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双頭の獅子

 クラウディオが先導となって山を登り始めてから、一時間が経過した。道は一層険しさを増し、見渡す限りの無機質な岩肌ばかりが続いている。何より強力な魔物の根城に自ら入り込んでいるという事実が、彼らの緊張感をより高めていた。


「この辺りが大体中腹といったところか。それなりに登ったな」


 クラウディオは歩きながら、ふと地上の景色に目をやる。それにつられるようにして、ケントたちも眼下に広がる光景を見下ろしていた。


「まさか、ここに来るまでに一度も魔物と出くわさないとはな。グリフォンの一匹くらいは襲ってくるかと思っていたのだが」

「確かに。戦わずに済むならそれが一番だって言いたいけど、こうも静かだと逆に気味が悪いな」


 グリフォンのような空を飛べる魔物ならば、空中からケントたちを見つけることは難しい話ではない。にも関わらず一匹たりとも襲撃してくる気配がないというのは、平和の証拠などではなく嵐の前兆としか、ケントには感じられなかった。


「むっ。皆、こっちだ」


 その時、クラウディオが何かを見つけたようで、すぐに近くの岩陰に隠れる。それを見たケントたちも素早くクラウディオの後を追い、同じように身を隠した。


「どうした? クラウディオさん」

「あれを見てくれ」


 そう言って、クラウディオは岩陰から指を差す。そこにあったのは、魔物の死骸だった。


「あれは……まさか、グリフォンの死骸か?」


 ケントは岩陰から顔を覗かせて、死骸を観察する。損傷は激しいものの、身体の大きさや骨格から死骸の正体はグリフォンのものであることが見て取れた。


「こんな場所でグリフォンが死んでるってことは、考えられる可能性は二つよね」

「そうだな。一つは同族での縄張り争い。そしてもう一つは……」


 そこから先は最早言うまでもないとばかりに、ケントは口を閉ざす。当初の予想通り、グリフォンを倒せる程の魔物がいる危険性がある。ケントたちの間には、目に見えて緊張が走っていた。


「死骸から何らかの情報を探りたいが、あれをやった魔物がまだ近くにいるかもしれん。さて、どうしたものか……」


 死骸を調べようにも迂闊には動けず、どうするべきかとクラウディオは口元に指を当てて思案する。だが次の瞬間、そのような思案は無意味なものとなった。


「グオオオオオオッ!」


 突如として、どこからともなく大気を震わせるかのような咆哮が木霊した。ケントたちは驚いて辺りを見回す。


「……っ! 何だ!?」

「皆さん、あそこです!」


 彼らの中で最も気配に敏感なソニアが、いち早く咆哮の聞こえた方角を察知し、そこを指差す。ケントたちがいる場所から少し離れた位置にある切り立った岩場の上、咆哮の主である魔物はそこにいた。魔物はその岩場から飛び降りると、ケントたちを睨み据えてゆっくりと歩いてくる。


「何だあいつ。頭が二つの……獅子か?」

「見たことのない魔物だ。あれが、この山に起こった異変の元凶か?」


 見た目は例えるならば獅子だが、獅子としてはあまりにも歪だった。というのも、その魔物は胴体が一つにも関わらず頭が二つあり、片方の頭からは赤色の、もう片方の頭からは青色のたてがみを生やしていたのだ。

 まるで生命の禁忌を犯したかのようなおぞましい見た目、そして何よりもその禍々しさすら感じる存在感に、その場にいる誰もが全身の神経が逆立つかのような感覚を覚えていた。


「グオオオオオオッ!」


 魔物が吼えると、周囲からいくつもの火と水の弾が生成され、ケントたち目掛けて飛んでいく。それはまさに、戦闘開始の合図だった。


「魔術か!?」

「全員、回避行動を取るんだ!」


 クラウディオの指示と同時に、全員がその場から散開し、迫り来る魔術を回避する。水と火の弾はそれぞれ地面に着弾すると爆発する。一見普通の攻撃に思えたが、削り取られた地面がその威力を物語っていた。


