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過去編4(カーラ視点)

 光と闇さえ存在せず、ただ魔力だけが渦巻く混沌に、密度が高まりすぎた魔力によって、ありえないはずの『物質』という概念が誕生する。それは瞬く間に伝播し、拡散し、増殖し、分かたれていなかった世界が物質界と、彼が『常世』と呼んだ世界に分離していく過程を見た。

 その片割れの物質界。はじまりの物質が長い時間をかけて生命を産みだし、それを育む環境と共に少しづつ進化していく道程を見た。

 命に満ち溢れていく世界。繰り返される生と死の間に、物質界と常世は新しいつながりを見出す。すなわち生者の世界としての物質界、死者の国としての常世。

 物質界で命を謳歌する生命はしかし、限りある資源を巡って争うようになり、果てのない争いと死に至る悪意が積み重なり、死を通して常世にもう一度つながった物質界に魔力が流れ込む。魔力は生者の強い意志、感情に反応して、もう一度密度を高め――そして、悪意に従って世界を破壊するための仕組みが誕生する瞬間を、見た。


 それが神獣、すなわち宝竜である。


 世界が万年かけて成し遂げられた歴史が、ほんのまばたきの間にカーラの意識下で展開された。

 それは、ソロと同じ姿をした竜眼の彼の記憶であるらしい。真実か嘘かもカーラにはわからない映像が目の前を流れていく。

 もちろん視覚だけではない。聴覚、触覚、嗅覚、感覚のすべてを使った情報が、激しい密度を伴って自分を通り抜けていくのがわかった。

 強制的に与えられる情報量はカーラの処理能力を著しくオーバーしており、神経が焼き切れるような錯覚を起こしてカーラは思わず両手で耳を塞いだ。しかしそれでも膨大な情報は留まるところを知らずにカーラに流れ込んでくる。今まで持っていた自我だけではおよそ対処できない状況に突然放り込まれて、圧倒的な情報量に内部から侵食されて自分が自分でなくなっていくようで、カーラは底抜けの恐怖を感じる。


 こんなの、

 耐えられるわけない。


「ちょっと待って! 無理無理無理無理!」


 カーラはたまらなくなって、叫ぶように大声を出して彼の腕にしがみついた。それでやっと情報の奔流が止まり、それに安心したカーラが大きく息をつく。

 しかし彼はカーラに竜眼を向けたかと思うと、まったくなんの表情も浮かべずに問い返すだけだった。


「何が?」

「情報量が多すぎるわよ、脳みそが破裂しちゃう!」


 ソロから託された魔力だという彼は、自身の記憶を共有することでカーラの器に自分の居場所を作りたいのだと言ったが、ちょっとは手加減というものをしてほしい。創世から今までの記憶を全部器に送り込まれてはたまらない。そんな情報量を、人間一人で処理できるはずがない。情報に圧殺されて、自分の自我はきっと、塵も残さず消えてしまう。


 しかし、もしかしたら、とも思った。

 もしかしたら狙いはそれなのかもしれない。器に居場所を作りたいなら、カーラの自我なんていない方が都合がいいのかもしれない。それさえなければ、彼はカーラの器を乗っ取って魂と体を自由に操れるだろうから。


 そこまで思考が及んで、以前のことを思い出した。公爵邸で、まだまじない師の仮面を被ったカロルドに対峙し、その呪いに取り込まれた時のことだ。あの時入れられた真っ黒な世界はきっとカロルドの器の中だった。

 あの中にいた、カーラを助けてくれたカロルド。外から接するカロルドと同じ人格ではあるのだろうと思う。けれど、あの時の彼からは悪意を感じなかった。何より自分とソロを助けてくれた。


 意識の中で行われる意思決定の過程には、さまざまな葛藤があるものだ。多くの人はできるだけ良い人間として生きていきたいと思って善良であることを規範に活動しているだろうが、悪意のささやきを常に無視できるわけではない。

 しかしカロルドは自分の中の悪意を隠さない。だからこそ彼の内面に『良い人格』としてのカロルドがいたとしたら。そしてカロルドの中にも良い人格があったように、ソロの中にも悪い人格があって、それが彼なのだとしたら。


