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クロエとシロウ


この物語はフィクションです。



シロウは一人、部屋の中で机に向かっていた。


足元に散らばっている紙の束には、普段の丁寧な筆跡とは違う文字が奇妙な記号と一緒に書き殴られている。


机の上に広げられた、たくさんのガラクタ。

シロウにとっての宝物。

全て、アカリの世界から持ち込んだ物。


「……よし」


それらをどけて、シロウは白いクレヨンを取り出し、開いたスペースに魔法陣を描き込んだ。


描き終わったそこにスマホを置き、そっと手を翳す。


『機械を動かそう《◯◯・ヴェイル》』


シロウの発した言葉の後、スマホが青白い光に包まれた。


光が消えて、シロウはスマホを手に取り、電源ボタンを長押しする。


「……」


しばらくして――


ブゥゥン――


わずかな音と共に、画面に機種マークが浮かび上がった。


「……ついた」


シロウは静かに成功を確認した。

パスワードや指紋認証などの設定はされていない。

画面に表示された「上にスライド」の通りに指を動かすと、すぐにホームページ画面へと切り替わった。


男性グループの写真。

このスマホは、教室に置かれていた誰かの忘れ物を拝借した物。

なのでシロウはこの壁紙については知らなかった。


その上に配置された通話のアイコンをタップ。

――しかし、アプリは開かなかった。


「やはり、ここから先に進むのは、難しそうですね」


シロウは深く息を吐いた。


ともあれ、この世界ヴィラブドに戻ってきてから、全くつかなかったスマホの電源が入った。


「灯シ人様にも、報告しなくては――」


逸る気持ちを抑えながら、シロウが椅子から腰を浮かせかけた――その時。


――パタン。


遠くで、ドアの閉まる音がした。


シロウは首を傾げたまま、スマホを手に取り部屋の外へと向かう。


ドアを開けた先はリビングに繋がっており、しんと静まり返っていた。


「灯シ人様?」


呟いて、シロウは少し離れたアカリとクロエの部屋へと向かう。


ドアの前に立ち、三回ノックをした。


しかし。


中からの返事が、ない。


躊躇いながらもシロウはドアノブへと手を伸ばす。


鍵はかかっていなかった。


「……失礼、いたします」


ゆっくりとドアを開けると――


「……」


部屋の真ん中に一人立っていたクロエが振り返り、無言でシロウを出迎えた。


「灯シ人様は……」


「……」


クロエは答えない。

ただじっとシロウをその赤い瞳で見つめている。


クロエの視線に、シロウは一瞬気圧され、思わず後退った。


しかし――


「まぁいいでしょう」


モノクルの縁に指を添える。


「ちょうど良いかもしれません。ずっと聞きたかったんです」


シロウは部屋の中へ入り、クロエの前で立ち止まった。

ひとつ、息を吸い込み――


「クロエ――あなたはいったい、何者なのですか?」


シロウのよく通る声が、部屋の中に響き渡った。


しばしの沈黙。


やがてクロエは――


「クロエは――クロエ」


小さな声で口を開く。


「ですから、そうではなくて……」


シロウは、いつかの癇癪を思い出す。


クロエがアカリから名前をもらった時のこと。


クロエに「この子」と言ったら「この子じゃない!クロエはクロエ」と叫ばれた。

「クロエさん」と呼ぼうとしたら、やはり拒否され、「クロエ」呼びを強要された。


――僕がかつてもらえなかった"名前"を、強請っただけでもらえたこの子が、羨ましい。


シロウはため息をついた。


「あなたが、クロエという名前を大切にしていることは、わかっています。でも今聞きたいのは、そんなことではなく――」


「そして――暗い暗い、出口のない真っ黒な海を泳ぐ心の残滓《小さな魚の群》」


今度は、幼いクロエの声が、部屋の中にはっきりと響き渡る。


――シロウは小さく拳を握り締めた。


「――さきほどは、つい頷いてしまいましたが……」


遊園地区で話した"海"のことだ。


「僕らの世界に、"海"は存在しません」


青いビー玉のような瞳が、クロエを見据える。


「……」


クロエはそれを黙って見つめていた。


「……っ、僕らの世界以外の、たくさんの世界を訪れ、渡り歩いてきた僕だからこそ断言できます」


強い言葉とともに、シロウは一歩踏み出した。


対してクロエは――


「……いつからそれが在るのか、クロエたちは誰も知らない」


静かに首を振る。


「でも、インクのような真っ黒な海は在るんだよ。だって、そこから抜け出て、クロエたちは、アカリのところに来て、クロエになったんだもん」


クロエの的を射ない説明に、シロウはだんだん苛立ちを隠せなくなってきた。


――いけない。


(まだ、聞きたいことはたくさんあるんだ。ここで冷静にならなければ……)


