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吸血鬼殺し

 夜通しというわけではないが、あれやこれやと食べ過ぎて少しばかり苦しむ腹を抑えながら、俺は身体にかかった布団を退かしつつ起き上がる。それでもなお纏わりつくような柔らかな感触に目を向ければ、ルーミアが裸のまま俺に抱き着いて寝息を立てていた。


 なんだか、すごくイケナイことをやらかした翌朝みたいな目覚めだが、別に酒を飲んだわけでもないので昨夜の記憶はバッチリある。それに、寝ている時にルーミアが俺にしがみついているのも、その時衣服が邪魔だからと脱いでしまうのもこれが初めてというわけでもない。


「ルーミア、朝だぞ、起きろー」


「んにゅう……だっこー……」


 ルーミアの身体を軽く揺すると、更に強く抱き着きながらそう言って顔を押し付けて来る。

 あと10分、とかでなく抱っこを要求してくる子供らしさに頬を緩めながら、俺は抱いたまま創造魔法を使って服を着せる。普通の服であれば、これをすると形が崩れてしまうのでやらないが、ルーミアの服は元より俺が布を適当に服の形に仕立て直した物なので気にすることもない。


 腕の中でウトウトしているルーミアを抱えたまま、部屋を出る。本日泊まっていた宿は、冒険者ギルドの傍にある受付のお姉さんオススメの場所。銀貨1枚でベッドのある場所に寝れて、銅貨5枚で朝食が付く。まぁ、前世のサービスなど望むべくもないが、ずっと砂漠暮らしでカルバート村でもさして状況は変わらなかったことを思えば、ちゃんとしたベッドで寝れるというのは銀貨1枚払ってでも享受する価値はある。


 ちなみに、昨晩での消費額は銀貨2枚。開けた樽が一つで、ルーミアと俺の食事代でもう半分だ。食べた肉は俺達が持ち込んだ魔物の肉だったので調味料代と調理代だけだったのだが、好きに食べていいと言ったらルーミアが思った以上に食べたのでこの金額になった。次からは割と真面目に自炊を考えたほうがいいかもしれない。


 とはいえ所持金はまだルナさんから貰った分も含めて金貨5枚とちょい。一応の余裕はあるし、焦る必要はないだろう。


「レン、レン、今日はどこ行くのー?」


「んー?」


 そんなわけで、朝食を摂った後、俺はルーミアを伴い外へ出ていた。


 夜空宮殿(ナイトパレス)の街並みは、全体的に同じような大きさの建物が整然と並び、景観はとてもいいのだが如何せん慣れないとどこまで行っても同じような景色が続くために迷いやすい。ただでさえ、朝だろうとお構いなしに夜闇に包まれた国であるのだから猶更だ。そのため、少しでも目印になる冒険者ギルドのような一回り大きい建物を目に焼き付けんと周囲に注意を向けていて、ややおざなりな返事となってしまった。ルーミアが拗ねたように頬を膨らませ、ぐいぐいと裾を引っ張ってくる。


「悪い悪い。えーっとな、カルバートさんやスペンドさんに、夜空宮殿に住んでる家族に手紙を渡してくれって頼まれてるから、それを渡しに行くんだよ」


「そうなんだー、えへへ!」


 頭を撫でてやりながら言うと、実のところ目的自体はさほど気にしていなかったのか、返事も適当なまま嬉しそうに俺の腕にしがみついて甘えてくる。頬擦りされる度、ぴょこぴょこと跳ねるルーミアの癖っ毛がまるで子犬の尻尾のように今のご機嫌を表していた。


 カルバートさんの息子は現在ここの貴族に仕えており、スペンドさんに至ってはそもそも本人が上級貴族の出だ。当然その家族も同じ貴族であり、つまりは手紙を渡すべき相手はどちらも貴族街――この国の中心にそびえ立つ漆黒の宮殿、その周辺に広がる上級貴族達の街に居るわけだ。


