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幕間 彼女の記憶事情

 困ったことになったわね、と心の中だけで呟いた。口に出さないのは今は私一人だけでなくもう一人が室内にいるからだ。ベッドの上で上半身を起こし本を読むふりをしながら、横にいる彼をちらりと見る。ベッドサイドに常に置かれている椅子に座った彼は足を組んで本を読んでいる。表紙には実に美味しそうなお菓子の写真があって、おそらく今度私のために作るものを吟味しているのだろう。私は甘いお菓子が好きだから。

 もう十年来の付き合いである彼、レイこと美月零は私の幼馴染みで世話係である。私たちの関係はそれ以上でもそれ以下でもなく、時たま付き合っているのではという噂を耳にすることがあるが全くのガセである。しかしそう思われるのも無理はないだろうと私は思っている。なんせレイの私への献身ぶりはちょっと普通じゃない、何も知らない人たちからしたら付き合っていると思うのも仕方ないことかもしれない。

 そんな彼のことを私は決して嫌ってはいないし、寧ろ、そう、好きと言っても良い。どうも彼は自己評価が低く、私に好かれていないのではと思っているようだが。もしもそうだとしたら、この私が何年も何年も傍にいることを許すはずがないというのに。レイは頭が良いくせにそういうところは馬鹿だと思う。

 私はレイのことが好きだし、レイだって私のことが好きだ。私とレイでは「好き」の意味こそ違うが相思相愛といって間違いではないし、レイの望みは私の傍にいることで私の望みは傍にいて世話をしてもらうこと。だから私たちは今までずっとお互いの傍に居続けることができたし、これからもそれは変わらないのだと、心地良いこの日常が変わってほしくないと願っていた。

 だがしかし。そう上手くいかないということに私は気が付いてしまった。気が付いたというか、思い出したというべきだろうか。


「……喉が乾いたわ、レイ」

「分かった、すぐに用意するね」

「アイスティーがいいわ」


 分かったと微笑んで頷き、レイは部屋を出て厨房へと向かった。そのレイの笑みを思い返すと私への慈しみで溢れていて、明らかに他の人へ向けるものと異なっている。そんなものを向けられるこっちの身にもなってもらいたいが、言ったところで変わることではないだろう。あれは昔からだ。

 さて、そんな彼は実に整った顔立ちをしている。色素が薄いサラサラの髪や穏やかな目元など、全体的に儚げな雰囲気がある。私たちの通う清楼院学園の高等部は生徒会がきらびやかな人たちで構成されているが、その中にいてもおかしくないほどだ。そして私というお金持ちのお嬢様の世話係(従者)で、成績優秀で、性格も良く、そこそこ不幸な過去がある。漫画のキャラクターかというくらい出来すぎな設定だが、それは間違いではない。正確に言うなら漫画ではなくゲームのキャラクターだが。


「……ゲームの世界、ねえ。言っても信じて……くれはするだろうけど、流石に言いづらいわよ」


 私たちが生きる世界が実はゲームの世界である、なんて言ったところで大抵の人間は信じられないだろう。レイの場合は私が言うのならと無条件に信じそうではあるが、だからといって話せるわけではない。

 そう、この世界はゲームの世界である。しかも乙女ゲームと呼ばれる種類のものであり、レイは攻略対象の一人で私は悪役というなんとも都合の悪い設定なのだった。


 昔から私ではない誰かの記憶があることには気が付いていた。うすらぼんやりとしたものではあるが他人の記憶があるというのは奇妙なもので、実際私は変な子供だったのだろう。知らないはずのことを知っていたりすることが何回かあって、この記憶は一体何なのだろうかとずっと思っていた。本を読んで前世というものを知り、もしかすると前世の記憶なのかもしれないと思い至ったのはもう随分と前のことだ。

 記憶があるといっても鮮明なものではなく、夢で断片的に思い出したり、デジャヴを感じたりする程度だった。その虫食いだらけの記憶はひどく曖昧なもので、前世の「私」がどのような人間だったのかすら私はよく分からない。思い出すのは大抵が漫画やゲームのことで、前世の「私」はどうやらオタクと呼ばれる人たちに分類されることは分かったが。

