【37】紫のヒヤシンス
「ヴィア!!?」
トオリの甲高い声にライトの朦朧とした意識が引き戻される。トオリは自身の血液をそのまま腕に輸血してシルヴィアの頬を優しく撫でた。
「大丈夫だから、大声出さないでくれる?」
青白い顔色の彼女が細々く口を開いたのを聞いてトオリは視界を潤ませる。その乾いた唇を動かして。
「ご、ごめんなさい」
頬を緩ませたトオリを見たシルヴィアは、深く息を吐くのだった。弱々しく手で拳を作って自分がどれだけ回復したのかを確認し、そのまま脱力するようにトオリに寄りかかったシルヴィア。
「これでは、ここ1、2週間は肉や魚の生活を続けなきゃいけないということね……血液内の酸素量も不足して貧血状態だし、面倒くさい」
ブツブツと呟いたシルヴィアは座り直してブスリと顔を顰めた。彼女らしからぬ表情ではあるが、制限付きの食事は少々面白くないものらしい。
「それよりライト、君は大丈夫?」
だが自分のことだけに目を向けているシルヴィアでもない。トオリの顔色を確認したあと膝をついていたライトに視線を向けた。以前に倒れているだけあって、そこで懸念の意を持ち合わせるのは当然でもあったのだが。
「ぁ、ああ」
歯切れの悪い返答をしたライトは、頭痛と吐き気に襲われていた。これが悪魔の言う対価なのか?だが、それも数秒の事で正常へと戻る。灰色がかってぼやけていた視界も回復し、頭痛や脈打つ拍動も収まるのだった。
「シルヴィア、お前のその力は長期戦不可だろ?馬鹿だな」
ライトは立ち上がり、何事もなかったような素振りでそのままシルヴィアたちとの距離を狭める。強気発言にシルヴィアも眉尻を下げて細く笑った。
「うるさい……それより彼女の意識が回復するまで、ろくに情報も入手できないでしょうね。私たちの方に情報系の人材がいないから、質疑応答以外に手段はない。ここで待つのは時間的に無駄になってしまうけれど仕方ない、か」
シルヴィアが壁の下で座るようにして倒れていたノストを見据えて、彼らに指示を向ける。それを聞いたトオリは頷いて立ち上がった。しかし方向転換はすぐに起こされ、向かった先はライトの方向。青年もこちらに向いていたので簡単に視線は交差する。駆け出し気味にライトに近寄ってきたトオリ。
「そういえば、エイジはどこに行ったのでしょうか?ライトとヴィアがいてアイツだけボッチっていうのはさすがに可哀想な気もしますが……」
案外、トオリなりにエイジの存在も大きいわけだ。別に気にはしていませんなどと付け足していても頬を染めている彼女を見ると微笑ましくも感じる。そんな彼女に指を扉に向けて教える。
「エイジにはその女の地下室での研究について情報を集めてきて欲しくて頼んだんだが、まだそれをやっているんじゃないか?アイツの割にこの時間は、多分情報量が多いんだろうな」
ノストを横目に映しながらライトは、トオリに行っていいぞと目配せする。だがトオリからの返答は少々ズレが生じるもの。
「一応伝えますけど、私はアイツを気にしているってわけではないですからね!意味があるとするならアナタたちの方ですから、それは理解しておいてください」
見当違いの返答でライトは少し、心内に違和感を感じたがそれを流して。反応したトオリはキッと目を見開いて何かを否定した。そうしてトオリは、青年が小首を傾げたのには気付かずにスタスタと歩いていく。髪を結って普段通りになった彼女は教会から足を出してそのまま消えていくのだった。
「なんだったんだろうか……」
一人になったライトはクルリとシルヴィアの方に姿勢を向けて苦笑を浮かべた。険しい顔の彼女はライトをじっと見ていたのだ。
意味が違う。
敵に塩を送るとはこのことを言うのか。自分があの場で釈然と居座り続けるのには少々抵抗があった。だから、エイジを言い訳にして抜けてこれたのは案外良い策だったのかもしれない。
「ですけど、それだけじゃないんですよね……あの2人の関係は微妙なんですよ。だけど彼らにしかない絆があって、それは今の私には到底入っていけない場所。だから、そういう意味で話し合う場を設けるってことだったんですよ?」
ライトに講義の念を抱きながら頬を膨らましたトオリは、そのまま少しの微笑みを浮かべて。教会をゆっくり外から眺めた。
「アナタたちの理解者は互いなんですね、そしてヴィアに今必要なのはアナタです。悔しいですが、今はアナタにヴィアを任せますよ」
トオリはそう自分の中で呟いて、クルリと背中を向けて地下室に向かった。
「ババア、普段よりも数倍老けた顔をしてるぞ?」