「皆、無事か!?」

「ああ。大丈夫だ!」


 この間に魔物はケントたちと距離を詰める。対するケントたちも、魔物に応戦すべく武器を構えた。


「それよりも今、あの二つの頭から同時に魔術が飛んでこなかったか?」

「ああ。どうやらあの魔物は火と水、二つの属性を持っているようだな」


 クラウディオはそのような分析をしたが、そこでマヤが疑問を呈する。


「だけど、一度に唱えられる魔術は一つのはずだよ。なのに、二つの魔術を同時に使えるなんて……」

「憶測の域を出ないが、二つの頭がそれぞれ独立した存在なのかもしれん。何にせよ、目の前で起きていることが真実だ」


 一度に唱えることの出来る魔術は一つだけであり、それは天賦の才を持つマヤとて例外ではない。しかし、仮に魔術の主体が肉体ではなく、そこに宿る意思なのだとしたら、目の前の魔物がしたことに説明はつく。

 とはいえ、今の状況で大切なのはそういった根拠よりも、二つの魔術を同時に使えるという事実の方である。そうこうしているうちに、魔物は次の攻撃の態勢にはいっていた。


「また来るぞ!」

「ここは私が!」


 目には目をとばかりに、マヤは杖を構えて魔術を詠唱する。


「≪浄滅する荒波(タイダルウェーブ)≫!」


 直後、見上げる程の大波がケントたちを守るかのように巻き起こり、水の壁となって敵の魔術を受け止める。大抵の魔術ならば一息で飲み込みかき消すであろう水の上級魔術。しかし、消せたのは相性の良い火の弾だけだった。


「嘘っ、防ぎ切れない!?」


 水弾のほとんどは一度は水の壁に阻まれるも、その威力を相殺されることなく突き抜け、なおもケントたちに向かって飛来していく。


「任せて、マヤ!」


 とはいえ、威力が全く落ちていないわけではないようで、エルナが『風裂の連矢』で全ての水弾を打ち落とした。


「あ、ありがとう。エルナお姉ちゃん!」


 マヤは安心した様子でエルナに礼を言う。しかし余程焦燥しているのか、その表情に普段の爛漫さはなく、真剣そのものといった面持ちをしていた。


「詠唱してないとはいえ、上級魔術で押し負けるなんて。あの魔物、凄く強い……」

「このままではどうあがいても防戦一方だ。まずは片方の頭を落として、奴の手数を減らさなければ」


 属性の異なる魔術の連続攻撃を止めるのは困難であり、このままではいずれ押し負けるのは目に見えている。そうなる前に何としてでも、どちらかの頭を潰さなければ勝機はない。それが、クラウディオの大まかな考えであった。


「問題は、どうやって接近するかよね」

「この場合、数を生かして陽動がいいんじゃないか? 離れた距離から攻撃出来る俺、エルナ、ニュクス、マヤで引き付けて、その隙にリューテ、ソニア、クラウディオさんであの魔物に接近するっていうのはどうだ?」


 そこでケントは、一つの提案をする。無策のまま真正面から近付くのは危険過ぎるため、引き付ける役と攻撃する役で分けるのが良いと、彼は判断した。


「陽動には賛成だが、近付くのは私一人の方がいい。まだ奴の手の内が全て分かったわけではないからな」

「分かった。それなら、くれぐれも気を付けてくれ」


 集団では突撃や撤退といった指示を出す際にどうしても間が生じてしまい、その隙を突かれないとも限らない。クラウディオとしてはまだまだ敵に関する情報を引き出したかったため、いざという場合を想定して機動力を優先する形となった。


「よし、そうと決まれば早速!」


 ケントたちはすぐさま、魔物に向かって一斉に攻撃する。魔物が魔術で反撃したのを見て、クラウディオも動き出した。


「まずは一撃」


 クラウディオは素早く魔物の懐に入り込むと、槍を腰に構えて突き出そうとする。


「グルアッ!」


 魔物は即座に反応し、後ろに跳んで回避する。そして、着地と同時にクラウディオ目掛けて三発の火球を放った。


「この程度!」


 クラウディオは槍の先端に水の魔力を集中させると、目にも止まらぬ速さで刺突を繰り出し、迫り来る三つの火球を全て打ち消す。しかしそれはただの牽制に過ぎず、次の瞬間には魔物はクラウディオの元まで距離を詰め、鋭い爪を振りかざしていた。


