東の街、エウロス
それからケントたちは王都を出ると、途中の村に泊まりながら二日かけてエウロスまでの道を進んでいく。道中はこれといったトラブルも無く、このままなら正午までには街に着く予定だった。
「おっ、ようやく見えてきたな。あれがエウロスか」
するとケントたちの視線の先に、他の街と同じように巨大な外壁に覆われている街が見えてくる。エルナはそこで一旦立ち止まると、背伸びして街の更に奥の方を見渡した。
「うーん、ここからじゃまだ見えないわね……」
「見えないって、何がだ?」
「海よ。一体どんな感じなんだろうなあって、エウロスの話を聞いてからずっと気になってたの」
ケントの問いに、エルナは興味津々といった様子で答える。
「エルナは海を見たことがないのか?」
「ええ。子供の頃にお父さんから聞いた話でどういうものかは知ってるけど、自分の目で見たことはまだないわね」
「そうなのか。それならエウロスに着いたら、まずは皆で海を見に行かないか?」
ケント自身は記憶こそ無いものの、海がどういうものなのかははっきりと理解している。しかしこの国で初めて目を覚ましてから海を見たことは今日まで一度もない。そこで、思い出作りの一環としてこの場にいる全員で海を眺めに行こうと提案した。
「いいですね。実は私も海を見るのは初めてでして、どのようなものか気になっていたところなんです」
ニュクスがその提案に賛同する。西の街であるゼピュロス出身の彼女もまた、エルナと同じく海に対する興味を抱いていた。
「リューテお姉ちゃん。折角だから、私も皆と一緒に見に行きたいな!」
「そうだな。今日のところは、街の観光に時間を使うのもいいだろう。海もそうだが、エウロスには他の街では見られないものが色々とあるからな」
「ほえー。例えば何があるんですか?」
「確か、漁業が盛んな街だったっけか? ってことは、海の美味い魚が食べられんじゃないか?」
「おおっ! それは楽しみですねえ! 早く食べてみたいです!」
食べ物の話を聞いて、ソニアは嬉しそうに爛々と目を輝かせる。
それから、一行は再び歩き始めた。目的地が見えてきたことで足取りも軽くなり、街の姿も段々と鮮明になっていく。だが、その時だった。
「……ん?」
何かが迫ってきているのに気付いて、ケントたちは足を止める。それは魔物、四匹のコヨーテだった。
「あれって、魔物!?」
「おいおい、ここって街道のはずだろ? こんな所にまで魔物が襲ってくるなんて、滅多にないはずなのに」
「それだけ、この辺りの魔物が増えてるということでしょうか」
そうしている間にもコヨーテたちは戦闘態勢に入り、今にもケントたちに襲い掛からんと低く唸って身構えている。
「とはいえ、大した魔物ではない。時間も惜しいし、ここは私が――」
「いや、俺がやるよ」
リューテが剣を抜こうとしたのを見て、ケントは前に出てそれを制する。
「ケント君、いいのか?」
「ああ。ここしばらくは魔物と戦ってなかったから、そろそろ手頃な魔物と戦って実戦の勘を取り戻しておきたいんだ。それにこの剣の力も、皆に見せておきたいからさ」
ケントはそう言って、腰に差してある剣の柄に手を掛ける。
「……ふっ!」
そして、居合の要領で一気に引き抜いた。風の刃が、一匹のコヨーテの身体を深く切り裂く。血飛沫を上げて倒れるコヨーテ。すると残りの三匹の群れが、ケント目掛けて突撃していった。
「はあああああっ!」
三匹は同時に飛び掛かるが、ケントは臆すること無く向かってくるその爪を冷静に見据える。
まずは最初にやってきた一匹を適当にいなして、次に襲いかかってきた二匹目にカウンターを叩き込む。その一撃で、コヨーテの首は横一文字に切り裂かれて絶命する。そして、三匹目の攻撃を紙一重で避けながら、その腹部に剣を突き刺す。それから剣を引き抜くと素早く振り向き、最初に向かってきた一匹目に向かって剣を振り下ろす。
時間にしておよそ二十秒。ケントはさしたる苦戦もなく、四匹のコヨーテを切り伏せた。
「……よし、ざっとこんなもんだな」
周囲に増援や倒し損ねた敵がいないかを確認すると、ケントは剣に付着した血液を払ってから鞘に納める。戦闘が終わったのを確認したところで、仲間たちがケントの元へと駆け寄ってきた。
「やるわねケント! お父さんに鍛えられた成果、バッチリ出てたわよ?」
「ああ。これくらいの魔物なら、何匹来ようと敵じゃないな」
エルナはケントに労いの言葉をかける。
昔のケントであれば、負けることはないにしてもここまで一方的に倒すこともなかった。しかしここ二週間の修行の甲斐あって、Dランクの魔物程度であれば一人でも危うげなく戦えるようになっていた。
「確かに、修行の前よりもかなり動きが見違えたな。それにエルナちゃんの父親から譲り受けたというその剣も、私の想像以上に強力な武器のようだ」
「ああ。俺は魔力も無いし、普通の武器じゃBランク以上の魔物には太刀打ち出来ないって思ってたけど、これさえあれば今まで以上に皆の力になれそうだ」
