なんのための自由なのか2
これにはオレグ副団長以下彼等の部下が青ざめ口が開きっぱなしだ。
呟けたのはオレグ副団長くらいだった。哀れなほど動揺して汗をかき狼狽えている。
カズールはつい一昨日まで熱を出し一晩生死を彷徨ったとは思えないほど顔色が良かった。
天音達が立ち寄った傭兵斡旋場の中の酒場で優雅にお茶を飲んでいたのだ。
黒いくせ毛をかきあげるようにその鳶色の瞳を細めた。
無駄に均整の取れた美貌がこの荒れた酒場に似つかわしくない。
もう彼は自身が貴族の出であることを隠す気もないらしい。
最初こそ少し裕福な商人の子息か爵位持ちの落し胤かと推理するくらいだった。
今や開き直ったらしい彼の品はダダ漏れである。
足を組み茶を嗜んでいる彼の背後には花が見える。
だだその花は毒花だ。
彼の腹黒さがありありとその完璧過ぎる笑顔に見えている。
それだけでそこにいた酒場の女将や給仕の娘が惚ける。
具合が悪い侍女達は先に宿屋へ送り届けた後だった。
もし元気な彼女達がここにいたら同じく惚けただろう。
たぶん天音はこの場にいる女の中で唯一違う意味で赤らんでいる。
「天音さん。ここでお会いしたくなかった。万が一と思い待っていて良かった。
新しい護衛と彼等を交代なさろうとしてますね?
まったく。一日も同行して己の有益さも実力も忠誠心も示せないとは………」
「ッ…………貴方って人はッ…………」
天音はカズールの語りが終わらないうちに横っ面を平手打ちした。空気を切り裂くような甲高い音が鳴る。
天音のあまりの怒気に背後の騎士達が引き攣った呻きを漏らした。
「あの毒で何故?動けるはずは………?寿命を縮めたいのですか?!馬鹿ですか?!阿呆なのですか?!」
天音は身体が戦慄いた。
背後のオレグ副団長あたりが天音を抑えるかと一瞬思ったが彼の目は天音を非難していなかった。オレグも天音と同意見らしい。
「この状況で俺の身体の心配を?天音さんは女神のように優しいですね………。日々惚れ直しますね。際限がない」
カズールは優雅に天音を見上げる。
不意を突き横っ面を叩いた女の手を受けても一切体幹はブレなかった。
「な………?なんで隊長が?」
やっとオレグ副団長は口を開いた。
彼の動揺具合も天音の比ではなかった。
なんせ彼にはカズールの病状も診断結果も詳細に説明したのだから。
「オレグご苦労だったな。天音さんは怪我一つないようだ。流石だよ。任せて良かった」
(これは示し合わせてもいなかった事態なのね………)
傍若無人な主君をもつ彼等に心から同情した。
カズールに付き添っていた部下の若い騎士など泣きべそをかいている。
彼も散々カズール(彼等からするとドルジ隊長)を止めたのだろう。
苦労の跡がありありとその疲弊した表情に浮かんでいた。
「おいおい………。隊長。俺も引くレベルの登場だよ………。
追っかけにも程があるだろう………?
あんた………忍耐は?そんなに熱血タイプでしたか?