「くっ……!」


 間一髪のところで避けたものの、ここから反撃に転じるのは不可能と判断したようで、クラウディオはそのまま後退していく。


「どうやら、中々の知性を持っているようだな。明らかに陽動だと分かっていた動きだ」

「そうなると、あれくらいの攻撃じゃ隙を作れないか……」

「なら、私に任せて!」


 マヤは杖を高く掲げると、強力な攻撃をするべく詠唱を始める。


「泰然たる揺籃(ようらん)の守り手よ。天蓋を穿つ無情の崩落。滅びを抱く慈愛の両腕。招来・砕撃・烈震・朽ちゆく哀鳴。遍く満つる破壊の力を、我が前に示せ」


 そして、自身が最も得意とする魔術の名を唱えた。


「≪天裂く流星(メテオスウォーム)≫!」


 すると、空に描かれた魔法陣から、いくつもの巨大な岩が魔物目掛けて降り注ぐ。


「マヤが得意な地属性の上級魔術、それも詠唱付きだ。これなら……」

「グルアアアアア!」


 しかし、魔物は臆することなく魔術を展開した。咆哮と共に火と水の壁が地面から噴き出し、マヤの放った岩石を次々と相殺していく。いくつかは相殺しきれなかったものの、魔物は迫り来る岩石の上に跳び移るようにして造作もなくこれを躱していった。


「そんな……っ!」

「嘘だろ、当たってないのか!?」


 Cランク以下の魔物であれば一網打尽に出来る程の破壊力がある攻撃。それを難なく切り抜けたことに、ケントたちは驚きを隠せずにいた。


「ですが、流石にマヤさんの魔術に対処するので手一杯のようですね。あれなら、クラウディオさんの攻撃が決まるはず……」


 とはいえ、最初の陽動と比べて敵を大きく引き付けることには成功している。クラウディオは敵がマヤの魔術に気を取られている隙に、改めて接近する。そして、岩石の上を跳び移っていた魔物が地面に着地した瞬間を狙って、槍を振り下ろした。


「貰った!」


 しかし、その言葉とは真逆に、槍が魔物の身体に届くことはなかった。


「何っ、水で……!」


 突如として魔物とクラウディオの間に水の塊が発生し、槍の先端が水の中に飲まれていく。水の質量自体は大したものでなく、槍を振り抜く速度がわずかに遅くなっただけである。しかし、そのわずかな時間で敵はクラウディオの攻撃範囲から逃れ、槍は虚しく空を切る。その無防備な瞬間を狙って、魔物はクラウディオに突進した。


「ぐあっ……!」


 即座に槍を構え直して攻撃を受け流す体勢を取るもその威力を殺しきることは出来ず、クラウディオは大きく吹き飛ばされてしまった。


「くっ……」


 地面に背中を打ち付けた痛みに顔を歪ませながら、クラウディオはよろよろと立ち上がる。


「大丈夫か、クラウディオさん!」

「問題ない。少々攻撃を受け流し損ねただけだ」


 どうやら防御が遅れたものの、致命傷になるような一撃を食らうことだけは辛うじて避けており、戦闘の継続に支障はないようだった。


「少しずつだが、敵の強さが掴めてきたな」


 状況は決して良くないものの、ここまでのやり取りの中でクラウディオは敵の大まかな能力を計り終えていた。


「結論だが、あの魔物は間違いなくAランクと見ていい。上級相当の魔術に加えて、動きもグリフォン以上に機敏だ」

「やっぱりそうか……」


 マヤの魔術をも打ち破る威力の魔術にクラウディオの攻撃を回避する程の俊敏さ。加えて敵の攻撃に最低限の力で対処する知能。どれか一つを取っても先の戦いで相対したグリフォンを超えており、これら全てを併せ持つ魔物ともなれば、Aランクという評価は免れなかった。


「とはいえ身体能力だけを見れば、グリフォンとそう大きく差があるというわけでもなさそうだな。ここからは元々の作戦通り、そちらの獣人の娘と赤髪の娘も私と共に攻撃に加わってくれ」

「分かりました!」

「了解した」


 クラウディオの指示通り、リューテとソニアは彼の後方に付く。遠距離での魔術の撃ち合いでは勝てない以上、接近戦の方が分があると判断した。

 そして次の攻撃を始めようとしたとき、魔物が何やら不穏な動きを始める。


「来るぞ! 皆、備えるんだ!」


 これまでは魔物の頭上で魔術が生成されていたのが、今は火と水の魔術をブレスのようにして口から吐き出す。そして、それはケントたち目掛けて飛んでくることはなく、彼らよりも前の地点でぶつかり合って相殺されていく。


