ふたつの希望 その9
車は、いつの間にか重厚なゲートを通っていた。
ゲートの横には検問所が設けてあり、厳重な装備をした兵士が目を光らせている。
ユナにとって、見慣れた場所だった。
「艦隊本部?」
ユナは、グレイナーを見た。
「私、まだOKしてないんですが……」
「はっは。大丈夫。必ずOKするさ」
「大した自信ですね」
「君の事は良く分かっているつもりだよ。君は、この為に生まれて来たようなもんだ」
「あら。勝手に私の運命を決めないで下さいな」
その時、頭上を轟音が鳴り響いた。
腹の底まで響く重低音。絶えず唸りを上げる甲高いエンジン音。≪アカツキ≫に降り積もる砂塵を吹き飛ばす風圧。
「おお、どうやら降りて来たようだな」
グレイナーは、窓から空を眺めながら言った。
ユナも体を傾けながら、顔を上げた。
全長約五百メートルの無骨な鉄塊が視界を覆い始める。この距離で目にすると、例え小型艦でも威圧感が激しい。
(嘘っ)
ユナは、思わず座席から腰を浮かした。
「どうして……」
≪アカツキ≫の空から、ゆっくりと降りて来ているのは、今ここに存在してはならない艦だった。
「どうして、ここに≪雪風≫がいるんですか?」
ユナは、思わず声を大にしていた。
ユナが驚きの視線を注ぐ中、ジャパンの一級駆逐艦≪雪風≫は、銀色に輝く滑らかな船体を輝かせながら、ゆっくりと近付いて来た。巨大なエンジン音を周囲に響かせている。
≪雪風≫型駆逐艦は、ジャパンの技術力の粋を集めた重武装駆逐艦である。その打撃力に特化した兵装は、AI艦隊との激しい撃ち合いを想定したもので、巡洋艦並みの重粒子砲と高電磁防御は駆逐艦の特性を全く無視した造りになっている。その為、艦隊前面に送り込まれがちで消耗の度合いが高く、この≪雪風≫シリーズに送り込まれた兵は、自ずと死が近い事を覚悟するという。
正直、ユナが最も苦手とする性格の艦だった。
そういう艦である。各国の戦闘可能艦は根こそぎ≪ジェンツー≫に引き抜かれている筈だった為、≪雪風≫は、勿論その候補になり得る艦だった。
「燃料に限りがあってね。それで、残らざるを得なかったんだ」
「燃料?」
「そう。≪アカツキ≫に残されていた燃料では、≪ジェンツー≫までの航路が長過ぎてな」
ユナは、首を傾げた。
燃料が足りないとは言え、ジャパン第三艦隊の分がある筈である。役にも立たないオンボロ艦隊に補充するよりも≪ジェンツー≫遠征用に優先すべきである。艦艇が残り少なくなったとは言え、今さら大切に残した所で今後の事を考えれば意味が無い。
「それに、≪雪風≫も大事な戦力だ。むざむざと中央の連中の玩具にされたくなくてな」
「大事な戦力?」
ユナは、咎めるようにグレイナーを見た。
「それは違います。あの艦は、連邦にとっても大事な戦力です。≪雪風≫一隻をここに残した所で何の役に立つのでしょうか? それが、連邦に対する反逆とは思わなかったのですか? いえ、引いては、全人類に対する裏切りにも……」
そう言いながら、ユナはグレイナーの意味深な表情を読み取った。
「まさか、他にも……」
「ふふ……」
グレイナーは、叱責されているにも関わらず、頬を緩めた。
「まあ、待ちたまえ。その内理由が分かる」
「また、そんな事を仰る……」
ユナは、変なものを見るような目付きでグレイナーを見て眉をひそめた。
「確かに、私には大人の駆け引きなんて分からないですけどね」
参謀本部にいた時もそうだった。どんな正論を吐こうと、上の連中は上の理屈で判断するばかりだった。政治的な交渉を毛嫌いしたユナが、それでも諦めずにいると、彼らは汚い権力を持ち出して来た。
本当に、この世界はおかしな事ばかりだ。まともな事をしようと思う者程足を引っ張られがちだ。
「いつまで、伸ばすつもりか知りませんが、こういう汚い駆け引きをするような仕事場に戻るつもりはありませんよ」
ユナは、溜め息をつきながら、天を覆う巨大な艦影を眺めていた。
昔は、純粋な気持ちで見る事が出来ていた姿が、今では、汚い大人達の手垢が付きまとっているとしか見えない。