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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1.5章 王公会議編

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第70話 水面下の対策

「その冒険者とは一体何者なのですか?」


 アイリスがソフィアへ質問を飛ばす。


「――龍人」


 静まり返ったフォルテス邸の応接室に、ソフィアが紡いだその二文字は、まるで雷鳴のように重く響き渡った。

 マルクは、腕を組んだまま、その鋼のような表情を初めて僅かに崩し、ソフィアを見据えた。


「……今の言葉は真か?」


 その声は、地を這うように低く、部屋の空気を震わせた。

 アイリスもまた、息を呑んだまま、信じられないものを見るかのようにソフィアを見つめている。神話やおとぎ話に語られる伝説の種族。それが、魔物を操り、アランたちを死の淵へと追い詰めた敵の正体だという。

 そんな馬鹿げた話があるものか、と誰もが思った。

 だが、目の前の少女はあのグレイン家の使者。そしてその大きな青い瞳には、嘘や誇張の色は一切ない。ただ、目の当たりにした真実を告げる、揺るぎない光だけが宿っていた。


「間違いありません、彼の口から、そして私の瞳がそれをはっきりと捉えました。特級冒険者ダラス・エリオットを名乗るあの男の正体は、第六の種族――龍人です」


 ソフィアの言葉には、一片の揺らぎもなかった。

 彼女自身の目で見た、覆しようのない事実。その確信が、かえって事態の異常さを際立たせていた。


「……信じられん」


 マルクは、絞り出すようにそう呟くと、重い足取りで窓際から離れ、応接室の中央へと歩み出た。

 その鋭い眼光は、もはやソフィア個人ではなく、彼女がもたらした情報の奥にある、王国の未来を脅かす影そのものを見据えているかのようだ。


「しかしなぜ、その龍人がその魔道具? というものを持っていたのでしょう?」


 アイリスが質問を飛ばす。

 しかしソフィアは首をフルフルと横に振る。


「彼の目的までは、私にも……ただ、”世界の歪みを正す”と」


 アランとダラゴラスの問答で答えられたその言葉を、ソフィアは答える。

 その抽象的で、しかし途方もない響きを持つ言葉に、マルクとアイリス、そしてエミリーは再び言葉を失った。


「……よもや自らを龍人と騙る狂言師だな」


 マルクは、苦々しげにそう吐き捨てた。

 伝説の種族を騙り、古代の危険な魔道具を用いて混乱を引き起こす。その方が、まだ現実味がある。

 だが、誰もがそうではないのだとどこかで悟っていた。ガルドほどの騎士を戦闘不能に追い込む相手が、ただの狂言師であるはずがない。


「しかし……世界の歪み、か」


 マルクは深く息を吐き、執務机に手をついた。

 ただでさえ険しい顔つきに、深い思慮の色が浮かぶ。


「ソフィア嬢。その魔導石とやらは、今どこにある」


「はい。現在は聖都のグレイン本邸にて、厳重な封印のもと保管しております」


 ソフィアは冷静に、しかし確かな口調で答えた。


「その石が持つとされる危険性を考慮し、ヘレナ様のご指示を仰ぐべく、聖都へ持ち帰りました。現在、グレイン家の専門の研究者たちが、その性質と影響について、慎重に調査を進めている段階にございます」


「なるほど、それならばひとまずは安心か」


 マルクは僅かに安堵の息を漏らしたが、その表情はすぐに元の険しいものへと戻った。


「だが、問題の根本は何も解決してはおらん。龍人を名乗る狂言師であろうとなかろうと、これだけの騒動を引き起こせる力を持つ以上、決して看過はできん。ヴァラの件といい、このラーム村の一件といい、偶然にしては出来すぎている。背後に何か大きな力が働いていると見るべきだろうな」


 彼の言葉には、騎士団を統括する公爵としての、そしてこの国を憂う重鎮としての、確かな危機感が滲んでいた。


「父上も、この度の事態を重く見ておられます。間もなく開かれる王公会議でも、主要な議題となることは間違いありません」


 アイリスが、静かだが強い意志を込めて言った。彼女の視線は、父の苦悩を理解しつつも、決して揺らぐことのない覚悟を宿している。


「そして、フォルテス公。アラン様は、この危機に立ち向かうための重要な鍵を握っておられるやもしれません。彼の奮戦が、それを何よりも雄弁に物語っています」


「……到底信じられる話ではないが、信じるしかないのだろうな」


 小さく息を吐くマルク。その言葉は、彼の理性と、目の前の信じがたい現実との間で揺れ動く、苦悩の表れだった。


「あの……」


 話も一段落したところで、エミリーが恐る恐るといった様子で声を発した。

 張り詰めた空気の中、一人のメイドのか細い声に、アイリスとマルク、そしてソフィアの視線が一斉に集まる。エミリーはびくりと肩を震わせながらも、意を決したように続けた。