「自分たちの魔術をぶつけ合わせているのか? 一体何を……」

「……っ! まさか!」


 それの意図するところに真っ先に気付いたのはケントだった。だが時既に遅く、彼らの視界は辺り一面、白く覆われてしまった。


「これって、霧……?」

「火と水の魔術を同時に扱えるなら、霧を作ることも出来る。くそっ、もう少し早く気付けていれば……」

「これじゃ、敵が見えないよ……」

「皆、一ヶ所に固まれ! 決して散り散りになるな!」


 敵の姿が見えなくなったとなれば、どこから襲ってくるのか検討もつかなくなる。全方位を警戒するため、ケントたちは全員背中合わせになるようにして周囲を警戒した。


「どこからくる……」


 姿が見えてから動いたのでは反応が遅れてしまう。しかし、かといって機先を制する方法もない。ならばせめて少しでも迅速に反応しなければならず、彼らの間には未だかつてない緊張感が走っていた。


「……っ! そこだあっ!」


 始めに動いたのは、ソニアだった。彼女は足音から魔物が近付いていることを察知し、その方向に飛び掛かった。


「ソニアちゃん!」


 だがAランクの魔物に、それも姿をまともに視認出来ない状態で単身攻撃を仕掛けるのは無謀でしかなく、ソニアは十秒程度の交戦の末、あえなく吹き飛ばされてしまった。


「うぐっ……!」


 続いて魔物は最も近くにいたエルナに狙いを定め、その鋭い爪で切り裂こうと襲い掛かる。


「まずいっ……! エルナ!」


 ケントは咄嵯にエルナの前に立ち塞がり、剣を構えて魔物の攻撃を受け止めようとする。しかし、衝撃を殺しきれずにそのまま後ろへと弾き飛ばされてしまった。


「がはっ……!」

「ケント!」

「おおおおおっ!」


 これ以上好き勝手に暴れさせるわけにはいかないと、今度はリューテが魔物に切りかかる。しかし魔物はこれを後ろに跳んで回避し、反撃とばかりに右前足を振り上げてリューテに飛び掛かった。


「重い……だが、耐えられないほどでは――」


 剣越しに伝わる重さに耐えながら、リューテは武器を握る手に一層の力を込めて敵を押し返そうとする。

 ――その時だった。


「なっ……!?」


 魔物と目が合った瞬間、リューテは自身の身体に異変が起きていることに気付いた。


「(何だ? 身体が……)」


 全身に鳥肌が立ち、汗が吹き出し、背筋には寒気が走る。次第に呼吸も乱れ、手もカタカタと震え始める。


「(魔術の類か? いや、違う。これは……!)」


 彼女は自身に起きた異変の正体を、すぐに理解する。鍛練を重ねて成長していく中で、より強い魔物との戦いを重ねていく中で、段々と薄れていったもの。それは、恐怖という感情だった。


「う……おおおおおおおおおっ!」


 リューテは大声と共に剣に纏わせた炎の勢いを極限まで強め、力任せに魔物を押し返す。身体の内側からウジ虫のように這い上がってくる恐怖を、彼女は辛うじて気力でねじ伏せた。


「はあっ、はあっ……」


 しかし精神的な疲労は相当なものらしく、リューテは剣を杖代わりにして膝から崩れ落ちるのを防いでいた。


「皆、私の近くに!」


 そこで、マヤが全員に自分の近くまで来るよう呼び掛ける。そして全員が集まったのを見て、すぐに魔術を詠唱した。


「≪逆巻く旋風(トルネード)≫!」


 マヤの周囲から風が巻き起こり、辺り一帯に吹きすさぶ。するとケントたちを包んでいた霧は瞬く間に晴れていき、やがて完全に消え去った。


「助かったよ、マヤ」


 それと同時に霧に潜んでいた魔物も姿を表し、両者が睨み会う形となった。


「何とか切り抜けたか。だが、またあれをやられるのはまずい。次でどちらかの首を確実に落とさなければ」

「見たところ、左の頭が火属性で攻撃役、右の頭が水属性で防御役って感じだな。左の頭を引き付けた方が、動きやすくなりそうだ」


 ここまでの戦闘から、ケントたちは赤いたてがみの頭が火属性、青い方は水属性の魔術を繰り出すという、見た目から分かりやすい特徴を持っていることを理解していた。そして、その上で陽動役が左の頭を引き付けることで、クラウディオが動きやすくなると考えた。