――もしかして、呪いを破れるなんて嘘だったのかしら。


 カーラのそんな思考は読めているはずなのに、目の前の彼は豪快に笑い飛ばしてみせるので毒気が抜けてしまった。


「あっはっは。今は体を持たない魂だけの身の上じゃないか。脳みそなんてないから大丈夫だよ」

「言葉のあやだわ! とにかく無理。わたしに理解させようと思うなら、お願いだからもう少し焦点を絞ってちょうだい」

「焦点?」

「世界のなりたちから全部の記憶なんて、わたしの器に入れたらそれこそ破裂しちゃうもの。伝えたいことがあるんでしょう? そこに重点を置いてポイントだけ教えて」

「うーん……」


 そう唸ったかと思うと、しばらく考え込んでしまった。

 カーラが「そんなにヘンなこと言ったかしら」と不安に思うほどの空白を開けて、竜眼の彼は話を切り出した。


「確かに、ボクにはキミの思考が読めるけど、その逆はない。ボクの思考を伝えるためには、キミの処理能力に合わせて情報量を減らす必要がある。理にかなっている」

「……それってもしかして、遠回しにわたしのことばかにしてない?」

「そんなことはないよ、適切な評価だ」


 それは結局、ばかだと思ってるということなのでは。


「違うってば。さて、だとするとやっぱり、彼の話からかなあ」


 カーラの思考を読んだらしい彼がそう言ってようやく、目の前で静止した映像が消失した。

 やっとひと心地つけるかと思ったカーラだったが、次に現れた人影にもう一度驚くことになる。


 目の前に現れたのは、瞳の色の違うソロだ。茶色の、ありふれた色の瞳をしたソロ。

 

 カーラは目の前ソロと、その隣に立った竜眼の彼を見比べながら言った。


「この人は、ソロなの? それともあなた?」

「ボクはソロの姿を借りているだけ。キミが真実を理解しないと、ボクは本来の姿には戻れない。つまりこれはソロの、その幻影だよ。今からおよそ八百年前、まだ竜の力を手にいれていない頃のね。……さて、ここからはさっきの続き。もう少しお勉強してくれないと話がつながらない。

 物質界には13柱の神獣というカタチで存在していた宝竜は、強い魔力に反応して暴力性を発揮し、それを破壊することで常世と物質界のバランスを保っていた。ある意味でそれは、混沌に回帰しようとする世界の意志とも言えるだろう。

 宝竜の持つ力に反抗できるほどの、人間の文明なんて起こりようがなかった。文明の発展、人口の集中、それに伴う強い感情の結晶は魔力と同質であり、それに宝竜がいつ反応して破壊するかわからないからだ。

 しかし竜は力に反応して行動する存在だから、竜と竜同士でも互いに存在を消そうとする性質を持つ。いつしか人々はそれを利用して宝竜に従うことで竜の庇護を得て、自分に災難が降り注がないように祈るようになった。宝竜を神格化して崇め、その手足となって他の宝竜との代理戦争を行うようになって、人々はようやく安定して文明というものを生み出せるようになった。

 人々はまず十三の国を作り、宝竜に従って戦争を繰り返した。宝竜が生み出した眷属を祀る小国も誕生して、宝竜のために人が人を殺す。その合間に人々は命を繋ぐ。あまり増えすぎると竜の気まぐれで殺戮が起こるから、それを見越して人口を調整する。ほとんど、宝竜の愛玩動物としての生活を、人々は長いこと過ごしてきた。