 変わり映えのしない石畳で舗装された道を歩き続け、やがて辿り着いた貴族街の街並みは、やはり平民街とは一線を画する。建物一つ一つの大きさがかなりデカイ上、平民街では一切見られなかった庭園が存在し、家一軒一軒の間もかなりゆとりを持って作られている。魔力結界や城壁の都合上国の面積を簡単に広げられない魔大陸において、この使い方はかなり贅沢と言えるだろう。


 さて、貴族の街ともなると庶民はオコトワリなイメージがあったが、流石にそこまで閉鎖的ではなかった。考えてみれば、貴族のほうから冒険者ギルドに素材の採取やらなんやら頼むこともあるわけで、完全に閉ざしてしまえばそのやり取りさえ不都合が生じる。だからと言って堂々と歩き回れるかと言うとそうでもなく、時折出会う人に会釈をしてみれば、あからさまに顔を顰めて足早に去って行かれた。やはり階級社会ともなれば、こういった差別意識はどうしても付き纏うんだろうか。昨夜の一件もあったのでもう少し友好的かと思ったのだが、ああいう親しみやすいのは下級貴族だけなのかもしれないな。


「っと、ここか……」


 やがて辿り着いたのは、貴族街の中でも比較的中央に近い場所に存在する一つの洋館。砂漠にある岩を使っているため茶色系統が多かった平民街の建物と違い、どうやったのか純白に染められたその外観は、月明りに照らされて何とも言い難い気品と優雅さを醸し出していた。


「我が主の館に何用ですか?」


「おわっ!?」


 突然後ろから声を掛けられ、素っ頓狂な声を上げながら慌てて振り返ると、そこに居たのは黒い執事服を身に纏った悪魔族の青年だった。

 その表情は笑みの形を取ってはいるが、なんというか、物凄く警戒されている感じだ。ここに来るまでに出会った上級貴族らしき人達のように侮蔑や嘲りのような視線を向けるのではなく、俺が何者か見定めようとするかのような、ひどく敵対的な視線。

 服装のせいで分かりにくいが、その肉体はかなり引き締まっており、かなり強そうだ。力尽くで追い払われるようなことになれば俺も無事では済まないかもしれない。


「あーっと、カルバート村から手紙を預かってまして……」


 とはいえ、今日は何も戦いに来たわけではない。ひとまずそう言って、背負っていた荷袋から手紙を取り出して見せる。

 手紙と言っても、本当にその名の通り紙に書いてあるわけではない。この世界ではまだ紙は貴重品なので、木版のような物に文字を刻んで文通しているようだ。


 そして、特にその手紙にカルバート村特有の印とかがあるわけでもないのだが、俺の『カルバート村』という言葉を聞いただけで、その悪魔の表情は一気に喜色に富んだものへと変わった。


「ああ、父上からの手紙か! すまない、最近物騒なものでつい警戒してしまった」


 漂っていた不穏な空気が霧散し、悪魔の青年は人当たりの良い優しげな笑顔を浮かべる。


 父上ということは、この人がカルバートさんの息子か。上級貴族に仕えてその方針に意見しているとは聞いていたが、なるほど確かに、同じ笑顔であれだけ意味合いをコロコロ変えられるのは政治家向きなのかもしれないな。


「父上から聞いているかもしれないが、私はハルバート・ネイルだ。ハルと呼んでくれ」


「俺はレンと言います。でこっちが……」


「ルーミアだよ! よろしく!」


 にぱっと笑みを浮かべながら、ルーミアが自分で自己紹介をした。


 おお、もうそこまで出来るように……なんだかちょっと感動した。子供の成長を見守る親の気分だ。俺がルーミアに会って、まだ2週間と経ってないんだけどね。


「レンさんにルーミアさんか。少し待っていてくれ、今中の者と話を付けてくるから」


 そう言って、ハルさんは館の中へと入って行くと、中に居た人と2、3言葉を交わして戻ってきた。


「大丈夫だ、入ってくれ」


 案内されて門を潜ると、まずは緑と色とりどりの花で色彩豊かに整えられた立派な庭園が目に入る。砂漠の中にある国でこれを造ろうと思うと、一体どれほどの金と手間がかかるやら、考えただけで恐ろしい。そんな場所をほどほどに見ながら通り抜けて館に入れば、これまた中々に豪華だ。絵画などの芸術品や、全身金属鎧(フルプレートメイル)の置き物など、いかにも高級感溢れる品物がけばけばしくならないよう適度に飾られている。もうなんというか、圧倒されっぱなしだ。


