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022話 認めない

 サキノは白髪を揺らし呼吸を整える。限界が近い。

 戦闘が長引くと敗北を喫することになると危険信号が点滅していた。一刻も早く呼吸を整え、一刻も早くミュウ・クリスタリアを退けなければと焦燥に煽られる中、急速に接近する一つの影がサキノの視界に飛び込んだ。



「何やら不穏な力を感じるのう?」



 ミュウがルカとの交戦を中断してやってきたことに、最大の焦燥が心臓を鷲掴みにした。

 その焦燥はルカの勝敗結果――いわば生殺を気にかけるより、あろうことか己の能力が目撃され見透かされていることへの焦りであった。



(何でこっちに!? 今はまずいって!)



 姿を糸の中で眩ませていた筈がミュウの接近により、思わず視界が開けた場所に回避行動を取ってしまう。想定外の奇襲によって咄嗟に行動してしまったサキノの心の中で『秘事』が早鐘を打ち、冷静な判断を脳が放棄した。

 結果、サキノが取った行動は単なる自殺行為。

 ミュウの言う『不穏な力』を、行動に支障をきたす糸の荒野で解除してしまった。



「しまっ……」

「死ねぃ」



 後悔時すでに遅し。全身に絡みつく糸、移動不可の足場。

 サキノは何とか動く両腕で刀を扱い、硬質化したミュウの槍を軽傷に留める。連撃によって貫かれる白い腕、脚、頬から流れ出る紅い血が織物のように白い糸を染める。



「実に無様じゃな。秘め事を隠すことも、必死の延命も。じゃが安心せえ、今全てを清算してやるぞ」

「あうっ!?」



 ミュウが両手を引き絞ると、サキノの腕が上へ吊られ一切の自由が利かなくなった。



「楽に逝け」



 サキノの時の律動が緩慢になる。

 眼前に刺し出される硬質化した槍が自身の中心を穿つことは避けられない。

 サキノは声にならない声で呟く。


 一人で全てを背負ってきた、自分に似つかわしい最期かもしれない。

 結局、何も守れなかった。

 結局、何もなし得なかった。

 結局、何も残らなかった。

 結局――自分勝手だった。

 諦念が脳裏を過り、サキノは死の恐怖から瞑目した。



「な――くうっ!?」



 砲声が轟き、ミュウが渋い声を漏らす。

 サキノが開眼すると、目の前を青色の雷光が爆風と爆音を引き連れながら一過した。

 紅髪が飛び退き、白髪が暴風に煽られる。前地の糸も焼け落ち、爛れた様相を呈していた。


 特殊電磁銃(エネルギアオヴィス)

 サキノの右方、檻を突き破り放たれた雷光は的確にミュウを退け、かつ進路を作り出していた。



「させない、って、言ってるだろうが……っ!」

「ル、カ……」



 檻から飛び出てきたルカはもう一撃照準をミュウに合わせると、特大の電磁砲を放った。



「何度も何度も邪魔しおって……っ!」



 ミュウが再び跳躍し距離を取ると、ルカは縺れる脚で駆け出し、サキノの矢面に立った。

 肩で息をしながら眼前に立つルカを高台から見下ろすミュウは、混沌となった感情を胸に宿す。



「…………」



 身を挺して護り護られる二人の姿に双眸を細め、鞭をしならせて苛立ちをルカへぶつける。

 疲弊しながらも小盾(バックラー)を創造し防御するルカへ何度も、何度も。

 抵抗する余力が残っていないことに嗜虐心を煽られた表情でもなく。

 笑みさえ作らず、目を細め、ただただ無言で。

 受けきれない鞭がルカの脚へと刃傷を標していくだけの変化の少ない空間。



「……難儀じゃのう、ルカ・ローハートよ?」



 ようやく口を開いたミュウの口調は重く、低く。

 憐憫と怪訝を渾然とした言葉が三人の間に落ちる。



「何故サキノ・アローゼを庇う? お主は気づいておらんみたいじゃが、そやつはお主が見ておらんことを良いことに異質の力を使っておったぞ? さしずめエルフの力と言ったところか?」

