Prologue-05
[ ――『エレウシス』 日本フラグメント―― 7月26日 19:06(UTC + 9:00) ]
深々と粉雪の舞い降る雪原を、肩を落として歩く青年が一人。
青みがかった銀色の満月が、千々に棚引く巻雲の隙間から朧に光り、中空に揺蕩う雪片を仄かに照らす。月光に輝く降雪、という幻想的な風景も、今は、青年の心と視線を奪うのに些か力が足りていないようだ。彼を懊悩たる心持ちに至らしめているのは、彼に与えられた初期装備の数々であった。
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アイテム名 : みすぼらしいシャツ
種別 : 服
希少性 : 一般(白)
性能 : 防御力+1
回避力+1
魅力-20
説明 : 大きなシミの付いたシャツ。みすぼらしい。
新しいシャツを買う金もなく、仕方なく着ているに違いない。
これを着ている限り、多分、ハーレムは作れない。
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アイテム名 : ナイフ
種別 : 食器
希少性 : 一般(白)
性能 : 攻撃力+1
説明 : ナイフ(食器)
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「はぁー……」
大息をついて項垂れた黒血は、当て所なく無人の銀世界を歩く。
一歩新雪を踏み締める度、一陣寒風が吹き荒ぶ度、一片舞う雪が唇に触れる度、黒血の脳は、生々しい感覚を伝えてくるが、そういった感覚全てが、コンピューターによる演算結果を入力として偽装された人為的なものだ。肉体は、現実世界のワンルーム アパートに横たわったままの筈だが、脳には、風雪乱舞する極北の地を歩んでいると、VRデバイス『Gnosis』が思い込ませているのである。
黒血は、どちらかといえば感受性の豊かな方で、『Raison D'etre Online』を開始した当初には、完全没入型仮想現実の先進性に対して、事ある毎に感動頻りだった。しかし今は、自らの不運を嘆くのに“精一杯”で、“自分の認識している世界”の革新的な再現率にも関心が向かなかったのである。
ふと、黒血の目線の先に、雪に烟って霞んで光る、黄金色の小箱が現れた。
「何だろう、あれ」
がらんどうの真白い世界には、至極不釣り合いな物体に黒血は興味を惹かれた。
「ギフト……?」
黄金色の小箱の正体に関して、黒血の出した結論は、『エレウシス』の世界中に、場所も時間もランダムで配置されるという“宝箱”、『ギフト』であった。『Raison D'etre Online』の開発者、川邊 直人へのインタビューでは、人跡未踏の地には多くの『ギフト』が眠るかも知れない、と掲載されていたが、確かに、今黒血のいる場所には、人跡未踏という言葉が相応しい。
「ま、ゲーム開始直後なんだから、どこもかしこも人跡未踏なんだろうけどさ」
呟きながら黒血は、躊躇いもなく黄金色の小箱を開けた。
黒血は――恐らくはプレイヤーの誰も――知らなかった事だが、『Raison D'etre Online』では、NPCと呼ばれるプレイヤーの操作しないキャラクター達も生活、そして冒険をしており、『ギフト』も当然取られてしまう。人跡未踏とは、何もプレイヤーに限っての話ではないのである。
《『破壊する者の外套(金)』を入手しました》
《称号『宿星の導き(金)』を獲得しました》
起こった事実を告げる簡潔な2行の文章が、寂寥たる鈴の音と共に、黒血の視界の右下隅に表示された。たった2行の文章が表す事実は、しかし、途轍もなく大きな意味を持っていた。
「え?」
黒血は、徐々に輪郭線を薄くしながら消えゆく、その開け放たれた黄金色の小箱、『ギフト』の空き箱を漫然と見つめたまま、何事か理解できていない様子であった。それでも彼は、呆けていた思考を一瞬で引き戻すと、慌ただしい手捌きでもって、左腕にした腕輪からメニュー画面を呼び出す。
黒血は、興奮を隠し切れない面持ちで、本日3度目の所持品確認を行った。
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アイテム名 : 破壊する者の外套
種別 : 外套
希少性 : 神格(金)
レベル : 1
スロット : 2
加護 : スロット1(なし)
スロット2(なし)
性能 : 防御力+1
回避力+1
隠匿力+1
特殊能力 : 破邪属性無効化
神滅属性無効化
攻撃対象が秩序の場合、攻撃に神滅属性を付与
攻撃対象が混沌の場合、攻撃に破邪属性を付与
説明 : 悪に落ちた破片世界を滅ぼす“破壊する者”が身に纏う外套。
“破壊する者”は、秩序にも混沌にも属さない唯一の存在。
女神が『エレウシス』守護の為に作り上げた無垢なる破壊者。
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黒血は、神格アイテムを入手した歓喜に酔い痴れると同時に、その神格アイテムの性能に舌を巻いた。『Raison D'etre Online』における“属性の概念”を理解している者であれば、この装備の真価に気付くであろう。
属性とは、キャラクターやモンスター、アイテムやスキルに設定された分類項目の1種類であり、相克関係を形成する。例えば、相手の弱点属性をついた攻撃を行う事で、通常より高い効果が見込めるのだ。
『Raison D'etre Online』には、9つの属性が存在する。最も基本的な属性が、“四元素”と呼ばれる【火属性】、【水属性】、【風属性】、【地属性】であり、これに【雷属性】を加えた5種類を“自然属性”と呼ぶ。さらに、“超自然属性”に【光属性】と【闇属性】が入り、【破邪属性】と【神滅属性】の“究極属性”2種類も“超自然属性”に分類される。
