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021話 ミュウ・クリスタリア(1)

 秘境(ゼロ)。それは災害、又は天災であり、発生することが宿命であるかのように、防ぎようのない自然空間であることは異世界事情を知る者の中で共通認識だ。発生頻度は定期でもなければ条件も存在せず、連日出現することもあれば、数月到来しないこともある。気が張りつめている時に訪れれば、忘れた頃にやってくる、そんな天の、風の吹くまま気の向くままだ。

 そして何より、『人為的』に展開できる空間でないことは言を俟たない筈であった。


 トンッ、という軽やかな着地音と共に二人の意識はショッピングモールの開閉門上部へと会する。

 蒼の世界、宙を泳ぐ脚を艶やかに組み、高所から二人を見下ろす人物の姿。人目を嫌うかのように顔を隠していたフードが取り払われ、露わとなったのは整い過ぎた美貌。小さな麗顔が細い首の上に乗り、紅蓮の炎のように煌めきを放つ紅い髪が曝け出されている。



「ミュウ・クリスタリア!?」



 美白という言葉がこの人物から生誕したかのようにきめ細かな白い肌。切れ長な瞳は一瞬にして生ある者を惹き込むほどに奥深く、鋭角的な顔立ちは性別問わず魅入ってしまうほどに凛々しさと、綺麗さを兼ね備えている。

 着衣から伸びた二本の脚は、しなやかで長く魅惑的な肉付き。摂理が覆るかのように、漂う色香が不純物を自ずと敬遠させる。

 絶世の美女という言葉がよく似合う、美しすぎる容姿を持つ人物の正体にサキノは瞬時に認知、驚愕を拒めない。


 同時にルカも、記憶に新しい赤髪の少女の正体を認める。ショッピングモール広告塔の電光映像に映し出されていた、かの少女。ラヴィが真似て演技を行った見本の少女。



(この感覚――北東展望台の時と同じだ)



 そして、立ち入り禁止区域から向けられていた強い嫌悪感を孕む視線と同等のものだと。



「ほう、妾のことを知っておるのか」



 ミュウ・クリスタリアと呼ばれた少女は、妖艶な笑みを滲ませて小さく驚きを示した。



「当然よ……芸能界の有名人を知らない方が珍しいでしょう……」

「おぉ、懐かしいのう。そういえばそんなこともあったの」



 ラヴィがルカと対話していた通り、ミュウ・クリスタリアはメディア露出により一時爆発的に支持された芸能界の超新星だ。女性は羨望し、男性は好色の目を向ける容貌もさることながら、彼女の個性が人々の懸隔を大いに刺激したからであると専門家は語る。

 そんな彼女が人気も、地位も捨て、突如として姿を消した。一部愛好家の中で様々な推測がなされていた――持病療養や恋人説が濃厚だと噂が立っていた――が、故にサキノは、下界での行方も知れなかった彼女がどうしてここにいるのか、どうして秘境(ゼロ)と関与しているのかが不可解で仕方がない。



「芸能界がそんなこと……?」

「妾にとって芸能界など未練にも値せんかっただけの話じゃ。世の醜さを改めて見せつけられただけじゃったよ」



 ミュウにとっては、人気も地位も些事に過ぎないと。

 自分とは違う世界の住人だと、メディアを通して眺めていた笑顔の少女とは別人のような発言に、サキノは憮然と拳を握り締める。



「貴方が芸能界から姿を消してどれだけの人が……いや、今はそんなことより――」



 ミュウが行方をくらませて誘発した世界的『第一次みーちゃんロス』で実害を被ったのはサキノの親友のラヴィだった。大ファンのラヴィが引退報道を耳にしてから数日間、ラヴィは悪魔に魂を抜き取られたかのように消沈し、勉学にも遊戯にも、ましてや男子生徒の告白にも心ここに在らずだったという。その空空寂寂たるラヴィへ形はどうあれ、好機と判断した愚者達が次々と勇者へと昇格――ラヴィの自失呆然の生返事に、告白承諾と受け取った誤解者の大量生産――するという、荒唐無稽な珍事件が学園にて巻き起こった。勿論、その事件を見かねたサキノが事態を収拾させ、告白自体も交際者大量生産事件も闇の中へと葬られた。因みにラヴィはこの事件を憶えていない。


