059話 悪夢
「完成だ……」
「……や、やったねっお兄ちゃん!」
ランタンの光を横顔に浴び、目の下にクマを作ったゼノンとクゥラが歓喜の声を上げる。椅子に座り、同じようなクマを張り付けながらウトウトしていたマシュロは、二人の快哉を叫ぶ声に肩を震わせた。
彼女達の現在地はリフリア北北西の奥地。マシュロが往時から目を付けていた廃れた教会――ルカとの取引場所に指定した教会――の隠し部屋であった。都市北西部から人気のない場所を選択しながら一進一滞、深夜の大移動に費やした時間は四時間を超過した。太陽が眠たい目を擦りながら起床、都市が目覚め始める前に何とか教会へ辿り着いた彼女等は疲弊した体をゆっくりと休め――なかった。
移転途中にも体力の消耗によって回復を挟んでいたのだが、委細構わずゼノンとクゥラは回復薬を多用し製薬に励み始めたのだ。
マシュロは就寝を促したが、二人の真っ直ぐな眼と心はどれだけ言い聞かせても折れない。新しい玩具を手に入れた子供もかくや――使命のようなものに追われる二人の決意にマシュロは渋々承諾した。足手纏い扱いのマシュロは子供達から逆に就寝を進められたが、二人の危うさに己も付き添うことを決めた。
それから約半日。十全の集中力を発揮するも幾度の失敗の声。資料を机一杯に広げ試行錯誤し、兄と妹の悔しがる顔は飲食も忘れてひたすら製薬に没頭していた。
やはり二人には才能がある。こんなところで潰すわけにはいかない。そんなことを思いながら頬杖を衝くマシュロはじわじわと襲い来る眠気に抗いながら二人を見守り続けていたのだが、いつの間にか意識を奪われそうになっていたようだ。
「ふぁっ……言ってた新薬が完成したの?」
「あぁ、これで一歩前進だ」
試験管に落とされた微量の滴の色は純白。自ずと光を放っているような神秘的な薬品にゼノンは栓をして丁寧に梱包していく傍ら、クゥラが手際よく器具を片していく。子供達の無駄のない動きに「お疲れ様」と労いを排したマシュロは茶を汲み、机の上に並べた。
「姉ちゃんこれをコラリエッタさんに。依頼のついでに頼むよ」
梱包を終えたゼノンは片手に収まるほどの小さな箱を姉へと渡す。
「コラリエッタさんに? 貴方達もしかしてそのために急いでいたの?」
「まぁそれもあるかな」
「も?」
ゼノンの意味深な返答に小首を傾げるマシュロだったが、大したことじゃないとゼノンは断斬する。箱を受け取ったマシュロはチラと転居に持参した掛時計を確認すると、やおらと外套を羽織り身支度を整え始めた。
「とりあえずわかったわ。私はそろそろ出るけど、貴方達は徹夜から幕無しなのだからゆっくり休みなさいね」
「……お姉ちゃんも、同じ」
小鞄に大事な依頼品をしまい込んだマシュロは仕込傘『アストラス』を装備して小さく笑う。クゥラの心配そうな声にも、空色の波髪を振って歯牙にもかけないマシュロは優しく少女の頭を撫でた。
「私は大丈夫よ。心配してくれてありがとう。それじゃあ、行ってくるわね」
外套のフードを被ったマシュロは扉から地下通路へと出て、隠し部屋の中から姿を消す。階段を登る小さな音と離れていく姉の気配に、教会の地下隠し部屋で見送った二人は揃って脱力、椅子にへたり込んだ。
気力、体力、集中力。何もかもを根こそぎ使い果たした彼等は溶けた体で姉が用意してくれた茶に手をつける。
「一時はどうなることかと思ったが何とか間に合ったか……?」
「……納品期限には間に合った筈だから大丈夫だと思うけど……」
「……どの道間に合わなければ俺達の関係に後はねぇ。後は出来次第か」
だらけた体勢から身を仕切り直したゼノンは椅子に座り直し、疲労困憊のクゥラを眺めた。無言の世界、翳ある視線に気が付いたクゥラは吸い込まれそうになるほどの金眼を見つめ返した。
「……お姉ちゃんの違和感、気付いてた?」
深刻な声音で語りかけるクゥラの質問にゼノンはぐいっと目の前の茶を飲み干した。
「気付かねぇわけねぇよ……姉ちゃんのことだ、俺達の未来を案じてんだろ……俺達が決心しなきゃならねぇことはわかってんだ。けど……」