「ねえレン、レン、あっちからご飯の匂いがする!」


 しかしまだまだ子供なルーミアには、そんな高級品より料理の匂いが気になる様子。玄関に入ってすぐ、広間の奥にある部屋を指さしてはしゃぎ始めた。


「ふふっ、後であなた達の分も用意してもらうよう言っておこう」


「すみません、なんか」


「いえいえ、子供はこれくらい元気があったほうが良いですよ」


 そう言って、再びハルさんは近くのメイドと言葉を交わし、料理を頼んでくれた。何というかもう、至れり尽くせりだよ。


「さあ、こちらへ」


 執事としての癖なのか、先ほどからやたら丁寧な所作で案内される。別に悪い気はしないが、こういったことに慣れないために若干の居心地の悪さを感じないでもない。けどまぁ、これは本当に贅沢な悩みというやつだろうな。


 さて案内された部屋はと言うと、恐らくこの館の応接室なのだろう。部屋の中央にテーブルがあり、それを囲うようにソファのような椅子が設置してある。


 テーブルはともかく、ソファなんてこの世界で初めて見たよ。魔王城でさえ木製の椅子だったのに。案外、こちらのほうが魔王城よりも裕福なのか……?


 ひとまず座ってもいいという風に促されたので、ルーミアと一緒に腰を下ろす。軽く跳ね返るような感触が心地いい。

 と、感傷に浸っている場合じゃなかった。既に待ち切れないのか、そわそわした雰囲気を漂わせ始めているハルさんに、俺は先ほどの封筒を改めて手渡す。

 ありがとう、と軽く頭を下げながら受け取ったハルさんは、早速内容に軽く目を通していく。その間に軽食が運ばれてきて、ルーミアがそれにがっつき始めたりしたが、彼はそんなことは気にも留めずに読み進めていく。

 そうしてしばしの時間が過ぎた後、読み終わったらしいハルさんが顔を上げた。


「レンさんだったね、改めて礼を言うよ。手紙を届けてくれてありがとう」


「いえ、俺も元からここへ来るつもりでしたし、カルバート村ではお世話になりましたから、ついでですよ」


 実際には最初ウルヴァルンに向かっていたのだが、カルバート村に着いてからはここを目指していたのだからそれは言う必要のないことだ。


「いや、こうして夜空宮殿に勤めているお陰で幾ばかの仕送りが出来ているとはいえ、あの村の環境を考えたらいつも心配で仕方なかったんだ。この手紙によると、君が村の危機を救ってくれたんだろう? だから、それも含めて何かお礼がしたい。私に出来ることはあるだろうか?」


 うーん、村の危機を救ったかと言われると、肝心な時に離れていて、最期に美味しいところだけ掻っ攫って行った感があるからあまり自慢できることじゃないというのが本音だけれど、俺はガイアさんに戦士の証まで貰っている身だ。変に遠慮しすぎるのは、これをくれたガイアさんに対しても失礼か。


「ありがとうございます。でしたら、1つお聞きしたいことが……」


 俺が旅をする目的。エミリアの封印と、契約魔法についてはぼかしつつ、フビデビの襲撃と、俺が拉致され奴隷になった経緯、その理由についてかいつまんで話す。


「そういうわけなんで、何か知っていることでもあればと思いまして」


「ふむ、そんなことがあったのか……いや、すまない、私もそんな噂があったことは初めて知った」


 ふむ、またか。確か話では、エミリア達が人の奴隷を求めたことがきっかけで噂が拡散し、拉致に及ぶ輩が現れたということだったけど、まさか夜空宮殿でもその噂の影もないなんて。ハルさんがここで働きだしたのはもう何十年も前だそうだから、流石に新米だから知らないとかそういうわけでもないだろうし。


 だとしたら、噂はどこで広がって、どこに流れているんだ……?


「いや、そうだ。それと関係があるかは分からないが、最近人間の奴隷について情報を集めている貴族がいたな」


 と思ったら、かなり重要そうな情報がポップした。これは、ビンゴかも?