「だけど問題は、近付けたとしても水の魔術で防がれるってところだな。あれを何とかしないと」

「心配はいらない。対策は既に考えてある。後は奴に近付きさえすれば、確実に首を落とせるはずだ」

「対策? それってどんな――」

「グルアアアアアッ!」


 しかし作戦会議も束の間、魔物は次の攻撃を繰り出そうとケントたちに向けて咆哮した。


「くそっ、喋ってる暇は無いか!」

「とにかく君たちは左の頭を集中して狙ってくれ。では……行くぞ!」


 そこまで言うと、クラウディオは敵に向かって駆け出す。ケントたちが二手に別れると、敵はすぐに火の魔術を繰り出した。


「≪浄滅する荒波(タイダルウェーブ)≫!」


 マヤはそれを、水の上級魔術で防ぐ。すると青いたてがみを持つ方の頭が、マヤの魔術を打ち破るべく水の魔術を行使しようとした。


「そこだっ!」

「≪風裂の連矢(ヴィドフニル)≫!」


 そこへ、ケントとエルナが遠距離から攻撃して右の頭の攻撃を妨害する。そして二人の攻撃に気を取られている隙に、リューテとソニアが魔物へ接近していた。


「行くぞ、ソニアちゃん!」

「はい!」


 少しでも長く自分たちに攻撃を引き付けようと、リューテとソニアは魔物に猛攻を仕掛ける。クラウディオの見立て通り、接近戦ならば力や速さはグリフォンと大差無く、二人がかりということもあって比較的順調に時間を稼いでいた。


「グルアアアッ!」


 しかし魔物の方も、一方的に攻撃されているだけではない。二人の連携が乱れたわずかな隙を突いて、魔物は攻勢に転じるべく火の魔術を行使しようとする。


「させません!」


 それを、ニュクスが三本のナイフを投げ付けて妨害する。ナイフには全て≪混乱(コンフューズ)≫の魔術がかけられており、魔物は僅かに動きを鈍らせた。

 その隙に、リューテとソニアは魔物の攻撃範囲から後退する。そして代わるように、クラウディオが魔物へ真っ直ぐ突っ込んでいった。


「グルアア!」


 大した隙も作らずに直線的な攻撃を仕掛けるという致命的なミスを、敵は見逃さない。魔物は即座にクラウディオに飛び掛かり、二つの頭で噛み付き、身体を食いちぎろうとする。しかし、先程までは目の前にいたはずのクラウディオの姿はそこにはなく、二つの顎は虚しく空を噛んだ。


「グル……!?」

「フェイントだ。お前が今攻撃したのは、私の殺意に過ぎん」


 クラウディオは既に、魔物の懐へと潜り込んでいた。

 リューテとソニアが魔物から離れたと同時に、クラウディオは魔物の正面に立ち、離れた場所から攻撃の動作と共に極限まで込めた殺意を魔物に飛ばしていた。その結果、魔物はクラウディオが眼前まで迫っていると錯覚し、釣られて反撃してしまったのだ。

 Aランクの魔物ともなれば気配を察知する力は極めて高く、神経を研ぎ澄ました状態であれば例え姿が見えない程に離れた場所にいようとも足音一つで敵の数や大きさを判別出来る。ましてや直に殺意を向けられたともなれば、限りなく反射に近い速度で反応することも可能である。クラウディオはそれを逆手に取ったのだ。


「グルルオオォ――」

「遅い!」


 例え殺意に素早く反応出来ても、その殺意が本物かどうかを見分けることまでは出来ない。気付いたときにはもう遅く、完全に機先を制したクラウディオは双方の頭のうち右の、水の魔術を司る方の頭に狙いを定めて攻撃を繰り出した。


「一の槍にて言の葉を潰す」


 一撃目。魔物の喉に目掛けて槍を突き刺し、即座に引き抜く。


「二の槍にて光を閉ざす」


 二撃目。引き抜いた槍を腰に構え、二突きで目を潰す。


「三の槍にて被覆を削ぐ」


 三撃目。魔物の側面に回り、目にも止まらぬ速さの突きを何度も繰り出し、たてがみを削ぎ落としていく。


「四の槍にて結びを別つ」


 四撃目。槍の石突きを片手で強く握り締めると、弧を描くようにして魔物の首に目掛けて勢い良く振り下ろす。槍の穂先が魔物の肉に食い込み、そのまま縦に引き裂いていく。

 そして次の瞬間、右の頭は身体を離れ、血飛沫を上げて地に落ちた。


「よし、やったぞ!」


 その様子を遠くから見ていたケントは、左手で拳を作ってガッツポーズをする。片方の頭を落とすという指針を定めたものの、これまで強力無比な攻めと守りを打ち崩せずにいた。だが、ここに来てようやく戦況を動かす一撃を決められた。