 ……そこに登場するのが、ソロだ。ソロは、延々と繰り返された争いに終止符を打とうとした。宝竜の力を手に入れて、それでもって国を制圧した。

 彼は、宝竜に勝利した。そして魔力と魔法を手に入れた。それはまさしく革命だった。竜に人が勝利できるということを、証明してみせたんだから。」


 彼の言葉に合わせて、幻影だというソロがまるで踊るように様々な事柄を成し遂げていく。

 赤く輝く鱗を持った大きな竜に触れたかと思うと、彼の目が赤くなった。これでやっといつものソロと同じ姿になる。

 そして、彼の周りに人が増えていく。いかにも筋肉自慢の大男、甲冑を着込んでいる背の高い人。先ほども見た、美しい黒髪を長く伸ばした女性。

 彼女はソロの隣に立ち、ソロから優しい視線を受けて、自分も同じような視線をソロに返す。


「隣にいる人は、誰?」


 たまらずに竜眼の彼に聞けば、彼はなんでもないことのように答えた。


「システィーナ」


 それは、ソロの子どもで、数々の冒険譚の主役で、ドラスター王国の、始祖に次ぐ国王となった人の名前。舞台上ではシスルが演じていた、始祖から口づけをもらった人の名前。

 つまりそれは、ソロの、


「……娘さんってこと?」


 だとすると、ちょっとびっくりするほど仲がいいとカーラは思った。カロルドとソロとは大違いだ。

 ソロは息子とは反発しても、娘は溺愛するタイプの人だったんだろうか。


「ああ、あの神話ね。いやあ、初めて聞いたときは驚いたよ! とんだ勘違いだ。システィーナはソロの花嫁だよ」

「ぶっ」


 カーラは彼の返答を聞いて、思わず噴き出した。気管になにか詰まってしまったような異物感を感じてせき込んでいるカーラに、彼は追い打ちをかける。


「第二代国王に就任したから、神話を作る過程で分かりやすいように、始祖の子どもということにしたんだろうね」

「……ええと、つまり。システィーナさまはソロの子どもじゃないの? ……なんでそんなウソの歴史が残ってるの?」


 カーラの疑問に、彼は小首をかしげるようにして答えた。


「都合の悪い歴史は全部『なかったことにする』。神話とか歴史っていうのはその後の統治をたやすくするための、勝った人のためのものだからね。概ねそんなもんだよ。」


 どこか、違和感を感じた。

 彼の言葉が、開示された情報が全部真実だとすればそれは、始祖の歴史が改竄されていると認めていることになるのではないか。

 なんだかそれではまるで、ソロが負けた人みたいな言い分じゃないだろうか。


 しかし彼は、カーラの疑問には答えようとせずに続ける。


「システィーナは、夫が戦いから帰ってくるのを待ってるような女性ではなかった。ソロが魔法を獲得すると、魔力を貸与されて、一番に魔法を使えるようになったのは彼女だった。ソロから預かった魔力を源に身体強化を施して、向かってくる敵をちぎっては投げちぎっては投げの大活躍だ。彼女のおかげで、この国の統一は何年も早くなっただろうね」


 システィーナの幻影は、彼の言葉に合わせて剣を振るう。それに見覚えがあることにカーラは気づいた。

 柄の飾り。長さ。何度か近くで見せてもらったことがある、ソロがいつも腰に下げている剣と同じだ。


 それだけじゃない。システィーナがソロの伴侶なのだとして、幼いころから逸話で聞いていたシスティーナの偉業はすごすぎる。とうてい自分には真似できないと思う。ソロがもし、そういう人しか好きになれないなら、どうしたって勝ち目なんてない。

 きっと思考を読んだ彼は、口元に手を当てて笑いをこらえるような表情を作ると、


「システィーナとソロは、ただの幼馴染みだよ。好みとかそんなに関係ない。ただ一番近くにいて、一番気持ちが通じあった。だから結ばれたんだ」


 彼の言葉に反応するように、ソロとシスティーナの幻影は寄り添った。周囲の人々がそれを祝福している幻影が映し出される。幸せそのものの幻影が、どうしたってカーラの気持ちを曇らせる。

 心が痛い。目の前に現れたソロの幻影が、黒髪のシスティーナと仲睦まじい様子を見せているだけで、カーラの胸はギュッと痛む。

 好きな人が幸せそうにしていて、それを歓迎できない自分になんて気づきたくなかった。


 その姿を見て、彼は不思議に思っているようだった。


「システィーナはもうとっくに死んでいるんだ。気にすることないだろうに」

「……死んだら、それでその人が終わりなんてことないわ。もちろん、その経験を含めて今のソロがいるんだってわかってる。それでも、好きな人には自分だけ見てほしいって思うの、そんなに不思議なことかしら?」

