桔梗院家の宝玉の姫
和家は徳島家の当主の執務室のソファーに座っている。
いや。心情的には本来ならソファーに座ることすら許されないのだが。
土下座しても仕方がないと静止されたのだ。
それは沙汰は決まったことを示していた。
あの催事の一件で徳島家は相当の負債を背負った。
天子様の催事を妨害し舞姫を害し跡取り転覆の企て、更に婚約破棄は和家が思う以上に徳島家の商いも信用も揺るがしたのだ。
聞けば「舞姫天音嬢と縁者なら」と締結した契約は全て流れたらしい。
(商売の世界でも『舞姫信仰』はこんなにも根強かったのか………?)
負債のことを謝罪するとそれすら咎められた。
「負債より恥じねばならんことがまだわからんのか?
本当に………腐りきっているのか………」
と謝罪まで受け取ってもらえない。
目の前の当主家安は和家の父であり首都では一二を争う大商人である。
丸みを帯びた身体に柔和な微笑み。
世間の人々は彼を『アマカオルニジノミコの敬虔なる信者』で信心深いと思っている。
その実この家安という男。
世が世なら国家転覆を影で操れるほどの人脈と財力を有している。
皇国は絶対君主の天子が治める国であるが、その中身は『議会制』の国家である。
天子の一族も一議会の議席を有する『議員』である。
これは他国にはあり得ない制度なのだ。
この皇国の天子は『絶対君主』であるのに『独裁者』になり得ないのだ。
その世その世で議席を失ったことがある代もある。
不思議なことにそれでも天子一族は国民から害されることはなかった。
神の子孫は慈悲深く。
神の民である皇国民はその神聖さを慈悲深さを誇りに皇家を崇拝している。
だが徳島家はその議席を動かせるほどの人脈と財を持っているのだ。
政治家の誰を支援すれば議席も法案も通るのか。
それらを影で牛耳っているといっても過言ではない『影の参謀』なのだ。
議席を多く握れるとは実質政治を牛耳っているようなものである。
西の第二の都古都に同規模の大商人豊富家とは何代にも渡って経済も財産も争っている。
東の徳島西の豊富と呼ばれるほどだ。
その豊富が欲しがった桔梗院男爵家との縁談を父は勝ち取ったのだ。
父が桔梗院男爵家に賭ける気概は並々ならぬ思いがあった。
桔梗院男爵家は代々武官と神官を輩出する辺境の名家であった。
それが今の桔梗院男爵家当主昇一の代で政治家として花開いたのだ。
彼はぐんぐん出世した。
社交界では身体が弱い細君が働けないのにも係わらず頭角を現した。
社交界の妻の力を借りずに出世した稀有な御仁なのだ。
それらは最初の細君亡き後華帝国から奴隷出身の妻を娶り、その妻が社交界で問題を起こし首都にいられなくなっても。
彼の躍進は揺らがなかった。
そして桔梗院男爵は遂に天子様の宰相の候補に選出されたのだ。
徳島家は武人の家系ではない。
体罰や鍛錬など身体を鍛える事は課されたことはない。
武芸らしいことは『演舞』と呼ばれる剣の型を極めたもの。
主に抜刀術の型に重きを置いた剣術。
それらはもしも徳島家が『武人の爵位持ち』に見初められた場合を想定して代々嗜んできたことだ。
平民の商家と結べる爵位持ちは男爵家のみだ。
それらは実を結んだ。和家の代で。
桔梗院男爵家の令嬢との婚約を父は勝ち得たのだ。
徳島家の悲願であった。
商人はどんなに富豪になろうと得られないものがあるのだ。
『身分』である。
和家もその悲願の重みはわかっていた。
幼い頃から言い聞かされてきた。
『桔梗院男爵家の隠された『宝玉の姫』を手に入れろ』と。
あまりの美しさと知略、色んなことを見通す目を持った才女で美女。
世間に晒されていない『深窓の令嬢』を桔梗院男爵家は隠し守っている。
(その『宝玉の姫』は華音だった。
親父が決めた天音嬢ではなかった。
俺は親父すら見抜けなかった桔梗院男爵家の醜聞を炙り出し。
隠され虐げられ。跡継ぎの勉強の機会を奪われ帝都の社交界からも隔絶された美しき華音を救い出す。
本来なら華音が手に入れる筈だった『跡取り』の座を性悪で低能で醜女の長女天音嬢から奪う。
