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その頃、クラウネスはというと。
「確か、これを混ぜるって言っていたな」
今まさに、執務室で食事を始めようとしていた。執務机の上にはスープがのっており、クラウネスの手には白い調合薬の入った瓶があった。
「一国の王子がこんな所で食事だなんて……。きちんとした場所で、栄養のある物を召し上がって頂きたいのに……」
ナルが恨めしそうに言う。最近のクラウネスは忙しい事もあり、執務室でばかり食事をとっていた。そして、その度にこうやってナルに小言を言われている。
「はい、はい。食欲が出たらきちんとしますよ」
答えながらクラウネスは瓶の蓋を開ける。
「クラウネス様、お待ちになって下さい。それは何ですか?」
「アルトに作ってもらった食欲増進薬」
瓶を傾け、クラウネスは調合薬をスープに入れる。スプーンで軽く混ぜて、スープに変化がないか様子を見る。
「その薬は毒見させましたか?」
「アルトのだから必要ない」
「必要です!」
ナルを無視して、クラウネスはスプーンでスープをすくう。
「お待ちになって下さい!」
ナルの制止を聞かずに、クラウネスはスープを飲んでしまった。一口二口と食べて、スプーンを止める。
「別に食欲が増すって感じはしないな」
変に思いながらも、クラウネスは食事を進める。そして、スープを半分ほど食べた頃に異変は起きた。
「うう、う……」
「クラウネス様?」
急にクラウネスが呻きだし、スプーンを床に落とした。背中を丸め、クラウネスはイスから立とうとして失敗する。
「クラウネス様!」
腹を抱えるようにして床に倒れ、クラウネスは苦悶の表情を浮かべる。すぐにナルが抱き起すが、喋る事も出来ないようだ。
「誰か!」
異常事態にナルが扉の外に向けて叫ぶと、アルト達が入って来た。部屋の中の様子に、アルト達は間に合わなかった事を知る。
「すぐに医師を呼んで下さい!」
ナルが必死に叫ぶ。
ココルとエルゼルは人を呼びに走り、アルトとレイネスはクラウネスに駆け寄った。
「ナル様、胃洗浄の用意を医師に伝えて下さい」
「はい!」
ナルも走って部屋を出て行く。クラウネスの側には、アルトとレイネスが残った。レイネスは泣きじゃくりながら、必死にクラウネスを呼ぶ。アルトもクラウネスの手を握り、呼びかける。
「クラウネス様、もう少しの辛抱です」
その声に反応したのか、アルトの手をクラウネスは強く握り返した。
「大丈夫ですよ」
クラウネスを安心させる為、アルトも強く握り返す。クラウネスの顔が心なしか和らいだような気がした。
執務室に医師達が駆けつけ、胃洗浄の用意が始まる。第三王子が倒れ、城は騒然となった。
小さい頃、クラウネスは毒を盛られた事があった。普通の毒ならば国の医師でも対応出来たが、その毒には呪いがかけられていた。自国で解決する方法がなく、クラウネスはどんどん弱っていった。国はクラウネスを助ける為、最後の手段に出た。世界でも有数の魔法使いに助けを求めたのだ。魔法に頼らない国にとっては知られたくない話であり、限られた人間にしか知らされていない事実である。
ところで、依頼された魔法使いには小さな弟子がいた。どこに行くにも供に連れ、助手のような仕事をさせながら魔法の勉強を行っていた。依頼の時にももちろん連れて来ており、その弟子は呪いを解く間、クラウネスの世話係をする事となった。
自分よりも小さな温かい手が、自分の手を握っていてくれたのをクラウネスは覚えている。呪いに怯え国の人間は誰も近付かず、一人ベッドの上で心細くしていたクラウネスを、その手は元気付けてくれた。その手の温かさを、一生離したくないとさえ思った。
僕はその手に恋をしたのだ。
ああ、温かい。
誰かがまた手を握ってくれている。
手から伝わる温かさに心も温まるようだ。
手の先の相手を知る為にクラウネスはゆっくりと目を開く。
「ああ、気付きましたか」
そこにはアルトがいた。
「胃洗浄もしましたし、もう大丈夫ですよ。あの白い調合薬は薬に慣れて効かなくなってしまった人に合わせて作った超強力な腹下しだったんです。しばらくは消化の良い物しか食べられないと思いますが、しばらくすれば体調も元に戻りますよ」
