風を纏いし竜
それから休憩を終えたケントたちは、頂上を目指して丘陵を登っていく。上に行けば行くほど木々が並び立ち緑が生い茂るその様は、人の手が入る余地のない魔物や野生動物の根城であるのだということを如実に示していた。
そしてそのような道を進み続けること一時間。ようやく頂上に差し掛かろうという、その時だった。
「……っ! 皆、止まるんだ!」
リューテはその場で踏みとどまり、後方の仲間に静止するよう促す。そこには、異様な光景が広がっていた。
「な、何なの? これ……」
エルナは目を丸くして驚く。その光景とは、破壊の跡だった。植物は地面に一本たりとも生えておらず、ケントの倍ほどもある背丈の木々がまるで嵐が過ぎ去ったかのように何本も薙ぎ倒され、無残に横たわっていた。
「ソニア。辺りに魔物の気配は?」
「ちょっと待っててくださいね……」
ソニアはまぶたを閉じると、耳を澄ませて周囲の気配を探ってみる。
「うーん……今の所は特にないですね」
「そうか。それなら、まずはこの場所を調べてみるか? もしかしたら何か分かるかもしれないし」
「そうだな。そうしよう」
この破壊がどのようにして引き起こされたのか。その手がかりを探るべく、一行はこの場の調査を開始する。そして数分が経過した頃、粗方調べ終えたところでニュクスが口を開いた。
「それにしても、酷い有様ですね。薙ぎ倒されていたりへし折れていたりと。十中八九、縄張り争いによるものなのでしょうが」
「一つ共通しているのは、どの木も葉っぱがほとんど付いていないということだな」
ケントの言葉通り、倒れている樹木にはいずれも葉がまるで付いておらず、彼はそこが引っ掛かっているようだった。
「言われてみればそうですね。ただ普通にへし折ったり切ったりしただけならば、葉っぱが付いていないというのは少し不自然です。もしかすると、力づくでこれをやったわけではないのかもしれませんね」
「考えられるとすれば、あのハルピュイアたちみたいな風の魔術を使用したとかか? 仮に木がこんなになるくらいの強力な風を起こせるなら、葉っぱなんて吹き飛ぶだろうし」
「……少しだけ、魔物の特徴が見えてきたな」
二人のやり取りを聞いて、リューテはそう呟く。まだまだ憶測に過ぎないものの、少なくともこの辺り一帯を破壊したのはハルピュイアを遥かに凌ぐ凶暴な魔物であり、更には強力な魔術を行使するということまでは想像出来た。
「今はいないようだが、敵は間違いなくこの辺りを縄張りにしているはずだ。皆、周囲の警戒を怠らないようにして――」
「……っ! 何か来ます!」
リューテが言い切るよりも先に、ソニアが振り向いて上空に目を向ける。それを見た他の仲間も同様に上を見ると、そこにはこちらに飛来してくる魔物の姿があった。
「オオオオオアアァァァッ!」
「なっ!? まずい……!」
魔物は既に攻撃態勢に入っており、空からケントたちに向かってブレスを吐いていた。魔物の口から一直線に迫り来るそれを、リューテは剣に炎を纏って切り伏せようとする。
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
しかしブレスは剣に触れた瞬間に炸裂し、凄まじい突風を巻き起こす。その風圧で、その場にいる全員が吹き飛ばされてしまった。
「くっ……皆、大丈夫か!?」
「大丈夫だ。吹っ飛ばされはしたけど、大した怪我じゃない。それより……」
全員地面に身体を打ち付けたものの、大きな傷はない。ケントたちは立ち上がり、再び空にいる敵に目を向ける。
首は長く、背中からは二枚の翼が生えており、全身は濃い緑色の鱗で覆われている。更には爬虫類のような頭部と尻尾に鋭い爪と牙。その魔物はまさしく、竜だった。
「これをやったのは、あいつで間違いなさそうだな」
「ああ。そして、ハルピュイアを追い出したのもあの魔物だろう」
人を吹き飛ばす程の凄まじい風圧を巻き起こす竜。その存在感はただ飛んでいるだけにも関わらず、ハルピュイアとは比較にならない程であり、この魔物こそが今回の異変の正体だと確信するには十分過ぎる程のものだった。
「まずはこいつで、出方を窺ってみるか……」
奇襲を受けたものの被害は軽く、現在は両者睨み合いの状況である。再び敵が仕掛ける前に、今度こそは機先を制さなければならないと、ケントは剣に手を掛ける。そして、一気に引き抜いて風の刃を放った。
