再起
——あれから、一ヶ月。
「……っ、は……っ」
荒い呼吸が、室内に響く。
震える腕で、どうにか体を支える。
——三回。
たった、それだけだ。
腕立て伏せを三回こなしただけで、体が悲鳴を上げている。
「……くそ」
——泣けてくる。
輝かしかった前世の自分が、恋しい。
それでも、一ヶ月前よりはマシだ。
あの頃は、腕で支えることすらできなかった。
「なんでこんなにヒョロヒョロなんだよ……」
——まるで、生まれたての小鹿じゃねぇか。
——いいや。今日は、絶対に十回はやる。
腕立ての次は腹筋。
そのあとも——動けるだけ動く。
尋常じゃない汗と疲労に耐えながら、
「……もう一回だ」
震える腕を、ゆっくりと曲げた。
そのとき——
「……また、そんなことを」
——あいつか。
振り向く余裕もなく、歯を食いしばる。
「殿下……あなたが無理をすれば、大勢の人間に迷惑がかかることを——そろそろご理解いただけると助かります」
淡々とした声音。
小言を並べるグレンを、無視する。
「……はぁ」
小さく息を吐く気配。
「私を無視するのは構いませんが、せめて自重というものを——」
「うるさい……気が散る」
再び腕を曲げる。
——四回目。
ようやく、だ。
「……上半身裸でそこまで汗をかくと、また倒れますよ」
呆れたような声が降ってくる。
「俺が好きでやってるんだ。ほっとけ」
一度体を起こし、近くに置いてあったタオルを取り、じっとりと張り付く汗を拭う。
——これくらいで息が上がるのは気に入らないが。
汗をかく感覚自体は、嫌いじゃない。
——まったく。
毎日毎日、こいつがいると本当に鬱陶しい。
護衛騎士だろうが何だろうが、少しくらい皇子のプライバシーってものを尊重しろ。
腕立て伏せを再開しようと、床に手をついた——そのとき。
左腕を、強く掴まれた。
「……離せ。無礼だぞ」
「何のつもりです」
低く、抑えた声。
「その体で無理をして、何になるというのですか」
指先に、わずかに力がこもる。
「貴方は——この国の大切な皇子であられる」
一拍、置いて。
「……下手をすれば、“弱点”にもなり得る」
視線が、鋭くなる。
「今さら体力をつけようなど——やめていただきたい」
長い前髪の隙間から、
苛立ちと——わずかな焦りを滲ませた目が覗く。
「……病弱な皇子でいろってか」
渾身の力で、腕を振りほどいた。
「この国で——ただの“弱点”でいろってか」
「……っ」
一瞬、グレンの言葉が詰まる。
——こいつらのせいで、リオルドは弱いままなんじゃねぇのか。
ただベッドの上で日々を過ごし、まるで存在しないかのように——
迷惑をかけない“人形”でいろとでも言うのか。
——ふざけるな。
こんな国に負けたなんて、笑えもしない。
「……っ」
歯を食いしばる。
——なんで、俺は死んだ。
生きていれば、今すぐにでも——
あいつをぶん殴ってやれたのに。
……いや。
こいつだけじゃない。
あの執事も、周りの連中も——
「……過保護すぎんだよ」
ぽつりと、吐き捨てた。
ぽつりと、吐き捨てる。
「いいか、よく聞けよ」
ぐいっと、グレンとの距離を詰めた。
「証明してやる」
一拍、置く。
「…一年だ」
人差し指を突きつける。
「一年で、剣を振れるようになってやる」
「……騎士というものは、そんなに甘くはありません」
低く、諭すような声。
「それを証明するって、言ってんだろうが」
パッと、距離を取る。
「……本気ですか」
グレンは小さく息を吐き、こめかみに手を当てた。
しばしの沈黙。
やがて——
「……分かりました」
ゆっくりと顔を上げる。
「ただし、条件があります」
「なんだよ。この俺と取引か」
口の端をわずかに吊り上げる。
「一年で剣を振ることができなかった場合——殿下には、国務に専念していただきます」
一切の迷いのない声音。
「……」
そして、続けた。
「もし、一年で剣を振れるようになったなら」
一瞬だけ、視線が泳ぐ。
「——私は、殿下を軽んじた罰として、この髪を…切りましょう」
腰まで伸びた髪が、わずかに揺れた。
アークフォード家の者は、男女問わず髪を切らない。
それが——誇りだ。
「……贖罪のつもりか」
「……ええ」
一切の迷いのない返答。
「面白れぇ……」
口角が、ゆっくりと上がる。
「——じゃあ、取引成立だ」
グレンと視線が重なる。
「後悔するなよ」
「……それはこちらの台詞です」
こうして、俺の“二度目の人生”が動き出した。




