【36】弱者
ノストは血走る目を見開いて腕を交差させた。足を隠していたロングスカートが靡き、艶めかしくも真っ白な腿が顕になる。だがそちらに視線など向かうはずもない。そこに括り付けられていたのは2本の鋭いナイフだったのだから。
「思いもしなかったですよ。こちらから仕掛けて返り討ちにあうなど」
腿に繋がれた長い紫の刃が彼女の手に握られる。それが腕を伝って黒の紋様を浮かびあげた。
「わたくしが、負けるはずがないのですわ。誰もを無下にし寄せ付けなかった、このわたくしが。この程度の人間たちに負けるはずがない。わたくしの本気はまだこれからです」
堕天使が消え、腕と刃が一体となったノストの容姿は以前と異なる風貌があった。しかしそこにライトは負ける気がしなかった。
「何故だろうか。オレはお前に負ける気がしない」
それをそのまま言葉にしたライトは、剣を真っ直ぐに構える。引き抜いた剣を顔前に垂直に構えて臨戦態勢を整える。
「うるさい、馬鹿め。わたくしがアナタらごときに負けるはずがない。何人をここまでに犠牲してきたか、アナタには分からないでしょう!?」
ノストが荒々しい口調で、喉を壊すように叫びを上げた。そして強く前へと踏み込む。刃を持ってして斬撃を飛ばし、踏み込んだ足腰を回して斬った。ライトはそれを全うから受けて姿勢を屈めて剣を振り上げた。下方から上方へと斜め切りにされた剣を刃が止めて弾き飛ばす。
腕力が上がったノストの攻撃はライトの攻撃の数倍をいく。攻めは女。防は青年。敵対する2人が打ち付けるのは刃と刃だった。火花散るそこで、ライトは一瞬の隙も許さなかった。
「どうしたのでしょうか!?いつまでもわたくしの攻撃を避けて躱して。防戦一方ではアナタはわたくしの刃にかかって……死にますよ?」
ライトは、そのまま転回して距離を置き空気を変える。見えない彼女の速さは上がった。だが、オレは斬るのみ。それだけだから。
「なぁ悪魔。オレにもっと力を貸せ」
『馬鹿ナ奴メ。戯言ハ寝テ吐クノダ。己ガ己デ身ヲ滅ボスヨウナモノダガ?』
悪魔に対話を持ちかけた。ソイツは楽しそうにそこに言葉を続けた。勿論、それはオレが対価を支払えば支払うほど身体を乗っ取りやすくなるので嬉々とするのは当然の反応だと思う。
「構わない。なぜならこのオレがお前に身体を乗っ取られるような失態を晒すとは到底考えられないからだ。オレがお前と契約した際もお前が折れてオレに支配権が一律された。今回もそれと変わらない」
『何カ、オ前ハ事ノ重大サヲ履キ違エテイルヨウダ。オ前ノ意思デドウコウナルコトデハナイゾ、馬鹿メ』
だから意識の中で悪魔にも刃を向けた。
「その時はオレが、オレでなくなる前にお前を怖そうではないか」
挑戦的な意志を込めて。ライトは悪魔にそう唱えた。だが悪魔は失笑してその後にこちらに纏を着せた。
『後悔スルナヨ、人間。ヨモヤコレモ己ノ優シサダ。最終宣告トナル前二素直二己二差シ出セヨ』
意識から開放されたライトは、先と異なる覇気を纏っていた。速さが倍となり足も剣筋も音速に達する。力で勝機が見いだせないのならば太刀筋で圧倒する他ないのだ。
「クッ!!所詮は一般人ですよ。魔女を犠牲として作り上げたこの力に負い目はありません」
ノストが床を蹴飛ばしてライトの目の前に躍り出た。素早く交差させられた2つの刃を後方に体重移動し避けて躱す。剣を引き上げて滑らして弾いた刃に連続で攻撃を降り注いだ。
「速さはお前の数倍をいく。だから、言ったんだ。オレはお前に必ず負けないと」
攻め立てたライトは立て続けに上方から剣を振り切る。ノストは苦渋を浮かべて前に進んだ。
振り切られた刃を飛ばして、ライトは大きく踏み込む。近距離から振り下ろされた剣筋にノストは怯むことなく突っ込んで行った。
「剣だけが刃ではない」
その言葉を合図とするかのようにライトは、剣を突き出しノストを誘導させて懐に潜り込ませる。間合いを詰められて不利に思われた状況。しかし、ライトの足は彼女の腹部目掛けて飛び出した。
「ガハッ……ッ!!!」
見事ヒットした横から飛び出した回し蹴り。今のノストにそれを躱す余裕を持ち合わせていなかった。
「これでも、お前は最強を口にするか?」
そのままノストは一瞬にして壁に身体全身を打ち付けた。水平線上に吹っ飛ばされたノストはそこに血を吐き出して壁に埋め込まれる。
「なぁ?力に埋もれた研究員?」
青年は感じ取っていた。彼女の強さはたくさんの犠牲から作られた偽物の強さであったことを。
腹部から滲んだ鮮血と、身体全身に負っていた傷口が徐ろに現れた。それは天使の力の効果切れを示し、無限と思われた再生には限りがあったことを鮮明に告げていた。
何故でしょうか。重なった重症の傷口は、癒えることはないのに。それよりもずっと心にある傷が痛い。
ずっと後悔していた。班を組んで高難易度の魔女討伐に参戦したことに。
こちらに対して軽視しかしていなかった魔女は1歩も動かず自分以外の人間を殺した。切断された身体の上下は、自分に強い悪夢を残して。それでも皆、先陣を切って前に立ったのだ。それが悪であり、それが魔女狩りとしての自分たちが選んだ道だったから。
それでも呆気なく分断された。世界は暗転し、自分は1歩も動けなかったのに。班員が周りで殺されていく中でも自分は恐怖で足が動かなかったのだ。誰しもが前に進めるわけではない。そして、自分は腰を抜かしてその光景を呆然と見つめていることしか出来なかったのだ。
懸命に逃げて彼らを犠牲にして、自分は生き抜いた。だがそこまでして生きたところで後悔しか残さなかった自分に残された道はほとんどが黒だった。ただ怖いの一言で意識は埋め尽くされていたのだ。
自分に唯一残されていた研究という名の特別な時間。昔から、頭を動かすことだけは苦手ではなかった。そして時間を費やし力の前で屈服する自分を消した。そして、同じ魔女の存在を犠牲にして自分は力をつけた。それが自分にできた最大の足掻きだった。
しかし、その積み重ねでさえ本物には足元にも及ばない。新しく見つけた天使を黒に染めたとしてもそれが彼らに届くことはない。掠めた視界に残った青年は本物の悪魔を宿していたから。
「アナタのその力だっていつまでも続くことではないですから……無限はない、の……ですよ。ライトく、ん」
剣を鞘に収めて膝を着いたライトは意識を戻すべくして一息つく。悪魔に侵食されれば元も事ないのだ。そして、戻ったライトの世界は色が着いた鮮やかな彩りだった。
◇◇◇
「起きてください、アレンさん!」
ライトに頼まれて地下室にやってきたもののエイジはただいまアレンのアラームと化していた。地下室の奥へと進むと眠っていた姿のアレンが顔を出したためだ。しかし、近くにあった書類の束にエイジは目を通していく中で驚きを隠せなかった。
「これは……やべえな」




