035話 苦手なものは誰にでも
長針が短針に頂上で身を隠す頃、下界のミラ・アカデメイア学園の最上階『天空食堂』には大勢の生徒達がごった返していた。
最上階を二分した天空図書館と対になる位置の天空食堂は、本校生徒と職員にしか利用許可がされていない巨大食堂だ。
広大すぎる空間のため一見空席が目立つかと思えば、全校生徒の大半が足を運ぶため毎度空席を探す方が困難なほどである。その理由は家計に優しい超安価で提供される種類豊富なメニューに加え、月パスポートがあれば飲料は飲み放題――勿論パスポートも安価――、間食、軽食等が時間内であればお手軽に利用することができるからだ。
勉学の合間に、バイトに勤しむ学生達にとって、これほどまでに嬉しいものはない。
まるでバーゲンのような密集地帯だが、高い天井が微塵も窮屈さを感じさせず、圧倒的解放感のガラス張りの食堂から眺望出来る景色は圧巻の一言。幸樹も視認出来るため、窓際の座席は毎日戦争が繰り広げられている。
そんな戦域の窓際、別の意味での戦争を繰り広げている者達がいた。
「お、ルカの隣頂き」
「あーーーーー!! アラン、そこはあたしの特等席ぃ!! どいてよ!」
「ダーメだ、早いもん勝ちだ。俺がいない間ルカを独占してたんだからこれくらい俺に権利あっても――」
「うるっさーーーっい! どーーーけーーーぇーーー!!」
「全く聞いてねぇな」
アラン・シルスタとラヴィリア・ミィルである。
昨日アランはダンスメンバーと昼食を取っていたためルカの隣争奪戦はラヴィの一人勝ちだった。油断していたラヴィの隙を衝く一瞬の判断と決断に正論を振りかざすも、ラヴィは断固として隣を譲る気はない。
アランの大きな背中を押したり、太い腕を引いたりするも、赤子と大人のようにびくともしないアランにラヴィの息が徐々に上がり始める。
「相変わらず非力だなーラヴィ。そんな力でルカを繋ぎ止めてても、ふらっとどっか行っちまうぜ?」
「はぁ……は、ふんっ! 力がなくたって、あたしには、別の力があるもんねぇー!」
「へーえ、どんな力だ?」
ルカの隣で椅子に座りながら澄まし顔でラヴィの相手をするアランは、ラヴィが自負する力について尋ねる。ラヴィはむふー、と己の特権だとばかりに自慢げに胸を張った。
「か弱い女の子の特権、『ヒコリョク』だよぉ!」
「何言ってんだコイツ」
「庇護欲のこと言いたいんじゃないか多分」
アランのツッコミにもならない冷め切った罵倒に、ラヴィが言いたかったであろう単語を冷静に拾うルカ。
己のことを最大限理解してくれていると表情を咲かせたラヴィはぴょんぴょんと小さく飛び跳ね、ルカへ背後から抱き着いた。
「さっすがルカぁ~! ほんっとあたしのことなんでもわかってくれてるんだから……ね、護ってあげたくなるよねルーカ?」
甘えるような声音でルカの耳に囁くその姿は、天空食堂のどこからか何かが大量に爆発する音が静かに鳴り響いた。充満する殺気も比例して。
「ん? あ、うん」
そんなラヴィの悩殺ヴォイスを歯牙にもかけないルカは適当にあしらった。が。
「ほーらねアラン! みぃ~たかぁ~!!」
「今のルカの返事に自信を持てるお前が凄えよ!」
都合よく解釈しているのか、ルカの肯定であればなんでもいいのか、エッヘンという文字がラヴィの背後に堂々と重鎮する。
全力でツッコまざるを得なかったアランは少々呆れながらルカへ目配せしたが、その先には巨大な果実を頭部に乗せられ体を揺さ振られる半眼のルカの姿があるだけだった。そして当事者達は誰一人として周囲一帯で渦巻く黒い幻炎に気付くことはない。
「というわけでそこどいてアラン」
「話にミャクラクがねぇよ!? マネージャー様は監視のため正面にでも座ったらどうだ?」
「うゅぅ……っ! こんな時だけいいようにマネージャー扱いしてぇ……いいからどけぇ―!!」
何がなんでもと拒否権皆無の説得を試みるも、最終的に実力行使に出たラヴィだった。
修羅場と化した散々揉める現場へと、食堂で購入した食事を持ったサキノが人混みの間をすり抜け三人の元へと戻ってくる。
「なんだか周り凄い怒気めいてるけど何が……ど、どういう状況?」
周囲のただならぬ異様な空気を感じ何事かを問うも、ルカの隣にはアラン。そしてルカの膝上にラヴィといった混沌極める状況に、サキノは頬を引くつかせて思考を断線させたのだった。
歓談に没する者達がちらほらと現れる天空食堂では極上座席戦争に負けたラヴィがルカの正面に着席し、ぷくーと柔らかい頬を膨らませながら可愛らしい弁当を摘まんでいた。その隣にはサキノ、対面にアランといった男女で別れる位置にて食事が進んでいく。
