093話 恋と焦燥
ポアロの口から発せられた言葉の意味を、ルカは直ぐに理解した。
決闘。つまりは戦おうという事だ。
マシュロがポアロを警戒していたのはポアロが何かを企んでいるような心根の暗さ。それを嗅ぎつけられたのは、多くの血と殺意を目の当たりにして生きて来たマシュロならではの嗅覚があったからこそだ。
多量の書物を読み漁って来たココも似たようなものだ。心理本や論理本なども隔てなく手に取って来たココは、ポアロの外見に噛み合わない飄逸さを不審に思った。ココが警告していたように魔界で何かを起こすことは無かったが、ルカの人間性を観察して出した結論が現状だ。
ではルカは完全に無警戒だったのだろうか。そう言われればそうとも言い切れないのがルカ・ローハートという人物だ。
確かにルカは警戒を解いた。だがそれには理由があった。
ポアロそのものに危険性を感じなかったからだ。何かを仕掛けてくるだろうとは予測していたものの、奇襲の可能性は限りなく低いとルカは感じていたのだ。
だがそれらはポアロが目論む何かを成し遂げるための過程であって行動理由ではない。
最初はカフェ『あうる』、次は魔界に同行、これが三度目。恨まれるような事をした覚えはなく、知り合って間もないポアロに決闘を申し込まれる意味が皆目見当つかなかった。
「……一体全体何の冗談だ?」
冗談を言っているようには見えなかった。けれど事実を受け止める根拠がルカにはなかった。
「すまんなぁ、ルカりん。これは僕等の総意や。突拍子もない提案やのは自分でもわかっとる。やけど、あんましうかうかしとれんのが現実や。完全に私利私欲やが、僕の恋路の為にはルカりんが邪魔やっちゅー話や」
「ラヴィの事か……」
思い当たる節といえば、最初から好意を隠秘しようとはせず、ゼノン達の薬舗『タルタロス』へと向かう最中にも話の話題に出て来たラヴィの事だ。
恋。ルカにその感情が如何ほどのものかは理解出来ない。しかし決闘を決断するに至るほどに、恋というのは人を盲目にするのかと未知の世界へ辟易を抱く。
「そ。放っておいたら今にでも二人くっついてしまいそうやからなぁ。やから決闘。僕が勝ったら今後一切、リアちゃんに関わらへんと誓ってもらおか?」
「ラヴィの意思は無視かよ。ラヴィがそれで納得するわけないだろ」
「ルカりんから拒絶すればリアちゃんも諦めつくやろ。君には従順みたいやからな」
「はぁ……そんなことして何になるって言うんだ馬鹿馬鹿しい……俺は帰らせてもらうぞ」
話にならないと踵を返してその場を立ち去ろとするルカだったが、
「そうやってこれからも逃げるのかい?」
ポアロの声ではない口調と声音に、ルカは脚を止めて振り返る。
そこには依然変わらずポアロ・マートン一人しかおらず、瞳を細めるルカだったが正体は直ぐに判明した。
「それとも……関係が変わるのが怖いのかい? 友達から恋人に、親友から他人に」
ポアロと思しき人物が発した声は『あうる』の人物と同様で。
ポアロが一度語った『二重人格』という話が真実だったのだと、ルカはようやく悟る。
「君はさっきリアちゃんの意思は無視か、と聞いたね。じゃあこちらからも言わせて貰おう。君はリアちゃんの好意をどう捉えているんだい? 君はいいだろうさ。リアちゃんの好意を等閑にしていても一切傷心を負わないんだから。けれど待たされるリアちゃんの気持ち、一度でも考えた事はあるのかい?」
「…………」
ルカは答えられない。
特別扱いされている自覚はある。けれどその気持ちに報いて来た事はない。
友達として、親友として大切だと思っている。だけどそれだけだ。
マートンの言うようにラヴィの気持ちを考えなければならないのなら、きっとラヴィは毎日様々な鬱積を連ねていることだろう。ラヴィが返報を求めているのであれば、ラヴィの意思を考えられていないのはきっと自分なのだろうと自覚してしまった。
「ここで戦ってもいいけれど長期戦になって秘境の崩壊に呑まれてしまうのは頂けない。場所を移させてもらうよ」
無言のルカを付き従わせるには今しかないと判断したマートンは先行して多彩な光柱が立ち昇る妖精門を通過した。
