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061話 窮鼠、小熊猫を呼ぶ

 太陽が役目を終え、一日の労働を終えた人々が安宅でそれぞれの時間を過ごす静寂。都市の活気も光も右肩下がりで今日もまた一日が過ぎようとしていく。そんな中、僅かに賑わいを見せる集団が魔界リフリアの北東門前に会していた。


 無言で開き鎮座する巨大な都市門の足元にいるのは、二十に近い荷馬車とそれらを扱う行商人達だ。豪快な笑声を轟かせては酒を口に運ぶ者、荷物の検品に馬の検査、情報共有の為に映像地図(エナジーマップ)を展開して覗き込む多くの者。付近に武装した騎士団員を置きながら出立の準備を各自に進めている。

 そんな喧騒を遠くに聞きながら、外套を被った少女は一人静かに欠伸を噛み殺した。



(ふぁ、ふ……ね、眠い……流石に徹夜からの依頼は少し堪えます……)



 さらりと視界を塞ぐ空色(スカイブルー)の波髪を払いのけるマシュロ。光も届かぬ路地裏に座する彼女は依頼主であるコラリエッタを待っていた。


 護衛任務のために一度合流した彼女達であったが、子供達から預かった薬品を手渡すとコラリエッタは騎士団本拠へと馳せ戻る断りをマシュロへと入れた。手早く依頼を遂行したくはあったが、否応言ってられる身空ではないマシュロは少々困惑しながらも承諾。集合場所を北東門へと変更したコラリエッタは大急ぎで本拠へと舞い戻っていった。


 先着したマシュロは、しかし堂々と北東門前で待機することは出来ず、余計に眠気を誘発されそうな暗澹とした路地裏で時間を無為に過ごしていたのだ。時折体を動かしては眠気に抗い、警戒は巡らせながらも気を抜けば即座に眠りの魔境へと引き込まれそうな猛攻を耐え忍ぶ。



(今の生活が嫌というわけではありませんが、やっぱりふかふかのベッドが恋しくなりますね……)



 過去の生活を瞑目しながら想起するマシュロは再び迫り来る眠気の波に身を攫われる。

【夜光騎士団】での生活は肩身が狭く、決して満足のいく生活ではなかった。それでもステラⅢに属する騎士団本拠の設備は日々の慰労を労うだけの十分な安息があった。現在の硬い床や毛布代わりの薄い襤褸は贔屓目に見たところで、太刀打ちなど出来やしないだろう。


 それでも。

 それでも子供達との生活で、孤独感が幾分か緩和されているマシュロは今の生活を否定はしなかった。


 そう言い聞かせる他になかった。



(いつかこの生活も変わるのでしょうか……終わってしまうのでしょうか……)

「シロ様」



 戻れるとは思わない。戻ったところで犯罪者の仮面を被らされた自分に居場所などない。

 この生活が変わるとすれば、それは子供達が自分を見限った時。もしくは自分が捕まった時だ。

 どちらに転んだところで最悪な結末であることは変わらず、マシュロはぶるっと体を震わせた。



(弱い、ですね……何も出来ない癖に、何も犠牲にしたくないなんて……強欲にも程があります)

「シロ様?」



 自己嫌悪に陥る。

 眠気が助長しているのだろうか。生来の性格だからなのだろうか。

 思考が(マイナス)に靡けば、それはもう堰き止めようがない。


 ――もし私が団長のように力があったのなら自信を持つことが出来たでしょうか。

 ――もし私が子供達のように誇れる得手があったのなら気丈でいられたでしょうか。

 ――もし私がルカさんのように行動力があれば明るい未来の選択が出来たでしょうか。


 無い物ねだりは微かに溶けだした積雪の上に更なる雪を降り積もらせていく。

 自分には何もない。非凡どころか凡ですらない自分は。

 (マイナス)の存在であるとマシュロが自覚するには十分過ぎた。



(あの時は舞い上がっていましたけど、ルカさんが言ってくれた『護る力』もきっと社交辞令のようなもので――)