 一方のクラウディオは手ごたえを感じつつも、追撃はせずにケントたちの元まで後退していた。


「これで敵の力は文字通り半減したはず。後は一気に畳み掛け――」

「ルアアアアアアアアアアッ!」


 その時だった。残った左の頭が大きく吼えると、頭上に火の魔術を生成する。


「何だ!?」


 そして、それは先程まで右の頭があった箇所に集まっていく。やがて火が消えると傷口からの出血は収まり、怒りに満ちた表情でケントたちを睨み据えた。


「傷口を焼いて、出血を止めたか。どうやら、まだ戦意はあるようだな」

「グオオオオオオッ!」


 魔物は再び咆哮を上げる。するとケントたちを中心に魔法陣が出現し、その外周部分から八本の火柱が巻き起こり、収束するようにしてケントたちに向かっていった。


「これは……ボレアスでの戦いでマヤが唱えてた、火の上級魔術か!?」

「段々こっちに迫ってきてます!」


 迫り来る火柱のうちの一本をエルナが≪風裂の連矢≫で攻撃するも手ごたえはまるでなく、一瞬のうちにかき消されてしまう。


「駄目。全然効かない……!」

「皆、任せて!」


 強力な魔術に対抗するには、やはり強力な魔術しかない。マヤは杖を前にかざし、魔術の詠唱を始める。


「揺蕩う根源の創造者よ。罪業洗う救済の歌。審理を告げる嘆きの波濤。恵転災禍(けいてんさいか)、青き評決。追い立て、受け入れ、押し流せ!」


 そして、詠唱を終えると同時に杖を高く掲げた。


「≪浄滅する荒波(タイダルウェーブ)≫!」


 その瞬間、ケントたちの周囲を大量の水が取り囲み、大波となって迫り来る火柱へと向かっていく。これまで何度も行使していた水の上級魔術である《浄滅する荒波》、それを詠唱付きで発動した。

 八本の火柱は全てが波に飲まれて跡形もなく消え去り、それと同時にケントたちの足元にあった魔法陣も消滅した。


「はあっ、はあっ……」


 だがその時、マヤは呼吸を荒げてその場にへたりこんだ。ここまで上級魔術を何度も行使したために、流石の彼女も魔力が底を尽きてしまっていた。


「もう、魔力が……」

「ありがとうマヤ。後は俺たちに任せて、休んでいてくれ」


 戦闘不能になったマヤを庇うようにして、ケントたちは陣形を組み直す。


「もうあの魔術を使われるわけにはいきません。今度は私たちから攻撃を仕掛けなければ」

「そうだな。幸い、頭が一つになったことで攻防一体の連携は出来なくなったはずだ。そこを突ければどうにか……」

「だが、攻撃が激しすぎる。マヤちゃんの魔力は尽き、私たちも負傷している。あれを防ぎながら攻めに転ずるなど……」

「ならば、今度は私が奴を引き付けよう。その隙に、君たちが攻撃を仕掛けるんだ」


 手数を減らしたとはいえ敵の攻撃は依然として激しく、消耗したケントたちが陽動を務めるには不安が残る。そこで、比較的負傷の軽いクラウディオが囮役を買って出た。


「だけど、さっきみたいな魔術を使われたら、あんたでも避けきれないんじゃないのか?」

「そうだろうな。だが、あれは何度も撃てるようなものではない。でなければ、今頃二発目を撃ってきているはずだ」

「たしかに……」

「奴は追い詰められている。だからこそ、なりふり構わずあのような強力な魔術を行使したんだ」


 手負いの獣は、時として思いもよらぬ反撃をしてくることがある。だが、目の前の魔物はこれまで自分の魔術を防いでいたマヤが戦闘不能に陥ったにも関わらず、追撃を仕掛ける様子はない。

 これの意味するところは一つ。敵は命の危機に瀕して底力を引き出したのではなく、技巧的な立ち回りをする余裕が無いがために、力に頼った戦術を取るしかなかっただけである。