並みの魔物なら肉体に消えない傷を残すであろう鋭い一撃。しかし、それは魔物に届く前にかき消えた。
「弾かれた!? あれは……」
「奴の身体から、風が噴き出したのが見えた。それに阻まれたか」
見ると、魔物の身体にはバリアのように風が纏わり付いており、それがケントの放った斬撃を防いでいた。
そして、竜の魔物は反撃とばかりに口を開く。すると、全身に噴き出す風はぱたりと止み、今度は口の前に魔力の塊のようなものが作られた。
「……っ! またあの技か!」
そして次の瞬間、魔力の塊はケントたち目掛けて一直線に伸びていった。
「ここは私が!」
それを迎え撃つため、エルナは矢をつがえると≪風裂の連矢≫を放つ。放たれた矢は幾重にも分裂して飛んでいき、敵のブレスとぶつかり合って打ち消した。
「上手いぞ、エルナちゃん!」
「エルナお姉ちゃんの矢で相殺出来た。ってことは、やっぱりあの攻撃は魔術……?」
マヤがそう呟いた時だった。敵は再び自身の周囲に風を纏うと、空中で身を屈める。そしてその直後、流星の如くケントたちのいる場所に向かって急降下した。
「……っ! 皆、散るんだ!」
いち早く攻撃の前兆を察知したリューテの指示により、直撃は避ける。しかし敵が地面に衝突した、その瞬間だった。敵の纏っていた風がブレスと同じように弾け、凄まじい風圧を巻き起こした。
「うわあああっ!?」
ケントたちは皆吹き飛ばされ、何度も転がり回って全身を地面に引きずられる。やがて勢いが弱まったところで、全員がよろよろとその場に立ち上がった。
「ぐっ、何て技だ……」
魔物は反撃を受けないように再び空へと逃げる。その隙に、ケントたちは一ヶ所に集まって作戦を立てようとした。
「全員、何とか直撃は避けたみたいだな」
「ああ。だけど、また空に逃げられた。これじゃ埒が開かないぞ」
いくら攻撃を凌いだところで、反撃出来なければどうしようもない。まずはこの状況を打開するところからである。
「戦い方はハルピュイアと同じだ。どうにかして、奴の動きを乱さなければ」
「だけど、そうするにもあの身体から噴き出してる風が厄介だな。エルナのあの技ならいけるか?」
「駄目。多分、防がれるわ。それに、この距離だとそもそも躱されると思う」
エルナは首を横に振る。彼女の矢では距離が離れすぎていて風のバリアを破る程の威力はなく、それ以前に当てられるかどうかも怪しい。マヤの魔術であれば破ることは出来るが、詠唱している間守りきることは困難であるという問題がある。
遠距離からの対処が無理となればどうすればいいか。ケントは必死になって考える。その時、不意にニュクスが口を開いた。
「……私がやってみせましょう」
「ニュクス?」
ニュクスはそう言うと、懐から一本のダガーを取り出してケントに見せた。そのダガーの刃の部分が放つ青白い光を見て、ケントはすぐにそれが何かを察する。
「その武器、もしかして……」
「ええ。あなたから貰ったサファイアを加工して、刃に埋め込んだダガーです。これと私の魔術を組み合わせて使えば、あの魔物の動きを止められるはずです。後はこれをどのように当てるかですが……」
ニュクスの武器は離れた敵を攻撃出来るものではなく、風の防御を打ち破る回答にはなり得ない。ならばどうするか、彼女は更にこう続ける。
「あの風を纏ってこちらに向かってくる攻撃。どうにか、あれの勢いを弱めることは出来ませんか?」
遠距離からの対処が出来ないならば、近距離で対処するほかない。風を纏う突進技、そここそが唯一にして最大のチャンスだと、ニュクスはそう判断した。
「それなら、私に任せて! 纏ってる風を何とかすれば、吹き飛ばされることは無くなるはずだから!」
まずは最も危険な、風を炸裂させて辺り一帯を吹き飛ばす攻撃を無力化しなければならない。これには、マヤが名乗り出る。
「その後は、私の番ね。あの風さえ無ければ、私の矢も通るはず。ニュクスの技が決まるよう、しっかり援護するわ!」
「俺も手伝うよ。二人と比べたら大したことない攻撃だけど、少しは足しになるだろうからな」
ケントの風の刃による攻撃はあくまで敵の動きを乱す不意打ちのようなもので、竜ほど強力な魔物にはたとえ直撃したところで効果は薄い。とはいえ、この切迫した状況を打破するためには、遠距離攻撃の手数は多いに越したことはない。
「よし、やろう!」