「それ、なんて貴族ですか?」


 ハルさんが、その名を口にするのを躊躇したかのように動きを止めた。不自然な沈黙が降り、ルーミアが料理と格闘するカチャカチャと言う音だけが室内に響く。


「バレスタイン公爵家……夜空宮殿における商取引、主に他国との貿易を取り纏める、大貴族だ」


 やがて意を決して放たれたのは、この国において王である“真祖”の直系にして、それに次ぐ地位と権力を有する者達――スペンドさんの、実家の家名だった。





「おいしかった~!」


「ルーミア、少しは遠慮ってものを覚えような?」


 結局、ハルさんの館を出たのは昼を回ろうかという時間帯だった。理由は簡単で、好きなだけ食べていいと言われたルーミアが、貴族の家の美味しいご飯にドハマリして延々食べ続けたからだ。こんな形で朝食と昼飯が合体するのは流石に予想外だよ。いや、実際には出かける前に朝食は摂ったから正しくは間食と昼飯が合体したと言うべきだが。


 まあ、それはともかく。


「スペンドさん、公爵家の人間……じゃないや、魔人だったんだなぁ」


 上級貴族だとは聞いていたが、夜空宮殿に住んでいる者でなければ『バレスタイン』の名前だけで公爵家だとは気づきようがない。実際、カルバート村の誰もそこまで大きな家柄だとは気づいていない節があった。


 まあ、スペンドさんの性格からして、単に話す必要がないから話していないだけという線が強そうだが。あの人、バトソンさんなんかと同じで、自分が貴族であることを気にしてないというか、どうでもいいことだって考えてる節があるし。


「スペンド、えらい人?」


「うん、偉い人だぞー」


「レンよりー?」


「俺なんかメじゃないなぁ」


「じゃあ、エミリアよりー?」


「エミリアよりは下かな?」


 手を繋いでいるルーミアと、そんな取り留めのない話をしつつ歩いていく。


 すると、


「ぐああぁぁぁぁ!!?」


 突然、悲鳴のような声が聞こえてきた。


 貴族街の建物はスペースに余裕があり庭園まで付いていたりするが、敷地への無断侵入を防ぐために塀で囲われていて、その塀とお隣さんの塀との間――所謂路地裏のような場所はそこまで広くない。

 塀の補修がしやすいよう、ある程度のスペースは確保されているのだが、ただでさえ人工の月明りに頼る夜空宮殿では足元を見るのもおぼつかず、好んで通ろうとする者などいない。悲鳴は、その路地の奥から聞こえてきた。


「…………」


 記憶の中に蘇る、『吸血鬼殺し』の話。霧のように正体が掴めず、カルバートさん達のように国に入れない力無き者と違い、上級貴族に列せられる吸血鬼さえ昏睡状態に陥れる化け物。

 正直、そんな物騒な存在とは関わりたくない。ルーミアだっているし、狙いが吸血鬼だと言うなら変にちょっかいをかけなければ襲われる心配もないだろう。だけど、いくらなんでも犯行現場に居合わせたら無視するわけにもいかない。


「ルーミアはここにいろ、危ないと思ったら思いっきり魔法ぶっ放せ」


「うん、分かった!」


 ルーミアは、エミリアの力の一部を得た俺よりも更に強い。けど、ルーミア自身はまだ幼く、魔法を力任せにぶっ放すことしかまだ出来ない。多少の力加減は出来るようになったが、本当にそれだけだ。実力が未知数な相手の矢面に立たせるには危険すぎる。ルーミアに指示を飛ばすと、俺はすぐに路地裏へと駆け出して行く。


 少し行くと、悲鳴の出どころであろう場所までたどり着いた。

 おそらく吸血鬼であろう魔人が一人、地面に倒れ伏し、その奥に影のように真っ黒な衣服に身を包んだ何者かが存在していた。

 薄暗く、その姿はハッキリと視認できないが、微かな光を反射し銀色に輝く杭のような物を手に持っている。間違いなく、犯人だろう。


 万華剣(カレイドソード)を抜き放ち、全力で身体強化魔法をかけながら影のいる場所まで一足飛びに駆け抜ける。俺の動きには気づいているはずだが、影の動きは酷く緩慢で、隙だらけだ。


