第68話 決着
紅蓮のオーラを纏った木の棒が、破壊の象徴となってダラゴラスへと迫る。
ランドが放った渾身の一撃――『狂撃』。
それは、二年分の『前借』の力と、目覚めたばかりの天恵『修羅』、そして彼の魂そのものが融合した、まさしく必殺の破壊力を持っていた。
「――面白い!」
ダラゴ-ラスは、迫り来るその一撃に対し、恐怖ではなく、純粋な闘争の愉悦に貌を歪ませた。彼は負傷していない左腕を前に突き出し、その掌に、周囲の空間が歪むほどの濃密な闇の魔力を収束させる。
「だが、まだ足りぬ!」
漆黒の魔力障壁が、ランドの『狂撃』と激突する――その瞬間。
森の静寂が、再び爆音によってかき消された。
赤い閃光と黒い闇が衝突し、凄まじいエネルギーの奔流となって周囲の木々を根こそぎなぎ倒していく。大地が抉れ、砂塵が舞い上がり、もはや視界は完全に遮られた。
「ぐ……っ、おおおおおおっ!」
砂塵の向こうから、ランドの苦悶に満ちた咆哮が聞こえる。
彼の『狂撃』は、確かにダラゴラスの魔力障壁を打ち破り、その奥にある龍人の身体へと届いていた。だが、その威力は相殺され、致命傷には程遠い。
やがて、爆風が収まり、舞い上がっていた砂塵がゆっくりと晴れていく。
「……はぁ……はぁ……」
そこに立っていたのは、赤いオーラを霧散させ、肩で大きく息をするランドの姿だった。その手にした木の棒は、先ほどの衝突の衝撃に耐えきれず、半ばから無残にへし折れている。彼の身体に刻まれた無数の傷からは、止めどなく血が流れ落ち、もはや立っているのが不思議なほどの満身創痍だった。
二年分の『前借』の力、そして天恵『修羅』の反動。その両方が、彼の小さな身体を限界へと追い込んでいる。
そして、その向かい側――。
ダラゴラスは、左腕でランドの一撃を受け止めたのだろう、その腕からは黒い煙のようなものが立ち上り、黒衣の袖は無残に焼け焦げている。
龍人の貌に浮かんでいた愉悦の色は消え、代わりに、まるで未知の生物を観察するかのような、冷徹な好奇の色が宿っていた。
「……見事だ、小僧」
ダラゴラスの静かな声が響く。それは、紛れもない称賛だった。
「先程の少年といい、貴様といい……この土地には、退屈を凌ぐに足るものが揃っているようだ」
ダラゴラスの視線が、ランドの向こう側――俺とソフィアに向けられる。その視線には侮蔑も殺意もない。ただ、そこにある「事象」を観察する科学者のような、無機質な光だけがあった。
「これもまた神の導きか」
そう言って小さく息を吐いたダラゴラスは、少し落ち着きを取り戻した様子で俺達に視線を向ける。
「さて、少年少女らよ。我が両腕を奪ったこと称賛に値する。いずれ我が障壁になり得ようともここで摘み取るのは無粋というもの」
その声は、森の静寂に奇妙なほど穏やかに響いた。
ダラゴラスは、俺たちを殺さんと構えていた漆黒の長剣を、まるで芝居がかった仕草でゆっくりと下ろす。彼の龍人の貌に浮かんでいた冷徹な殺意は消え、代わりに、まるで希少な標本を前にした研究者のような、純粋で、そしてどこか歪んだ好奇の色が宿っていた。
「しかし、一度口にした言葉を違えるのは我が信念に反する――」
その言葉は、まるで冷たい刃のように、俺たちの希望を断ち切った。
「故にこの一撃を、君たちの覚悟への餞としよう。小さき勇者たちよ。これを受け止め、それでもなお、その足で立つことができたなら――見逃してやろう」
その声は、森の静寂に奇妙なほど穏やかに響いた。
ダラゴラスは、両腕をだらりと下げたまま、まるで舞台役者のように芝居がかった仕草で、こちらを見据える。
「さて、行くぞ」
ダラゴラスの龍人の貌に、再びあの底知れない笑みが浮かぶ。
両腕を使えない状況で一体、何をする気なのか。
いずれにせよ俺はもといランドはもはや立っているだけでやっとの状況だ。奴の何かを防ぐすべはいよいよ、なにもない。
万事休す。
その言葉が、脳裏を支配する。
「アラン様っ!」
ソフィアが、最後の力を振り絞るように、俺とランドの前に立ちはだかった。その小柄な背中はか細く、しかし決して退かないという強い意志に満ちている。彼女の唇が、防御魔法の詠唱を紡ぎ始めようと微かに動いた。
