【33】手を伸ばした先はまだ遠く
彼女に光は、存在していなかった。それは自分でさえも驚く程に鳥肌が立つほど冷たいものだった。
それが最初に彼女を見た感想である。それもすべてそこにいたノストという女のせいなのだろうと。悔しさに奥歯を噛んで耐えたシルヴィアは平静を装いつつ言葉を絞った。
「その余裕はどこからのものなの?今の現状を理解しているのならば自分の身を危惧すべきだわ。馬鹿らしい」
手から離した赤い剣の結晶を霧散させて距離をとったシルヴィア。彼女の動作とその腕から滴る赤い血液を情報として取り入れたノストは、自分の腹部の流れ出る生気に身を制して佇んだ。
「ええ、こんな傷。問題ないですわ。今のわたくしにとってこの程度の治癒、簡単に治してもらいます。それと面白い妖術を持っているのですね。それは……血液を固めて自在に操る、と言ったところでしょうか」
手をガッと前に出して、広げたノストの背後に巨大な黒が立ちはだかる。シルヴィアは脳裏で微笑みを消して、真剣に彼女を相手にする。これが聞いていた堕天使、というわけか。シルヴィアは風圧に腕を前に掲げて間から覗く。
「それが、堕天使?」
「そうですわ。わたくしの長い間の究極の研究成果です。天使も悪魔も白と黒で分けられます。しかし、天使は一般的に白として君臨します。そこで悪魔の血と混血にするのです。その瞳を神の前で差し出し祈るのです」
彼女の腹部を貫いた穴が少しずつ塞がってゆく。垂れ流しになっていた生気が閉ざされてゆき、そこに留まる。こんな感覚は久しぶりだとそう直感が告げていた。
「わたくしに力をお与えください。たとえそれが悪に染まろうとも絶対的な誰も寄せ付けない力量を、と。」
上に姿を現した天使が紫の弓矢を引いて待つ。しかし、その弓矢が放たれた軌道はシルヴィアの横を通り抜けて曲がった。そしてそれが修正されることはない。
「あら、アナタは問題ないと言っているようだけれどそれほどまでに小さな傷ではないようで」
見透かすように言いのけたシルヴィアにノストも唇を噛んで強気で出る。
「たまたまですわ。それに……」
1番の気がかりの方に視線を向けてぐったりとしていた彼女はというとぐったりと身体を下げていた。次は、という気持ちをそこに握った手を広げる。だがノストは自分の立ち位置が揺れたことを錯覚した。
「どういうこと!?」
咄嗟に出てしまった言葉にシルヴィアはその隙を狙って彼女の脇腹に細長い釘を三本放った。ノストが後方に飛び退く姿を捉えてそのまま彼女に起動を合わせる。
「ヴッ!!!」
汚い苦痛を飲んだ音がノストの口から漏れでる。下方に立っていたシルヴィアを睨んで、それでも彼女に気が抜けない。
それはシルヴィアも悟っていた。
「トオリ……」
名前を呼ばれた青はそこに立ち塞がり前に、短剣を突き出した。今の彼女にとってそれはもう届くことはない。
「やっと裏が表には出たのですね……ますますやる気が湧いてきますよ!」
だがトオリが一振した剣は短いことにも関わらず大きな斬撃を生み出すのだ。それは、誰もが予想できないほどに彼女の細い腕からは生まれないと思われる腕力で。
「内に秘められた彼女自身の……、悪魔?」
その容姿が見た事のあるナニカに似ているようでシルヴィアは頭痛を感じるのだった。それはまるで悪魔だったから。
「でも、どうして……」
しかしシルヴィアが言葉を探している間にノストは壁に打ち付けられていた。斬撃が重なりノストはそのまま吹っ飛ばされる。身軽な身体を捩って短剣を操っていくトオリ。
「相当やばい……、ですね」
呟いてずるずると下に落ちたノストは自分の出血量を確認し危険さを再認識する。どうやら、上官殿との戦いが後を引いて治癒が間に合っていないらしい。打ち付けられたノストを横目にシルヴィアは眼光を変える。