 そんな記憶の欠片から、前世と今では生きる世界が違うということに気が付いた。これは比喩ではなく文字通りの意味で、だ。前世では大ヒットしていた漫画がこちらには存在しておらず、なによりも私の家である綾小路家が前世には存在していないらしいということに気が付いたのだ。綾小路家はこの国有数の名家で世界中に名を轟かせる大企業の創始者でもある。それが存在しないということが、何よりも世界の違いを示していた。


 前世の記憶がある。それだけなら話はまだ簡単だったし、私がこんな風に悩むこともなかった。たかが前世の癖にこの私を困らせるなんて生意気な、と八つ当たりにも近い感情を抱く。

 前世の「私」はゲームが、特に乙女ゲームというものが好きだったらしい。今の私にはその良さは全く分からないし美味しいお菓子の方がよっぽど魅力的だと思うけど、どうやら前世は違ったらしい。仮想の世界でイケメンと恋をする、という行為に前世の「私」はハマりにハマり、いくつものゲームをやりこんだ。その内の一つ、タイトルは思い出せないが、とある学園ものにのめり込んだ時期があった。そのゲームこそ、今私やレイが生きている世界だ。

 転校してきたヒロインが生徒会や風紀委員会の美形たちと恋をするというものだったが、詳しいところは覚えていない。ただ、その攻略対象の一人にレイがいて、レイを攻略するときの悪役がこの私であるということは思い出した。それだけでも面倒だというのに、更に困った事態になっている。

 それは、ハッピーエンドになった場合、レイは私のもとを離れてヒロインと共に生きていくと誓うということだ。

 それは困る。とても困る。レイには私の傍にいて私の世話をしてもらわなくてはならないのだ、ヒロインなんかに渡すわけにはいかない。少なくともハッピーエンドになんてさせるわけにはいかなくなってしまった。

 このことを思い出したのがもう少し早ければ何かしら対策をたてられたかもしれないが、思い出したのはなんと今日だったのだ。今日、レイが風紀委員の仕事があるからと一人で帰らされた後に不貞腐れて昼寝をしたときに夢で見たのだ。前世の「私」がやっていたゲームに出てくる美月零というキャラクターが、ヒロインと風紀委員として一緒に仕事をしているというシチュエーションを。

 既視感なんてものじゃなくまさに今のこの状況を表すそれに、この世界がただ前世と異なるというだけでなく、どころかゲームの世界であるということを気付かされたのだ。


「……困ったわねぇ。レイを手放したくはないのに」


 レイは良い子だ。私の言うことはなんでも素直に聞いてくれるし、望みを全部叶えてくれる。主には絶対服従という奴隷根性が染みついているというか、とにかく私には従順なのだ。そんな彼を手放してしまうのは非常に惜しいし、好ましく思っている彼をぽっと出の女に取られてしまうというのも気分が悪い。

 だからどうにか阻止したいとは思うのだが、いかんせん私にはどうにも出来そうにない。身体が不自由で人の手を借りなければ何もできない私では、健康体であろうヒロインに太刀打ちできないのだ。そもそも原作のゲームでも(夕月)は悪役といってもヒロインに嫌がらせをするわけでもなく、攻略対象であるレイが依存している人物として扱われていたようだ。悪役よりライバルといった方が正しいだろう。出来ることといえば、レイに私のことを好きでいさせ続けることくらいか。それだってヒロインというご都合主義の前では難しいことかもしれない。

 ……困った。


「夕月、アイスティー入れてきたよ」


 レイが出ていってから時間にして五分ほど、つらつらとそんなことを考えていたがようやくレイが戻ってきたようだ。ご苦労様と一応一言だけ労ってから、彼が差し出してくるコップを両手で挟むようにして持った。私は指が上手く動かないから掴むことが苦手なのだ。箸も持てないからレイに食べさせてもらわなくてはならないし、だとするとやっぱりヒロインにレイを渡すわけにはいかない。


「レイ、私のこと好き?」

「もちろん大好きさ」


 私の突然の問いかけに即答して、どうしたのと優しく目を細めて私を見つめるレイはいつも通りのレイだった。櫻井陽奈とかいう女がおそらくヒロインであり、今日の放課後はその子と一緒にいたレイだが特に変わった様子はない。

 私のことが好きで好きで仕方ないといった様子のレイがヒロインのことを好きになるなんて想像もつかないけれど、でもヒロインが彼に接触し始めたのだからこれから先はどうなるのか分からない。これまでの日常がずっと続けば良いのにと願いつつ、私の頭を撫でてくるレイの手を甘受した。



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