「だあぁぁぁ!!」


 気合の声と共に、万華剣を振り抜く。その時には既に形状を脇差に変えており、魔力で形作られた刀身がその胴体を薙いだ。


 素の俺とは違い、エミリアの魔力を使って攻撃力も速度もそれなり以上に強化された剣閃。それは確かに影を捉え、その身体を()()()()()()()()()両断した。


「な……!?」


 防がれるでも躱されるでもなく、まるで最初からそこに実体がなかったかのように脇差がすり抜け、上体が泳ぐ。その隙に、上下に別たれた影はそのまま虚空に溶けるように消えた。

 逃げたわけではない。その証拠に、ゴルドさんと対峙していた時のような悪寒が俺の背中を襲う。


「くっ……!」


 防御は間に合わない。そう判断した俺は、敢えてそれを無視して身体を強引に回し、カウンター気味にもう一度脇差を振るう。

 避けようと足掻くでもなく、無理矢理反撃に転じた俺を見て、影に灯る金色の双眸が驚きに見開かれる。

 いつ持ち替えたのか、杭から短剣へと変わっている影の得物が、脇差が届くより早く俺の体を捉える。しかし、本来なら肉を貫き命を奪うはずのその攻撃は、薄皮一枚突破することも敵わず押し留められた。


 最近は攻撃を受けることもなかったので不安だったが、俺の身体強化魔法本来の特性は防御特化。吸血鬼さえ打ち倒す未知の攻撃を防げるかは半信半疑だったが、どうやらキチンと務めを果たしてくれたらしい。


 そして、確実に勝負が決まったと油断していたであろう影――その首に向け、脇差が一瞬遅れで到達する。その一撃は今度こそその身を捉え、肉を断ち切る感触が脇差越しに俺の手に伝わってくる。エミリアの魔力に後押しされ、その勢いのまま振り抜かれた脇差は、スパンッ! と首を跳ね飛ばした。首を失い、力の抜けた体が地面に倒れ込む。


「やったのか……?」


 あまりにもあっさり勝負が決まったことに、俺はむしろ不気味な感覚を覚える。

 確かに、あの影のように体を霧散させ、背後を取る魔法は脅威だった。俺も、身体強化魔法による鉄壁の防御が無ければあれでやられていたことを思えば、弱かったとは言い難い。


 けど、本当にそれだけの相手なら、こんなに話題になる前に吸血鬼の誰かに返り討ちに遭っていそうなもんだけど……


「ん……?」


 ポタッ、と。何か水のようなものが垂れてくる。それはすぐに勢いを増し、俺の目の前に小さな水たまりを形作った。

 弾かれるようにその出どころへと目を向ければ、塀の上で月明かりを背に佇む一人の少女の姿があった。


 まず目を引くのは、その透き通るような金色の髪。月光を浴びて輝くそれは緩くウェーブがかかっており、まるで夜空に煌めく天の川を連想させる。赤を基調とした服に身を包み、半袖とミニスカートという、動きやすそうではあるものの、あまり飛び跳ねるには向かなそうな装いはその背丈もあって子供らしさを滲ませる。しかし、妖しく輝く紅の双眸はまさしく獲物を追い詰めた狩人のそれであり、まっすぐに俺を見据え愉快そうに笑っていた。


「ふふふっ、やぁっと見つけたわよ吸血鬼殺し。今日こそ引導を渡してやるんだから」


「へ……?」


 こいつの仲間か……そう思って身構えていた俺だったが、少女の言葉で思わず間抜けな声を漏らしてしまう。


 吸血鬼殺し? それって今倒したコイツだよね? なんで俺をロックオンしてるんだろうこの子は。


「さあ、踊りなさい! 《血刃舞踏(ブラッディダンス)》!!」


「うおっ!?」


 少女が叫ぶと同時に、地面に溜まっていた液体から鋭い剣のようなものが無数に飛び出してくる。反射的に万華剣である程度弾き、避けきれない分は身体強化魔法で強引にねじ伏せる。しかし思った以上に威力が大きく、俺が纏った魔力の鎧が若干削れ、燐光となって瞬いた。


