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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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幕間 報せ

 その報せを聞いたのは、麗らかな陽光が王城の庭園を黄金色に染める、穏やかな午後のことだった。

 磨き上げられた白磁のテーブルには、淹れたての紅茶が芳しい香りを立て、侍女たちが用意したささやかな焼き菓子が皿の上で可憐に並んでいる。


「アイリス様、次のお茶はいかがなさいますか? 本日は、東方の国から取り寄せた新しい茶葉もございますが」

「素敵ね。では、そちらをお願いしようかしら」


 侍女の言葉に、私は微笑みで応じる。

 王城での日々は、時に息が詰まるほど窮屈だが、こうして庭園で過ごす午後のひとときは、私にとって数少ない安らぎの時間だった。

 ふと、風に揺れる薔薇の赤い花びらに、あの少年の髪の色を思い出す。


 ――アラン・フォルテス。


 私の、婚約者。

 天恵の儀での前代未聞の騒動の後、彼は聖都のグレイン本邸に預けられたと聞いている。あれから、もう一月以上が経つだろうか。


 彼には昔から大変な思いをさせられていた。

 四公爵家にはあるまじき、あまりに幼い言動。気に入らないことがあれば、公の場ですら癇癪を起こし、その度にフォルテス公や私が頭を下げる羽目になったことは一度や二度ではない。

 フォルテス家の威光を笠に着て、他の貴族子息に無礼を働くことも日常茶飯事。

 社交界では「フォルテス家の汚点」とまで揶揄され、その悪評は私の耳にも痛いほど届いていた。


(……それでも)


 私は、カップに注がれた紅茶の湯気を見つめる。


(あの時の貴方は、確かに違っていた)


 最後に会った時の彼の瞳は、いつもの傲慢さや幼稚さではなく、どこか遠くを見据えるような、そして自分の運命に抗おうとする強い意志の色を宿していた。


『俺を見張っていてほしい』


 そう言った彼の言葉を、私は信じたいと思った。

 だからこそ、父である国王陛下に婚約破棄を勧められた時も、きっぱりとそれを拒んだのだ 。


 聖都での生活は、彼にとって良い刺激になっているだろうか。

 グレイン家の厳格な気風は、今までの彼からは真反対の性質を持つ環境だろう。

 聖女ヘレナ様の下であれば、行儀作法も少しは身についたかもしれない。あるいは、相変わらずの問題行動で、聡明なソフィア・メティス嬢を困らせているかもしれない。

 想像して、くすりと笑みが漏れた。


 そんな私の淡い期待と安らぎの時間を無慈悲に引き裂いたのは、一人の侍従がもたらした、切迫した声だった。


「アイリス王女様! 申し上げます!」


 庭園の穏やかな空気を切り裂くように、侍従が息を切らしながら駆け寄ってくる。そのただならぬ様子に、侍女たちの顔色も変わった。


「どうしたの? そんなに慌てて」

「グレイン家より、緊急の報せが……!」


 侍従が震える手で差し出したのは、グレイン家の紋章が刻まれた封蝋で固く閉じられた一通の書状だった。私の胸が、ドクンと嫌な音を立てる。まさか、また彼が何か問題を起こしたというの?


