ~」
紫眼と藍色がかった黒髪を持つ青年は天を仰いで額を叩く。桜花少年は溜息をついて手拭いを彼に投げた。
「あちゃ~、じゃありませんよ紫楽さま」
青年、紫楽は少したれ目な目をいっそうタレさせて苦笑した。頭をひとつ掻いて受け取った手拭いで服や机を拭き片付け始める。
「どうされたのですか? 朝からぼーっとして。惚け具合がいつもより酷い。病院に行かれては如何ですか? 精神科あたりに」
「おい、桜花。それは少し言い過ぎじゃないか? 僕にも悩みのひとつやふたつはあろうというものさ」
「そんなこと言って、どうせ売れない物書き仕事の創作でも練っていらしたんでしょう? 大人しく定職につけばいいのに。このご時世、なめてます」
江戸は末期。混乱を極める世の中で、やっとのことで徳川家15代将軍慶喜が即位してひとまずの落ち着きを見せた頃。時代の流れと世界を見据えて、この日ノ本を海の向こうにある列強諸国にも負けない天皇中心の世の中を創ろうと企み、幕府転覆を狙う攘夷志士。
「売れないって言うな。この退廃したご時世、夢くらい見たって罰は当たらないだろう。僕はこれで生計を立てるんだ! 父のように政治家なんてならないっ!! 僕は自由に生きてやるっ」
「なんだ、御父上からの苦情の手紙ですか。―――いつも通り、つまらない夢を見るな、家業を手伝え、迷惑をかけるなという……」
幼い顔立ちに似合わない大人びた雰囲気でもって桜花はスパッと言い捨て、止まっていた食事を再開する。だが紫楽は頭を抱えたそうにしつつそれを否定した。
「はぁ………、違うよ。兄から手紙が届いたのさ。それで悩んでる。今後の身の振り方を」
「お気楽な次男坊をやめて暗殺者か攘夷志士にでもなるんですか?」
「………桜花クン」
「へ? ま、まさか」
何気なく云った言葉なのにいつになく真剣な顔をした紫楽に、桜花は嫌な予感がした。危険を察して逃げようとするとガシッと肩を掴まれる。逃げられない。
「そのまさか。その通りだよ。我が愚兄は攘夷志士派につくらしい。僕と同じように傍観に徹しつつのんびり女漁りでもしていたんだろうが、目の前で敬愛する師をやられたそうだ。あの怠惰で色欲と強欲の強い兄者でも今度ばかりはキレたんだと。堪忍袋の緒がブチ切れた。ああ、世は無常なり哉。おかげで僕はこれまで通り、傍観か兄と共に戦場に立つか決めなくてはならない」
紫楽は冷汗を掻きながら引きつった笑みを浮かべて肯定しやがった。
「紫楽さまのことですから、当然兄上さまを見捨てないのでしょう?」
「おや、わかってるねぇ桜花クン。というわけで、君も餓死か戦場で討ち死にか、他の生き延びるための手段でも考えて選択してくれたまえ。僕は当てにならないよ? まあ、ついてくるんならご飯は用意してあげるけども」
「はぁ……拾っていただいて数か月。いきなり路頭に迷うのは困りものですね……」
保護者である彼とその兄の四十九院家現当主が居なくなれば桜花は後ろ盾がなくなり、結果、路頭に迷って餓死する羽目になる。選択肢は、ほぼ最初からなかった。
「ついていきますがひとつ条件が」
「なんだい?」
「医者を探しましょう。それもとびっきりの医者を」
「わ~い! そうくると思った。もう考えてあるんだ」
「は?」
「桃兎と薬師兎。その二匹を気まぐれ猫と血染めの黒兎で探しに行こう!」
「は? ………ハァッ!!?」