ケントは腰に差した自分の剣に視線を移す。遠近どちらにも対応出来る強力な剣と、それをしっかりと扱えている自分自身に、彼は確かな手応えを感じていた。
「そうだな。実際、君はもう掛け値なしに立派な冒険者に成長した。これからの戦いは、私たち全員が力を合わせなければ乗り越えられないものになるだろうからな。君の力も、大いに頼りにしているぞ?」
「ああ、任せてくれ!」
リューテの言葉に、ケントは力強く返事をする。
魔物との戦闘は一段落着き、街までの距離も後少しである。一同は周囲に魔物の姿がないことを確認して、エウロスへと向かうべく再び歩を進めていった。
それから間も無く、ケントたちは東の街、エウロスに到着した。
「ここがエウロスか。雰囲気は少し王都の商業通りに似てるな」
「そうね。色々なお店があるのが、ここからでも分かるわ。全部見て回ったら、それだけで一日が終わっちゃいそう」
ケントたちは街の入口から辺りを見回す。漁業と交易が盛んというだけあって、飲食店を始めとして様々な店が立ち並んでおり、客引きの声や食事を楽しむ人々の賑やかな声があちこちから聞こえていた。
「それじゃ、まずは海を見にいくか。えーっと、道はどこだ……」
「私が案内しよう。皆、付いてきてくれ」
まずはこの街に向かうまでの道中で話した通り、一行は海を見に行くことにした。道案内のためリューテが先導し、その後ろを他の仲間が付いていく。
そして歩くこと十五分。ケントたちは遂に港に到着し、海と対面した。
「わあっ……!」
目の前に広がる、空の色を映してどこまでも続く青い景色に、マヤは感嘆の声を漏らす。
「凄いわね。こんな綺麗な景色、初めて見たわ……」
「はえー、ノトスの近くを流れてる川よりもずっと大きいです!」
続けて、エルナとソニアも感動を口にする。底が見えなければ奥も見えない、見渡す限りの青一色。陸とは違う自然の雄大さを目の当たりにし、誰もが水平線の彼方から目を離せずにいた。
「何だか、見ていると心を奪われてしまいそうになりますね。この景色、一体どこまで広がっているのでしょうか」
「皆目検討も付かないな。それに、この海の向こうにも国があって、私たちと同じように生きている人々がいるというのだから、どこまでも果てしない話だ」
「いつか、世界中の人たちと繋がれる日が来るのかな?」
「どうだろうな。だけど、もしそうなったら今より色んな出会いがあって、色んな事を知れるようになる。考えただけでもワクワクしてくる話だ」
マヤの呟きに、ケントは答える。見知らぬ土地に見知らぬ人との出会い。失った記憶を求めて、彼はこれまで多くの未知に触れてきた。そうした経験の中で得られた仲間との苦楽の日々は彼にとって何にも替えがたい大切なものであり、そのような掛け替えの無い経験を国を超えて世界中で作ることが出来たのなら、きっと楽しいに違いないと。彼は海の向こうに広がる世界に思いを馳せていた。
「うへへー、本当にいいものを見られました。これだけでも、この街に来た甲斐がありますねえ」
「そうだな。では、ここらで一度ギルドを訪ねるとしよう。依頼の内容を聞くなら、早いに越したことはないからな」
満足するまで海の眺めを堪能したところで、一同は本来の目的を果たすために港を離れて、ギルドへと向かうことにした。
「ここが、この街のギルドだ」
そして十分後、ケントたちはギルド前に辿り着いた。早速中へと入り、受付のある場所まで歩いていく。
「いらっしゃいませ」
すると、そこには他の街で出会ったことのある受付嬢と非常によく似た顔立ちの女性が立っており、抑揚の無い淡々とした口調でケントたちを出迎えた。
「ふむ。二名は知っている顔ですが、後の四名は見かけない顔ですね。もしや、本部から派遣されて来た冒険者の方々でしょうか?」
「そうだ。あなたの姉から話を聞いて、ここに来た」
「なるほど、そうでしたか。ご協力感謝します」
王都にいる姉からの紹介で応援に来たことを伝えると、受付嬢は恭しくお辞儀をする。目の前の女性が例の姉妹ということを確信したところで、ケントが口を開いた。
「えっと、たしか王都にいるのが長女で、ゼピュロスが次女。ノトスが三女でボレアスが末っ子だから……」
「はい。五人姉妹の四女、レレミアです。以後お見知りおきを」
レレミアと名乗ったその女性はそう言うと、お辞儀のために下げていた頭をゆっくりと上げる。
「これで五人姉妹全員と知り合いになれたのか。何というか、少し感慨深いものがあるな」
「ふむ。それはつまり、この国にある五つの街全てに訪れた経験があるということですか。どうやら、随分と精力的に活動されているようですね」
「まあな。だけど、何で姉妹全員で同じギルドで働かないんだ?」
「昔は私たち全員、王都のギルドで働いていましたよ。ですが顔が似てて紛らわしいからという理由で、上の指示で一つの街に一人ずつ転属させられました。それを勝手にギルドの名物に仕立て上げているのですから、いい迷惑です」