「そういうものかなあ。記憶はただの記憶だよ。彼女は死んで常世に行き、魂は魔力に還元された。それきりだ」


 黙ってしまったカーラを不思議そうに見て、彼は続ける。


「ともかく、ソロたちは魔法という力を得て、神獣に支配されていた人間を解放し、人間だけの国を切り開いた。……この時が、ソロの人生においてもっとも光輝いていた日々だった」


 先ほどといい、彼の言い方に違和感が付きまとう。まるでソロの人生の頂点は、八百年前のここにあったと言わんばかりだ。けれど、そんなのはおかしいとカーラは思うのだ。だってソロは、今でなお信仰と言っていいほど敬われている。ずっと、誰よりも慕われている存在であったのではないのか。


 そう思い込んでいるカーラを、竜眼の彼は表情の読めない目で見ている。


「あなたの言い方は、まるでソロがこのあとずっと不幸な目に遭うみたい。でもソロは国を開いて、その初代国王になって、子宝に恵まれて。このあとも幸せに暮らしたんじゃないの?」

「本当にそう思う? ソロの体は、大きな魔力によって変質してしまった。ヒトの身には大きすぎる魔力だ。特別な力を得るには、彼はあまりに普通だった」


 にじみ出てくる感情を堪えきれないように語尾を震わせて、彼の語気は強まっていく。


「確かにソロは竜の力を手に入れた。それで竜と戦い、常世へ追いやったり人間社会から追放したりしていった。しかし、追い出された神獣はどうしたと思う? ソロを恨まなかったと思うかい?」

「竜に勝利する指導者を得て、最初は英雄と崇めていた人たちの態度も、竜という脅威が喉元を過ぎ去れば態度を変える。今の暮らしを変えたくない人は革新を望まない」

「歳をとらない男が、歳をとる女性と恋愛関係を維持できるかな? しかも男は権力者で、物持ちでもある。誘惑なんていくらでもあったし、それに応じていないと一度は信じたって、二度三度と重なっていくし、しかも自分は老いていく。子どもが生まれれば、守りたいものも守れるものも変わっていく。いくら愛が形を変えて残っていたとしても、その限界は確実に存在する」

「子どもとの関係も複雑になるね。ソロの外見年齢なら、十五年やそこらで子どもは追い付いてしまう。ちょうど思春期に、年をとらない存在である父を実感する。身近な人間ほど、その異常性を許容できない」


 映し出される幻影のソロ。その周囲にいる人々が変化していく。老いていくのだ。変化しないソロの方が、異質であることは、彼の言葉を聞いているうちにすぐにわかった。

 老いていく人々は、次第にソロから距離をとる。それは、一番傍にいたはずのシスティーナでさえ、例外ではなかった。

 ソロは革命者としては大成功した。しかし為政者としては、父親としては、夫としては、人々に寄り添うことができなかったのだ。


 さっき彼が言っていた、伝わっているのは勝者に『都合がいい』歴史なのだ、という言葉の意味を、カーラは唐突に理解する。


 『歳をとらない』ソロは、周囲の人々に比べて圧倒的に少数派で、つまり敗者だった。勝者とは、当たり前に年をとり、当たり前に死んでいく普通の人々であり、その彼らが国を動かしていくにあたって、力が強すぎる、歳をとらない異質の存在である始祖は、『都合が悪かった』。だから歴史から追い出されてしまった。

 だから始祖という存在は『旅に出た』ことにされ、今もどこかで国民を見守っていると信じられている。


 ソロは、身近にいたはずの普通の人々によって、日のあたる場所から追い出されてしまったのだ。


 幻影のソロの周りから人が一人消え、二人消え、ついに一人ぼっちになる。

 それでも前を向いているソロの、寂しそうな顔がカーラの脳裏に焼き付いた。


 これ以上その姿を見たくないと思ってしまうカーラをよそに、竜眼の彼はさらに言葉を続けた。


「歯車が明確にかけ違ったのは、確実にあのとき。カロルドが、青の宝竜に攫われた日だ」

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