それが。俺の使命で俺にしか成せないもの。
可憐な華音の王子になる。
帝都大学を首席卒業したのに帝都大学すら行かなかった兄上に家督を譲る父上に見直してもらえる。
そう………思っていたのに)
和家は何も話さない父の顔も、隣にいる父の補佐をしている兄家満も見ることなど出来ないでいた。
自分は明らかに間違えたのだと今更後悔しても遅い。
今和家にあるのは華音との真実の愛のみであった。
その華音と語った真実すら今は疑わしい。
いや答えはあの怒涛の1日で理解してしまった。
誰があの家で虐げられていたのか。
誰が虐げていたのか。
自分はそれに1ヶ月も気付かず加担し愛にのぼせ上がった。
冷静に天音との文通内容や帝都の評判に真摯に耳を傾けていたら。
そうは思っても事は起こしてしまった。
和家自身の手で。
重苦しい空気を引き裂いたのはため息交じりの父の声だった。
「和家よ。お前は女癖が帝都時代から悪かった。
だからこそ平民式の自由恋愛を禁止し政略結婚としたのに。
お前はつくづく女を見る目がない。
人を見る目がない。
だから西の豊富の倅には学力では勝っても商いと人望で勝てなかったのだ。
頭が武器なら政治家の補佐の道を模索した政略結婚を。
お前は………………」
父は皆まで続けなかった。
泣いていたのだ。
商いの世界では『冷徹たぬき』と言われる豪傑の父は家族には優しかった。
その父が『泣くこと』。それは和家の未来を悲観していた。
「我が家は桔梗院男爵家とはもう関わらない。
だがお前はもう『契った』のだ。
あの家とは他人にはなれない。
お前が選んだ『真実の愛』を貫いてみせろ。
あの毒花はお前の姫なのだろう?
親も財もなく、これから爵位すら怪しくなる泥船の男爵家に婿入りするしかなくなったのだ」
悲しみに父家安の目は落ち窪んでいた。
(毒花とはあんまりだッ…………)
と叫びたいのに疑いと迷いが喉を詰まらせた。
華音が騙った天音の容姿は違い。
華音が軽んじていた舞姫の仕事は舞だけではなかったと知った。
敬虔なるアマカオルニジノミコの信者の父に反発して神殿にも通わず学ばなかった。
ただ舞を舞って信者を慰めるだけだと思っていた。
その考えの学友は多かった。
神殿や神話を軽視した仲間ばかりと時間を共にした。
だがそんな学友達もあの催事の騒動の後手の平を返した。
『本気で言っていたのか………?舞姫様に見初められたお前が価値を知らないのが滑稽だな?』
と彼等は商いにも神殿の力は必要だとわかっていて和家を説き伏せなかったと笑った。
ライバルが転げ落ちるのは楽しいらしい。
(彼女の舞姫の仕事を軽視して関心すら持たなかった。
お嬢様の娯楽だと思っていた。
遊び歩いていると………思っていたんだ)
父には昔から大学の勉強だけではなくこの国の成り立ち、宗教、娯楽、医薬学も学べと言われた。
そんな浅く広くなど学べるはずはない。
和家は経営と商いと政治のことを特化して学んだのだ。
父はそれなら補ってくれるものを友に伴侶に部下に迎えろと言った。
富あるものばかりとつるむな。偽善でもよいから貧民とも交流を持てと言った。
それも拒否した。
富あるものとして生きてきたのは誇りであり貧民は存在するだけで虫唾が走る人種だ。
短慮は無知が産むと。
視野を狭めるのは無知を無知と気付かず認めないからと。
言外に帝都大学を首席で卒業した和家に難癖をつけていると思っていた。
それらの憤りを理解し癒やしてくれたのは華音だった。
華音も天音のいるせいで社交界にも神殿でも居場所はなく、羽ばたけないと泣いていたのだ。
「お前は1ヶ月も桔梗院男爵家にいた。
なにを学び、なにを感じたのだ。
誰と話した。
誰の物差しで見た。
あの家に一刻いたら気付くだろう………。歪みも。宝も」
和家の頭にくる浮かぶのは華音とその母花夫人とその使用人達。
あの1ヶ月常に和家をもてなした。
常に綺麗に着飾った彼女達を侍らせながらの滞在は気分が良かった。
遠くから見る天音の見窄らしさと言ったらなかった。