 私は震える指で封を切り、中に目を通した。

 そこに記されていたのは、私の想像を遥かに超える、衝撃的な内容だった。


 ――辺境の村、ラーム村にて、オーク及びゴブリンの襲撃。

 ――護衛の任についていた騎士ガルド・ハインツ、重傷。

 ――アラン・フォルテス、仲間を守るため奮戦するも、深手を負い、現在、原因不明の昏睡状態にあり――。


「……アラン、様が……昏睡……?」


 私の唇から、か細い声が漏れた。

 書状を持つ手が、微かに、しかし確かに震えている。淹れたての紅茶の香りも、色とりどりの焼き菓子の甘さも、今はもう感じられない。


 ただ、彼の名前と「昏睡状態」という絶望的な文字だけが、私の意識の中で、何度も何度も反響していた。

 穏やかだったはずの午後の陽光が、にわかに色褪せて見えた。


「アイリス様、お気を確かに……!」


 侍女の心配そうな声が、遠くに聞こえる。

 私は、書状を強く握りしめた。紙の端が、くしゃりと音を立てる。


「……彼は、今どこに?」


 一つ深呼吸をしながら私は侍女へと訪ねた。

 一刻も早く彼の顔を見たい。そんな思いが胸中を駆け巡る。


「現在は聖都マリエルナのグレイン本邸にて療養中とのことです」


「……そう」


 私は短く応じ、ゆっくりと立ち上がった。

 動揺は、もうない。いや、心の奥底の凍てついた湖の下に、無理やり押し込めただけかもしれない。

 今、私に必要なのは、悲嘆に暮れることではない。


「父上のところへ参ります。すぐに支度を」


 私の凛とした声に、侍女たちは一瞬驚いたように顔を見合わせ、しかしすぐに「はっ」と深く頭を下げた。



 父である国王陛下の執務室は、相変わらず重厚な静寂に満ちていた。

 壁一面を埋め尽くす書架、磨き上げられた黒檀の机、そして窓の外に広がる王都の壮麗な景色。その全てが、この国の頂点に立つ者の威厳と孤独を物語っているかのようだった。


「――ラーム村での一件、聞き及んでおります」


 私の報告を静かに聞き終えた父上は、組んでいた指を解き、重々しく口を開いた。その声は、娘を気遣う優しさと、一国の王としての厳しさが同居している。


「ガルド・ハインツほどの騎士が深手を負うとは……ヴァラ東方での魔物の異常発生といい、このところ、王国内に不穏な空気が流れ始めている」


 父上の言葉には、確かな憂いが滲んでいる。

 一連の事件が、単なる偶然ではないことを、この国の頂点に立つ者として感じ取っているのだろう。


「しかし、またしてもアラン・フォルテスか……」


 父上は、深く、長い溜息と共にその名を口にした。

 天恵の儀での一件から僅か一月足らず、再びこうして事件に巻き込まれている。

 王として、娘の婚約者として、思うことがあるのかもしれない。


「アイリス。彼の身に相次ぐ事件は、もはや彼個人の問題では済まされぬ。フォルテス家との婚儀は国事。その婚約が、お前や王国にとって真に益となるのか、今一度冷静に考える必要があるのではないか?」


 父上の言葉は、アラン個人を責めるものではない。だが、彼の存在がもたらす政治的な波紋と、私の将来を案じる王としての、そして父としての苦悩が滲んでいた。


「父上……!」

「お前の気持ちは尊重したい。だが、彼の現状はあまりに不安定すぎる。このままでは、フォルテス家との関係にすら、良からぬ影響を及ぼしかねん」


 その言葉は、どこまでも冷静で、国の未来を見据えた王の判断だった。

 だが、私は静かに、しかしきっぱりと首を横に振った。


「お断りいたします。父上」

「アイリス……」


 私は父上の目を真っ直ぐに見つめ返す。


「書状には、こうもありました。アラン様は、仲間を守るために自らの危険を顧みず奮戦した、と。それは、かつての彼からは考えられない行動です。彼は、変わろうとしています」


 私は、あの日彼と交わした約束を、そして彼の瞳に宿っていた強い光を思い出す。


「その姿を見て見ぬふりをし、彼が最も助けを必要としている時に手を差し伸べずして、何が王家の務めでしょう。何が、人の上に立つ者の在り方でしょうか」

「……」

「彼が自らの足で立ち上がり、胸を張って私の隣に並ぶその日まで、私が彼の盾となり、支えとなります。それが、彼の婚約者としての、そしてこの国の王女としての、私の覚悟です」


 私の揺るぎない言葉に、父上はしばらくの間、黙って私を見つめていた。その厳格な表情の奥に、どのような感情が渦巻いていたのかは分からない。

 やがて、父上は深く息を吐き、わずかにその口元を緩めた。


「……お前の気持ちは良く分かった。私も少し大人気なかったようだ」


 父上はそう言うと、穏やかな眼差しで私を見つめ、一つ頷いた。


「それに後数日もしたら、王公会議も始まる。 天恵の儀の件、ヴァラの森の件、そしてラーム村の件が、議題に上がることだろう」


 父上の言葉は、私の覚悟を認めつつも、これから始まるであろう政治の嵐を暗に示していた。アラン様の処遇、そしてフォルテス家の立場は、この会議で大きく揺れ動くことになる。


「承知しております。どのような場であろうと、私の覚悟は揺らぎません」


 私がそう応じると、父上はただ静かに頷かれた。

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