036話 策士策を弄す
見渡す限り粛然とした蒼の神秘空間。音という概念が世界から弾かれた異端の地にルカは引き摺り込まれていた。
天空食堂を出た学園最上階の通路にて、下界の人々の認識から逸脱した瞬間の転移はいともあっけなく遂行された。すれ違う人々の意識下にルカ・ローハートという少年の存在がまるでなかったかのように。
「ココの言ってたことはなんやかんや的中してたみたいだな」
条件を満たさなければ起こり得ない強制召喚が、どうしたものか、ルカは基本設定のようだった。全戦全召の実績は己が特異であることを疑う余地はない。
前も後ろも扉が閉じられ閉塞した通路では索敵もままならないルカは、踵を返し再度天空食堂へと入室する。
これまでの幻獣との邂逅は全て敵方の接近によって果たされてきた偶然の産物だ。本来であればサキノがそうであったように、縹渺たる都市の何処かに出現する幻獣を発見するところから始めなければならない。
ルカは曠然たる天空食堂を真っ直ぐ横断し、漠然とした窓ガラスへと距離を詰める。
鶏頭蛇尾バジリスクや巨牛クジャタのように移動が大童である幻獣であれば、高所から都市を見下ろすことで都市の異変を発見し、位置を特定することが可能だ。欲を最善手に組み込めるのであれば、武器規模の操舵、飛び道具の心得のあるルカにしてみれば有利な立場で強襲を仕掛けることも夢物語ではないのだ。
先手を打つためには幻獣より先に姿を捉えることが何よりも高い優先事項である。
そんな夢物語を飾るかのように、静謐な都市に時間外れの打ち上げ花火が花開く。無論ルカの目にもそれは止まり、無人である昼間の世界に花火という不釣り合いなものが存在する疑惑を眉に乗せた。
まるでねずみ花火のように遠方で軌跡を残しながら開花する光景は異様。
空を縦横無尽に駆け巡り、それは直線へと移行し学園へと飛来する。
得物を捕捉した狩人のように――。
「なっ!!」
バリィン! と豪快に窓ガラスを突き破りながら天空食堂へと侵入を来たした『鳥獣』。
直線を描き猛進してくる姿に机の間を掻い潜り横っ飛びで回避したルカは無傷だったが、続けて巻き起こる花火――『爆発』によって天空食堂の机や椅子が砕け飛ぶ。
「おいおいおい、凄惨過ぎだろ!?」
爆風によって飛来する鉄屑や木片を一つの机を盾にやり過ごしながら、夢物語は所詮夢物語だと悟る。
完全に遅きに失していることを知覚したルカへ、耳朶に噛み付く強烈な咆哮が打ち上がった。
『ガギャアアアアアアアアアアアアア!!』
「ぐぅぅぅ……! うるせえ……」
間断なく轟く爆発音、ビリビリと震動する咆哮に耳を塞ぐ。敵前で聴覚を無機能とする愚行にルカがハッとし、本能が叫ぶままその場を離脱すると、煌めく紅緋の嘴が盾にしていた机を貫通した。獲物を狙い飛行した鳥獣はそのまま一過し、高い天井付近まで高度を上げる。
遅れて――ボボボボボッッ!! 鳥獣の空の轍を辿るように爆発が生じていく。
「場所が悪過ぎる!」
狭いと感じたことのない天空食堂があまりにも窮屈だと初めて実感したルカは瞬時に翠眼を灯し、散弾銃のように迫りくる様々な破壊片を受けながらも外に面する一つの扉を蹴り飛ばす。
勢いよく開いた扉は蝶番ごとへし折れ、十階建ての学園から地上へと身を投げていく。
ルカが飛び出た先は非常階段。行儀よく階段を降りるなどという余裕はなく、手摺や柱をパルクールさながら使いこなし、大幅に時間を短縮しながら地上へと高度を下げていく。
『アアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
五階までの非常階段を下りきった時、上部で凄烈な破壊音が鳴り響き崩壊が引き起こされる。
四階――三階と下るにつれ上空から大量の瓦礫が真横を降り注いでいく。
