出発――その裏で
この物語はフィクションです。
朝。
太陽はとっくに昇っている時間。
しかし――
村の景色は、薄靄の中に沈んでいた。
それでも、夜よりはいくらか明るく、
村の全景はぼんやりと見えている。
丸みを帯びた、色とりどりの屋根とドア。
窓の形は丸や三角……中にはハートや星まで、
当たり前のように混ざっている。
「絵本の中にいるみたい」
歩きながら、アカリは静かに呟いた。
少し肌寒く感じて、
アカリはそっと腕をさする。
――昨日は、あのまま寝落ちたはずなのに。
起きたら、布団に入っていたんだけど……。
もしかして――
ちらりと、隣を歩くシロウを盗み見る。
視線に気づいたシロウが、
にっこりと微笑んだ。
「……っ」
慌てて、アカリは視線を逸らす。
今日から、二人旅が始まる。
羽月くんに迷惑をかけないようにしなくちゃ。
心の中で、そっと意気込んだ。
「本当に行ってしまうんですか?」
昨夜入った村の入口とは反対側――
村の出口に、アカリとシロウはいた。
そこには見送りのため、村人たちが集まっていた。
「はい、先を急ぎますので」
名残惜しそうにする村長に、
シロウはきっぱりと言い切った。
村長の肩が、びくりと震える。
――その横で。
アカリは村人たちに、
丁寧にお礼を言ってまわっていた。
しばらくして――
「では、参りましょう」
「はい」
シロウに促され、二人は
サイショの村を旅立った。
村人たちは、
二人の姿が見えなくなるまで、
声を張り上げて見送り続けていた。
やがて、その姿が点となり――
完全に消えた。
村人たちの間に、
静かな沈黙が落ちる。
そして――
はぁぁぁぁぁ……
その場にいた全員が、
深く、重たい息を吐いた。
中には、思わずその場に座り込む者もいる。
「やっと行ったか」
誰かが、迷惑そうに呟いた。
その瞬間――
「本当、この大変な時期に……勘弁してほしいぜ」
「私たちが、いつもどれだけ苦労してるかわからないんだよ」
「導き手様も、横暴だよなー」
村人たちの不満が、一気に爆発した。
「……それよりさ」
誰かが、ぽつりと呟く。
「あんな頼りなさそうな子が救世主って……
本当に、大丈夫なのか?」
その言葉に、
場の空気が一瞬で冷えた。
誰も、何も言わない。
ただ視線だけが彷徨う。
どうやら、
皆が同じことを思っていたらしい。
「……あのさ」
気まずい沈黙の中。
一人の若者が、
おもむろに右手を挙げた。
「オレ、昨日……
トモシビト様の部屋、行ったんだよ」
「は? お前、なにやって――」
「母ちゃんに、出発時間を聞いてこいって言われてさ……。
それで、ドア越しに聞いちゃったんだけど」
ごくり、と誰かが息を呑む。
村人たちの視線が、
一斉に彼へと集まった。
「トモシビト様のすることって……
この世界を旅して――祈って終わり、
なんだってさ」
…………は?
全員の口が、
同時に開いたまま固まる。
次の瞬間――
「え? なにそれ」
「それだけ?」
「そんなの、誰にだって出来るじゃねーか」
ざわめきが、一気に広がった。
「なんか、聞いてた話と違うような……」
「えー、せめて村外れの大穴、消してくれよー」
「ホッホッホ。トモシビト様のお力は、そういうモノじゃあないからねぇ」
不満と嘆き、
失望と苛立ちが入り混じる中、
老婆の声が割って入ってきた。
「おばば」
おばば――
この村で最も高齢の人物。
村人たちから慕われる生き字引であり、
かつて灯シ人の奇跡を目の当たりにし、
その恩恵を受けた数少ない人物でもあった。
「――そう、あれは、わしがまだ若かった頃のことじゃ」
突然はじまった彼女の昔語りに、
誰もが静かに耳を傾ける。
過去を思い出すように、目を閉じた。
「心は荒み、鬱屈とする毎日。
なにもかもが嫌になって、
いっそ自棄になってしまおうかと思った、そのとき――」
閉じていた眼を、ゆっくりと開く。
「――空に、巨大で鮮やかな虹が現れた」
当時を思い出すかのように、
彼女はそっと空を見上げた。
「その虹を見た瞬間――」
歪んだ色の空に、
あの日の虹を重ねる。
「わしの――
つま先から頭のてっぺんまで、
なんとも言えない爽快感が、走り抜けた――」
ぶるりと、
彼女は自分の身体を抱くようにして身震いした。
その様子に、
誰もが息を呑む。
「まさに!
心が洗われた瞬間とは、このことよ!」
おばばの声が、鋭く響いた。
それまで穏やかだった口調が、
次第に早く――荒々しくなっていく。
「それまで抱えていた不平や不満――
失望、喪失感、怒り、悲しみ――ありとあらゆる負の感情」
興奮に、手の震えが止まらない。
「それらが、きれいさっぱり消えてなくなったんじゃ!」
言い切ると同時に、
彼女は目を大きく見開いた。
はぁ――、はぁ――
沈黙する村の中に、
おばばの荒い息遣いが響く。
「……お、おばば?」
近くにいた女性が、
そっと背中をさする。
「……ああ、すまないねぇ」
わずかに咳き込み、息を整える。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「――その時から、
世界が色鮮やかに輝いて見えるようになった」
静かに呟く。
「――あれを、もう一度味わえるなんて。
長生きは、するもんだねぇ」
視線を上げ、
歪んだ空を見つめる。
しばらくして、
おばばはゆっくりとその場を去っていった。
何人かの村人が、
彼女を気遣うように後を追う。
その背を、
残った村人たちは言葉もなく見送っていた。
ひそやかな沈黙の中――
――パン。
――パン。
村長が二度、手を打ち鳴らした。
「ともかく、わしらはやる事はやったんだ。
あとは――導き手様がなんとかしてくれるさ」
不安の入り交じる目を、
二人が去った方へ向ける。
しかし――
短く息を吐き、気持ちを切り替える。
「さ、仕事に戻ろう」
その一言に、
村人たちは重い足取りのまま、
のろのろと散っていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
村のおばばが語った『灯シ人』の奇跡。
しかしそれは、本当に“救済”なのだろうか――。
一方、森を抜けたアカリとシロウの前に現れたのは、行く手を阻む巨大な大穴。
しかしシロウには、秘策があるようで――。
次回
『出発――橋の上で踏み出す一歩』
次回更新予定:4月5日(日)21:00頃(予定)
※変更になる場合があります