「っ!?」



 能力の正体の核心を突かれたサキノの顔が歪む。やはりの、とミュウがもう一度鞭撃を放ち、ルカがサキノを庇い傷を負う。



「人族が忌み嫌う亜人の力じゃよ。見たところサキノ・アローゼ、お主血脈を隠しておるであろう?」

「ぁ……うっ……」



 繭に身を潜めながら疲労回復を施行していたこと、ルカに視認される場所に出た途端能力を解除したことからミュウは憶測を飛ばす。

 ミュウの言うエルフの力『白纏』はサキノへ様々な恩恵を与えている。バジリスク戦の超跳躍や、傀儡蠍(スコルピオネット)を断ち斬れたのは、白光を纏うことで部位を強化したり、切れ味を上昇させた結果だ。秘境(ゼロ)で幻獣の探知も同様に、全ては『風』の恩恵を得た能力だ。

 そして何よりルカに真実を認識されたくないがために、サキノが力を出し渋り、不用意に糸の領域で解除してしまった力。


 返答に窮するサキノは、最も知られたくなかった人物の前で公表された事実に相貌が青ざめていく。

 亜人族が忌避されているのはミュウとて知っている。

 だからこそ、近しい人物に知られたくなかったというのは理解出来る。

 理解は出来るが、出来るだけだ。

 ミュウは、嫌う側の人間なのだから。



「血脈を隠し、近しい人物に偽りの姿を見せるとは愚かじゃの。宿命とは言え、嘘偽りなく、隠し立てもせん亜人族の者達の方がよっぽど真っ当な生き様じゃとは思わんか? そうやってお主のことをずっと騙し続けてきたサキノ・アローゼを庇って何になるのじゃ、ルカ・ローハートよ?」

「……損得で、動いてる訳じゃない」

「じゃがの、今のお主を見てみるがよい。騙し、隠され、力を出し渋られ、挙句の果てにはこやつが死地まで見た。結果、庇うお主までもが命を落とす羽目になるのじゃぞ?」



 下界において亜人族が人族に扮装し生きることは恥部を掩蔽し、いかにも己が真っ当な人族だと周囲を偽っているのではないかとミュウは語る。そんなミュウにとってルカの弁明も苦し紛れの言い訳にしか映らない。

 綺麗ごとを並べようともサキノの私情で乱れてしまった戦況をミュウは批難しているのだ。



「よもや仲間だから、とでも言うつもりかの?」

「それ以外に、理由なんて……いらないだろ」

「くふふふふ! 我が身より人様の方が大切か!? 笑わせてくれるのう! お主等の言う『仲間』、『友達』。そのようなもの、この世においてはただの『重石』にしかならん!!」



 苛立ちを増幅させたミュウは再び乱撃を放ち始める。

 幾重にも重ねられる赤線に、ルカはついに膝を着く。



「そんな重石を背負った者などに妾が後れを取るわけがなかろう!?」



 鞭を血が滲むほどに強く握り締めるミュウはルカの小さな盾を遂に破壊する。

 感情的に連撃を見舞ったミュウは手を止め、しかし息を荒げていた。



「る……か」



 俯くサキノは声にならない呼び声を滲ませる。

 戦意が、完全に打ち砕かれてしまった。

 秘事が、うち明かされてしまった。

 騙し続けていた秘め事は、下界の居場所を失うに等しい。

 サキノが思い浮かべるのは先日、恋愛相談を受けた女兎人(シーラビット)の生徒。彼女は不遇を抱えながらも下界での立ち位置を確立しようと立派に生活していた。姿形が忌避される亜人族であろうと、前進しようと、乗り越えようとしていた。

 それなのに、サキノ・アローゼは。



(私は、卑怯だ……)