元々は五人とも王都のギルドで働いていたのだが、末妹のロロアが入職してしばらく経った頃、五人姉妹という珍しさと優秀な事務能力が上の人間の目に留まり、王都と東西南北の街に一人ずつ異動することとなったのだ。
「それは何というか、不憫だな」
「ええ、世の中は不条理です。まあ、この街での暮らしもそんなに悪いものではないですがね。他の姉妹も自分のいる街に愛着があるみたいなので、そこは幸いと言っていいでしょう」
どうやら離ればなれにされたことについては最初は不本意だったものの、全員派遣先の街に長く勤めているうちにその場所に順応しており、今ではそれなりに満足しているようだった。
「っと、話が逸れましたね。では、調査依頼の話に入るとしましょうか」
閑話休題。レレミアは調査依頼の説明をすべく、この国の地図を取り出すとケントたちの前に広げて見せた。
「実のところ、魔物の数が増えた原因は皆さまより前に調査を依頼した冒険者の方々の手によって既に突き止められています」
「そうなのか。それで、どんな原因なんだ?」
「どうやら、この街から少し離れた場所で縄張り争いがあったようで、その影響で元いた魔物がこの街周辺の平原まで追い出されたことで、更に元々平原にいた魔物が我々の活動圏に押し出されたみたいなんです。それで、その縄張り争いが起きた場所の候補というものが何ヶ所かあるのですが、その中で皆さまにはここに行ってもらいたいのです」
そこまで話すと、レレミアはエウロスから北西に位置している、ある一ヶ所を指差す。
「ここは、丘か?」
「はい。アジギルフ丘陵と呼ばれている場所です。皆様にはここの魔物の調査をお願いします。こちらが、ここに生息している魔物の一覧です」
そして、予め用意しておいた調査先に生息している魔物について書かれてある資料を、ケントたちに差し出した。
「ふむ。では、ここに載っていない魔物と遭遇したら、可能な限り討伐して報告するということで問題無いか?」
「はい。出来れば魔物の身体の一部など、何か証明になるものも一緒に持ってきてもらえると助かります。それと、可能な限り速やかに依頼を遂行してもらえますと、私としては更に大助かりです」
レレミアの急かすような言葉が気になったのか、ケントは彼女にこう尋ねる。
「そんなに状況が悪いのか?」
「ええ。よくこの街の品物を仕入れに来る旅商人の方々から、このままでは安心して仕事が出来ないから早く何とかしてくれと毎日のように陳情が寄せられていまして。中には私たちに怒鳴り散らして業務を妨害する方もいる始末です。気の毒だとは思いますが、何度も聞かされると流石に気が滅入りまして。私の精神衛生上、早めに解決したいのです」
「なるほど。そんなことがあったのか」
このまま魔物が増え続けては、戦う術を持たない商人は護衛の冒険者を何人も雇わない限りまともに仕事が出来ず、それでは生活が立ち行かないと嘆いているのだと言う。もっとも、ギルドで受付嬢を責め立てたところで事態が好転するわけでもないのだが、それでも彼らにとっては死活問題であり、先の見えない不安から行き場の無い不満を爆発させずにはいられないようだった。
「あんたらも大変なんだな」
「全くです。ここのところ毎日残業続きで疲れているというのに、この仕打ちはあんまりです。この事態を解決するために、私たちも最善を尽くしているのだと怒鳴り返してやりたい気分ですよ。ええ、本当に」
「うーん、あんたが怒鳴る姿はあんまり想像出来ないなあ……」
表情からは冗談なのか本気なのか判断が難しく、ケントは困惑してしまう。彼の目の前の女性に対する第一印象は寡黙で冷静といったもので、少なくとも感情を全開にするような振る舞いをしている姿は想像出来なかった。
「っと、また話が逸れてしまいましたね。では、依頼の内容はここまでです。なるべく早くとは言いましたが、くれぐれも無茶はしないよう、気を付けて行ってらっしゃいませ」
一通りの説明を終えたところで、レレミアは最後に深々とお辞儀をしてケントたちを見送った。
ギルドを出てすぐに、ケントは仲間たちに声を掛ける。
「どうやら、思ってた以上に深刻な事態になってるみたいだな」
「そうだな。この分だとレレミアさんの言っていた通り、早急に事を済ませた方がよさそうだ」
ケントの言葉にリューテが同意を示す。それは他の仲間も同じで、これ以上状況が悪化する前に冒険者としての職務を果たすべきだと、誰もがそう判断していた。
「そうなると、街の観光は後回しですね。このまますぐに目的地へ向かいますか?」
「残念だが、そうすべきだな。仕事に必要な物だけ調達したら、すぐに出発しよう」
そこからは即断即決で、ケントたちは街で食糧などを購入すると、すぐに街を出てアジギルフ丘陵を目指して出発した。
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。次回以降もお付き合いいただけますと幸いです。
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