021話 ミュウ・クリスタリア(2)
蹴り飛ばされ何度も擦過したルカは、慣性を無視したかのように止まらない勢いを殺すべく長剣を地面へ突き立てた。遠心力で独楽のように剣を中心にして二回転するとようやく落ち着きを見せたが、安堵している余裕はない。
「いって……くっ!」
ズキズキと熱を持つ脇腹に手を添えたルカは接近する殺気を察知する。
「休む暇など与えんぞ!」
翼で風を斬りながら超加速で驀進するミュウは、中距離から新たに生成した魔鞭をルカへ叩き下ろす。
体勢を整える時間さえ与えられず、ルカは反射的に長剣で防御の構えを取るも、サキノの被撃と粘着した己の剣を思い出す。
(まともに受ければ二の舞だろうな)
腕に防御の衝撃が走ると同時、ルカは剣を手放し、己の身を斜め前へと傾けた。
背後に叩きつけられる長剣と地面を打つ鞭の音を残しながら、ルカはミュウへと疾駆する。
「武器を手放したじゃと……?」
ミュウの顔に初めて僅かな曇りが映し出され、ミュウは前進する足を止めた。
(不可解な点は色々あるが……中距離より接近戦の方がまだ!)
サキノの猛攻に防戦が際立っていた事といい、攻転時に距離をとった事といい、鞭という武器を扱う以上、勝機を見出すならば白兵戦しか残されていないことを思案する。
己の創造の利点を考えても接近戦に持ち込みたいルカは危険を承知でミュウへと突っ込んでいく。
「甘いのう。鞭なら接近戦に弱いとでも思ったかの?」
そんなルカに微塵も動じない強大な敵に、弱点を放置しておくという余念などある訳もなく。
距離が開けているにも構わず、ミュウはルカの肉薄に合わせて左手を下から振り上げ始める。
「この距離じゃ当たら――」
先読みし過ぎたかのような早すぎるミュウの下方からの掌底に、ルカは好機と見て加速した。
しかし、ルカの直感がかまびすしい警鐘を上げる。
これまでの戦闘が一瞬にして頭に蘇り、脳が水面下で冷静にミュウの行動の分析を始めた。
戦い慣れした攻撃術に防御術。一度攻勢に回れば止まることを知らない脈々たる連鎖攻撃。一切無駄のない行動。そして、謎の多い武器と能力の性質。
ルカは総合的に客観視し、踏み出した右足に十全の力を込め、横手へと逃れざるをえなかった。
「くっ……!」
無理に体を捻り体を側転、一回転し体勢を整えたその真横――五本の裂線が地を抉り這った。
「そこから躱すのかの……お主身体能力だけは高いのう」
安易に直進を続けていれば六等分されていたことに瞬時呆れを抱くが、危険を冒した甲斐もあり彼我の距離三メートルにまで詰め寄ることに成功していた。
決定打千載一遇の好機。
先のミュウの謎の一撃と同様、ルカは能力を全て見せていないことが唯一の優位性であり、勝機になりうる可能性。接近戦に持ち込みたかったのもこの瞬間の為だ。
ルカの能力の真骨頂、武器の規模自在化。単なる長剣しか見ていないミュウにとって不意をつく一撃となるのは間違いない。そしてその長剣は先程手放したところをミュウに確実に目撃されており、今のルカは丸腰同然なのだ。そんな丸腰同然の敵が何を出来るだろうか。
そう、思うのが常人なのだろう。
ルカは後方で叩きつけられた長剣を消失、再創造を行いながら腕を振るう。
「はあああああああああああッッ!!」
四メートルの長剣。
この一撃に賭け、渾身の一刀を薙ぎ払った。
しかし。
「!?」
ルカの長剣は空を切った。
「やはりか……武器を手放した時から何やら怪しいとは踏んでおったが、お主も武器を自在に変えられるのじゃな」
予測が的を得たという分析の声明は、ルカの遥か後方から首を絞めるかのように響いてきた。
長剣を振り抜いた体勢で武器を消失させ、声の方を黒瞳で顧みる。
地を切り裂いた爪痕は奥の建物にまで線を引いており、ミュウは延長線上の壁に左手で張り付いている。たった一度の好機は、ミュウの『瞬間的移動』によって難なく回避に終わっていた。
敵は常人ではない、それだけの話だったのだ。
思い起こせばミュウも鞭を伸長させていたではないか。そのような能力を考慮していない筈がないだろう、と自虐を織り交ぜながら二刀短剣を創造する。
「まいったな……勝てるビジョンが浮かばない」
決定機を無にしたことよりも、常に機先を制されていることにルカの心が揺らいだ。
「他にもあるなら見せてみるがよい!」
壁面から着地したミュウは鞭撃を連続して見舞う。
ルカは手数で乱打する鞭を往なし、回避に全神経を集中した。往なしきれない鞭に切傷を浴びせられながらも、打開策のためミュウの能力分析を始める。