 エルフの血筋を隠し、人族同様に偽りながら生活していた。

 幼少期の頃、信用していた友達にエルフの混血だと知られ別離した経験を二度と繰り返さないために。

 誰にも頼らず生きていくと誓った一方、依頼という隠蓑で信用を得て外堀を固めていた。

 近傍に人族の味方を作ることで、亜人族の定めから目を逸らしていた。

 いくら長い付き合いだと言っても、親友だと言っても。

 これまでが全て偽りの姿だったと知ったのなら、ルカでも見放すだろう。

 それが、亜人族に課せられた『普通』なのだから。

 希望は潰えた。



「もぅ、私はいいから逃げ、て……」



 拘束されたままのサキノは力なくルカへ最後の願望を告げた。

 ルカが妖精門(メリッサニ)を見つけて下界へ帰還する時間くらいは残りの力で稼いでみようと。

 それが、裏切り者の最初で最後の願望(ねがい)。友に返す事の出来る唯一の恩返し。



「じゃ、そうじゃが? 依然双方始末するのも容易じゃが……よかろう。お主等には少々楽しませて貰ったからの、特別じゃぞ? 今、サキノ・アローゼを置いて逃げるのなら、そやつの遺志を尊重し、ルカ・ローハートだけは見逃してやってもよいぞ?」



 ミュウはサキノへと硬質化させた鞭の先端を向けると、ルカへ生殺与奪の条件を通告した。

 そんなルカを見下すミュウの心中は期待と、嘲弄。



(己が窮地に立たされた時、人間はいとも簡単に裏切る! それが友や仲間、ましてや親であってもの。……さぁ、ルカ・ローハートよ。醜く、愚かな人間の本性を見せるがよい!!)



 体力、魔力共に限界の近い二人に残された選択。

 一蓮托生だと無益にサキノを庇い、両者命を落とすか。

 サキノの遺志を汲み取り、一人だけ生還するのか。

 二者択一。

 

 選択は、ルカに委ねられた。

 普通を追い求め、他者を模倣するだけだったルカに。



「みーちゃんもこう言ってくれてるから、ルカ、お願い……」



 サキノの痛切なその言葉は、以前までの押しつけの撤退ではなく、心からのルカの救済だった。

 ルカには謝罪しかないが、今になってはもうそれも叶わない。

 だから最期はルカのために命を使おうと。己一人の命で親友だと思っていた人物が救われるのなら、いくらでも差し出そうと。


 そんな生き道を用意されたルカは立ち上がり――対峙し続けた。

 少し力めば溢れ出る血液も、数え切れない裂傷も委細構わず。

 乱れる呼吸も、断線しそうな意識も顧みず。

 正解(ふつう)も、助言(にげみち)も、応諾せず。

 決然たる黒瞳でサキノの前を退こうとはしなかった。



「ルカっ……何で、逃げないの? 逃げて、逃げてよっ!!」

「何度だって言ってやるよ。サキノを一人にさせない」



 荒れる息を野放しにして尚、サキノの声にも意を介さず佇み続ける。

 ミュウの期待と嘲弄に満ちた冷笑は、満身創痍ながらも愚かな道を選択するルカによって怪訝に上書きされていく。



(何なのじゃこいつは……生きられる道も与えたであろう? 勝てる見込みなど些事も見込めんくせに何故他者を見捨てん……?)



 ミュウの首輪から吊り下げられた鎖がジャラリと、音を立てて揺れた。

 手枷が、足枷が、脈拍を感じさせるほどに圧迫している感覚が襲う。

 そんな不快感を上回るほどに、ルカの行動が理解出来ず呆れを催すミュウは深い溜息をついた。



「……まぁよい、そんなに仲良く死にたいのならそれでもいいじゃろ。サキノ・アローゼを捕えた時点で、お主等には一縷の勝機もないのじゃ。妾のこの忌々しい力を持ってして、死への餞にしてやろう」



 魔鞭(リリン・ウィップ)を力なく手放し、ミュウは輝きが練り込まれたかのように美しい紅髪を片手で掻き上げ、暫時瞑目した。

 動作に伴い、緩やかな風に乗って二人の元へ甘い香りが届けられる。

 鼻をくすぐるように儚く、香りの根元を無意識に探ってしまうかのような。

 脳が抵抗を拒むほどに強烈な『酔い』の香り。

 サキノが今にも泣き出しそうな虚ろな目で見つめる中、ミュウはゆっくりと瞳を開く。ただでさえ見惚れてしまうほどの紅瞳は、まるで光から直接抽出された宝石のような神々しさを宿していた。