対角に飛ばす威嚇――およそ一方的にだが――を歯牙にもかけず食事を進めていくルカと、パンを食い千切りながらルカとの雑談に興じるアランの三者三様に、サキノはふふっと小さな笑みを漏らした。
「ラヴィ、今日はお弁当なんだね。ちゃっかりルカの分も作ってきているし」
超がつくほどに朝が弱いラヴィが弁当を持参するのは珍奇だとばかりにサキノが窺うと、ラヴィはまるでリスのように膨張していた頬が瞬時に元へと戻る。
「そうなんだぁー! 今日は目覚めがよかったからちゃちゃーっと作って来ちゃったんだぁ。あたしはルカのためなら毎日でも作れるよっ!」
むんっ、と鼻高々にドヤ顔を決めるラヴィの手元には白色の弁当箱。対を成す黒色の弁当箱がルカの手元で開かれており、朝の時間で作る弁当にしては凝った料理が顔を揃えていた。
空になった包装袋をくしゃっと握り潰したアランがルカの眼前に展開されている弁当を眺め、ふーんとラヴィの意外性を呟く。
「じゃあ毎日作ったらいいじゃねぇか」
客観的にみれば大口にも聞こえるラヴィの意思表明に、アランは椅子にふんぞり返りながら指摘する。そんなアランの声にわかってないなぁと、ラヴィは大きな溜息をついた。
「これだからアランは……いい? 毎日作るお弁当より不定期に作るお弁当の方が、男の子ってのはキュンと――」
「おっ、ルカ唐揚げもらうぞ」
「話を聞けぇー!! しかもそれはルカのために作った特製なんだから、アラン如きが口にしていい代物じゃないんだぁー! 吐けぇ! 吐いてルカに返せー!」
「返してもらっても困るんだけど!?」
男心を熱弁するラヴィに興味なさげにアランはルカの惣菜を盗んでいく。
下心ありきのようで真心込めたルカへの愛情弁当を許可なく食すアランと怒り心頭のラヴィによる、足元で行われる攻防戦を避けながらルカは不要を告げた。
平和な日常。
否応なく受け持つ依頼に、サキノは友人との時間を削減せざるを得ない時もあった。しかし頑張り過ぎることを止めたサキノは以前までの体裁を保ちつつ、友人達との時間も十分に確保している。
ありきたりだがかけがえのない平和な日常を、サキノは余裕の生まれた心身で享受していた。
「ラヴィに作って貰ってる俺が言えたことじゃないけど、そういえばサキノは弁当って作ってきたことないよな」
「へ!? わ、私っ!?」
ルカの素朴な疑問に、普通の域をでない幸福感に浸っていたサキノは声を裏返らせる。
「確かに……サキノはいつも学食だよねぇ」
「わ、私は……ほ、ほら忙しいから……ね?」
瓦解していく後方は崖。悪気もなく問い詰める友人達によって追い詰められていくサキノは、依頼による多忙を盾にお茶を濁そうとした。
しかし――。
「料理苦手なんじゃねぇのか」
「ぅえっ!?」
身も蓋もないアランの的確なボディブローがサキノを宙に放り出した。
「え、当たり!? アランのテキトー発言じゃないの!?」
「そ、そ、そんなことあるよ!?」
「「あるのかよ」」
身動きの取れない中空では逃げ場も誤魔化しも利かない。
サキノは狼狽しながらも己の欠点を認め、想像していた返答と食い違いを引き起こした男子二名は声を揃えて調子を狂わせた。
「ぅ……料理だけは駄目なんだ本当に……」
凛然とした人物像、面倒見の良い慕われ人。確固たる傑人の立ち位置を、打算込みでありながらも確立してきたサキノの意外な一面に、ラヴィとアランは目を白黒させた。
「今まで完璧過ぎるくらいだったんだし、料理くらい苦手じゃないと均等が取れないだろ」
「サキノの隠れざる一面っ、かーわぃぃ」
度が行き過ぎた正は負となる。完璧でありながら負の鎧を背負っていた秘境でサキノの弱さを知ったルカは、サキノの欠点に驚きを見せることはなかった。
サキノの欠点を飄々と呑み込むルカに感化されたのか、ラヴィも親友の新しい顔に親愛を抱き、ぎゅーとサキノの腕を抱きしめる。
安穏な空気が机上で飽和する。
机上では。
空気感そっちのけでルカの弁当を更につつくアランへ、にこやかな笑みでサキノとじゃれ合いながらラヴィは机下で蹴りの連撃を見舞っていた。
「な、なんだか複雑なんだけれど……」
白銀の髪を指で弄りながらサキノは様子を窺うように対角に座るルカを一瞥する。
その時。
――――ピチャンッ――――
ルカの凪へ落とされた一欠片の水音。
雑多な喧騒が賑わう天空食堂では縁のないほどクリアな呼び声にルカは動きを停止させる。
(こんな時でもお構いなしってか。まさに自然災害だな……さて、どうなる?)