(槍の雨に始まり、接着性かつ殺傷性のある鞭、裂線に沿った瞬間移動。規則性はないように思えるが……ミュウ・クリスタリアの能力は恐らく『糸』)
地面を次々と血化粧していくルカの姿に、嗜虐心の笑みを拵えるミュウは攻撃の手を緩めることはない。
ルカの分析はまさにその通りだった。
ミュウ・クリスタリアの能力は『糸』による物質構成から始まり、多岐に渡る用途を使いこなしている。瞬間的に移動を行えたのも、先の裂線に使用した糸を収縮させたに過ぎなかったのだ。
一手一手が次の想定外の行動に備えられている賛辞をルカは素直に認めた。
容赦なく全身を擦過痛と衝撃の痛撃が苛み、ルカを斬り刻んでいく。
(何より厄介なのは、硬質性と接着性を兼ね備えていること)
魔鞭や魔力を込めた攻撃に使用されるのは硬質性のある糸。二人に裂傷を刻んでいたのはそのせいだ。
そして接着性。武器が形を失った瞬間、硬質性が粘着性に変化する。ルカが断ち斬った直後、ミュウが悪手だと言い放ったのは武器が使い物にならなくなるからだ。移動にも使用される粘着性の糸は攻略難度を跳ね上げていた。
まさに、他方で一人の少女が苦しめられているかのように。
「なーにも出てこぬか、益体ない。出し尽くしたのならばそろそろ終わりにするぞ」
ミュウは腕を振り上げ、再び初期の攻撃と同じく広範囲攻撃、糸槍の雨をルカの直上へと展開させる。
「これが厄介なんだっ!」
敵の能力が判然とした今では、前進も後退も迂闊に判断できず出足が鈍る。
「魔力消費が荒い感覚があるから正直使いたくないんだが……否応言っていられないっ!」
槍の雨がルカ目がけて再度降り注ぐ。
急迫する嵐の豪雨にルカは懸念を持ちながらも、右腕を真横に薙いだ。
次の瞬間、ルカの周囲には地から自身を覆う半球体、薄黒い『結界』が張り巡らされる。
轟音が球体の内部に反響し、槍が次々と結界に阻まれていく。
「くふふ……あるではないか。よいよい。じゃが、いつまで持つかのう?」
「はっ、は、ぐ……っ!?」
多大な魔力消費にルカは右手右膝を思わず地に落とす。
ルカが憂いていた結界の欠点とは、展開している間の耐久・修復に魔力を際限なく削っていく点だった。継続的に浪費されていく魔力は、ケルベロス戦に加え、武器の巨大化の過程を経由したルカの魔力残量の底を見せ始める。
糸槍が長引くと危険な状況にあると、止まない雨に苦鳴を漏らすルカは歯を食い縛り、埋め尽くされる槍の間隙から嗜虐的な紅色の瞳と視線の応酬を続けるのだった。
± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±
サキノは襲い来る巨大蠍を相手取る。
尾から射出される針を回避するが、針は地面に突き刺さると同時、溶けるように糸となり四散した。寸でで針を躱せば粘着化した糸に足を取られ、移動すら満足に出来ない状況を強いられる展開。
動きが鈍化したサキノへ容赦のない大薙ぎの鋏が繰り出され、純白の刀で受け止める。
悪手。全体が粘着性のある糸で構築されている傀儡蠍の攻撃は受け止めてはならない。巨大な鋏に接着した白刀は一切の活動を停止する。鋏の振り上げに伴い、刀とサキノの体は宙を舞った。
「きゃああああっ!?」
蠍は鋏に付着した異物が煩わしいとばかりに、サキノを地面へ叩きつける。
「がっ、ぐぅううっ!?」
地面への衝撃を全身で被り、サキノは思わず刀を手放した。追撃の鉄槌を横に転がり躱し、体勢を整えるため距離を取る。
「はっ、はっ……相性が、悪すぎるっ!」
白兵戦を主体とするサキノにとって攻撃手段を制限されるというのは痛手にしかならない。初手サキノは、蠍の八本ある足の一本を切断したが、同じように刀が絡め取られ身動きが取れなくなった。蠍が暴れ狂い擦過することで粘着が弱まったのか離脱に成功したが、そのような危険な賭けを何度も出来る訳がない。
移動、連撃を起点にする紫電重閃も周囲に糸が散見している現在、機動力を封じられていては斬撃を宙に刻むことも容易ではない。
一撃必殺を狙うも、外した時が己の身動きが取れる最後の瞬間だと悟り決断に踏み切れない。そもそも幻獣とは違い糸で構成されているため、生命があるものかすら判然としない。迂闊に懐に踏み込むのは自殺行為に等しかった。
「近接も駄目、中距離は使えない。足場もどんどん埋め尽くされて……どうしたらっ……」
歯が立たない。
酸素を欲する肺が悲鳴を上げ、肺の悲鳴が全身のダメージを呵責する。
三頭狼に続く連戦はサキノへ負担をかけ過ぎていた。下界に帰還することで傷は治癒され疼痛は和らぐものの、消費した魔力自体は戻らない。ケルベロスに紫電重閃を限界まで張り巡らせた代償がここにきて足を沼に引きずり込み始めていた。