 身構えるルカを眼下に、優しく一言。



「酔い噎べ――魅了(エピカリス)



 瞬間、ミュウを直視していた二人の心臓が一度ずくんっ! と震えた。

 サキノはミュウの好色の瞳に視界が殴打されたかのように色を失う。

 心音が加速し、飛び跳ねるように高鳴る。心臓を起点に渦のように体中が熱を広げ、煙が噴き上げるほどに頬を上気させた。

 一度嗅いだあの甘い香りが脳内で増幅され、呼吸もままならない。

 少女の魅惑的な胸部、腹部、腕部、脚部、全ての柔肌を求めるような衝動が全身を焦がす。

 優しく微笑む彼女(ミュウ)は、天使と錯覚するほどの後光を宿し、視線を外せない。



「ぁ……は……」



 何も考えられない。何も言葉を発せない。何も動かせない。

 許されているのは、紅髪の美女への異常なほどの恍惚だけだった。



「……他愛もない」



 ミュウはつまらなさそうに高台から着地し、しなやかな動きでゆっくりと歩みを重ねていく。

 一歩、また一歩と。

 死が近付いてきていることも知らずに、美女の行方を目が離さない。離してくれない。

 もっと見ていたい。

 ずっと眺めていたい。

 美女の全てを許したい。

 サキノは、完全にミュウの美に魅了されていた。



 ――サキノは。



「はあぁぁぁッ!!」



 悠長に接近し、止めを刺そうと手を上げたミュウへ、長剣を創造したルカは一挙に横薙ぎを繰り出した。



「ぅぐっ!?」



 完全に油断しきっていたミュウは遅まきながらも腕で身体を庇う。

 不幸中の幸い。

 ルカの攻撃は手枷に直撃し、ミュウの身体は無傷で事を終える。しかし抜けきっていた気はミュウを吹き飛ばし、初めて地を転がっていく。

 砂埃に塗れた擦過が止まると、ミュウは何が起きたのか理解出来ず呆然と座り込んでいた。



「ふっ、ふっ……!」

「なに、が……?」



 ミュウ・クリスタリアはこんらんしている!

 割座で手を股の間に付き、間抜けなほどに口を開いて息を切らすルカを見据えていた。



「何を、した? ルカ・ローハート……?」



 予期すらしていなかったルカの反撃に、戸惑いを覚えるミュウは思考が機能停止し直球で尋ねた。

 ルカは長い吐息を一度、魔力不足に維持出来なくなった長剣を消失させ、何事もなかったかのようにミュウを見据える。



「ふぅぅ……何もしてないけど? 逆に何したのか、俺が聞きたいんだが」

「な、な、な……!? 何もしていないわけがなかろう!? どういうことじゃ!?」



 立ち上がり、一も二もなくルカへ駆け寄るミュウ。

 殺意どころか敵意ゼロのミュウは、ルカの頭を両手でしっかりと固定する。



「お主視力が著しく悪いのじゃな!? 悪かった! そこまで配慮出来ておらなんだわ! ほれ見よ! 堪能せよ! 欲情しろおおおおおおっ!?」



 ミュウ・クリスタリアはわけもわからずじぶんをこうげきした!