秘境の崩壊という聞き慣れない単語を問い質したい衝動に駆られたが、それどころではないとルカはあくまで自分の憶測の中に閉じ込めてマートンの後に続いた。
無人となった秘境は静寂の時を幾分か越え、音も立てずに罅割れ崩壊していくのだった。
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「どういう風の吹き回し?」
ミラ・アカデメイア最上階の天空図書館。眼鏡をかけて受付で仕事を消化していた半眼幼女のココは重たい声音で、正面でもじもじするラヴィに問いかけた。
「イヤァ……最近ルカに頼りっぱなしだったからたまには他の人に頼もうカナーなんて……だから知識豊富なココさんに勉強教えて貰いたいナーなんて……」
「考査が近いけど進捗が良くないからローハートに嫌われたくない」
「うぐっ……」
「押しっぱなしの毎日だったからたまには引いてみようと」
「うぐぅっっ!?」
「考えが浅過ぎ」
「うぐぁうぁあっっっ!?」
己の邪まな事情を全てココに看破され、主張の激しい胸を押さえながら苦しみ出すラヴィは受付の前で頽れた。「そんなことだろうと思った」と突き放し冷然と業務を再開させるココと、受付台に縋りつくように顔を出すラヴィ。
「ココぉ~……」
「全部自分が悪い。押して駄目なら引いて見ろって言うけど、アンタは押しのインパクトが強過ぎ」
「ルカの家にお泊りして、出来る良妻の如く朝早くから家事炊事全部頑張ったんだよ!?」
「それが強いって言ってんの」
「夜の部はベッドに引きずり込んで既成事実作っちゃおうと頑張ったんだよ!?」
「主張が強いを通り越して呆れるわね」
「でも気付いたらルカ床で寝てるし……そんな紳士なところも好きなんだけどぉーっ!」
「惚気は他所でやって」
「だからお願いココっ!」
「今の話の流れで首を縦に振ると思う? 馬鹿なの? 馬鹿ね」
「断定するなぁー! 賢くはないけどさぁ!?」
「うるさい。図書館では静かにして」
過熱するラヴィの暴走にココは図書委員として警告した。
しかしどうして犬猿の仲である己に頼んで来たのか、ココを持ってしても理解に至らない。ルカとサキノを除いても交友関係の広いラヴィなら他に候補は何人かいただろうと。それをどうして一学年上の己に、それもわざわざ天空図書館に来て断られることを理解している筈なのに、とココは猛速で仕事をこなしながら懊悩に耽る。
雨の日に捨てられた女豹のようにしくしくと泣くラヴィを目障りだと思ったココは退室を命じようとするも、付箋だらけの教科書を目に言葉が喉で止まった。
(ラヴィリアってこんなに努力するタイプだったっけ)
家事や炊事は全て完璧にこなすことが出来る器用さを持ちながら、持ち腐れと言わしめる怠惰癖。
大胆なアプローチを仕掛ける事も時折見られるが、踏み込み過ぎない遠慮癖。
勉強はからっきしで補習や追試も厭わない飄逸さ。
それが今回全てが逆を行っている。己が知る少女とは懸隔のある姿にココの手が止まった。
「何があったの?」
気付けば自然とそう問うていた。
「え? 何が?」
要領を得ないココの質問にラヴィがその真意を判る筈もなく、二人の間に微妙な空気が流れた。
首を傾げるラヴィの瞳は何も変わっていない。普段通りのラヴィの様子にココは考え過ぎか、と溜息をついた。
「まぁいいわ……気が向いたら勉強見てあげるから、その角ででも先に勉強してなさい」
「ホントっ!? ありがとうココっ!!」
「うるさい。気が向いたらって言ってるでしょ。仕事も山ほど残ってるの」
何だかんだ最終的には折れてしまう己の甘さを自覚しつつ、ラヴィを角の席に追いやった。
思わぬ返答に驚喜したラヴィは小走りで角の席へと向かい、ココは「走らないで」と注意しようとしたが、嬉々と揺れるツインテールを目に言葉を嚥下する。
今までどう転んでも勉強になど着手しようとはしていなかったラヴィの珍奇な光景に、ココは天空図書館の高い天井を見上げた。
(……考えすぎ、よね)
もう一度心の中で呟き、己を正当化するココは視線を正面に戻す。目端に入ったラヴィの様子を一瞥すると頭から白煙を立ち上らせ悩み苦しんでいた。
時間にして十秒ほど。勉強耐性がなさ過ぎるだろうと大きく長い溜息をつき、仕事の手を加速させたのだった。