 そんな友人の不遇をミュウに責任転嫁するのは見当外れだとわかってはいても、咎められずにはいられなかったサキノだが、現状重要なことは別にある。



「――どうして貴方が秘境(ゼロ)に?」



 不可解の核心を直球で尋ねたサキノへ、ミュウは宝石のように耀く紅髪を耳にかける仕草を取り、後に口を開いた。



「ふむ、近頃どうやら秘境(ゼロ)に現れた幻獣を迅速に討伐する輩がおるという噂を少しの。妾が直々に見に来てやったのじゃよ」



 嗜虐的に双眸を細め、脚を組み替える。

 所作の一つ一つが婀娜を帯びており、サキノは思わず見惚れている己がいることに頭を振った。



「それのどこが不満なんだ?」



 サキノの隣へ一歩前に進み出たルカは、単純な疑問をミュウへ投げた。話の筋が妙に食い違っていることから怪訝な目つきを視線に乗せる。



「野放しには出来んじゃろうよ」

「どういう意味?」



 ミュウの心髄が汲み取れない。

 サキノは開閉門の上で緩慢に立ち上がるミュウへ疑義を示したが、



「こうすれば少しは理解が及ぶかの?」



 その言葉を皮切りに、漆黒と紅蓮の発光粒子がミュウを包み込むようにとぐろを巻いていく。粒子は脚を、胴体を、腕を、頭頂部を呑み込み、次第に体に張り付き始める。

 戦闘経験の浅いルカにも、ミュウに取り巻く粒子が視認出来るほどの高密度な魔力だということが肌を刺す感覚から理解出来た。



「ちょ……じ、冗談でしょう……?」



 サキノの口から意図せず言葉が垂れる。その相貌には汗を湛え、無意識に柄へと手を添えているほどに、サキノに余裕はなかった。

 控えめに言って、桁違い。魔力の質が。量が。濃度が。

 発光粒子は戦闘衣(バトルクロス)となってミュウの身体を覆い形成していく。


 大腿部まで伸びた長脚布(ニーハイソックス)は炎のような切り口を刻み、そこから伸びる白皙の大腿部の直視を焦らすかの如く黒布が内腿を隠す。鼠径部や腹部が惜しみなく曝け出され、くびれた腰、開けた胸元に形の整った胸部は同性でも直視し難いほどの蠱惑的なプロポーション。

 二の腕まで覆われた腕布(ミトン)、手首足首には左右で分離した手枷足枷。襟に隠れて判然としないが、戒めの象徴のような強固な首輪からは一本の鎖が胸部に向かって垂れている。

 特筆すべきは背後に携えた悪魔のような二対四枚の大翼。


 美貌に加え、見た者の『色欲』を強制的に駆り立てるかのような露出の激しい様相。

 通常時の色香を何倍にも引き上げ、惜しみなく、限りなく曝け出している。

 その姿を形容するのであれば、『サキュバス』というのが正解だろう。

 美に愛され、神に祝福された一人の少女、ミュウ・クリスタリア。



「どうやら……歓迎ムードじゃなさそうだな?」

「察しが良くて助かるのう」



 少女が示す明確な敵意に対して、ルカは無言で長剣を創造した。

 ミュウの魔力によって空間が鈍重に張り詰め、飾り気のない空中がミシミシと軋む。

 殺気、妖気、悪気、邪気、狂気、血気、嫌気。

 悍ましいほどの様々な気が混濁した魔力は、人類に対して、世界に対しての失望と悲観を含んでいた。

 魔力から伝わる畏怖にサキノはじっとりと手に汗が滲むのを感じ、同時に目の前の人物が己の知る世界的有名な人物と同一人物なのか疑わしささえ覚える。



「貴方は本当にみーちゃん、いや、ミュウ・クリスタリアなの……? 貴方は一体何者!?」

「妾は正真正銘ミュウ・クリスタリアじゃぞ? 何を期待しておるのかは知らんが、人格が乗っ取られておるだとか噴飯ものの戯言を言うとでも思うたか? 明確な妾の意思じゃよ」



 否定をほんの僅かに期待したサキノの問いを粉砕する返答に加え、架空物語(フィクション)であるような体の乗っ取りなどもありえないと少女はにべもなく冷淡さを秘めて告げる。確かなミュウの意思、決意によってこの立場は成り立っていると。