「フッ」

「ピィッッッ!?」



 突如として獣耳を襲った吐息にマシュロは全身を跳ね散らかした。

 破裂しそうなほどに心臓を高鳴らせながら、マシュロはわたわたと身を潜められる場所を探し始めるが、その行く手を阻むように御令嬢然とした女性が立ち塞がる。



「誠に申し訳ございません。大変長らくお待たせ致しました」

「ひっ、はっ、ほっ……!? ほ、こ、コラ、リエッタ、さん……す、すすすみませんっ!」



 目の前に現れたのがコラリエッタだからよかったものの、思考に没頭していたことを含め、寝不足故の警戒心の遺漏にマシュロは全力の悪寒と危機感を感じた。

 マシュロの大慌ての様子にコラリエッタは上品にクスクスと笑い、まるで清潔な病棟のように白くいミトンを付けた手を差し出した。



「ごめんなさい、驚かせてしまったみたいですわね。何か深く考え事をしていたようですが大丈夫ですか?」

「は、はい……す、すみません、いきなり悲鳴を上げてしまって……」

「いえ、お気になさらず。待ち疲れしたことでしょう。大変申し訳ございませんでした」



 コラリエッタの手を取って立ち上がるマシュロは捲れた外套を被り直す。どこまでも気にかけてくれるコラリエッタに対して、首を横に小さく振るマシュロは謝罪を受け取らなかった。



「いえ、依頼の荷物になる物を持ってきたのは(わたくし)ですから」



 嫌悪が微塵も混在しない純粋なマシュロの返答にコラリエッタは微笑んだ。



「依頼は予定通り行っても問題ないでしょうか? 見たところ少しお疲れのようですが」

「えと……これは少し寝付きが悪かっただけなので大丈夫です。よろしくお願いします」



 そんなに見栄えの悪い顔をしていただろうか、とマシュロは頭の外套を引っ張る。依頼人に気を遣わせてしまっていることに少々の申し訳なさを感じながら、顔を隠すようにお辞儀をした。

 その小さな体に背負った苦労をひた隠そうとするマシュロの姿勢に、コラリエッタは意を汲み、同じように対面でお辞儀を返す。



「それでは本日もよろしくお願い致しますわ」



 コラリエッタの礼の終わりを皮切りに護衛任務が開始された。


 そそくさと騎士団員達、そして雑談に興じる商人達を突っ切り、二人の少女は付近に大河が存在する北東門を潜る。

 広大な平野、草木を靡かせる風の足趾、大小様々な岩石が点在し、魔力を基盤にした都市とは一線を画した自然地帯が都市を抜けた先に広がっている。その景観を損なう魔の影は今のところ発見には至らなかった。


 二人は河川の真横、大河の侵食によって平野より低地となった砂利道を道なりに北東へ向けて進む。水を含んだ砂利が擦れる音が耳朶を揺らしながら、マシュロはコラリエッタの右方に位置し平野――上部からの魔物の奇襲を警戒していた。


 大河の干潮満潮の不規則性から魔物は大河付近には寄り付かない。魔物の本能を考慮した上でコラリエッタは警戒の必要は薄いとの指摘を行うが、マシュロは仕事だと言い張り怠慢することはなかった。というのも、完全なる想定外(イレギュラー)であっても一度オーガの群れに遭遇していた経験があったからである。


 そんな肩に力が入りっぱなしのマシュロに、若干の苦笑を浮かべたコラリエッタは楚々とした足取りのまま他愛のない話を語り出す。

 騎士団員達の間で流行っている占いの話。病棟に運び込まれてきた珍奇な患者の話。コラリエッタが初めて救った患者が、屈強な戦士となって現在も世界を飛び回っているという話。


 ミステリアスな雰囲気が相まってコラリエッタに苦手意識を抱いていたマシュロは、内情を耳にして強張っていた力が緩やかに弛緩していく。表情は柔らかく、傘は自然と下降し、会話に余裕が生まれ、マシュロはいつの間にかコラリエッタの慈愛に包まれていた。



(凄いですね、コラリエッタさんは……【ワルキューレ騎士団】の団長で、沢山の方を救って、団員からも周りからも支持されて……。きっとこれが『持ってる』方なんでしょう……)