この間も針が飛来し、鋏が振り下ろされる。刀を失ったサキノが今出来ることは回避に専念し、撃破の策を企てることだけだった。
(策がないわけじゃない。でもっ……もし、もし能力が露見したら私はっ……)
一つだけサキノには現状を打破する方法はある。しかし、踏み切れない。
能力の欠点だとか、反動だとか、そういった類のものではない。
単なる私情。個人的な懊悩。
そんな思考に足踏みをするサキノの背後で大量の槍が再降下する音が響き渡る。
「ルカ……っ」
少年が相手取っているのは蠍と比較にならないほどの自我を持つ強敵。蠍を手早く撃破して援護に回りたいのはサキノも重々承知の上だった。
「うぅぅぅ……っ!」
頭が痛む。能力を使えば危険がある。
知られたくない、でも急がなければ。と、頭で葛藤が拳を打ち合う。
「でもっ……」
この混戦した状況なら、と軽率な考えが頭を過った。
ガサガサと接近してくる蠍から一度視線を外し、轟音鳴る中を一瞥する。遠方の半球体内部で耐え忍ぶルカの姿を確認すると、サキノは左腰の鞘を引き千切った。
「迷ってる余裕なんてないでしょう私! 速攻で終わらせるッ! 白纏ッ」
何度目ともしれない右鋏の鉄槌を掻い潜り、腕の付け根を『鞘』で断斬する。
粘着――していない。鞘には白光が纏われ、炎のような揺らめきを魅せる。
切断した右鋏が錐揉みをして後方に落下、直後針と同じように糸が四散する。その規模はまるで何年もかけて作られたかのような広域の蜘蛛の巣。
サキノは全身に白光を伝播させると、蜘蛛の巣の中に踏み入った。粘着も、鈍化もせずに足趾だけを残し、存在感を顕示する白刀をぞんざいに掴み取った。
怒り狂い連射される尾からの針を回避、時には撃ち落とし、周囲一帯は白の荒野と化しつつある。
動きに精彩が戻ったサキノは鞘を投げ捨て、刀を力強く握り締めた。
心なしか速度が上昇したサキノは、瞬間的に蠍の懐へと侵入し、次々と体躯を寸断していく。
「はああああああああああああああああああああッッッッ!!」
足を、尾を、胴体を、左鋏を、そして顔面を。
絶叫さえも上がらない無言の蠍は寸断に寸断を重ね、生命活動の代償として莫大な糸を周囲に撒き散らした。
「はぁっっ、はっっ、はぁ……っ!!」
ミュウによる初撃の槍の雨も相まって、上下前後左右これでもかと張り巡らされた繭のような白糸地帯で蠍を仕留めたサキノは、荒れた鼓動を迅速に元に戻そうと、白光を宿したまま呼気を吐き出す。
(早く、早く! ッ早く!!)
一人の少女に感づかれているとも知らずに。
× × × × × × × × × × × × ×
ミュウの紅色の瞳が豪雨を凌ぐルカの事を見据えていた。
ルカの能力は不明のままだったが、新しい展開がミュウの心を躍らせていたのは間違いない。まるで宝箱から次々と新しい玩具が出てくるかのように。
そんな余裕綽々のミュウは微細な魔力の変化を察知し、ルカの後方、真っ白に染められた地帯を見通した。
己の傀儡蠍が撃破されたことに少しの驚愕と、その実態を面白がるように口端を妖艶に吊り上げた。
「……くふふふ、なるほどの。これは看過出来んのう」
ミュウは独白を口にし、眼前で拳を握り締める。周囲に突き立てられた槍が上部で捻転。結界を、ルカを閉じ込めるような檻を形成した。まるで鳥籠のように逃げることも突破することも適わない厳重な収容所。
「お主は後でじっくりと遊んでやる。よいか? ここで大人しくしておるのじゃぞ」
ルカにそう談ずるとミュウは鳥籠を飛び越え、颯爽と駆けていった。
「はっ……は……どこへ……? まさかっ!?」
継続降射しているだけで圧倒的優位の糸槍を中断してまで、ミュウがどこに向かったのかを瞬時に悟る。降り止んだ槍に結界を解除、長剣を創造し黒檻へと叩き込むが硬質の糸は衝撃だけを残し、道を切り開いてくれない。
檻の隙間から見えるルカの視線の先では、靄のように霞む中で紅髪の少女が白光する白髪の少女を追い回していた。しかし、白髪の少女が開けた場所に出ると同時に白光が消失、動きにキレがなくなり今にも決定打を直撃しそうなほどに危険な様子が見られる。
危うげな攻防戦に業を煮やしたミュウが両手を左右へ引き絞ると、白髪の少女の体がまるで『拘束』されたかのように両腕を上に掲げた。
「それはまずいだろうよ!」
隙と言うにはあまりにも無抵抗のサキノの状況にルカは声を荒げる。
考えている余裕はない。魔力の消費を気にしている余裕はない。
ルカは長剣を消失させ、その手に漆黒の長銃を創造した。