「……全てを捨てるつもりで家を出た私達にとって、お姉ちゃんとの生活はあまりにも心地が良くて……」
子供とは言えども彼等も馬鹿ではなかった。彼等の慧眼を以てして、姉の違和感――自身達のことを気にかけてくれている姉の心情をしっかりと見抜いていたのだ。
しかしいくら見抜けていたとはいえ、彼等もまだ子供だ。マシュロとの共同生活があまりにも快適で、どうしても甘えに乗じてしまう。
マシュロから突き放すことはありえない。逆もまた然り。
見事なまでの共依存が完成してしまっていることに彼等は難色を示していたのだ。
「何はともあれ新薬も完成、納品も完了。今後の事は追々考え、て……」
「……お兄ちゃん?」
パタン、といきなり机に突っ伏したゼノンに目を見開いたクゥラだったが、すぅすぅと静かな寝息を立てる兄の姿に胸を撫で下ろした。主動で製薬をこなしていたゼノンに相当な負担がかかっていたことをクゥラは察知し、毛布を兄へと優しく掛ける。
その隣に腰かけて机に伏せるクゥラは、兄の勇ましくも優しい寝顔を見ている内に、自身にも睡魔が忍び寄る音を聞いた。
(……今はもう少しだけこのままでいたいって思うのは欲張りかな?)
ふぁ……と大きな欠伸を皮切りに、クゥラは次第に微睡みの淵へと落ちていく。
固く、狭く、埃っぽい部屋の中で二人の子供達が意識を途絶させた。
そんな子供達は夢を見る。
姉と初めて出会った時の夢を。
姉に全てを背負わせてしまった、自身達の悪夢を。
± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±
雨が降り頻る夜だった。
全てを洗い流す冷たい雨は身体を芯から凍えさせ、外套を纏い家から抜け出したゼノンとクゥラを襲う。息さえも白む空気、誰もが身を竦め歩くものの、街は様々な色に取り巻かれ活気に満ちた様相を作り出していた。
そこら中でジョッキがかち合う甲高い音が鳴り響き、音楽に合わせ酔客が手を取り合い踊り狂う。裏通りに入れば小洒落たバーや、通な客のみが知る専門店などが散見され、都市はどこもかしこも賑わいを見せていた。
寒さに身体を震わせる二人は裏通りに漏れる光に目を馳せ、裏通りの更に奥、蒙昧とした路地裏を歩く。様々な柵から解放された二人の心情は、曇り時々晴れ。不安に駆られる反面、これからの生活に期待を寄せているのは間違いなかった。
身を打ち付ける寒気ですら心地良い。そんな何もかもが新鮮な彼等には怖いものなどなく、闇という名の冒険に踏み込んでいく。
必要最低限の物資を担ぎ、家から距離を取ること五時間。雨風を凌げる場所を探して彷徨う彼等に疲労の色が見え始めた。日付を越しゆっくりと失われていく活気、反比例的に都市がざわつきを覚えていく様に二人は額から雨を垂らす。
「……お兄ちゃんこの騒ぎって……」
「不味いな……憎たらしいほどに手回しが早い」
彼等は都市のざわつき――徐々に這い寄る追手の影に焦燥を抱き始めていた。
水溜まりを蹴りつける足音に敏感に反応するゼノンは、クゥラとともに気配を絶ち追手をやり過ごす。遮断進行を繰り返し進む彼等に余裕などない。何度も付近を行き交う追手の姿に彼等の行軍は思うようにいってはくれなかった。それでも彼等を突き動かすのは、この先に待ち受ける『自由』であることは紛れもない事実だった。
身を闇に溶かし、気配遮断で捜索員を躱すこと七度目。捜索範囲が大分絞られてきたのか追手の出現頻度がやや高くなり、ゼノンは歯を噛む。正直、正確な目的地はないため雨風さえ凌げられればいい二人にとって、強行軍に努め発見されることはなんの面白味もない。今日は付近で追手をやり過ごそうという提案をクゥラに持ちかけようとしたその時だった。
「貴方達が家出をしたって子達ですか?」
ビクッと二人の肩が震える。闇に溶け込んでいた二人の背後から歩み寄ってきたのは、傘を開き持った空髪の少女、マシュロ・エメラだった。
(なっ!? いつの間に!?)
