053話 人気者
案内役の淑女に連れられ、敷地の半分は占めるだろう騎士団の庭園を抜ける。
開閉門を潜ったルカは見張り役の団員と案内人にお辞儀で見送られ、【クロユリ騎士団】本拠から距離を僅かに取った。今後の行動を思案するルカは前方より迫り来る影――意気込み高らかに本拠を飛び出ていったレラと対面した。
「早いお帰りだな」
「うんっ! 修行もしなきゃだけど折角サキちゃん来てるんだし揶揄わないと~って戻って来ちゃった!」
「不憫……ほどほどにな……」
レラの外出時間はルカとまるまる入れ替わりなので精々一時間足らずといったところだろう。
まるで今は時間が惜しいとでも言うように指をワキワキと動かし、サキノに飢えている少女は「じゃねー! ルカ君はまた今度!」と明朗に走り去っていった。
「任務中のレラとは大違いだな」
戦闘を楽しんでいた節はあるが幹部として指示を下し、奔放なだけではない姿を見せたレラとは別人のようだと。オンオフのスイッチを見事なまでに切り替える【クロユリ騎士団】幹部にルカは苦笑いを作った。
「さて、どうするかな。サキノを待っていてもいいけど、一体全体いつまでかかるかがわからないからな……」
サキノと分断され、急に手持ち無沙汰となったルカは今後の行動に迷いを抱く。サキノが時間を要しないのであれば待機も視野に入れるが、騎士団員達との笑談、そして嬉々として駆けて行ったレラのことを考えるとおおよそ得策とは言い難い。
いつまでも待ち続け、サキノが本拠を出てきた時に気を遣わせるのも無粋だと感じたルカは歩きながら方針を打ち立てていく。
魔界の散策、サキノの思惑をすり抜けて騎士団総本部へ仮誓印の受印も窺うなどの行動も考えたが、やがてルカは一つの結論に辿り着いた。
「マシュロのところに顔出しにいくか」
それはなんてことのない気紛れ。
たった一週間とは言え、面会の機会が一切なかったルカの現状把握。
思い立ったルカは都市北部に位置する【クロユリ騎士団】から北西の廃工場地帯へと足を向けた。
都市の主要大路から離れるほど、徐々に人の往来が数を減らし始め、夕陽も西へと姿を隠していく。
残照が映える雲は分厚く、自由気ままに揺蕩っていた。
ルカ一人分の足音が裏路地から更なる裏道へと角度を変えた先、狭く埃っぽい小径は既に闇を表皮に纏い始めている。
何も知らない者が初めてここに行きつけば、まず受ける印象は『不穏』だろう。
周囲を警戒するマシュロと比べ、恐れるものなど何もないルカは歩調を乱すことなく無警戒に進んでいく。
何度かの曲折を繰り返して廃工場地帯へと踏み込み、辿り着いた見覚えのある住処。在宅を予想していたルカは正面の扉を軽くノックして内からの返事を待った。が、待てども返答はなく、不審感を抱いたルカは扉を引き中に踏み入った。
「……?」
しかしマシュロの住処は――マシュロの住処だった場所は既にもぬけの殻だった。
とはいえ荒らされた形跡もなければ抵抗したといった様子もなく、ルカ視点まるで意図的な神隠しにあったかのように、何もかもが姿を消失させていたのだ。
(んん……引っ越しか?)