認識の空白。
秘境への転移中は認識されないという条件を反芻するルカは深く瞑目し、眼前に認識される人物達がいる状況での出方を窺っていた。
しかし一向に周囲の雑音は消えず、きゃっきゃと騒ぐサキノとラヴィの声が耳をつつく。
「ルカ?」
そんな中ルカの異変に一早く気付いたのはサキノだった。サキノの呼名に緩慢に双眸を開くルカは、視線でサキノへ秘境の出現を訴える。
黒瞳と紫紺の視線の応酬。
「な、何よ……」
凝視する黒瞳が場を制し、紫紺の瞳が視線を逸らす。ほんのり上昇する体温。
軍配はルカに上がった。何を競っているのかはわからなかったが。
ルカは変化のない状況に終止符を打つため、いつの間にか残り少なくなった弁当をヒョイヒョイと平らげラヴィへ空になった弁当箱を手渡した。
「早起きして作ってくれたんだな。ありがとうラヴィ、美味しかったよ」
ズキュン! と神速の矢がラヴィの中心を穿つ。上気した顔、回した眼、ふらつく上半身をサキノは受け止め、ルカは「トイレ」と一言置き席を立った。
するすると席間をすり抜けていくルカが天空食堂の扉に手をかけた瞬間。
その身は下界から姿を消失させたのだった。
× × × × × × × × × × × × ×
(……まさか?)
ルカの背中に遅ればせながら僅かな違和感を抱いたサキノは、涎を垂らしながらぶつぶつと独り言ちるラヴィを現実へ揺さぶり起こす。
「はっ! なんだかカラフルな三途の川を見ていた気がする……」
「それ絶対見ちゃいけないやつだからね?」
「ラヴィなら渡り切っても自力で泳いで戻ってくるだろ」
「ふふん、アランとは鍛え方が違うもんねぇ」
「筋肉痛になってヒーヒー言ってた奴がよく自信満々に言い切れるな!?」
毎度お馴染み楽しそうな口論が両者の間で火蓋を切る。
「私もお手洗い行ってくるね」
トレイを持ちその場を発ったサキノは足早に返却口へ。すれ違う生徒達に声をかけられながらもサキノは亜麻色の髪の少女が待つであろう対面の天空図書館へと飛び込んだ。
「図書館で走らないで」
「あっ……ごめんなさい……」
分厚い本を開き受付に座っていたココは、走り込んできたサキノを静かに叱る。
いくら急ぎだとは言え、分別を弁えたココの言うことは正論であり、サキノも謝罪が不意に口から出て手で口を覆った。
しかし「待ってたよ」とでも言うかのように無言で受付を立ち、サキノの手を引いたココは仮眠室へと足を運ぶ。
一度館内を見回したココは音を立てぬよう扉を閉め、都合三つの鍵を手早く閉めた。
言うが早く開いていた本が独りでに頁と髪を躍らせていく。
周囲には見慣れた亜麻色の円陣幾何学模様。
「早かったね。どうして気付けたの?」
詠唱の合間にサキノへ称賛と疑問を送るココは後光を浴びる天使のように美しい。
「ルカが早足で天空食堂出ていっちゃって、もしかしたらって思ったの。ルカもここに来た?」
「ローハートなら来てない」
「えっ!? 来ていない!? でも幻獣は……」
「落ち着いて。毎回気付いた時には下界からいなくなってるから、ローハートは恐らくだけど強制召喚される特異体質なのかもしれない。原因も対処法もわからないけど、ローハートの危険を緩和出来るのはサキノだけなの。私も極力早くサキノに知らせるから、ローハートのことお願い」
サキノもルカが必ず己より先行し秘境にいることから、何らかの手段によって幻獣の出現を感知出来ていることは薄々気付いていた。しかしココの推測のように強制召喚が毎回起こるとは思ってもおらず、ココの力を借りて秘境へと進入していると固定概念が邪魔をしていたのだ。
逸る気持ちを往なしサキノはココの妖精門完成を待つ。
ココを起点に温風が空気を揺らし、サキノの裾の短い浴衣をひらひらと揺るがす。
一層集中力を増したココが腕を広げると、完成した術式が周囲へと四散し多色の光の柱が姿を現した。
頷きとともにココがサキノと場所を入れ替わり、サキノが気合を心中に宿す。
「…………? あ、れ?」
ところが転移が始まらない。
疑問符が頭を埋め尽くし、サキノが混乱と動揺の沼に足を浸らせる。
「これが難点なのよ……まだサキノを認識してる人物がいる。こればかりは認識の外に外れるまで待つしかない」
一方その頃、天空食堂ではラヴィとアランがサキノの話題で盛り上がっていた。
「ぅくっ……待つしかないなんて……」
一時は焦燥に歯止めを利かせた筈だったが、目的を目前にしてお預け状態を食らったサキノは時の遅さに焦燥の拍車をかけていくのだった。