マシュロの接近に気配を感じられなかった――いや、はっきり言ってしまえば、周囲で彷徨っている戦士達の気配が濃すぎて『警戒に値しない』レベルだったのだ。
「お兄ちゃん逃げ――っ」
言うが早くゼノンがクゥラの手を取り駆け出そうとするが、マシュロは自身の口元に人差し指を押し当て静かに「しー」と制止をかける。その仕草にクゥラは直立、ゼノンは不審に眼を鋭利に眇めた。
「ごめんなさい、怖がらせるつもりはありません。私の目的は貴方達の保護です。安心してください」
「「……」」
マシュロの諭すような口調に一先ず逃走の意思を仮置きする。警戒こそ緩めはしないものの、話を聞こうとする姿勢にマシュロは安堵し、子供達の上部に傘を翳し雨を遮断した。
「再確認ですが、家出した二人というのは貴方達で間違いないですね?」
少し返答を渋った後、ゼノンは「あぁ」と頷く。
「そうだけど、俺達は家に帰るつもりなんてないぜ」
「私は団長から二名の子供達の保護、という指令を受けて駆け回っていただけなので詳しいことはわかりませんが、何か事情があるんですね?」
マシュロが上司からの指示のみで動いていたことを聞いたゼノンは心の中で舌打ちをした。自分達が何者であるかを知らず、マシュロは二人組の怪しい人物に声をかけた。結果当たりだったわけだが、目標人物の特徴や身分を知らないとあれば何とでも誤魔化しようがあった筈だ。
時既に遅しではあるが、焦燥や不安から視野が狭くなっていたことにゼノンに苛立ちが募った。
そんな不機嫌なゼノンの頭を優しく撫でるマシュロは、事情を口に出来ない彼等を保護するため、次の行動を口にしようとする。
「ともかくここじゃ寒いでしょう。騎士団に来て話を――」
「よく見つけたなエメラァ」
が。
空気を裂いてラウニー・エレオスが暗闇の中から現れた。
「エレオス……副団長」
その存在を危険視し、直滑降する雨ですら回避しているかのような威圧感に、ゼノンは歯をカタカタと鳴らし縮こまる。クゥラに至ってはマシュロの外套を掴みながら水溜まりにへたり込み、呼吸すら野放しに涙を浮かべていた。
ラウニーが何かをしたわけではない。ラウニーから言わずとも放たれる死刑宣告が彼等を恐怖の淵に引きずり込み、委縮させたのだ。
「後始末は俺様がやる。ガキ共を渡せ」
普段と変わらぬ傲慢な物言い。何も変わらぬ高慢な態度。
ラウニーも同じく団長から保護を言い使っている筈である。
しかし子供達が感じた危機を奇しくもマシュロも感じていた。
感じてはいけない筈の違和感を、自派閥の副団長から感じてしまった。
「この子達の保護が目的ですよね……それなら私が……」
「てめェなんかに任せられるわけねェだろポンコツパンダが。ごちゃごちゃ言ってねェで渡せ」
「……出来ません」
マシュロは降雨を厭わず傘を閉じ、子供達を後ろに庇いながら拒絶の意を示す。
この男にだけは渡してはならないと。
「あァ? 今、なんつった?」
「わ、渡すことは……出来ません」
再度同じ返答をマシュロは震えながら口走る。
「俺様に刃向かうってことはわかってんだろうなァ? てめェも死にてェのかァ!?」
水気すら弾け飛ばすほどにラウニーの殺気が膨れ上がり、クゥラに続きゼノンもその場にへたり込んだ。
ガクガクと震え目尻に涙を溜めるマシュロは、今にも頽れそうな脚で踏ん張りながら傘を抱きしめた。
「て、て……てめェ『も』とは、き、聞き捨てなりません……っ!」
完全に気圧された筈のマシュロが存外に冷静に、己の失言を聞き拾ったことにラウニーは首をゴキゴキと鳴らす。
「あァ、面倒臭ェ……死ねよ」
腰からナイフを引き抜き超速で肉薄するラウニー。
一瞬にて狩人と距離がゼロになった三人は時を凍らせた。