「わからなかったから。父上の跡取りにはなり得なかったのでしょうね」
自嘲混じりに呟くと父は頭を抱えた。
「何故………。男爵のいない時に。
お前も馬鹿ではない。
男爵がいる場なら。天音嬢の有用性も疑うこともなかっただろう。
何故あの夫人が社交界に出ないのか。
何故あの華音という娘がお茶会に呼ばれる学友も取り巻きもいないのか。
お前はわかっていると思っていた。
天音嬢との便りでも思い知ったはずだろう?あの家にはお前と天音嬢を妨害するものがいると。
まさか………?それすら気付かなかったのか?」
和家は言葉も出なかった。
帝都から天音が去り便りが途絶えがちになったことも、華音から『天音は便りは不要と捨てていたわ?』と手紙の内容も詳細に知らされていたのだ。
天音は和家を軽んじている。
その証拠に婚約者の和家を顧みず神殿に籠もりきりではないかと。
「わたしなら………。貴方様を一番に大事にしますのに。
尽くしますわ………?」
そう甘くしなだれかかる可憐な華音を可愛らしく愛おしく思ったのだ。
聞けば聞くほど華音は哀れだった。桔梗院家で孤立し虐げられ。社交も勉学もままならぬままだと。
「助けてッ…………和家様」
甘く甘く囁かれた。
肉欲に溺れた。
ただ華音の言う日常的な被害は内心信じてはいなかったのかもしれない。
使用人の誰一人目撃していなかったから。
優しく宥め慰めた。
それだけで華音は可愛らしく啼くのだから。
天音は毎日仕事に忙しく華音を虐げる暇さえなかった。
虐げるなら現行犯だと怒りに震えたのに1ヶ月間なんの隙も見せなかった。
強かに見せなかった。と思っていた。
そもそも虐げられた事実がなかったとしたら?
「いや………。華音は虐げられていたんだ。
美貌が、有益さが何だ。
俺は心が卑しい女など嫌だった………。華音は美しく泣くんだ。
あの涙が嘘のはず………」
父はため息をついた。
その息があまりに呆れに染まっていて。
和家は身体を震わせた。
「お前には見えなかったのだな。
天音がいつも気丈に振る舞っていたのを。
お前への恋を胸に必死に男爵家に尽くしていたのを。
あの子はお前の女癖の悪さも、視野の狭さも、傲慢さも。
支えようと。
お前を愛していた。
見下げた………美しい………心の………」
目を覆い項垂れた父は「見る目がないのだから政略結婚にしたものを何故…残り一年でこんなことに………」とぶつぶつ呟く。
「まさか。天音嬢は婚約破棄を言い渡した瞬間も。
私など………なんとも思っていないふうに………」
家安が机を叩いた。
兄家満が父を支える。
父が物に当たるなど今までなかったことだ。
「催事の最中だぞ?
あの子はあの場の最高責任者。
茶番に本気で付き合うことなど出来たか?
泣いて縋ったらお前は心変わりしたのか?
さらに貶めただけだろうッ…………。
あれほど愛してくれていた天音はお前を見限った。
天音の愛があったから婚約を勝ち得たのに。
お前が彼女の大事な催事を穢したから………」
「たかだか舞を譲るくらいで大袈裟な………」
和家は苦笑した。
天音が華音に舞を譲り、背後で支えるように舞えば良かったではないか。
前後が入れ替わるだけ。
天音がいないから天子様は怒っただけじゃないか。
舞台構成の変更にいちゃもんつけただけだ。
「破門だ」
「え?」
「お前は心もあの女に吸われたんだな。
今まで尽くしてくれていた女のことも信じず。
見目と甘い言葉しか並べない女を愛したのだ。
その真実の愛とやら。
私も見届けよう。
お前は今日から息子ではない」
「父上?!」
「出ていけ。孫も見せるな。
あの女の腹に出来るのはお前ノ子とは限らんがな」
「ッ…………ッ…………侮辱だッ…………」
「後悔した所でお前の実家はないぞ。
わたしは隠居する」
「え?」
父は立ち上がり隣にいた兄満家に金印を渡した。
当主の証だ。
和家が欲しかったものが横に流れている。
その目付きを一瞥した家安はますます顔色を悪くした。
「………未練があるのか?