作戦が決まったところで、ケントたちは武器を構えて魔物に向き直る。それと同時に魔物がその場で羽ばたき、ケントの剣から繰り出されるものと似た形をした風の刃をいくつも飛ばしてきた。ケントたちはそれを全て叩き落とすか回避し、その上で時折吐き出されるブレスをしっかりと打ち消しながら、敵の動きを慎重に見極める。
そして――
「来るぞ! 三人とも、迎撃の準備を!」
敵が風を纏い、空中で身を屈めたのを見て、リューテが三人に指示を出す。そして魔物が彼らに向かって突進してきたと同時に、マヤが動き出した。
「≪逆巻く旋風≫!」
風の中級魔術、≪逆巻く旋風≫。マヤはこれを、詠唱を破棄して行使する。すると、彼女が持つ杖から竜巻が出現し、向かって来る敵に放たれてその全身を包み込んだ。竜巻は敵の身体を通り過ぎると、効力を失ってそのまま消えていく。
「オオオオオッ!」
しかし竜は傷一つ負っておらず、吠え猛りながら突っ込んで来る。とはいえ、風のバリアは剥がされ、突進の勢いも少しだが弱まっていた。
「エルナ!」
「ええ!」
この好機を逃すまいと、ケントとエルナが追撃する。風のバリアがない状態で受けるのはまずいと察知したようで、竜は翼をはためかせて突進の軌道を強引に変える。そして、最早有効な打撃にはならないと判断したのか、地面に衝突するよりも前に上体を反らし、上に飛び上がろうとする。だが、この瞬間こそが最大のチャンスだった。
「ここです!」
魔物が飛び上がるために一瞬動きを止めた瞬間、ニュクスは地面を踏み締めて跳躍し、すかさず竜に肉薄する。そして、その肉体にダガーを突き刺した。
「ゴ……アアアアアッ!」
しかしそれを引き抜こうとした瞬間、魔物は身体から風を放出した。至近距離からまともに食らったニュクスは、弾かれるかのように吹き飛ばされてしまう。
「ぐあっ……!」
「ニュクス!」
そして、強かに背中を地面に打ち付けた。最もニュクスの近くにいたケントが、彼女の身を案じて駆け寄る。
「大丈夫か?」
「ええ。それよりも……」
「グ…………オオ…………」
先程までは上空に舞い上がろうとしていたはずの魔物は、力無い唸り声を上げながらへばり付くようにして地面に伏せっている。どうやら、ニュクスの攻撃は効いているようだった。
「はあああああっ!」
それを見たリューテは、この機を決して逃すまいとすかさず剣に炎を纏わせて、魔物のいる場所へと向かっていく。
「……オ、グオオオオオォォォッ!」
そして、その身体を袈裟懸けに切り裂いた。魔物は血をこぼしながら、ふらふらと飛び上がる。
「もう解除されてしまいましたか。しかし、効果は十分でしたね」
「あれは、≪麻痺≫なのか? にしては、少し魔物の様子が変に見えたけど」
「いえ。あれは≪混乱≫という、マヤさんから教わった新たな魔術です」
ニュクスはそう言いながら、仰向けの体勢から上体を起こす。ケントの大丈夫かという問いには肯定したが、実際のところは背中がズキズキと痛むようで、やや渋い表情をしていた。
「≪混乱≫? ≪麻痺≫とどう違うんだ?」
「そうですねえ。簡単に言えば、肉体ではなく思考を麻痺させる魔術と言っておきましょう」
「思考を麻痺……?」
「ええ。考えられなければ動けないし、攻撃も出来ない。そして、防御も出来ないというわけです」
「なるほど。それで、あの魔物はリューテの攻撃をあんな無防備に食らってたのか」
「オ、オオオオオオッ!」
その一方で、魔物はふらつきながらも翼をはためかせて上空に飛び、己を鼓舞するかのように咆哮する。致命的な傷こそ負ったものの、戦意は些かも衰えていない様子だった。
「さて、お喋りはここまでみたいですね。私は大丈夫ですので、あなたもどうか戦いに」
「ああ!」
ニュクスに促され、ケントは戦線に戻る。
「ニュクスちゃんが作ったこの好機、決して無駄にはしない! 皆、あと一息だ!」
そしてリューテが発破を掛けると同時に、総攻撃が始まった。まずはエルナが矢を放ち、続けてケントが鞘を走らせ風刃を飛ばす。魔物はそれらを回避したが、そこへマヤの放った火球が襲いかかった。
「グオオオッ!」
魔物は瞬時に風のバリアを展開するも、体力を消耗し過ぎたせいか勢いが弱く、火球の威力を殺しきれずに直撃する。魔物は空中でよろけて地面に落ちかけるも、すぐに持ち直す。身体の一部に痛々しい焦げ後を作ってもなお、抵抗の意思は消えていなかった。