「ならあの魔物は、見た目以上に弱ってるってことか」

「そうだ。いかに強力な魔物であろうと、平静さを欠いているならば恐れるに足りん。勝機は既に見えている」


 ケントたちは疲弊しているが、それは敵も同じことであり、戦いの趨勢は未だ拮抗している。この均衡を崩し戦況を有利に傾けるには、ここからが正念場と言えた。


「そして、そこまでの道は私が切り開く。君たちはとにかく攻撃を叩き込め!」


 そこまで言って、クラウディオが陽動のために駆け出した。迫り来るクラウディオを、魔物は魔術で迎撃しようとする。


「まずは私たちからだ。いくぞ、ソニアちゃん!」

「はい!」


 敵がクラウディオに気を取られている隙に、まずはリューテとソニアの二人が先陣を切って魔物に肉薄する。


「やあああっ!」

「ふっ!」


 そして、攻撃の射程圏に入るとすぐに同時に攻撃を仕掛ける。しかし、二人の存在に気付いていないわけもなく、魔物、後方に跳んで攻撃を躱し、反撃とばかりに周囲に火の魔術を浮かべた。


「やらせない! エルナ!」

「ええ!」


 ケントとエルナもまた、遠距離からそれぞれの得物を用いて敵の動きを妨害する。


「グルル――」

「どこを見ている? こっちだ」


 ケントたちの応戦の最中、クラウディオは魔物の警戒から外れた瞬間に接敵して槍を振り下ろすも、紙一重で躱されてしまう。


「はあっ!」


 しかし、躱した先にはニュクスがいた。彼女は魔物の背中に乗るとたてがみを掴み、顔を覗き込むようにしてから持っていたダガーを力の限り右目に突き刺した。


「ルアアアアアッ!」


 いかにAランクといえど目を潰されるのは効いたようで、魔物は苦痛に満ちた叫び声を上げる。だが、それと同時に魔物の方も全身から炎を噴き出して反撃した。


「ぐっ、あああっ!?」


 手を離して咄嗟に回避しようにも間に合わず、ニュクスは噴き出る炎をまともに食らってしまった。


「ううっ……」


 振り落とされて倒れ込むニュクスに、魔物は追い撃ちをかけようと右の前脚を振り上げる。


「させるか!」


 しかし、間一髪のところでリューテが割って入り、振り下ろされる爪を剣で受け止めて防いだ。


「ソニアちゃん! 今のうちにニュクスちゃんを!」

「はい!」


 ソニアはニュクスを担ぐと、安全な場所まで後退する。


「相変わらず重いな。だが!」


 そこまで言うとリューテは剣に魔力を込め、纏わせている炎の勢いを強めて魔物の視界を奪う。


「ケント君、今だ!」

「ああ、任せろ!」


 その隙に、ケントは魔物の側面に回っていた。ニュクスが潰した右目が死角となっており、彼は魔物に気付かれることなく接近出来ていた。


「はあっ!」


 そして、剣で右側のたてがみを切り裂いた。


「くそっ、浅いか……!」


 しかし皮膚にまでは届いていないようで、魔物は周囲に火の魔術を浮かべて反撃に転じようとする。


「死角に気を取られ過ぎたな」


 その瞬間だった。クラウディオもまた魔物に気付かれることなく肉薄し、左側のたてがみを切り裂く。死角から襲ってくるケントに対処しようとするあまり、今度は左側の視界がおろそかになっていたのだ。


「おりゃあああっ!」


 そしてニュクスを安全な場所まで退避させ終えたソニアが、戻ってくるや否や魔物の顔に蹴りを浴びせた。


「ここは一度退くぞ!」

「了解!」


 追撃することも出来たが、慎重を期すために無理はせず全員で魔物から距離を取る。ケントは、マヤの隣で仰向けに倒れているニュクスに声をかけた。


「ニュクス、大丈夫か?」

「ええ。ですが、これ以上の戦闘は厳しそうです……」

「そうか、ありがとな。お前もゆっくり休んでいてくれ」


 ニュクスに労いの言葉をかけると、ケントは目の前の敵に向き直る。一方の敵はというと、右目を潰された怒りを内に燻らせているかのような低い唸り声を上げながら、開いている左目で敵を睨み据えていた。