もっとスマートに知略を巡らせてから粉砕するのがセオリーだろ?どうした?脳筋か………?猪突猛進は一番嫌な戦法だよな?」
「うるさい。もう耐えるのはやめたんだ。
ありのままの欲求に身を任せている」
「ッ…………不穏……。不憫だよ…………」
女に横っ面を叩かれ頬を赤らめてもカズールはひょうひょうとしている。部下の軽口にも対応するほど余裕面である。
天音は怒りに過呼吸をおこしそうになった。
肩で息をするとオレグ副団長が背後に気遣わしげに回り込んだのを感じた。
か弱い乙女が気を失う時に支えようとする仕草だ。
騎士の鏡のような動作だった。
気を失えたらどれだけ良かっただろうか。
「痴話喧嘩は他所でやっとくれ」
酒場の女将に言われて我にかえる。
その心外な関係の片割れと見なされたカズールは天音に反して心底嬉しそうにウットリしている。
「痴話喧嘩………。良い響きですね?しましょう。
大いに痴話喧嘩。無視や離れて過ごすよりよっぽどいい」
「ッ…………ドルジ様ッ…………黙って」
「実はドルジが偽名なんです。カズールが本名です。
ですから幼名関係なくそう呼んでください」
「ドルジ隊長………。それは無理があります………。
由緒正しい『ドラグニュート男爵家』三男ドルジ様は揺るがない事実なのですから………」
「黙れオレグ。天音さんとの会話に割り込むな」
天音は頭がクラクラした。
「痛みが治り次第帰国を推奨します」と天音が言ったからそれに従ったと。
ここはヒイズ国へ帰る道中だから遭遇するのは必然である。と。カズールは言葉遊びを始めた。
天音が一週間は痛みが収まらず歩けないと見越したのにだ。
まさかカズールの顔色を見る限り本当に痛みはないらしい。
天音の薬には痛み止めの作用などなかったはずなのに。カズールは天音が旅立ったその晩には起き上がり鍛錬を始め。次の明朝には早馬で天音達を追い越したらしい。
付き添いの新人騎士が涙ながらに語る内容が正しいなら。
悪路とはいえ整備された道ではなく山を超えたらしい。
最短ルート。険しい山越え。
毒も完全に抜けきれていない怪我人がすることではない。
「ッ…………絶対安静を言わずとも安静にせざる負えない毒よ?動けるだなんて………?ベットに鎖では縛り付けるべきだったのだわ」
天音は自身の診断結果に疑念を持った。
村の薬師と相談もしたし毒の解析もした。
『猛獣殺しの毒』で間違えたはなかった。
村の薬師など恐れおののいていた。
だって。
その毒で生き残った実例は2例くらいしかない。
村の薬師の人生では初めての経験だろう。
それなのに当のカズールはピンピンしているではないか。
「縛り付けられる趣味はなかったのですが。
天音さんからならいくらでも。苦痛すら甘くなりそうですね?」
「アウト。隊長いろいろアウトっすよ」
「彼女からの痛みなど喜びでしかないだろう………?
彼女が初めて俺に触れてくれたんだ。痛みなど些細だ」
天音はそこはすかさず反論した。
「痛みは『防衛本能』!些細ではありません。軽視してはいけません!
痛みに気付かないと命すら危うい怪我も見落とし………。
あ………………」
天音は青ざめた。
カズールはあの毒で即死しなかった。痛みに特化した毒物だ。
(まさか………?『「先天性無痛無汗症」………………?)
それは生まれつき痛みを感じる神経や発汗機能をコント ロールする神経が発育せず、痛みや熱さ冷たさを感じないし汗を かかないという病気だ。 そのために、怪我や火傷や骨折を繰り返したり、体に障害を起こすことがある。
(この病気を完全に治す治療法は現在ないわ。 原因となる遺伝子の変異は分かっているけど。遺伝子治療など今の文明では不可能だわ。 起きてしまった症状に対する対症療法と、外傷や体温異常を予防するための日常生活上でのケアしか………)
そこで思い直す。
カズールは苦痛で汗をかいていた。
それに弓を受けた当初も痛みに動けなかったではないか。
今も頬が痛いと言っている。
そこまで嘘をつく必要はない。
違うなら。
カズールは幼少期から毒慣らしや痛み逃しをしていた可能性がある。研鑽の末の鈍感体質だ。
(この方は幼い頃から。
暗殺避けの毒慣らしや痛みに耐える訓練をされている………?)
その幼少期に胸が傷んだ。
「ドルジ様………?本当に本当に………痛みはありませんか?