「グ、ルアアアアアッ!」
魔物は残る力で一際高いところまで飛び上がり、そこからブレスを吐こうとしていた。しかし、すぐには発射されず、魔力の塊は魔物の口の前でどんどん膨らんでいく。
「……っ!? でかい……!」
「あれじゃ、私の矢で防ぎ切れないわ……!」
それは既に魔物の頭の何倍もの大きさにまで膨れ上がっており、生半可な攻撃で相殺出来るものではないことを物語っていた。
「でも、やるしかないわね!」
しかし、それでもただ手をこまねいて見ているわけにはいかないと、エルナは弓を構える。その直後だった。
「待って、エルナお姉ちゃん」
エルナが背後から聞こえた声に振り向くと、そこには既に魔力を練り終えているマヤの姿があった。
「奔放なる無貌の巡り手よ。万象さらう怒号の渦。惑いて昇る、虚構の栄華。織り成す千刃、安息を断つ」
そして、杖を構えて詠唱を開始する。そして、それが終わったと同時に、竜も特大のブレスを吐き出した。
「グオオオオオッ!」
「≪逆巻く旋風≫!」
マヤの唱えた魔術。それは、少し前に突進の勢いを弱めた際に使ったのと同じものだった。しかし今回は詠唱したことにより威力が格段に上がっており、敵のブレスとぶつかり合うと、暴風のような音を上げてせめぎ合う。やがて、二つの風は勢いを弱め、そのまま互いに消滅した。
「≪風裂の連矢 ≫!」
そこへ間髪入れずに、エルナが矢を放つ。魔物は負傷による疲弊と大技の使用によって周囲に風のバリアを張ることも出来ず、無数の矢の雨で翼を射貫かれた。
「グ、ルオオオ……」
それにより、高度を維持出来ずに下へ下へと落ちていく。それでもどうにか空高くに逃れようと、魔物は身体中の至る部分から血が噴き出すのもお構い無しに翼を上下に動かそうとする。
「そこだぁ!」
だが、ソニアがそれを許さなかった。彼女は自分の攻撃が届く射程まで敵が降りてきたと見るや否や、すぐさま地面を蹴って魔物に飛び付く。そして、魔物の後ろ脚を掴むと器用な身のこなしで背後に周り、そのまま体重をかけて地面に叩き付けた。
「ケント君!」
「ああ!」
そこにいるのは最早飛ぶ力すら残っておらず、地に伏して身動きが取れずにいる竜である。ケントはリューテの掛け声に合わせて剣を引き抜くと、引導を渡すべく彼女と共に一気に魔物へ肉薄する。
「はあああああっ!」
そして首と左前脚、両方の側から切り付けた。
「オ、オオオ……」
魔物は喉から絞り出すような唸り声を上げると、ぷつりと切れた糸の如くその場に倒れ込む。その瞳からは生気が消え失せており、紛うことなき絶命だった。
「やった……のか?」
動かなくなった敵の姿を見て、ケントがそう呟く。その問いに答えるものは誰もおらず、ただしんとした静寂が辺りを包み込む。しかし、その静寂こそが彼らの勝利を何よりも雄弁に物語っていた。
「う、おおおおおっ!」
ケントは歓喜のあまり叫び声を上げると、右手を強く握りしめて勢い良く天へと突きかざした。
「なあ、リューテ。この魔物、間違いなくBランクはあるよな?」
「ああ、そうだろうな。危うい所もあったが、これ程の魔物を君の異能抜きで倒せた。これこそ正に、修行の賜物だな」
「えっへへー、やりましたねえ! こんなに気持ちのいい勝利、初めてです!」
「そうね。今までにない達成感だわ」
エルナは安心感と昂揚感が合わさったかのような表情を浮かべる。今までBランクの魔物と対峙したことは何度かあったが、ケントの能力抜きで倒せたのはこれが初めてである。それだけに、今回の魔物を討伐した彼らの喜びはひとしおだった。
「お疲れ様です、マヤさん。あなたから教わった魔術のお陰で、皆さんの役に立てました」
「えへへ、ありがとう! ニュクスお姉ちゃんの頑張りが報われて良かった!」
そうして一通り喜びを分かち終えたところで、リューテが改めて口を開く。
「さあ、エウロスに帰ろう。この結果を、胸を張って報告しに行こうじゃないか」
ケントたち一行は討伐の証として魔物の身体の一部を剥ぎ取ると、それを包んで袋にしまう。そして、誇らしげな気持ちを胸に丘陵を下りていった。
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。次回以降もお付き合いいただけますと幸いです。
最後に、評価・ブクマ・感想等いただけますと大変励みになりますので、よろしければお願いいたします。