 混乱と羞恥に混迷した様子で顔を美髪よりも紅潮させながら、ルカの頭を露出の激しい胸部、腹部、脚部へと近づけ、近距離で見せつける。

 終いには開けた胸部へルカの顔を埋めると言った痴態を晒す。



「う、うっ……あぅっ」



 殺意皆無の接近、ミュウの愚行に抵抗という選択が地底まで抜け落ちたルカはされるがままだった。



「どうじゃ? どうじゃっ!? 妾の体は気に入ったかの!? そそり立つかの!?」



 絶世の美女の肢体を強制的に与えられるという、同校男子生徒が目撃すれば血涙並みの、もはや被害者(ルカ)がにこやかに嬲り殺されるほどの羨望ぶりにルカは、



「いや?」



 心の刃で斬り捨てた。



「何でぇええええええええええええええええええええええええええええええ!?」



 俄かには信じがたいほどの心労を滲ませ、必死極まりないミュウに複雑な思いをルカは抱く。

 一向に進展のないルカの反応に、ミュウは遂にふらふらとよろめきながら後退した。

 そして、次はミュウが膝から崩れ落ちる番だった。



「はっ、はぁ、はぁあああああ!? ……な、何で君は! 魅了(エピカリス)にかからないんだ!? 君はあれか!? 思春期男子特有の『俺が妄想をしてるわけじゃない、彼女が妄想欲を刺激するのが悪いんだ』とか言ってしまう現実逃避責任転嫁型男児なのですか!? だから魅了(エピカリス)にかからないのも私が原因だって言うのね!? サイテー! サイテーだよ! 女の敵ぃ!!」

「何言ってるのか理解出来ないんだけど……」



 動揺に言葉遣いが乱れていることにすら気付かないミュウは首だけ回しルカへ叫ぶが、ルカにも何が起こったのかわからない。



「思春期男子が私に欲情しないなんてありえないんだからっ!? というか一世を風靡した私のこと知ってるでしょ!? 私に色情を抱いた事ない人なんてこの世にいるもんですかぁっ! そもそも魅了(こんなわざ)使わなくても男の子なら何もしなくても呑まれてもおかしくないんだからっ!? だから貴方も無理に我慢しなくても――」

「なんか……ごめん」

「うぎゃああああ! 謝られると私が惨めに見えるうううう!?」



 世界を虜にしたミュウの実績は確かなものだ。

 戦闘が繰り広げられる前からサキノがミュウに見惚れていたように、下界の人間は魅了(エピカリス)などなくても、ミュウの美に、色欲に酔うのも珍しくはない。寧ろ戦闘衣(バトルクロス)で絶世の美女が肌を惜しみなく曝け出し、男女関係なく無感情でいられる者がいるだろうか。



(うぐぅ……落ち着いて、落ち着きなさい、ミュウ・クリスタリア! ……ふぅ、彼女は自失してるから、不発はありえない……だとしたらどうして? この子は本当に私に魅力を一切感じていないってこと!?)



 魅了(エピカリス)はミュウ・クリスタリアに『美』及び『色欲』を抱いた者を『陶酔』状態へと陥れるが、ルカに効果がない可能性としては、魅了(エピカリス)が不発だったということ。しかしそれも、今も熱い眼差しで見つめるサキノの症状を見て取るにありえないとの帰結。

 魅了(エピカリス)は魔力を使用してミュウへの好意を後押しをしているにすぎないため、本当にルカが何の策も講じていないとすればどれだけ魅了を行ったところで意味はない。

 ぐぬあああ~、と頭を抱え苦悶するミュウを、ルカは棒立ちで見据える。



(くぅ……しかしそれよりも……こやつの意志の方が問題じゃ)



 ミュウは自身の魅了(エピカリス)がルカに効果が無いことも問題ではあったが、こうなる以前にミュウの中に残る蟠りがあった。

 ゆらりと立ち上がる動作すら雅やかに、ミュウは真剣な眼差しでルカと相対する。



「……お主は、何故こやつを見捨てないのじゃ……? 二人共々死んで満足か?」



 口調も回帰。空気を今一度張り詰め、問答が幕を開ける。



「死ぬつもりは一切ないな」

(この男の子は誰……?)



 ルカは端的に答えを返す。その背後では思考を奪われたサキノが、先程から眼前で言い合いをしている少年の存在に疑義の念を抱く。



「命が惜しくはないのか!? お主だけ身を引くのが最適解……普通じゃろう!」

「サキノを放り出してか? 自分の命可愛さに見捨てるのが普通なんだったら、俺は普通じゃなくていい。普通なんて求めない」

(どうして私を庇っているの? どうしてこの子が傷付いているの?)



 思い出せない思い出せない。

 忘れてはいけない存在だったことも、傷付けさせたくない相手だったことも忘れて。



「亜人の血が入った者のために命を張るのがおかしいと言っておるのじゃ! 亜人族が何をしたか知らんのか!?」

「過去の出来事の真偽がどうだろうが、種族の枠組みでサキノの器は測れないだろ。俺は俺が見てきたサキノ・アローゼが未来を正せると信じて手を差し出すだけだ」

(私の、ため……?)