正鵠を射ていた。
マシュロの身の上を知る分、状況から察するには大して難しいことではなかったが。
しかし引越しが正解ともなると移転先にまるっきり心当たりがない状況。魔界リフリアに疎いルカとしては些細な問題ではあったが、不幸を抱える少女の趨勢が気にならないと言ったら嘘となる。
その内どこかで会えるだろうと、楽観的に捉えるルカが踵を返して扉を正面に据えた時。
外から小さな足音がルカの耳朶を撫でた。
(考え過ぎだったか)
ルカは数瞬動きを停止、その正体がマシュロと子供達のものだと判断して外へと出た。
しかし。
「「「あっ」」」
都合三名の同等の声が打ち上がった。一つはルカのもの、もう二つは小熊猫の男女のもの。体に外套こそ羽織っているものの頭巾は首に。頭部を曝け出したその姿にルカは既視感を覚えた。
――そう、夜道で勃発したバウムとの交戦時と同じような格好だったのだ。
つまりマシュロの追手の可能性。
ルカは一も二もなく翠眼を解放。なりふり構わずその場を全力で駆け出した。
「おい待てこの野郎!! 追うぞチコ!」
「はい!」
マシュロの所在を――この場を知る者の目的とは幾通りか考察できる。
一つは製薬、薬販関係でのお忍び。表に流通していないが故にマシュロ宅へ直接取りにくる客がいるかもしれない。しかしルカの既存情報では明らかに該当しない。子供達もいる逃げ場のないマシュロ宅への複数人での来訪は、人目を憚り、危険意識が高いマシュロにしては考えられなかった。
そしてもう一つは、マシュロ拿捕のために有益な情報を持ち合わせているということ。情報屋バウムの話にもあったように小熊猫達が会する騎士団【夜光騎士団】総出でマシュロの捜索に動いていることは既知だ。
背後で怒声を上げながら追走する二人は、どこかからマシュロの情報を嗅ぎつけ住処に辿り着いた。
不幸なことはそれがルカの来訪と偶然重なってしまったということ。
この場において明らかに不審人物であるのは同騎士団であろう彼等より、ルカであることは推して知るべしだった。
「無言で逃げ出すたぁ、尾行時にひっ捕らえときゃよかったぜ!」
そしてルカが考えたくなかった三つ目。己が尾行されていた可能性。
恐らく彼等もある程度の情報は掴んでのことだったのだろう。しかし迷いなく廃工場地帯を進んでいくルカを不審に思って泳がせていた結果、夜中に目星をつけていた工場へと足を運んだ。彼等からすればマシュロの家だという根拠はなかったが、見つかった瞬間に逃げ出したたルカは不審人物そのものだった。
ともなれば彼等が一縷のマシュロの情報を聞き出すべく追ってくるのは当然だ。
「しくったな……」
結果的にゼノンの判断は正しかったと言える。
作為的にルカが追手を連れてくることはなかったが、無作為的とはいえゼノンの恐れていた事態が勃発してしまったのだ。
背後から猛速で肉薄してくる小熊猫を相手取りながら、ルカの都市逃走劇が始まった。
轟音、破壊音、叫声を引き連れながら、錯綜する工場地帯を縫うように南へ北へ、東へ西へ。夕陽すらも慌てて隠れてしまったかのように夜の帳を下ろす。
「そっちへ行きましたクレアさん!」
「おらっ!」
夜の恩恵を物惜しみすることなく表皮を輝かせ、激上した身体能力を発揮する男小熊猫のクレアは、天を走る極太パイプの上からルカへ直滑降する。
「くっ……!」
出会い頭の襲撃を嫌悪し、工場の屋根上を飛び移りながら走るルカは上からの襲撃を真横の通路へ跳躍して躱す。一蹴りを貰った屋根は一撃にてたちまち半壊し、その威力の程を物語っている。
「はぁッ!」
宙に躍り出たルカを狙い、女小熊猫のチコはレイピアを腰から引き抜き十文字に斬り払うが、壁を蹴り稲妻の如く着地したルカには掠りもしない。
「ああ! すばしっこい!」
微かな苛立ちを見せつつも彼等は常に上下布陣を取りルカを狙っていた。
錯綜する路地裏に逃げ込んでも上部のクレアが位置情報を伝え、チコが先回りをする。ルカが迎撃を試みたところで半端な攻撃は容易に対処され、二人の連携の取れた猛襲の餌食に繋がってしまう。
「一度落ち着いて話し合おう! こう荒々しくやりあってちゃ理解出来るもんも出来ないだろ?」
「私達を見るなり逃げ出した人族が何を言っても説得力に欠けるわね。話なら貴方を捕らえた後に嫌でも聞くわ!」
ごもっともだ、とルカは脳内で自分が起こした行動を呪いつつ、しかし選択肢が限られていたことに開き直る。
大人しく拘束されることも吝かではないが、やましいことがなくとも人間とは己が不利な立場に着くとわかっていては到底受け入れられない。