属性について掻い摘んで説明すると、火と水、風と地が互いに弱点属性となり、1.5倍の効果を発揮する。【雷属性】は、上位属性であり、苦手とする属性も得意とする属性も存在しない。【光属性】と【闇属性】は、“四元素”と同じ一般属性であり、互いに弱点関係にはあるが、特に“善と悪”といった大層なバックボーンを持っている訳ではない。光が回復や支援を司り、闇が弱体化や妨害を司る。
善と悪という『エレウシス』における二元論を体現するのが、【破邪属性】と【神滅属性】の“究極属性”であり、この属性は、【雷属性】と同じく、他の属性に影響を受けない。代わりに、互いに対して5倍の威力を発揮するという特徴がある。
また、『エレウシス』では、属性とは別に、全ての存在が【秩序】か【混沌】という業を持ち、業が【秩序】であれば【破邪属性】を、業が【混沌】であれば【神滅属性】を、それぞれ“防御属性”――攻撃を受けた際、自分の属性として判定される属性――として内包する。
つまり、『破壊する者の外套』の効果“攻撃対象が秩序の場合、攻撃に神滅属性を付与”と“攻撃対象が混沌の場合、攻撃に破邪属性を付与”は、言い換えれば、全てのダメージを5倍にする、という事なのである。
黒血は、ひとまず所持品確認を終え、もう1つの関心事について情報を閲覧しようと、メニュー画面を操作する。メニュー画面から【キャラクター】を開き、そこから【獲得済み称号】を選択する事で、称号の閲覧画面を呼び出す事に成功した。
黒血の【獲得済み称号】画面には、既に4つの称号が表示されていた。黒血は、それらを上から順に確認していく。
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称号 : 神話の継承者
希少性 : 神格(金)
効果 : NPCとの友好度変動率が上昇
獲得条件 : 希少性が神格の『栄光の石板』を獲得する。
説明 : 神話の時代に活躍した英雄の魂を継承した者。
英雄の力を引き継ぎ、未だ終わらぬ神々の闘争へ参じる。
輪廻の果てに、再び因果が英雄達を出会わせる。
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称号 : 宿星の導き
希少性 : 神格(金)
効果 : ランダム イベントの発生率が上昇
獲得条件 : 希少性が神格の『栄光の石板』を装備または所持した状態で
希少性が神格のアイテムを入手する。
説明 : 英雄の魂に触れた者は、大いなる力に導かれ、高みへ至る。
選ばれし運命の子らよ、宿命の星の下に集え。
森羅万象の存在を賭した決戦が、間もなく始まる。
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称号 : かわいそうな子
希少性 : 希少(緑)
効果 : 与ダメージ+10(絶対固定値)
獲得条件 : いずれかの『みすぼらしい』シリーズと食器を装備する。
さらに【魅力】がマイナスで、借金が100万シェル以上ある。
説明 : かわいそうな子……
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称号 : 借金王 Lv.5
希少性 : 希少(緑)
効果 : ???
獲得条件 : 借金が1億シェル以上ある。
説明 : 借金王 Lv.1 :借金100万シェル
借金王 Lv.2 :借金500万シェル
借金王 Lv.3 :借金1000万シェル
借金王 Lv.4 :借金5000万シェル
借金王 Lv.5 :借金1億シェル
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「借金王……?」
獲得済みの4つの称号の内、3つには思い当たる所があった黒血だが、『借金王』という称号を所持している事には、何の心当たりもない。
言い知れぬ心のざわめきを感じつつも、しかし彼は、先程までの暗澹たる気分を脱し、自らの幸運に雀躍したい想いであった。
『かわいそうな子』という称号の名前と説明については、言いたい事もあるだろうが、その効果は、序盤において中々に有益であろうと彼は考えていた。『破壊する者の外套』との連携効果も望める。己を惨めな風采にせしめたる初期装備品にも意味があったのだ、と気付いた黒血は、一層と晴れやかな心地になるのを感じていた。
ゲーム開始から10分もしない内に彼は、このゲームの頂点を狙えるだけの“武器”を手にしたのである。
[ ――『エレウシス』 日本フラグメント―― 7月26日 19:10(UTC + 9:00) ]
「ちょっとええか」
不意に、つい一瞬前まで無人だった筈の雪原で、黒血を呼ぶ女性の声がした。快活な抑揚を付けた声音は、人懐っこさを感じさせるが、その声には同時に、他人に決して心を許さぬような冷淡さも感じ取れる。
振り返った黒血の目に映ったのは、純白の世界に立つ黒尽くめの女性であった。西洋人形に嵌め込まれた宝玉のような紺碧の瞳と、蜂蜜色をしたショートボブの髪を持つその白人女性を、三流文筆家であれば“絶世の美女”と形容したであろう。首周りを完全に覆い隠す豪奢なマフラーと銀縁の眼鏡が印象的で、ゴシック調の耽美さの中に怜悧な知性を覗かせる。
黒血は、彼女の艶やかな貌に浮かんだ蠱惑的な微笑に息を呑んだが、彼女の頭上に輝く、NPCである事を示す小さな六角形の水晶型オブジェクトを見付けてからは、電子情報の集合体に過ぎない筈の彼女を、ここまで生々しく魅せる完全没入型仮想現実の技術力にこそ驚嘆の念を禁じえなかった。
そして、黒血の幸福なる10分間は、ここに幕を下ろすのであった。