 この少年は、自身のために傷だらけになっているというのだろうか。

 胸の高鳴りに亀裂が入る。

 本能が思い出せと疼いている。

 これ以上の愚者になるなと。



「血脈を隠秘しておったように本性も隠しておるかもしれぬぞ!? 人族でさえ下賤に媚び、騙し、裏切る! 妾はそんな輩をこれまでに嫌というほど見てきた! であるのに半亜人(マイナス)をどうして信じられる!? お主が……サキノ・アローゼを信じられる絶対的根拠はなんなのじゃ!?」

(この子にとって私は一体――)



 その威圧的なミュウの問いは。

 静かに、ただただ静かに返された。




「親友だから」




 それは全幅の【信頼】。

 嫌悪を知ってなお、母親の遺志、サキノの秘事を知った、ルカの【敬愛】の意思だった。

 ルカの嫌悪は、嫌うためにあるのではない。

 受け入れるためにあるのだ。


 

「る、か……」



 サキノの瞳から一筋の涙がこぼれ、視界が緩慢に色を帯び始める。世界は色を取り戻し精彩に満ちるが、サキノの眼前は雪解け水によって揺れる。

 胸の高鳴りは崩壊し、体の熱も落ち着きを取り戻していく。

 思考が機能を復旧させ、少年の名を呼んだ。



「愚かじゃ……愚か愚か愚かァ!? 何が親友!! 何が【信頼】!? そんなもの……そんなものはただの桎梏じゃ!! どれだけ繕ろうとてサキノ・アローゼも最後には全て失うのじゃ!!」

「サキノが失おうとも俺が拾う。俺が失えばサキノが、仲間が拾う。それがサキノの目指す世界だ」



 ミュウはまるでこれまで己がそうだったかのように憤怒を込めて叫ぶが、ルカは決して譲らない。

 種族の垣根を越えての助け合い。片方が欠ければ成立すらしない、人々が忘れ去ったであろう共存世界を取り戻すために、どれだけ否定されても少年は、少年だけは決してサキノを見限らない。



「サキノはこれまで自分を犠牲にしてきたからこそ、征く先が茨道だろうが針山だろうがそれが正しい道だと知ってる。社会的弱者の環境を変えようと奮闘してる!」



 サキノの双眸からとめどなく感情が溢れる。

 止まらない。溢れる思いが止まらない。

 抱え続けてきた後ろめたさが、抱えられていた魔物(ふあん)が霞んでいく。

 己を傷付けていた茨が、ゆっくりと解かれていく。



「そんなサキノを愚弄するのは――」



 サキノは涙がぼろぼろ流れる顔でルカの後ろ姿を見上げる。



「――俺が認めないッ!!」



 漆黒の瞳は翠色に染まり、爆発的な加速力でミュウへと肉薄した。




± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±




(悔しい……)



 こんなに惨めな私が。



(悔しいッ!)



 母の遺志を隠蓑に血を隠秘したことが。

 種族の細波を一番に恐れていた自分が。



(悔しいッッ!!)



 下界で常に側にいてくれたルカを信頼出来ていなかったことが。

 異世界を知って肩を並べて戦う意志を無下に突き放したことが。

 己の身勝手すぎる我意で、ルカを危険に晒してしまったことが。

 それなのに。



(嬉しい――)



 惨めで愚かな私を友と言ってくれたことが。

 何も見えない暗澹な後悔の暗闇を、たったの一言が照らしてくれている。

 僅かな一筋の光は一点を照らすだけにとどまらず、遥か彼方の深淵までをも照らす太陽のように、漆黒を温かく晴らしていく。


 友が戦っている。

 誰のためでもない、私のために。

 私が信じたものが正しかったことを証明するために。


 ごめんねルカ。


 それから、ありがとう。



 誰に嫌われたっていい。

 人類に憎まれたっていい。

 世界に排斥されたっていい。


 だから――。

 立ち上がれ。

 友を救うために。


 いや――。

 





 共に戦うために。




 涙が氾濫する美しい紫紺の瞳に悲壮の決意を震わせ、最大級の戦意を再燃させた。


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