初めに冗談を織り交ぜてシルヴィアに会話を投げかける。
「何がババアよ……ったく。それで君はエイジのモヤモヤを取り払えたのかしら?偽善者ぶっちゃってぇ。誰にだって苦悩なんていくらでもあるんだからそんなのに毎回引っかかってたらキリがないわよ?」
シルヴィアがこちらに呆れの視線を向けてきたので、ライトは顔には出さずとも満足そうに頷いた。
「あぁ、エイジは良い奴だよ」
「回答として成り立ってない」
じっとりとした視線を向けられ、やや後方に退いたライトは話題転換をしてシルヴィアの前に立つ。
「それよりお前は自分の心配をしろ。血、足りてないんだろ?少しは術も使えるようになったのなら、オレのも分けてやるからさっさとしろ」
腕裾をめくって突き出して見せると、シルヴィアがやや不快そうに表情を歪めた。不審者でも見るような顔つきで警戒を全面的に浮かべて。その意味も次の言葉でハッキリと分かるのだが。
「君の表情が憎たらしい。私が吸血鬼のような言い様じゃないの。私とあんな獣を一緒にしないで欲しいわ。それに魔女は存在するけれど、吸血鬼は創作上のもの。そこの区別、分かっているわよね?」
呆れを催す言いようだ。ライトは片手で採血針を刺してそのまま彼女に血を渡す。
「オレに牙を立てるなどありえない。まず、オレは一言も吸血鬼という単語を発していないのだが?思考が突発的になっていてこちらの方がものを言いたい」
ため息混じりに投げ渡した輸血用の血をキャッチしたシルヴィアは、淡々とそれに術を施していく。
「有難く頂戴するわ。それにしても、君も自分をもう少し大切にすべきだ。自分で平常を装ってはいるけれど隠せてないわよ」
シルヴィアがこちらに対して見透かしたように、口元を綻ばせた。自分では完璧だったと思っていたのだが、実際はそうでもなかったのか。
「お前の目は偽れないのな」
シルヴィアの前で屈んだライトは腕を引っ張られて声にならない驚きを覚えた。そして、頬をなぞった細い指先。
「痩せ我慢はお互い様ね」
そう言ったシルヴィアはライトをじっと観察するように数秒間見つめた。意味がわからない不明な行動にライトは抵抗を試みる。だが、その瞳に見つめられては逃れることは不可能だった。
「その眼……」
呟かれた言葉にシルヴィアは、あっと口を塞いで手を離した。その瞳には動揺が揺れて。
ライトの眼の魔法陣がうっすらと残っていた?
自分が映した光景に疑問を抱きながらシルヴィアは通常通りに表情を戻して、ライトの髪に触れてホコリを払う動作をする。
「ホコリ、ついてたわよ?」
息を吐いて気持ちを落ち着けたシルヴィアは解放されて立ち上がったライトに、手を前に出す。
「あぁ、そうか……それで、その手は何?」
白く細い手の平が自分の前に差し出されて意味がわからずそれをとる。しかし、シルヴィアは不満そうに首を降って大きな瞳がこちらを見上げていた。
「ライトはもう少し相手の気持ちを察する術を身につけた方がいいわよ。あと、乙女心もね」
無表情で淡々と並べ置かれるその言葉の数々に眉を寄せたライト。他人の想いを察することは別に苦手ではないのだが。
「乙女心とかいう言葉を口にするには、少々お前だと歳的に無理があるだろ」
失笑しながら彼女を見ると冷たい睨みが返って来る。
「立たせて。私、怪我人。いや、血が足りていない病人かしら?まぁいいわ。元気な君と違ってこちらは、自力で立てないの。悔しいけれど引っ張りあげてくれる?」
宙に据えられたその手を見て、ライトは渋々シルヴィアを立ち上がらせる。断ることは青年には許されない。だが、昔とは逆の立場にライトはフッと笑いが込み上げた。
「面白いな」
「何を笑っているの?そんなに私が惨めだったかしら?君も性格が悪いわね」
棘のある言葉にライトは黙って、シルヴィアを見据えた。肯定も否定もせずに。
「いや、別に」
シルヴィアを引っ張りあげて、その細い腰に腕を回すライト。苦笑いを浮かべて至近距離でシルヴィアを覗く。
「ありがとう」
「あぁ」
立ち上がったシルヴィアはよろけることなくライトから離れて、自力で立った。
「さて、お目覚めかしらね」
シルヴィアの言葉にライトもノストに、視線を向けた。うっすらと瞼を開けたノストは小さく音を漏らす。ライトとシルヴィアもそれを聞き取っていた。
「紫のヒヤシンス」
花言葉は、悲哀と。
そして初恋のひたむきさ。
自分にとってそれは、仲間に対しての真っ直ぐな気持ちだった。内に秘めた大切な大切な気持ち。