まさか………。
あの娘を連れてこの徳島家に凱旋し当主になれるなど、浅はかな夢を抱いたのではないだろうな?」
父の突き刺さる視線に何も言えなくなった。
図星だったのだ。
和家は桔梗院家を継ぐ気などなかった。
「桔梗院家の宝」を持ち帰れば虐げられた家を捨て王子になれると思っていたのだから。
「婿入りが嫌だったのか………。そんな浅はかな目論見に天音は振り回されたのか………」
「天音嬢を選んでいたなら………。
わたしは当主になれたのですか」
和家は絞り出すように呟いた。
「華音がいなくとも。お前は天音に見限られていただろうな。
あの子の大事なものすらわからない。
人情も優しさも薄っぺらい。人徳もない。
あの子は国一番の才女だというのに。そんなお前にあの子が着いてくるか………?愛のためでも無理だろうな」
和家は青ざめた。
催事を取り仕切る裁量は確かに『低能』では無理だとは思った。
だが『国一番の才女』は言いすぎだ。
なんせ天音は国一番の帝都大学を受験する資格すら捨てた女だ。
「女はッ…………愛しているなら黙って尽くしてこそだろう?!
なんなんだ………?
女は男に劣るのは仕方がないこと。
まず身体も頭も教育環境も違うんだ。
優れているほうを支えるのは当たり前だ。
舞姫がなんだって言うんだ?
天音が学がないのは確かなんだ。
勉学を疎かにした………果ての………自主退学」
「それも毒花の物差しか?
なら。
帝都大学商学科、経済学科首席のお前にわかるように話さねばならぬのか………」
「父上。ここはわたしが。
お体に障ります。火消しに寝る間もないでしょう………。
これからは当主のわたしが」
「うむ………頼む」
よく見ると父の顔はさっきよりも土気色だ。
兄の家満は和家の前に資料を置いた。
「これらは天音嬢と婚約を結ぶにあたり、父上が調べ上げた『舞姫選考試験』の概要だ」
和家はその資料をおもむろにめくる。
内容は帝都大学の全ての学科学部。
医学部から工学部、文学部から農学部に至るまでの見識を有するものと試験範囲が書いてある。
「広く…………浅く。なるほど。確かに天音嬢は才女らしい」
頭上からため息が聞こえた。
和家は虚をつかれ兄を睨みあげる。
父から見限られるのは仕方がないことだが自分より愚鈍な兄にまで馬鹿にされるとは思わなかったのだ。
いつも柔和な兄が『哀れんでいる』。
「流し読みしかしないのか。
いいか。天音嬢はこの全てを『満点回答』したんだ。
評価は帝都大学全ての学科学部の首席に匹敵する知識量を有していると『国』が認めたんだ。
舞姫は永年の『名誉職』だ。
何故だと思う?
アマカオルニジノミコ。あの女神様ほどの女などいないのだから『不可能』だから思い上がるな。
そんな制度なんだ。それをわずか10歳で天音嬢は成し遂げた」
和家は驚きに震えた。
舞姫は誰でも受けられる試験だと聞いた。
帝都女学校を退学した天音ですら受かるから華音も学びさえすれば必ず受かるから。と。
内容を見たら一目瞭然だ。
もし徳島家の諜報力で試験内容を事前に手に入れたとしても。
こんな膨大な量と質の問題など常人は解けない。
「それで………和家」
兄の空気は変わった。
和家は兄の顔を見上げられなくなった。
何故ならこの資料は和家は七年前に兄から渡され見もせず放置した資料だと思い出したから。
愚鈍だと思っていた兄ですら天音の価値を知っていたのだ。
「女は男に劣るのは仕方がないこと。
まず身体も頭も教育環境も違うな。特に皇国は女の社会的地位は低い。
学びの場すら男より少ないんだ。
和家。なら。
天音嬢こそお前より優れているからお前が支えねばならないことになるが?
優れているほうを支えるのは当たり前だ。
お前は実家の財力と教育環境だけ天音嬢より優れていたのにその程度なんだ。
天音嬢はお前のことを『優しい』人だと言っていた。
幼い頃から優しかったと。
偏見もなく広い心を持っているのだと。
あの方も男を見る目がない。
お前と違う誰かの話をしているのではと毎回思ったさ。
お前は彼女が愛した『人情』も『人徳』も『誠意』もなくしてなにが天音嬢より優れているんだ?
少なくとも徳島家はお前を人でなしと判断した。
我が家は人でなしとは家族でもないし商売もしない。投資もしない。情もかけん。せいぜい『真実の愛』に生きろ」
和家は口を戦慄かせる。
引導を渡されたのは父ではなく見下した兄なことに茫然自失になった。
気付いたら着の身着のまま屋敷を追い出された後だった。
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