「少しずつだが、確実に弱らせている。あと一撃、決定打を与えられれば……」

「ああ。俺たちも限界が近いからな。次で絶対に決めよう」

「ここが踏ん張りどころだ! 皆、気力を振り絞れ!」


 クラウディオの激励の言葉と共に、ケントたちは戦いを終わらせるべく一斉に魔物に向かって駆け出していく。


「やああっ!」


 ソニアは切り込み役として真っ先に魔物の元まで辿り着く。魔物はそれを迎え撃たんと左脚を振り上げ、爪でソニアを切り裂こうとした。


「はっ!」


 しかし、ソニアはこれを回避するとそのまま背中まで回り込み、後ろから目に刺さっていたニュクスのダガーを掴んで手前に押し込んだ。


「グオオオオオオッ!」

「ぐっ……まだまだぁ!」


 魔物は絶叫しながら暴れまわるも、ソニアは振り落とされないよう必死になって食らいつく。だが、そう長くは耐えられなかった。


「がはっ……!」


 振り落とされて地面に叩きつけられたソニアを追撃せんとばかりに、敵の周囲からいくつもの炎柱が巻き上がる。


「(まずい……っ!)」


 そして今まさにうねりを上げてソニアに襲い掛からんとする、その時だった。


「≪巨像の一撃(ギガントナックル)≫!」


 突如、魔物の頭上に魔法陣が現れたかと思うと、そこから巨大な岩の拳が降り注ぐ。魔物は地面に縫い付けられるように押し潰され、それと同時に周囲の火柱も消失した。


「これが正真正銘、最後の一発だよ……」


 そう言ったのは、膝立ちになって杖を掲げていたマヤだった。魔力切れを起こした彼女だったが、しばらく休んだことで多少魔力が回復し、中級程度の魔術を唱えて敵の反撃からソニアを守ったのだ。

 やがて岩の拳が消えるのと同時に、魔物はよろめきながら立ち上がる。そこへケント、リューテ、クラウディオの三人が各々の武器を魔物に突き立てた。


「これで……終わりだ!」


 クラウディオの声を合図に、三人は渾身の力を振り絞って自身の得物で魔物の身体を切り裂いた。


「グ、ル……オオ……」


 魔物の全身から血が流れ、固い地面を赤く染める。やがて瞳に宿していた光が失われると、ついに魔物は短い断末魔と共にその場に倒れ伏した。


「倒した……のか?」


 力無く横たわる魔物を前にして、ケントは呆然と呟く。他の仲間もしばらく警戒していたが、もはやピクリとも動く様子はない。魔物は完全に事切れていた。


「や、やった……!」


 喜びの声を上げようとした矢先、ケントはふらふらと後ろに倒れこんでしまった。心配したエルナが、彼の元へ駆け寄る。


「ケント、大丈夫!?」

「あー、大丈夫。ちょっと腰が抜けただけだ。どっちかっていうと、肉体よりも精神の方が疲れたよ……」


 Aランクの魔物と戦うのは初めてであり、片時も油断出来ない状況が続いていた。そのため戦いが終わった途端に張り詰めた緊張の糸がぷつりと切れてしまい、ともすればこのまま眠ってしまいそうになるほどの疲労感がケントを襲っていた。


「何て魔物かは知らないけど、桁違いの強さだったな。緊張が解けて立てなくなるなんて経験、生まれて初めてだ」

「私も、今になって手が震えてきたわ。しばらくは、魔物と戦おうなんて気にはなれないわね……」


 エルナは自身の震える両手を見つめる。身体能力も魔力もこれまでの魔物の比では無く、辛うじて勝利したものの歯車の噛み違い一つで全滅もあり得た。勝鬨を上げる者も誰一人としておらず、皆心身共に限界であるということが窺えた。

 そんな中で、クラウディオは武器をしまってケントたちに労いの言葉を掛ける。


「皆、良くやったな。困難な戦闘だったが、君たちのお陰でどうにか乗り越えられた。心から礼を言おう」

「礼を言うのはこちらの方だ。あなたの尽力がなければ、私たちは全滅していただろうからな」

「私とて、一人であれと対峙していたなら逃げることが出来たかも怪しいだろう。謙遜の必要はない。この勝利は、私と君たちとで諦めずに掴んだ勝利だ」


 いかにクラウディオが一流の冒険者であろうと、一人で出来ることには限りがある。今回の勝利はケントたちの援護、そして団結があったからこそなし得たものだと言えた。


「さあ、帰ろう。今回の依頼の結果を、胸を張ってギルドに報告するためにな」

「ああ!」


 ギルドに戻るまで、依頼は終わりではない。ケントたちは脱力した身体に鞭打って立ち上がる。そして、特に疲労と負傷が激しいマヤとニュクスを何人かで支えつつ、山を降りて帰路へとついていった。

ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。次回以降もお付き合いいただけますと幸いです。


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