↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨音を編む鐘職人は、聞こえない監査官と未来を鳴らす  作者: 銀細工ナギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/20

壊れた鐘と、聞こえない監査官

 雨の気配は、空より先に金属へ降りてくる。


 リゼットは工房の中央に吊るされた鐘へ、そっと指を伸ばした。まだ雨粒は屋根を叩いていない。けれど、鐘の内側に仕込んだ薄い銀板が、かすかに震えている。遠い雲の重みを、水路の湿りを、風の変わり目を拾っているのだ。


「あと一度だけ」


 彼女は革紐を引いた。


 鐘が鳴った。


 音そのものより、床板を伝わる震動が足の裏へ届く。低く、長く、王都の地下を巡る水路へ合図を送り、雨の到来を知らせるはずだった。


 次の瞬間、銀板が甲高く跳ねた。


 鐘の胴が青白く光り、吊り金具が軋む。工房の窓が一斉に震え、棚に並べた小鐘が床へ落ちた。リゼットは身を伏せた。轟音が壁を押し、耳の奥が痛む。鐘は一度鳴っただけなのに、その余韻が異様な速さで膨らんでいく。


「止まって!」


 彼女は鎖へ飛びついた。熱い。指先を焼かれながら留め具を外そうとするが、鐘は自分で揺れを増幅していた。胴の継ぎ目から細い亀裂が走り、赤い火花が散る。


 扉が開き、王立水路局の役人たちがなだれ込んできた。


「離れろ、リゼット!」


 誰かに腕をつかまれ、彼女は引きずられた。直後、鐘の底が砕けた。破片が石床に突き刺さり、工房じゅうに沈黙が落ちる。


 その沈黙を、役人の一人が切り裂いた。


「試作鐘が暴走した。設計責任者は君だな」


「違います。暴走する構造ではありません。内部の制振板が――」


「結果がすべてだ。王都の水路へ設置する予定だった鐘が、こんな有様になった」


 濡れた外套の男が、割れた鐘を見下ろした。王立水路局の紋章。彼はリゼットの返事を待たず、机の上の設計図を巻き取った。


「この計画は中止。工房は調査が終わるまで封鎖する」


 リゼットの胸の奥で、別の何かが壊れた。


 この鐘は三年かけて作った。雨音を記録し、水路の水位を予測する鐘。耳で聞くだけでは拾えない微細な変化を、共鳴する金属の震えとして残す。王都の水不足を救えるかもしれないと、彼女は信じていた。


「設計図を持っていかないでください。それは私の――」


「君の設計図なら、なぜ同じものが先週、ヴァルド商会から提出されている?」


 役人の言葉に、リゼットは息を止めた。


 床に落ちた紙の端から、見慣れない朱印がのぞいている。彼女の工房印に似ているが、刻印の右下にあるはずの小さな欠けがない。偽物だ。


「それは盗まれたものです。私の印ではありません」


「証明できるのかね?」


 答えが詰まった。工房の帳簿も、試作記録も、調査の名目で持ち去られる。誰がいつ図面を見たのか、今となっては示せない。


 役人たちは破片を箱へ詰め、封鎖札を扉に打ちつけた。リゼットが最後に工房を出るとき、棚の隅に置いた小さな雨鈴だけが無傷で残っていた。手に取ると、かすかな震えが掌へ伝わる。


 雨が降り始めた。


 王都の石畳を、細い水の筋が走っていく。リゼットは濡れるまま、閉じられた扉の前に立ち尽くした。


「あなたが鐘を壊したのではない」


 背後から声がした。


 振り返ると、灰色の外套を着た男が立っていた。年はリゼットとそう変わらない。胸元には王立水路局の監査官章。だが、彼の視線は彼女ではなく、靴元の水たまりへ向いている。


「……何を見ているの?」


「水面の揺れを」


 男はしゃがみ込み、指先を石畳へ触れた。


「さきほど鐘が壊れる直前、震動が二つ重なった。鐘の内部だけでは起きない揺れだ。地下水路のどこかから、逆向きの振動が返ってきていた」


「逆向き?」


「誰かが鐘の基部へ、別の共鳴器を仕込んだのかもしれない。あるいは、地下の水路に異常がある」


 リゼットは割れた工房の扉を見た。暴走は失敗ではなく、仕組まれたもの。そう考えれば、偽造された工房印も説明できる。


「あなた、鐘の音を聞いたの?」


「聞こえない」


 男は淡々と答えた。


「生まれつき、音を聞き分けられない。だから私は、音の代わりに振動を読む」


 彼は濡れた石の上に手を置き、顔を上げた。


「ユアン。王立水路監査官だ」


 役人たちが彼に気づき、遠くで何か叫んだ。ユアンは気に留めず、リゼットへ手を差し出す。


「リゼット。君の設計図は盗用された可能性が高い。だが、それだけではない。王都の水路そのものが、誰かに壊されようとしている」


 雨は次第に強くなった。


 リゼットは差し出された手を見つめた。職人としての誇りも、工房も、積み重ねた年月も、たった一度の暴走で奪われたばかりだ。それでも、掌の雨鈴は震えていた。


 遠い地下で、まだ何かが鳴っている。


 彼女には、その音が聞こえた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。