「――クソッ」
その時、ダラゴラスが大きく息を吸い込んだ。
彼の胸が、まるで巨大な鞴のように膨れ上がる。周囲の空気が、彼の口元へと凄まじい勢いで吸い込まれていくのが、肌で感じられた。
「――龍の、咆哮か」
ゲームの知識が、最悪の攻撃方法を俺に告げる。
龍人族の奥義。魂そのものを震わせる魔力の奔流。防ぐことなど、到底不可能だ。
ダラゴラスの口元に、凝縮された闇のエネルギーが渦巻き始める。
世界が、終わる。
その、絶望的な瞬間。
そしてそれは直ぐに放たれた。
「――図に乗るなよ、龍人野郎がァッ!」
だが、その絶望を打ち破ったのは、血反吐と共に吐き出された、不屈の闘志だった。
声の主は、先ほどまで倒れていたはずの、ガルド・ハインツ。
彼は、折れた腕を庇い、片膝をつきながらも、その屈強な身体を盾とするように、俺たちの前に立ちはだかっていた。その瞳には、騎士としての誇りと、弟子たちを守り抜くという、揺るぎない覚悟の炎が燃え盛っている。
「ガルドさんっ!?」
「ガルド様!」
俺とソフィアの悲鳴に近い声が重なる。
いつの間に意識を取り戻したのか。だが、その身体は満身創痍。ダラゴラスの一撃を受けた彼は、立っているのがやっとのはずだ。
「面白い……受け止めてみせろ」
ダラゴラスは、ガルドの予想外の抵抗に、僅かに眉を動かしたが、その口元に渦巻く闇のエネルギーを止める気配はない。
「――これが、俺の意地だ。見てやがれ、坊主どもッ!」
ガルドは、俺たちに、いや、この理不尽なまでの力の差に、最後の咆哮を上げる。
そして、ダラゴラスが『龍の咆哮』を放つ、その刹那。
「――魔断ッ!!」
ガルドの全身から、魔力を拒絶する無色のオーラが迸った。
彼の天恵の全てを乗せた一撃が、迫り来る闇の奔流と正面から激突する。
凄まじい衝撃。
ガルドの『魔断』は、確かにブレスの魔力を大きく削ぎ落とした。だが、龍人の奥義の威力は、彼の天恵をもってしても完全には相殺しきれない。
しかしそれでも彼は倒れない。
俺達を守るようにそのボロボロの身体で立ち続ける。
闇の奔流が、ガルドの全身を呑み込んだ。
凄まじい衝撃波が、既に破壊され尽くした森の残骸をさらに抉り、抉れた大地に深い亀裂を走らせる。
「ガルドさんッ!!」
俺の絶叫は、轟音にかき消された。
ソフィアもランドも、目の前で繰り広げられるあまりにも一方的な光景に、言葉を失っている。
やがて、闇の奔流が収束し、舞い上がっていた砂塵がゆっくりと晴れていく。
「……はっ、は……どうだ、龍人野郎……」
そこに立っていたのは、ボロボロの鎧を纏い、全身から黒い煙のようなものを立ち上らせながらも、決して倒れようとしない、一人の騎士の姿だった。
ガルド・ハインツ。
彼の口からは絶えず血が流れ落ち、その身体は限界を超えて震えている。だが、その瞳に宿る光だけは、少しも衰えていなかった。
彼は、その身を盾として、俺たちを完全に守り切ったのだ。
「ふ……見事だ、騎士よ」
ダラゴラスの声には、初めて純粋な敬意の色が込められていた。
彼の龍人の貌に浮かんでいた笑みは消え、代わりに、好敵手を見つけたかのような、真剣な眼差しがガルドに向けられている。
「貴様の名は?」
「……フォルテス騎士団、ガルド・ハインツだ。覚えておきやがれ」
「ガルド・ハインツ……。その名、確かに記憶に留めておこう。そして、今日のところは、その覚悟に免じて見逃してやる」
ダラゴラスはそう言い残すと、その姿をまるで陽炎のように揺らめかせ、森の闇へと音もなく消えていった。
後には、破壊され尽くした森と、彼の放った圧倒的なプレッシャーの残滓だけが残された。
嵐が、過ぎ去ったのだ。
「……はぁ……っ、はぁ……」
緊張の糸が切れ、俺たちはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
ガルドさんも、剣を杖代わりに、荒い息を繰り返している。
「……助かった、のか……?」
ランドのかすれた声が、静寂を破った。
誰もが、その問いに答えることはできなかった。
生きている。ただ、その事実だけが、夢のように現実離れして感じられた。




