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第一章:第一節 契約

 ――暗い。


 何も見えず、何も聞こえず、何も感じない。

 それどころか、思考しているということすら実感できない。


 そんな虚無の世界を、統利の意識は漂っていた。


「ほう、この空間でで消滅せずに居られるとは……」


 声が聞こえる。心に直接語り掛けてくるような、妖しい旋律をたたえた、どこか中性的ながらも低い『声』。


「生への執着か。死してなお、生に執着し続けるとは……。面白い」


 まるで、統利を誘うかのように、からかうかのように、その『声』は続けた。


「熾条統利、聞こえているのであろう? 目を覚ましたらどうだ。人が話しているときに眠っているとは、無礼ではないか」


 ――目を覚ます? 身体の感覚もないのに、どうやって――


「そう思い込んでいるだけだ。大体、思考していることが実感できずとも、思考自体はできているであろうが」


 ――なら、どうすれば――


「知れたこと。思考すればよい。なにせここは、実体の存在しない虚体の世界。真実の存在しない虚実の世界。何も存在しない虚無の世界。そして――」


 その『声』は、寝付かぬ幼子に、子守唄を聞かせるかのような口調で、


「ありとあらゆる全ての存在する矛盾の世界」


宣言した。


 ――矛盾の……世界――


「然り。死してなお、生への執着を抱き続けるなどという矛盾を内包したおぬしなればこそ、この空間にて存在していられる。ならば、己の姿形を思い描くだけで、その実体を得る事ができよう。思考しろというのはそういうことだ」


 ――自分の姿を思い浮かべる――


 そう意識した瞬間、消えていた身体の感覚が戻ってくるのが分かった。靄が掛かったようになっていた思考も、徐々に鮮明さを増していく。


「あ……あ、ああ……」


 最初に声が戻った。


「そうだ、それでよい。さあ、思考せよ。汝が知る己の姿を思い浮かべよ」


 聴覚が戻る。声の聞こえ方が変わった。確かに耳で聞き取っている。

 触覚が、味覚が、嗅覚が、戻ってくるのが感じられた。


「あ……ああ……。俺……は……」

「ふん、この短時間で己を取り戻すとは……。そこまで生きたいか」

「生……き………る

 そうだ、ずっとその為だけに全てをかけていた。生きるために生きてきた。


「さあ、目覚めよ……。汝は誰そ?」


 声が問いかけてくる。

 お前は誰だ、と。

 お前は何だ、と。


「俺は……」


 俺は……、


「俺は……!」


 全てが戻ってくる。

 鮮明な思考ではない。

 確かな身体の感覚ではない。

 かつて統利が、死ぬその瞬間まで抱き続けてきたもの。

 統利の根幹を成していた『生きること』への執着。

 それが、再び統利の心へと沸き上がってくる。


「俺は……熾条統利だ……!」 その瞬間、世界が、生まれた。



~side ???~



「俺は……熾条統利だ……!」


 統利が叫ぶ。


「ほう……」


 虚無でありながら、あらゆる全ての存在する矛盾の世界。そして、それ故に他のどの世界よりも不確かで脆く、朧な世界。

 それが、たった独りの人間に認識されただけで、何よりも確かな存在として顕現した。

 ありえない、とは思わない。

 この世界、と言うよりこの空間の性質上、ここで行われた人間の思考は、直接この世界の有り様にすら干渉する。

 本来、この空間で実体を持つことは困難なため、思考による世界への干渉でそれを補完しているのだ。

 しかし、


(よもや、其れを実行できる人間が居ようとは……)


 今までに、統利以外にここに来た人間が居なかったわけでは無い。全員とは言わないが、実体化することができたものも居た。

 実体を持つと言う事は、世界を認識し、また、世界からその実体を認識されるということ。

 だが、この世界は脆く儚い。いきなり過度な干渉を受ければ、ただでさえ不安定な世界の構成が破綻し、空間ごと崩壊してしまう。無論、その中に居る人間も、だ。

 だというのに、


(この世界がいつになく安定している……。こやつの意思、否、執着が世界を創り変えたか)


 面白い。


 とても、面白い。

 やはり、こやつこそ我と契約するに相応しい。 湧き出る歓喜を隠しながら、『声』は統利に話しかけた。


「気分はどうだ? ――」



~side 統利~



 叫ぶと同時に、視覚が戻ってくる。

 さっきまでの意識だけの状態の時とは違い、世界がより確かなものとして実感できる。


(……しかし、虚無でありながら全てが存在する矛盾の世界、か)