痛みが本当にないなら違う疾患を疑わなければ………。
本当に本当に………。具合は悪くありませんか?熱は?」
「痛みは今はほとんど。人より我慢強いだけですよ。後は貴女のことを思うと胸が痛い。
貴女に再び逢えた高揚で熱はあります。
のぼせ上がりそうだ」
「真面目に応えてくださいませ」
天音は思わず叩いてしまったカズールの頬に薬草をつけた布地をあてる。
「叩いてごめんなさい………」とつぶやく。
「痛みに我慢強いことと、痛みが感じ辛いこととは、痛みがないことにはなりませんよ。
毒が効きづらいなら毒由来の薬は効きづらい………。
痛みの代わりに未来の命を擦り減らしているかも。
身体を大切にしてください。わたくし………わたし………。貴方が死ぬのが嫌ですッ…………だから………だから………。
置いてきたのにッ…………ッ…………」
カズールの包帯を巻き直したりしながら悪態をつく。
話せば話すほど冷静でいられないことに天音はほとほと嫌気が差してしまった。
言葉も喉に引っかかるようになりしゃくりあげる。
「あ。隊長がまた泣かした」
「色男〜。女泣かすなんて最低っすよ~」
「天音様はどれだけ隊長を案じて何回も俺等に謝罪したことか………」
騎士達が囃し立てたから天音はやっと泣いていることに気付いた。
「天音さん………。泣き顔は俺だけにと言ったのに」
カズールが抱き寄せるのを天音は必死に抵抗した。首を振りいやいやし、駄々をこねる子供のように。
(カズール様の前だとどうして冷静になれないんだろ)
「人前ッ…………ッ…………うるさいッ…………」
「うわあ………。怒ると口が悪くなる。かわいらしいなあ」
「抱き寄せないでッ…………皇国では家族や婚約者以外とは抱き寄せたりしません!はしたない!」
「ん………ごめん………。可愛く泣く子は隠さないとじゃないか?
この場にいる男の全ての目を潰さなくちゃならなくなる」
カズールの甘く蜂蜜の色になった鳶色の瞳が途端に不穏な氷のような無機質な色になる。
その場の空気がピシリと凍りついた。
ここは傭兵斡旋場だ。武に自信のある者が集う場所。
(そんな「血気盛んです」って会話しちゃ駄目なところッ…………)
でも天音が危惧することにはならなかった。
見渡すとここにいる屈強な男達が皆何かしら怪我をしている。
その男達はカズールを気まずそうに見ないようにしている。
天音が不思議に思い小首を傾げながら見渡す。
その天音の視線すら逸らす勢いだ。
カズールの席に天音達のお茶を運んだ女将がため息交じりに天音達を見た。
「このお兄さんさ。
昨日ここに辿り着いたんだけどね………?
凄く殺伐としているのに美男子だろ?
こいつらに絡まれて絡まれて………。
鬼神のごとくボコボコさ。
………………………剣出さなかっただけマシだったけどさ」
「ッ…………え」
女将は「こいつ等を痛めつけたお詫びに飯も酒も奢ってたし。酷い怪我させてないから。
この人本気出したら殺せたろ?いい薬さ」と笑っていたけど笑えない。
「だよな。隊長みたいな美男子のお貴族様丸だしの人が一人でいて絡まれないなんてあり得ないよな………」
「特に天音嬢に置いていかれて殺気立ってたんだろうしな」
「今の甘く頬緩ませた隊長のほうがどちら様?って感じだもんな?」
カズールの行いをさも平常運転のように頷きあう彼の部下の話も笑えない。
「そういうわけだ。天音さん。
ここに俺の部隊より貴女を護衛するに値する強さも心意気も良い武人などいませんよ」
黒い影が背後に見えるのにカズールの笑顔はどこまでもにこやかで爽やかだ。
(男社会。武人の世界では見目麗しいほうが損することがあるのね。軽んじられるのかしら。
それにしても派手に………暴れたのね。
まさか。『護衛替えを阻止』するための大暴れじゃないよね………?)