「差し出がましいとは存じますが……そのような重大な話を、私がこの場でお聞きしても良かったのでしょうか……? それこそ、皆様がおっしゃる王公会議でお話しされるべきことなのでは……」


 エミリーの素朴で、しかし核心を突いた疑問に、部屋の空気は再び静まり返った。

 マルクは腕を組み直し、アイリスはわずかに眉を寄せ、そしてソフィアは静かにエミリーを見つめた。


「……そうね、貴方の言うとおりです」


 沈黙を破ったのは、アイリスだった。


「本来であれば、これほど重大な案件は、王国の最高意思決定機関である王公会議でこそ議論されるべきことです……ですが」


 続けてマルクが声を発する。


「ああ、今の王公会議で話すことは私からも推奨はできぬな」


 その声は、地を這うように低く、長年、王国の政治の闇を見てきた者だけが持つ、深い苦渋に満ちていた。


「推奨できない、と申されますと……?」


 アイリスが、父の盟友でもある公爵の言葉の真意を問う。彼女の瞳には、王女としての聡明な光が宿っていた。


「今の王公会議は、些か……『開かれ』すぎている」


 マルクは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「サンティス家の現当主が推し進めた改革の賜物だ。表向きは、より多くの貴族の声を聞き、政策に反映させるという、聞こえの良い『民主』の形を取ってはいるがな。その実態は、重要機密ですら平然と駆け引きの材料にされかねん、危険な博覧会の場と化してしまった」


 彼の言葉は、貴族社会のリアルなパワーゲームの一端を、容赦なく抉り出すものだった。ゲームでは語られなかった、政治の舞台裏。エミリーは息を呑み、ただその言葉の重みに圧倒される。


「龍人の存在、そして魔物を操るという魔導石。この情報を、今の『開かれた』会議に投げ込めばどうなる? 民の不安を煽り、政敵を貶めるための格好の餌食となるだけだ。真に国を憂う議論など、到底できはしない」


「……サンティス公は、商都を治める方。商いの秤と、王国の天秤とでは、重さの測り方が違うのかもしれません」


 アイリスは、静かだが皮肉の棘を隠さない声で応じた。彼女もまた、王女として、その「開かれた会議」がもたらす弊害を肌で感じてきたのだろう。


「だからこそ、ソフィア様は私達にだけ、この危機を知らせに来てくださった。そういうことですね」


 アイリスが結論付けると、ソフィアは静かに、しかし力強く頷いた。


「はい。ヘレナ様にもご了承頂いていることです。王公会議という公の場で議題とする前に、まずは水面下で事実確認と対策を進めるべきだと」


 その言葉が、この密談の真の意義を物語っていた。


「では、なぜ私が……?」


 エミリーは困惑の色を隠せない。自分がこの重大な秘密の共有者として選ばれた理由が、どうしても分からなかった。


「そうですね、アラン様のことを最もよく知る人物が必要だと判断したからです」


 ソフィアは、エミリーの戸惑いを見透かすように、静かに、しかし真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。


「アラン様はこれからの王国にとって必要不可-欠な人物と私は判断しています。しかし、彼の現状はあまりに不安定です。天恵の儀での一件、そして原因不明の昏睡状態。公の場に出せば、彼の特異性は格好の研究対象か、あるいは政敵からの攻撃の的となるでしょう」


 ソフィアの声には、アランを守ろうとする強い意志が込められていた。


「アラン様を正しく理解し、その力を導くためには、公的な記録だけでは足りません。彼の些細な言動の変化、苦悩、そして彼が本当に守りたいと願っているものを知る貴女のような方の存在が、不可欠なのです。彼が目覚めた時、その心の支えとなれるのは、他の誰でもない、貴女かもしれませんから」


 その言葉は、エミリーの胸の奥深くに、温かい光となって染み渡った。

 自分が、ただの侍女ではなく、アラン様にとって、そしてこの国の未来にとって、重要な役割を担う者として認められている。その事実が、彼女に震えるほどの感動と、身の引き締まるような覚悟を与えた。


「ええ、その通りよ」


 アイリスが、力強くソフィアの言葉に頷く。


「アラン様は、私たちが守るわ。そしてエミリー、貴女の力も貸してちょうだい。あの方が目覚めた時、孤独を感じさせないように」


 王女の、そして婚約者としての揺るぎない決意。

 その言葉を受け、マルクは深く、長い息を吐くと、まるで重い鎧を脱ぎ捨てるかのように、その鋼のような表情をわずかに緩めた。


「……あいつがソフィア嬢にそこまで言わせる男になっていようとは思いもしなかったが……我が息子のことながら、見誤っていたのかもしれんな」


 その呟きは、誰に言うでもなく、しかし確かに、この場にいる者たちの胸に、新たな時代の到来を予感させる響きとなって落ちた。


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