モノクルに指を添えて、心を落ち着かせる。


一拍置いて、シロウは口を開いた。


「――なぜ、灯シ人様に近付いたのですか?」


どうして、アカリだったのか。


この世界に無くてはならない存在。

世界を救うその役目を果たしてもらうために、シロウが守らなければならない少女に近付いたのか。


「同じだったから――惹かれあったの。寂しいと、同じ温もりが欲しくなるから。その赤い石と同じ」


クロエはシロウの胸元を指差す。


「――これのことですか?」


シロウはポケットから懐中時計を取り出し、その裏側にはめ込まれた赤い石へと目を落とす。


「その石はね――残された、寂しいって気持ちの欠片なんだよ」


シロウは目を見開いた。


「気持ちの――欠片?」


シロウは訝しむ。


この世界を創った女神様がこの石を割って、その片割れを時空の穴へと落とす。

シロウは手元に残った石の惹かれ合う性質を利用して、異世界へ片割れを探しにいく。


最初に投げられた石を拾った、新たな灯シ人に辿り着く。


(僕らにとっては、便利な道具。

でもそこに、誰かの感情が宿っているかもしれないなんて……)


懐中時計を握る手に、わずかに力が籠る。


「でもね」


俯くシロウの耳に、クロエの声が届く。


「アカリは、少しだけ違う気がする。何かが満たされていない、そんな感じ」


でも、きっと――それが鍵になる。

ふとクロエは窓の外へと目を向けた。


シロウは、自分でさえ知り得ない情報を持つ、目の前の存在が異質なものであると感じていた。


(もしや、僕らの世界に入り込んだ、未知の敵なのではないか)


シロウはクロエに警戒の目を向ける。


しかしクロエは構わずに続けた。


「擦り減っていくクロエたちとみんなの心に消えずに残っているのは、誰かに向けた"どうして"という問いかけと、自分の世界に帰りたいという願い、あと――」


そこでクロエは言葉をきり、真っ赤な瞳をシロウへと向ける。


「自分の世界――では、アナタ方は、やはり別の世界からやって来たのですね?」


クロエはこくりと頷く。


――やはり侵入者だ。

シロウは確信した。


「……この世界に来たのは、クロエたちとみんなの意志。それは間違いないよ」


「その目的は?」


シロウが冷たく問い返した。


しかし――


「クロエたちとみんなはね――」


クロエの答えに、シロウは思わず目を見開いた。



「あれ?シロウくん?」


外から戻ったアカリは焦った。


「灯シ人……様」


たった今自分たちの部屋から出てきたシロウに、慌てて駆け寄る。


無断での外出。

後ろめたさを感じたアカリの頭が、言い訳で埋め尽くされた。


しかし。


「どうしたの?どこか具合が悪いの?」


いつもとは違う様子のシロウに気が付く。


「ああ……」


心配するアカリに、シロウは口を強く引き結ぶ。


「いえ、なんでもありません……」


緩く首を振った。


「そう?」


眉をひそめるアカリに、シロウはいつものように笑いかける。


「はい。明日もたくさん歩きますので、今夜はお早めにお休みください。では」


それだけ言って、シロウは自室へと戻って行った。


「何か、あったのかな?」


アカリはその背中を見送ったあと、自分の部屋のドアを見つめた。



部屋に入り、後ろ手でドアを閉めたシロウの身体が、ずるずると崩れていく。


「その目的は――?」


冷たく問いかける、自分の声がリフレインする。


口を開いたクロエから発せられたのは、そのクロエの声に重なる、いくつもの声の群。


『シロくん』

『シロちゃん』

『うさぎくん』

『シロー』――


数えきれないほどの名前。

それらは、全てシロウを示すモノ。


過去。

一緒に過ごした灯シ人たちに、「名前がない」と言ったら、与えてくれたモノ。


そして、最後にクロエはこう言った。


「――青い目玉の、白くてふわふわしたうさぎの子にね。

"僕の大好きな子が創った世界を助けて"って頼まれたから……ここに来たんだよ」


それはかつて、シロウが石を拾った者たちへ、灯シ人になってくれるようお願いした時の言葉。


最初は渋っていたけど、この言葉を言うと最後にはみんな「いいよ」って言ってくれた。


今にも泣きそうなクロエの笑顔が、頭から離れなかった。


クロエの正体に思い当たったシロウは、しかし、すぐに首を振る。


――だって、役目を終えた灯シ人様たちは、みな元の世界に帰ったと思っていたから。


いや――そう思い込もうとしていた。


僕らの世界を救ってほしい――


そう願いを込めて、シロウは魔法陣を描いていた。

灯シ人が祈ると、その身体から純白の光が溢れて、空高く昇っていく。

光は弾けて、歪んだ色の空は晴れ渡る。

どこまでも澄んだ色の空に、巨大な虹の橋が架かる。


そして役目を終えた灯シ人は、シロウの前から消える。


灯シ人は虹の橋を渡って元の世界へと帰る。

人々の間でそんな噂が囁かれ、童話となって語り継がれるようになっていった。


それでいいと思っていた。


そうすれば――


「僕はまだ、キミのために頑張れる……そう思っていたんだ――ヴィー……」


張り詰めていた糸が切れたように、シロウは座り込んだまま、膝に顔を埋めた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


一方――

クロエに見送られたアカリは一人、外へと出て行った。


次回

『アカリとコハク』


次回更新予定:

11月8日(日)21:00頃(予定)

※変更になる場合があります

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