天音は酒場の怪我をした男達を片っ端から診察した。
幸い皆酷い骨折はなく、綺麗に関節を外されていたりしている。その事実にも戦慄く。この人数で偶然はないだろう。
カズールの武芸は剣技だけでなく体技も熟すらしい。
(解剖学の知識がある人の外し方だよ………)
内臓のダメージを心配したが昨日の今日で皆が飲食をし酒を嗜み。血尿もないと恥じらいながら報告を受けた。
尿や便のことは大事なことなのだが酒場でする話ではない。
片っ端から屈強な男達の外された関節の骨を入れていく天音の背後にカズールは音もなく近づいた。
「天音さん。一つ報告が。
この先の村から避難した住人からの情報なのですが。
武力ではどうにもならない事が起こっているらしい。
護衛を変えるとかの次元ではないことが。
遠回りするか………。行き先を変更するか。判断は貴女次第です」
「………………」
天音は沈黙で新たなカズールの言葉を待つ。
カズールの瞳が揺れた。普段の彼ならこんな謎解きのような問はしない。それは迷いの色だった。
彼は『武力ではどうにもならない事』を詳細に話すことを躊躇している。
たぶん天音が選ぶ選択肢を狭めるためだ。
二択で問う所が小賢しい。
彼は『舞姫とはなんたるか』を知っているはずなのだから。
「ドルジ様。わたくしこそ『武力でどうにもならない問題』こそ得意分野なのをご存知ですよね?
貴方様も貴方様なりの信念や吟次に命を懸ける方。
わたくしの信念や吟次も分かってくださいますね?」
天音は小首を傾げながらカズールを見上げた。
華音がよくおねだりをする時の仕草だ。
(あ。醜女でこんなことしても逆効果だったッ…………。あぁ………付け焼き刃のお願いなんて浅はかだった……)
でも天音は思い直した。
(あ。でも滑稽ならそれはそれで。
この方の信奉は少し狂気じみてるもの。むしろ愛想尽かしてくださいませ!)
見上げるとカズールは目を見開いている。
次の瞬間耳から首が赤くなり項垂れた。
背後のオレグ副団長まで困り顔だ。
(何故その反応………?)
天音まで反応に困ってしまう。
「ッ…………天音さん。その顔は反則です。
貴女の願いは何でも叶えたくなる。
けれど貴女が行くなら俺も行きますよ。貴女はさっき命を大切にしろと言った。
自分だけ死地に行くなど言いませんよね?」
「生憎自殺願望はありませんので。
我が身を捧げてもというほどの聖女ではありません」
「ご謙遜を………」
カズールが柔らかく笑った。
相変わらず陽だまりのように笑う人だ。
天音はカズールが天音の行動を阻止しないことに安堵した。
貴族社会のしがらみから解き放たれたのだ。
愛する人のためだったらと押し殺していた天音の信念や吟次を旅先ですら否定されたくはない。
「わたくしの信念や吟次が件の村に『行く事』だとわかりますか」
「瞳を見れば容易です」
(………………私がその村に行くのが最初からわかっていて回避しようとしたのね。それに一人で行こうとしたこともわかっている?)
「一人で行きたいと言ったら?」
「男手は絶対に必要です」
「でしたらオレグ様で………」
「この騎士団の中で一番強いのは俺です。
弱った村こそ、そこを狙い盗賊が襲うことがあります。
なんですか?死地に連れて行くほど仲良くなりましたか?
………………………………………こいつが好みですか」
「………天音嬢…………辞退します」
オレグ副団長が青ざめながらどんどん天音から後退していく。
(いつのまにか『俺』だし………。私呼び、何処行ったの)
「この先の村から避難された住人の方の話をまず聞きましょう」
天音はカズールに色々言いたいことは押し殺して酒場を後にした。
ブックマーク、いいね、評価ありがとうございます。
励みになります。(人•͈ᴗ•͈)
仕事が忙しく、次回から不定期投稿となります。
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