 成る程、実体を得ることで、それがいやと言うほど実感できる。

 この世界には、淋しいほどに何もない。だが、同時にあらゆる存在を気配として感じとることができる。

 現実世界ではあり得ない現象だが、この世界ではそれが成り立っている。だからこその、矛盾の世界。


「気分はどうだ? 再び実体を得た気分は」


 体の感覚を確かめていると、『声』が話しかけてきた。


「……とても良い気分だ。死ぬ前よりも、な」

「それは何よりだ」


 統利の答えに、まるでからかうような『声』が返ってきた。相変わらず『声』の主の姿は見えない。


「そんなことはどうでもいい。ここは何処だ? 否……、それより、俺は死んだんじゃないのか」


 統利は、姿見えぬ『声』に詰め寄った。


「……やれやれ、実体を得たとたん其れか。もう少し実体の感覚を楽しんだらどうだ?」


 統利の質問には答えず、呆れたようにため息を吐く『声』。


「答えろ! 俺はどうなった!」

「せっかちな奴よ。……おぬしがどうなったかは、おぬしが一番分かっていよう?」


 確かに分かってはいたが、実際にそうだと断言されると、思いの外衝撃があった。


「やはり俺は死んだのか? ならば、ならばここに居る俺はなんなんだ! ここは死後の世界とでもいうのか!?」

「ここがどういった世界かについては、先程教えた以上の説明は難しいな……。死後の世界というのも、あながち間違いではない。生物は死して後、等しくここに来る事になる。……そういう意味では、今のおぬしは仮の肉体を得た魂とも言える」


 仮の肉体を得た魂。だが、何にせよ死んだことには変わり無いではないか。

 あれほど生に執着し続けてきたのに、偶然現れた通り魔にあっさりと刺されて、足掻くことすら出来ず、ただ生に執着するだけで、死んだ。


 こんなっ、こんなことが有って良いのか! こんなっ、なにも出来ずにっ――


「案ずるな。未だおぬしに生きる術がないわけではない」


 それを聞いた統利は、今までで最も強い反応を示した。


「それは本当か! どうすればいいんだ!」

「そう難しいことではない。我と契約すればよい。ただ其れだけで、おぬしは新たなる命と生きるための力を得るだろう」


 契約。それを行うだけで、再び生きる事ができるという。統利にとっては、願ってもない話だ。

 だが、流石の統利ていえど、二つ返事で是と答えるわけにはいかない。


「そもそも、お前は何者だ。何故俺に再び生を与えようとする」

「……其れはまず最初に聞くべき事だと思うが……。まあいい、我は……そうだな、おぬしら人間が悪魔や死神と呼ぶ存在だ。……そう身構えるな、なにも今すぐおぬしの魂をもらおうというわけではない」


 今すぐはもらはない、ということは、


「いつかはもらうという事だろう?」


 ならば、身構えるなという方が無理だ。


「人の話は最後まで聞かぬか。我がおぬしの魂をもらうのは、おぬしが特定の言葉を口にしたときよ。其れまでは、全力でおぬしを守り、生き延びさせると誓おうぞ」

 命を奪うものでないのであれば、問題はない。それが例え悪魔であろうとも、生きるためならば喜んで魂を売ろう。


「……いいだろう、契約だ!」


 統利が契約の承認を口にすると、身体のなかになにかが入ってくるのが感じられた。


「これは……」

『契約は成った。これよりは、おぬしを我の主とし、その願い全てを叶えることを誓おう』


 今までのように耳で聞き取るのではなく、頭に直接『声』が聞こえてくる。


「お前の事は何と呼べばいい」

『好きにしろ。我に名など無い。それに、今の我はおぬしそのものよ』


 統利と同化しているということだろう。頭に直接響いてくるこの声も、それが要因か。


『さて、おぬしの元居た世界では、おぬしはすでに死んでおる。故に、おぬしが元居た世界とは違う世界で暮らすことになるが……』

「構わない。生きていられるのであれば」

『ふん、おぬしらしい。では、往くか』


 その言葉と共に、統利の目前に扉が現れる。 それは、存在するが存在しない矛盾の扉。世界を繋ぐ異界の扉。


「ああ、往こう」


 そして、統利は扉を潜った。




TO be continued

というわけで第一章です。

ていうか長っ、契約するまで長いよ!

当初の予定通りいけば良かったんですけど、序章があんなのになってしまったので……。

取敢ず、次からはファンタジーっぽい展開になっていく予定です。と言うか、なります。はい。

まあ、こんな主人公達と駄文しか書けない作者ですが、何卒これからもよろしくお願いします。

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