 人気(カリスマ)と実力。世を導くのに適した器量。全てを持っているコラリエッタの偉大さを、マシュロは実感する。

 


(コラリエッタさんみたいな方に現状を相談すれば、何かいい解決策を立案して頂けるでしょうか……)



 月の光でさえ後光と錯覚するコラリエッタの姿に、マシュロの危機感が揺らぐ。

 その想いはこの数か月間何度も胸と脳に去来した『変えたい』という気持ちだった。



「あのっ! コラリエッタさん――」



 子供達との生活は手放したくないが、それは己の我儘であると。子供達の能力を活かすことが最善なのだとマシュロは自分に言い聞かせ、己の面目を口走ろうとした。

 その瞬間。



「っ!?」



 ゾルッッ、と。

 世界が白黒に反転したかのような強烈な悪寒が脊髄をなぞった。

 何とも耐えがたい圧迫感、窮屈感に、マシュロは挙動不審に周囲を見渡す。警戒を最大限に引き上げ、ちらほらと散見され始めた木々に視線を走らせるも変わった様子は一切ない。



「どうされましたか?」



 コラリエッタの声も耳をすり抜け、胸に宿る嫌悪感に従順になるしか出来ない。

 儚くも秘めた決意は一瞬の内に不審感に上書きされ、マシュロは開きかけた口を閉ざさざるを余儀なくされた。



「えっと……すみません、何を言おうとしたのか忘れてしまいました」



 これ以上依頼人コラリエッタへ余計な心配はかけさせまいと、はにかむマシュロは取り繕いながらも累卵の心地を増幅させていく。

 


(この悍ましい感覚……恐らく魔物のものじゃありません……となれば一体……?)



 不透明な嫌悪感を推理するマシュロ。

 本当は気付いている。けれど認めたくないが故に思考が考えることを拒んでいる。

 その不安に満ちた顔、危惧を必死に出さないように善処するマシュロの姿を見てコラリエッタは。


 

「大丈夫ですよ。もうすぐ全て終わります」



 小さく、とても小さく呟いた。

 しかしその独白を、白色の三角耳は辛うじて拾う。拾ってしまった。



「え……それは、どういう……」



 意味深な発言にマシュロは不安に駆られ、にこやかに歩を進めるコラリエッタに問い詰めようとした。しかし、くるりと振り返り足を止めたコラリエッタにその言葉を中断され、言及は叶わない。



「着きましたわね。ありがとうございます」

「あ……水下市場(アンダーマーケット)……は、はい、お気をつけて……」



 コラリエッタが都市に消え、訪れる一人の静寂。

 生温かい風が耳元でくすくすと嗤い、マシュロの耳が次第に萎れていく。

 何度経験しても慣れることのない都市外での独りぼっちの夜は、暗い大海に投げ出されたかのような感覚。心の寄る辺も思考の流木も見当たらず、時が流れるのを待つだけの時間だ。


 臆病なマシュロは震える手で傘を抱き締める。

 それは恐怖。しかし夜に怯える恐怖ではない。

 コラリエッタが落とした一滴の波紋、そして自身が感じた嫌悪の想像の具現。

 今すぐにでも目を閉じて現実から逃避したい。目も耳も何もかもを塞ぎ、小さく蹲りたい。

 けれどそれらは直面するであろう事態からの回避ではない。

 何よりも見えないことが怖かった。


 早まる呼吸、五月蠅く鳴り響く心音、立っているだけで汗ばむ額。

 逃げ場のない依頼遂行中。まさに袋の鼠だと言わんばかりに、マシュロの想像は最悪の形で全てを肯定した。

 ドンッッ! と大河の畔に着地する音にマシュロの肩が跳ね上がる。



「見つけたぜ、エメラァ」



 土と砂利を派手に巻き上げた中に響く低声。マシュロはごくりと喉を鳴らして身構える。

 都市外で遭遇することがない筈の脅威が、都市外に居る筈の無い【夜光騎士団】副団長が、遂に逃亡者を追い詰めたのだった。



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