「話は後で聞くわよ、トオリ。だけど先に。君を助けるからそこで覚悟して待っときなさい。私の話を聞くまで君に誰かを殺させたりしないから」
仲間としてではなく、今は助ける相手として。シルヴィアは悪魔に支配されたトオリを見据える。
「……ァ、……」
彼女のリボンが解け、長い髪が乱れてなびいた。それを見たシルヴィアは不必要な感情を伏せる。
「君のその長い髪を見るのなんて初めて会った時以来ね」
表情を引き締めたシルヴィアはそのまま腕から流れ落ちていく血液を槍として5本構築していく。そして、トオリはその両手に短剣を強く握りしめ構えた。床を踏み込んだトオリは魔物のごとく牙を剥いて、シルヴィアに斬りかかった。
それに合わせて三本の槍を一斉に放つ。シルヴィアが両手を交差させ前に広げた。
2つが衝突する鈍い金属音が周囲に響いて赤い結晶が粉砕した。すべてを弾いて落としたトオリはそのまま身体を回転させて一気にシルヴィアに斬りかかる。
「クッ……」
音を漏らしてシルヴィアは、床を踏み握った。作り出した鋭い赤の刃を両手にシルヴィアはそのままトオリと対峙した。
滑らして止めて前へと突き出す。普通の剣技ならばシルヴィアにも勝機はあっただろう。だが、これは本物の悪魔対魔女だ。どうにもこうにも倍増された力量に応えることは困難だ。
滑らした剣は、そのまま力任せに弾かれシルヴィアは後方に転回した。しかし、踏ん張りを効かせてもう一度飛び込んだ赤い剣はカウンターで攻防を巻き戻す。
攻め立てたシルヴィアの剣はそのままトオリの懐に入り込み一瞬にして突き刺そうとした。だが、トオリの身のこなしは軽くしなやかだ。
目にも止まらぬスピードで交わされた攻防に気を緩ませることなど許されることではなかった。
だが、シルヴィアはそこに自嘲の笑みを浮かばして。そこに自分を信じようとする意志を宿して、告げた。
「私はつくづく近接が苦手らしいわね。トオリに追いつくのがやっとだもの。悪魔であるとかそうではないかとかは別して私はこれを言うのだけれどね」
そのまま前に踏んだシルヴィアは先の一瞬でトオリに斬られた足からの血液をそのまま釘と化して放つ。鋭く尖った刃をトオリに向けるのだった。しかし、それも彼女の剣劇を前にすれば無となる。
「それでも私は思考を巡らす。普通に君を助けることが出来ないのならば、私は一歩でも二歩でも先に踏み込んで戦闘の展開を予測していくの。それが私の先手必勝方法なのよ」
そのまま宙に躍り出たシルヴィアは足に伝う赤い雫に触れて力を込めた。トオリの頭上に赤い結晶が構築されていく。それが幾つもの刃となって雨となって降り注ぐ。
「工夫は大事よ?単調な攻撃だけでは悪魔の力も無駄になってしまうものね」
余裕じみながらも血液量が減少した身体に少々シルヴィアは体勢を崩した。しかし、そんな痛みなどは我慢で耐え凌ぐ。地面に着地し刃の雨を捌ききったトオリを見た。
「私の前に立つ者は、倒すと決めている。でもトオリ。君は1度倒してからいろいろと話すことが多いようで?」
ところどころで突き刺さったシルヴィアの赤い結晶は音もなく綺麗な粒子となって消える。トオリの身体に穴を開けたそれに罪悪感などあってはならなかった。
シルヴィアは状況整理、及び判断と対応が早い。そこに私情は挟むべからずなのだから。
「……ダメで、す」
しかしトオリは立ったまま硬直した。シルヴィアはその様子を見て、目を見開く。
手を伸ばして彼女が差し出した助けの手を取ろうとシルヴィアが真正面から対峙した結果、彼女は数倍の黒を放ってそこに存在していたのだった。