アルトの手が離れていこうとするので、クラウネスは手を強く握り、離すまいとする。しかし、クラウネスの手にもう一つの手が重ねられ、アルトがそっと手を離した。
「大丈夫ですよ。近くにいます。水を取るだけですから」
ベッドの横にあるサイドテーブルから、アルトが水の入った細長い口の吸い飲みを取る。
「脱水状態にならないように、湯冷ましを飲んで下さい」
吸い飲みを、アルトがクラウネスの口に近付ける。クラウネスはそこからゆっくりと湯冷ましを飲んだ。だいぶ喉が渇いていたのか、温いのに喉を通る湯冷ましが痛い。
息を吐き、クラウネスは身体から力を抜いた。ぼんやりとした意識のまま、アルトに手を伸ばす。それにアルトが気が付くと、アルトは手を握ってくれた。
温かい手は眠気を誘う。
眠る前に、クラウネスはアルトに伝えたい事があった。
身体を起こそうとすると、逆にアルトが顔を寄せてきた。
「どうしました?」
何か用事があると思ったのか、アルトは耳をクラウネスの口に近付けた。クラウネスはゆっくりと伝えたい事を言葉にした。
「ありがとう……。大好き」
かすれた声でそれだけ言うと、クラウネスは眠りに付いた。心なしか赤いアルトの顔を見る事もなく。
二週間後、クラウネスの体調も戻り、皆がいつもの生活に戻っていた。今回のアルトへの処分だが、厳重注意だけですんだ。本来なら第三王子の命を脅かしたとして処刑となってもおかしくないが、レイネスやナルの証言により、クラウネスの不注意による事故として判断された。
「室長、これでいい?」
ココルがアルトに調合の確認を取る。魔法研究室はいつも通りの空気が流れていた。
「はい、あとはこれを入れて……」
そこに、いつものように場を荒らすクラウネスがやって来た。
「アルトちゃん、一週間ぶり!」
クラウネスはぎゅっとアルトを抱きしめる。
「もう平気なんですか?」
クラウネスのいつもの様子に、ココルは笑いながら声をかけた。
「ああ、心配かけたね。もう大丈夫だ。アルトのおかげで元気いっぱいだよ」
「一時はどうなる事かと思いましたよ。室長なんて毒を盛ったんじゃないかと疑いをかけられたりするし」
「それは反省している。アルトが処刑になっていたかと思うとぞっとするよ」
そのまま、ココルとしばらく話していたが、クラウネスは違和感に気が付いた。
「アルト、どうした?」
クラウネスが抱きしめるとすぐに突っぱねていたアルトが、何故かじっとしている。抱きしめたままクラウネスがアルトの顔を覗き込むと、アルトは顔を真っ赤にしていた。
「え?」
思わぬ反応にクラウネスも固まる。
「あの、そのっ。何でもないです!」
慌てたアルトはクラウネスをぐいぐいと押し、部屋から追い出した。
「帰って下さい!」
扉を閉じて、アルトは鍵をかける。そのまま扉に寄りかかった。
「室長?」
ココルとエルゼルの視線に、アルトはいたたまれなくなる。
「その、人から好きだと言われたのは初めてで、どうしたらいいのか……」
人を好きになった事も人から好意を伝えられた事もないアルトは、クラウネスにどんな態度をとればいいのか分からなくて、思わず追い出してしまったようだ。
「ああ、クラウネス様ついに言ったんだ」
「知っていたのですか?」
顔を赤くしたまま、アルトはココルに聞く。
「知っているもなにも、クラウネス様も分かりやすい態度で室長にべたべたしてたと思うんだけど。あれで分からないのは室長くらいじゃないかな」
エルゼルもココルの言葉に頷く。それを見て、アルトはますます顔を赤くした。
扉の外ではクラウネスが扉を叩き、必死に中に入ろうとしているが、アルトには開ける事が出来ない。
「アルトちゃん開けて!」
「き、今日は帰って下さい!」
恋愛初心者のアルトは、クラウネスとどう接すればいいのか分からず混乱する。今は顔を合わせられるほど、気持ちの整理も付いていなかった。
「アルトちゃん!」
「開けられません!」
どうしてクラウネスを直視出来ないのか。
どうして顔が熱くなるのか。
そして、どうして胸がドキドキしているのか。
アルトが答えを出せるのはもう少し先になりそうだ。
end