「強いて言うのであれば『欲と世界の理に殺された者』かの?」

「何を意味のわからないことを……っ!」



 理解の範疇に及ばないミュウの言葉に、サキノは返答に窮す。



「よいよい、理解などしようとしても益体ないわ。サキノ・アローゼ、ルカ・ローハートは今日ここで死ぬのじゃから、のぉッ!」



 ミュウは上空へと手を掲げ、膨大な魔力が二人に向けて攻撃を開始した。



 ミュウが手を振り翳すと、ただでさえひりついていた魔力が膨れ上がり、ミュウの足場の開閉門は津波に呑み込まれたかのように崩壊の一途を辿る。

 二人の視線がミュウの動作に吊られ上空に向けられると、そこには太陽光を反照させた無数の鋭利な物体が地上目がけて降下してきていた。

 ギラリと光る針、又は槍のような長物は豪雨のように降りそそぎ、万雷の刺突音が周囲を蹂躙していく。



「くっ!?」



 ルカは糸の切れた傀儡人形(マリオネット)のように、無様に回避に徹する。しかし、数の暴力はルカの腕に脚に、浅い擦過傷を生んでいく。

 そんな中、やはり経験の差は行動の差となって表れていた。耳を劈く轟音の隙間を縫い回避、広い攻撃範囲の外へと勇み出たサキノは不敵な笑みを浮かべるミュウへと一直線に突貫する。

 ほう? と僅かに驚きを見せるミュウへ、サキノの純白の刃がかざされた。



「どうして敵対するの!? 幻獣を放置して世界が統合すれば、下界の人達がどうなるかわかるでしょう!?」

 


 連続して振られる剣戟をミュウは手に持つ『鞭』で受け止めていく。



「それが妾の願望(のぞみ)じゃからの。こんな世界滅びればよい」

「何を言っているの!!」



 ミュウの発言は皆目冗談を含まず、声の抑揚が本音であると訴えている。

 依頼をこなすサキノは、世界を憎む者を確かに知っている。しかし、恨みに進展する者はいなかった。世界に怨恨を抱こうとも、一人の力では何も変えることは出来ないという帰結によって、人は皆、怨嗟を己に向けるのだ。

 自分が変われば、何かが変わるかもしれない。

 自分の考えが変われば、見える世界が変わるかもしれない、と。

 サキノはそういう人達の姿を見てきた。苦悩を聞いてきた。

 だからこそ、ミュウの包み隠さない真っ当な願望に奇異を感じている。



「人は誰しもが苦しみながら生きている! 一人の都合で世界が滅んでいいわけがない!」



 サキノは直情的に声を荒げるが、全てを見透かしたかのようなミュウの紅蓮の瞳は、ただただ凛冽な静けさを放っていた。



「優等生の発言じゃの、実に興なしじゃ。地獄の苦悩を知らんからこそ出る言葉じゃな」

「っ!」



 反論も否認も許されないほどの重圧にサキノの心臓が跳ね上がる。ミュウの言葉に確かなる重みを感じずにはいられなかった。



「それはそうと、お主。対人戦は初めてか? 浮足立ち、刃に覇気がこもっておらんぞ?」

「くっ……!?」



 迫りくる白刀を尽く往なしているミュウはサキノの剣筋を見切っていた。

 ミュウの読みは的を得ている。サキノは魔界の騎士団員と組手や模擬戦等は実施してはいるものの、死闘前提の対人戦を行ったことはない。いくら保身のためとはいえ、人を斬るという行為に躊躇が出てしまってはサキノの攻撃が直線的になるのも当然だった。

 苦渋を漏らし刀撃を速めるサキノの視界を黒色の影が横切っていく。



「ッッふ!!」



 全身に創痍を被りながら槍の雨を切り抜けたルカは、紫紺の瞳を引き連れ長剣を袈裟に振り上げる。渾身の力で振るった長剣は、しかし、背後から生えている漆黒の翼に防がれた。



「ほう? お主は一切躊躇(まよい)なしかの。中々肝が据わっておるではないか」

「手加減出来る相手じゃないだろ。やらなきゃ殺られるんだ」

「己の立場をよく理解しておるの。こやつを見習うべきじゃぞサキノ・アローゼ?」

「余計なお世話、よッ!!」



 白と黒二本の円弧が多方から間断なく飛び交うが、ミュウは軽快な足捌きで回避、鞭と翼で防御を繰り返す。数的不利の状況に一切の焦燥も見せず、笑みを崩さない。



「くふふふふ!! よいのよいの! 昂らせてくれる!」



 喜色を交えて楽しんでさえいるミュウとは対照的にサキノが焦燥に駆られ始めていた。

 二人の攻撃が、届かない。

 防御に回していた巨翼でルカの剣舞を受け止めたミュウは片翼を大きく羽ばたかせる。凄烈な対衝撃と風圧に押しやられたルカは、後方へと弾き飛ばされた。その風圧を己にも利用したミュウは、同時に正面のサキノからも距離を取る。