説得は失敗、逃走は困難。となればやることは一つだった。
チコの背後からの追走の一閃を真横から叩き落とし、距離を取って向き合う。
「そっちがその気ならこっちも容赦はしないが――覚悟は?」
立ち止まり、橙黄眼でルカなりに凄んでみるも。
「出来るものならやってみなさい」
効果はなかった。
獣人の闘争本能の塊のような強い意志は、ルカのちっぽけな威嚇では牽制にもなり得ない。
取り落としたレイピアには一瞥もくれず右上に一瞬移ったチコの視線。その挙動の意味を未来予知と併せて先読みしたルカは不動の立姿から強引に回転。左上から奇襲に乗り出したクレアへとカウンターの旋風脚を叩き込んだ。
「がぁっはっ!?」
「クレアさん!?」
まるで奇襲返しとばかりに振り回された翠眼のルカの反撃に、クレアは防御も間に合わず直撃を被る。
正面から吹き飛んできたクレアを全身で受け止めたチコは、丸い双眼でギロッとルカを睨むもルカは既に逃走を始めていた。
「チコ、追うぞ……! 俺はまだ大丈夫だ……」
「大丈夫です。クレアさんは休んでください」
耳を動かし、後方から駆けつけてくる大量の足音を拾ったチコは大声で叫んだ。
「敵はこの先、一人です! 追ってください!!」
噂が都市中へ騒ぎを呼び、時間が援軍を呼んでいた。
「この数は聞いてねえよ……っ!」
後方迫り来る小熊猫の群衆、その数十。前方に黒い影が五。
「同胞の仇は討たせてもらうぞ」
「いい加減諦めた方がそこまで痛い目みなくて済むわよ?」
数的不利は火を見るよりも明らかにルカを劣勢へと導いていた。
四方から繰り出される拳、剣戟、弓矢、更には魔法による火球が徐々にルカを追い詰めていく。
最小限の迎撃で辛くも包囲網を抜け切っても、新たに組まれる包囲網がルカを逃がしはしない。
「往生際が悪いのではなくて?」
詠唱に伴って放たれた火球が逃げ惑うルカの左腕を掠める。
「あっっっち……っ! くそっ!」
服を焼かれ軽い火傷を負ったルカは火球を放った魔術師を一瞥するが、恍惚な笑みで詠唱を継続。再びルカへと火球が撃ち下ろされる。
全力でその場を離れ火球の直撃を逃れたルカは一瞬出来た包囲網の穴を抜け、終わりのない逃走劇に再び身を投じた。
「たった一人に何手間取ってんだ! 早く仕留めろ!」
「夜昇を解放してる俺達と渡り合うなんてコイツ何者だ?」
どこかで感心するような声も打ち上がるが、息を切らし始めて汗を称えるルカにそんな声を聞き取る余裕もない。
(マズイマズイマズイ……ッ! どう抗ってもこの数から逃げきれないっ!?)
右へ左へ。土地勘がなくどこへ行っても見知らぬ場所に辿り着く。その前方には再び彼等の包囲網。
小径に入り、屋根上に上り、焦燥感を抱きながらもとにかく逃げの一手を敢行するルカだったが。
目の前に思わぬ救済の手が舞い降りた。
「はいはーい、ルカ君とお近づきになりたい気持ちも分かるけど、ファンはこれ以上の接近は禁止でーす、っと」
「ルカこの騒ぎは何っ!?」
「人気者は辛いね~、ルカ君。なにやら面白いことになってるじゃん?」
周囲の小熊猫達を牽制で包囲網を崩し、ルカの疾走に並行して走り出した人物は【クロユリ騎士団】幹部のレラとサキノだった。
「こんな人気いらないし、全然面白くないって……! 迂闊だった。マシ……シロの住処に行ったら尾行されてて、後はこんな感じだ」
「大分端折られててよくわからないのだけれど……とにかく襲われてるのよね!?」
ルカ自身も思い返せばここまで数の暴力に遭う必要はないのでは? と抗議したくなる状況に、サキノへ首肯を見せた。
「ここはウチ達が引き受けるからルカ君はさっさと逃げちゃって!」
「団長に【夜光騎士団】と関わるなって警告されたばっかりなのに……レラ倒しちゃ駄目だからね?」
「わかってるわかってる、引き止めるだけ、ね。倒しちゃうより長く楽しめそうじゃん?」
「頼もしいのに不安でいっぱいだよ……」
二人は【夜光騎士団】の団員達のように騒ぎを聞いて駆けつけてくれたようで、ルカを追走する小熊猫達と対面した。
「悪い二人共!」
否応なく送り出されたルカは一度回顧し、二人の後ろ姿に後続を託した。
【楽戦家】の二つ名持ちであるレラの出現に、小熊猫達は一瞬慄くが舞台は夜。力試しとばかりに嬉々としてレラに襲いかかっていく。
共にいるサキノも小熊猫達のお株を奪うような白纏を解放しながら少数の足止めに取り掛かる。
二人の援軍により半数以下にまで数を減らしたルカは、包囲網をくぐり抜け、工場地帯から抜け出すのだった。