矢面に立つマシュロですら反応出来ず。子供達は涙を流し、目の前の少女に縋る。
振り翳されるラウニーの銀刃を三人はただただ見呆け、頂に届いた刃先は剛腕によって豪速の断頭台と化して振り下げられた。
しかしキィィィン、と。
金属同士が噛み合う高音が、雨音に掻き消されながら狭い領域で鳴り響いた。
「ラウニー貴様ッ!」
赤黒い剣を携えた茶髪の女性が間に割って入り、決死の断頭台を堰き止めた。
「ハッ! 遅ェお出ましだなァ! 丁度いい、てめェの時代もここで終わりにしてやるよ!」
因縁の相手のような怒声の掛け合いに両者は距離を取り、土砂降りの雨の中剣戟の応酬が始まる。女性が背後には行かせぬと体を張って猛襲を繰り出すも、ラウニーは不気味な笑みを浮かべたまま対抗する。
「暗殺は認めんと言った筈だ!」
「雑魚が犠牲になって平和になんならそれは正道だろ! この世の摂理を認められねェヤツがイキってんじゃねェ!!」
「犠牲の上の安泰など平和ではない!!」
殺伐とした空気が席巻し、両者は狭い路地裏で得物を重ね合う。
緩急をつけた女性の攻撃――いや、無理矢理に動かされているような女性の動きはラウニーには届かない。まるで誘導されているかのような不自然な攻防を女性は強いられていた。
雨溜まりを吹き飛ばしながらラウニーは怒涛の銀閃を繰り出し、終いには黄金色の発光が体に灯る。
「団長……」
次第に防戦一方に追い込まれていく女性に、マシュロから線の細い声が漏れた。
眼前のおどろおどろしい一方的な死闘に子供達は恐怖を隠せない。
「マシュロ逃げろ!! お前は子供達を守り抜け!!」
「団長、で、でも……」
女性から疾呼が飛ばされマシュロが背後を振り向くも、平和に入り浸った齢十二の身では体が動かない。恐怖心から逃走心すらも呑み込まれた子供達になす術など何もなかった。
「力もねェ雑魚にそんな大役任せてもいいのかァ?」
目論見の妨害だとばかりに、ラウニーは女性への攻撃の流れで背後の無力達へとナイフの投擲の姿勢を見せる。ラウニーの機微の狙いを察知した女性は爆発的に地を蹴りつけ、阻止せんとマシュロの面前へと駆けた。
ニヤァ、と口角を吊り上げたラウニーは豪速のナイフを投擲。命を突き刺す一直線のナイフを弾き上げた女性はその時、己の判断が過ちであったことを悟った。
「っく……!?」
「どうすんだそこから。雑魚を無駄に守ろうとするから身を滅ぼすんだぜ?」
男の左手にはもう一握りのナイフ。女性の首目がけ始動した銀刃のとの間に介在するものは何もなく。
振り上げられたナイフは皮を大きく裂き、大量の鮮血が雨と同様に降り注いだ。
「団長ーーーッ!?」
倒れ伏す女性マシュロの大絶叫が振りかかる。
返り血を浴びぬよう瞬時に距離を取ったラウニーはゆらりと立ち上がり、後始末のために豪雨の中歩み寄る。
初めて目の前で人が惨殺される様を目にしたクゥラは意識を断線。ゼノンも頭は真っ白、目の前は砂嵐がかかったかのように現実を見ようとしない。双眸や口唇からは何物かも判別のつかない液体が流れていることも知らずに。
「逃……っ、……ろ」
雨か涙か血か絶望か。歪む視界と猛烈に催す吐き気がマシュロの脚を完全に沼に引きずり込んでいたが、喉を裂かれまともに発音すらも出来ない女性の悲願にマシュロは脚を突き動かされた。
クゥラを肩に抱きかかえ、ゼノンを腕で抱き、少女の身体からは想像も出来ないほどの火事場の馬鹿力を以て涙を振り撒きながら逃走を開始した。
「逃げ切れると思って……てめェ……虫の息のくせして往生際が悪ィ」
女性の血溜まりに侵入したラウニーが最後に何かを呟く声を耳が聞き届け、ゼノンは妹同様に意識を遮断したのだった。