「幻獣ってのはどいつもこいつも荒唐無稽だなっ!」
最上階から脱した鳥獣は爆破を引き連れながら大きく旋回し、地上間際を滑空。二階部で悪態をつくルカへと再度狙いを定め爆飛を繰り出す。
爆発すらも突進の加速力へと変換する鳥獣はまるで艦艇のようですらあった。
比較的低所に舞い降りたと判断したルカは、二階部で紫紺の瞳へ切替。長剣を創造すると、迫り来る鳥獣との衝突の時機を見計らい手摺を蹴って宙へ躍り出た。
「はああああああッ!!」
黒弧をなぞり縦一閃。
ルカの反撃に鳥獣は上体を起こし、巨大な鉤爪を黒剣に交錯させ火花を散らす。
爆緋鳥『ガルーダ』。
血が乾いたかのような緋色の嘴峰が鷲の頭部に生えており、気高き鬣が首筋を保護している。
紅緋一色の二対の巨翼に、白色を交え紅と調和の取れた都合十二本の尾羽。
屈強な筋肉で組成された胴体と、脚には絞め殺すための頑強な鉤爪が殺気を放つ。
尊厳と崇高を兼ね合わせたかのような幻獣の姿を、ルカは初めて確と視認した。
全長五メートルの巨体から繰り出される圧力に拮抗したルカは、空中でありながら剣身を起点にして強引に体を捻り上げる。力不足という懸念はあるものの、身体強化を施した蹴撃を目論むルカが翠眼へと切替そうとした瞬間――。
すぅっ、と周囲の酸素が警告をあげる不吉な音に目を見開いた。
ドォォォン! と鼓膜を破るほどの大爆発がゼロ距離にて引き起こされる。
尾を追いながら連鎖していた爆破が、ルカとの衝突によって動きを止めたガルーダに追い付いたのだ。自身が巻き起こす爆発をものともせず、爆煙の中から上空へと舵を取るガルーダ。
「ゲホッ、カッ! くっ……!?」
爆風をもろに受け黒煙を突き破ったルカは脚に力を傾注し地を擦過する。肩口に百五十センチほどの簡易的な盾を構え、爆発の直撃を間一髪防ぐことに成功していた。
勢いが衰えた擦過に軽く安堵を吐き、ようやく怒涛の連撃が途絶したところでルカは上方のガルーダを見上げる。
『ゲアァァァ……』
至近距離の大爆発に獲物の命があることを怪訝そうに地鳴きするガルーダは、羽ばたきもせず止まり木。止まれる枝木が何もない宙で、緋翼を嘴で色直しする余裕を見せるその実力――厄介さは認めなければならなかった。
「防御は駄目、攻撃を防がれるのも駄目。能力持ちの幻獣は手強い相手ばっかりだな……」
至近距離に留まられることは被撃を意味する。ルカは盾を消失し新たな翠眼を狭窄させ、その場から駆け出した。
攻撃においても防御においても、常に回避を要求される戦闘でありながら直撃を狙わなければならない。
何より厄介であるのがオートで爆破を見せる『時間差』攻撃であった。
戦闘において移動は基本である。同じ場所に居続けることなどまずありえないとはいえ、攻撃、回避に繋げるための移動は本人の意思によって尊重される。それがどうだ、ガルーダを相手取る移動は強要、もしくは誘導なのだ。
「前……にっ!」
学園の敷地から駆け抜けたルカを追い、時には行く手を阻むように前方を横切るガルーダ。先読みの如く前方で巻き起こる爆撃に進路を防がれ速度に乗ることもままならない。
一度脚を止めれば上空から捕食機会を狙いすました狩人が猛速で全身の凶器を駆使してくる。自然界の野生動物達はこのような感覚なのだろうと、場違いな感想を抱きながらもルカは方向転換を繰り返しながら反撃の機会を窺う。
高層の建物の間隙を、無人の通路を昂然と飛行しどこからともなく現れる狩人。一泡吹かせようと高度を下げたガルーダへ、何度かの跳躍で二階建ての建物の上部を位置取り奇襲を仕掛ける。
逆転した上下関係に直滑降で襲撃を見舞うも、ガルーダは全身を転回させ飛行の軌道を変えることによって攻撃を往なす。
着地した地に蹴撃を放ち、蜘蛛の巣状に刻まれる罅割。屈伸によって衝撃を全身で受け止めたルカへ順番を待っていたかのように迫り来る爆撃。