「受けに徹するほど妾は退屈が好きでない。そろそろ攻守交替じゃ」



 ミュウが背後へ飛び退きながら、上段から()()した鞭をサキノへと振り下ろす。

 退避と反撃を併せて遂行するミュウの奇襲に、攻勢に出ていたサキノは一瞬の判断に後れを生じさせた。回避も間に合わず、咄嗟に純白の刀で防御に踏み切る――が。



「ぐぅっ!?」



 ギィンと鈍い音が響き、窮しながらも受け止めた筈のサキノの左肩に痛覚の電流が駆け抜ける。

 その正体はミュウの繰り出した鞭撃。伸長した鞭は特性によってしなり、サキノの刀身を超過して肩を()()()()()



「なん、で……鞭がっ!?」



 己の猛攻を防がれていた時にも感じていた疑念がサキノの頭を過る。鞭は変幻自在という特性はあれど、刃物には及ばない筈である。刃を食い止め、更には創痍を刻む、鞭の本来の機能を灼然と超越した能力にサキノは戸惑いを覚えた。



「まだ終わらんぞ」



 ミュウが鞭を引くと、鞭はサキノの鮮血を飛散させながら純白の刀を巻き上げた。

 防御の型をとっていた白刀は自由を失い、ぐんっと、ミュウに引き寄せられる。



「ぅわっ!?」



 宙に浮くサキノの身体は刀と同様に自由を手放し、隙という隙を晒してしまう。

 己でも自覚できてしまうほどの隙は、サキノに最悪の結末を想起させ、ミュウの嗜虐的な笑みは濃さを増す。



「させる訳ないだろッ!」



 しかし、間に割って入ったルカが鞭を断斬。サキノの身体と白刀は事なきを得る。



「ルカ!」

「妾の魔鞭(リリン・ウィップ)を断ち斬るとはやるのう! じゃが、その選択は悪手じゃな」



 サキノがルカの援護に声を上げるのも束の間、ミュウは引ききった鞭の根元を左腕で更に引き寄せる。



「ぅく……っ!?」



 次はルカが曳かれる番だった。

 ミュウが悪手だと罵った通り、断ち斬った筈の鞭はルカの黒剣に癒着していたのだ。

 サキノと立場が入れ替わっただけの何も好転していない状況に、ルカはミュウの手元まで引き寄せられる。



「身を挺すとは愚かじゃぞ。はッ!」



 鞭を巻き上げ、妖艶な脚部から渾身の回し蹴りが放たれる。



「がぁっっ!!」



 脇腹にギシリと軋む音を響かせながらルカはミュウの右方へ吹き飛ばされた。



「ルカ――ッ!?」

「他者の心配をしておる暇はないぞ? お主の相手はこやつじゃ」



 憂慮に駆け寄ろうとするサキノの眼前では、決して無視できないほどの膨大な魔力を発散させているミュウがいた。切断された鞭は、鞭とは言い難い硬度を持ち、鍔のない刀剣のような様相を象る。

 ミュウが鞭剣に魔力を注入し地に突き刺すと、ミュウの前面に紅蓮色の幾何学模様が展開を始めた。赤黒い妖気が渦を巻き、繊維が編み込まれていくように次第に巨大な生物が形成されていく。

 巨大な二本の(はさみ)を高々と持ち上げ、鋭利な針尾を自身の上部でうねらせる、四対の足を持つ鋏角類。



傀儡蠍(スコルピオネット)!」



 体高五メートル、全長十メートルの赤黒い甲殻の(サソリ)は、静かに獲物を捕捉する。



「簡単には通してくれそうにないって訳ね……」



 並みならぬ威圧感に、刀に巻き付いていた鞭を振り落としサキノは身構える。

 ミュウは無言で体躯を回し、ショッピングモール裏手へ吹き飛ばしたルカの元へと向かった。


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