退路のない前後に、魔力が非効率だと自覚していながらも展開を余儀なくされる結界。身体を護る半円球状の結界を揺るがす、烈々な衝撃が周囲で立ち込める。
「よく今までこんな幻獣と一人で戦ってたよ……サキノはやっぱり凄いな」
体験談を聞いたわけではないが常識を超える能力を持った幻獣もいたことだろう、と責務を背負っていた少女に感心を漏らす。
爆撃連鎖が遠退き、結界を解除したルカは再び移動を開始した。
縦横無尽に、不規則的に、非合理的に戦場を飛行するガルーダの動きは近接を主とするルカにとって相性が悪い。常に場所取りを気にかけながらも撃ち落とすべく弓を番えるが、変則的に駆け巡るガルーダは遠距離砲を察知すると低所に赴き建物で姿を眩ます。
知能すらも発達している幻獣にルカは上手く攻勢に転じられなかった。
「…………?」
そんなルカへ微かな違和感が襲う。背後を追跡、前方の進路妨害、はたまた自身の強襲を繰り返しながらルカが辿り付いた場所――いや、まるで誘いまれたかのような高層の建物が周囲を囲むビル群。
下界リフリアの北北西に位置する学園ミラ・アカデメイアから西へと流された北西の情報技術区画。高層ビルが立ち並び、景観など度外視した社会の利便のみを最優先とした社会人達のための地帯にルカはいた。
「爆発が途絶えた?」
未だ高層ビル群の間を飛び回るガルーダは顕在だ。しかし先程まで脅威の象徴としていた爆撃が一切の息を潜めていた。
よもや燃料切れなどという馬鹿な話はないだろうと、ルカは当たらないまでも行動の抑止になればと再度弓を番える。
が、そこでルカの瞳が映したもの。
「美味い話には裏があるってか! くそっ!」
周囲に浮遊するキラキラと煌めく粒子。
蒼の世界で太陽光に反射する一斉攻撃の源――爆紛。
ガルーダは燃料切れなどではなかった。確実に仕留めるため爆発を収束させるつもりなのだ。
――奴が行動を始めてからどれくらい経った?
――範囲は? 規模は? 時間は?
いつ大爆発が起こってもなんら不思議のない一触即発の地雷地帯に身を置くルカは、様々な危惧材料を抱えながらもその場を脱そうと翠眼を解放し一歩踏み出した。
しかし。
『ガルアアアアアアアアアアアッ!』
「っ!?」
上空から飛来する紅緋の巨体がそうはさせない。
走り出したルカを足止めするように両足の鉤爪を差し向けるガルーダに、ルカはバックステップで回避。地を穿つガルーダは豪快に翼を羽ばたかせ急上昇、都合四つの翼を開帳する。
『アアアァァァッッッ――――――ッ!!』
起爆スイッチが押された。
ルカの橙黄色の双眸に焼き付けられた、神々しくも禍々しい幻獣の姿。
雄叫びに呼応するかの如く辺り一帯を包囲する大爆発の渦。
爆破は高層ビルの尽くを破壊し、ルカの周囲一帯を瓦礫地帯へと豹変させていく。
上空を旋回しながら撒き散らしていたのは、爆発で片を付けられなくても崩壊によって圧死させる手立てだった。
ガルーダは余念なく確実に獲物を仕留めるつもりなのか高速で上空を飛び回り、更に爆紛を撒き散らしていく。
爆発に次ぐ爆発に倒壊は留まることを知らない。黒煙に呑み込まれていく大量の瓦礫、ガラス、鉄骨。
土砂が舞い、粉塵で視界の確保すら困難を極める。
これでもかというほどに爆紛を散布した爆緋鳥ガルーダは、ようやく動きを停止させ宙に止まり翼を折り畳んだ。
準備、実行、そして詰めにも決して甘さなど見せず、確実に仕留めたと自負する幻獣は勝利の咆哮を上げた。
『ガルアアアアアアアアアアアッ!!』
歓喜を含んだ絶叫とともに宙で小さく飛び跳ねるガルーダの眼下。
ありとあらゆる物の悲鳴を巻き上げた霧が次第に晴れていく中。
一つの影が霧中で動きを見せていたのだった。