「っ、なんて威力……! しかもこれ、《血液創造(ブラッドメイク)》! やっぱあの子吸血鬼か!!」


 頬を浅く裂くようにして通り過ぎた刃から香ってきた鉄のような匂いに、そう確信を抱く。

 吸血鬼は莫大な魔力を誇るが、その魔力と血との繋がりが非常に強く、それを体外に流して操る魔法を最も得意とする。最初に垂れてきた液体は、どうやらこの少女の血液だったらしい。


 しかし、とんでもない威力だな。俺だって生来の特性にエミリアの魔力まで加えて防御に関してはちょっとした物になってるのに、薄皮一枚とはいえそれを剥がされるとは思わなかった。さすがに、あれを無抵抗で喰らい続けたらいずれは突破されそうだ。


「正解よ。と言っても、吸血鬼狩りが趣味の人ならそれくらい分かって当然よね。随分硬いみたいだけど、さっさと斃されなさい」


 血だまりから生えた無数の刃が勢いを増し、俺を四方八方から斬りつけようと迫る。どうにも勘違いされているようだが、かと言ってこのまま何もせずやられるわけにもいかない。吸血鬼狩りなんて趣味を持った覚えはないが、いくら可愛い少女だからってそれに殺されて喜ぶ趣味もないのだ。


「《創造(クリエイト):(ポール)》!!」


「きゃっ!?」


 未だ塀の上から俺を甚振る少女の足元を変形させ、柱のように伸ばして放り投げる。

 思った通り、突然の攻撃で集中を乱した少女は魔法の制御を誤り、迫っていた血の刃は元の血液へと回帰する。


「もうっ、やっぱり一筋縄じゃいかないわね。《血縄拘束(ブラッディロック)》!!」


「ぐ……っ!?」


 すぐさま追撃をかけようと俺が魔法を練るより早く、空中で体勢を立て直した少女が再び血を操作して俺を縛り上げる。元々、俺の防御を突破しかけるほどの力を持った魔法だ。力の面では大したことのない俺では拘束を振りほどくことはほぼ不可能だ。


「今よ、やっちゃいなさい!」


「うんっ! てやあぁぁぁ!!」


 そして間髪入れず、俺の後ろ、路地の更に奥から、タイミングを見計らったかのようにもう一人の少女の雄叫びが聞こえてくる。ずっと相手は一人だと思い込んでいたが、そもそもどこにいるのか判然としない相手を見つけ出し討伐しようなどと考えている相手だ。一人で捜索しているわけがなかった。


「くっ、そっ……!!」


 この身動きが取れない状態で、万華剣を盾に使うことも出来ない。可能な限り魔力を高め、身体強化魔法を全力で行使し守りを固める。


「《衝撃(インパクト)》!!」


「ぐはっ……!?」


 俺の背中に、拳が突き刺さる。同時に放たれた衝撃の魔法が周囲の塀を破壊し尽くすと同時、俺の守りを僅かとはいえ突破し、久しぶりの“痛み”をもたらした。

 当然、そんなものを無防備な背中に喰らってその場に踏みとどまれるわけもない。俺の体は大きく吹き飛ばされ、外で待っていたルーミアを通り越しその奥にあった塀へとぶち当たったところでようやく止まった。


「レン!?」


 俺が飛んでくるのを見て慌てて駆け寄ってくるルーミアに、大丈夫だと手を挙げて示す。

 幸い、痛みはあったが大した怪我もなく、身体も問題なく動く。その上、今の攻撃のあまりの威力に血縄による拘束のほうが耐えきれずに吹き飛んでいる。巻き返しは十分に可能だった。


「やりすぎよ、死んじゃったら情報を聞き出せないじゃない」


「ご、ごめんセレナ、でもあの感じなら多分だいじょ……」


 そんな俺を追って、少女二人が追ってくる。ルーミアまで巻き込まれては堪らないと俺は慌てて顔を上げ……そこで、呆然と俺を殴り飛ばしたほうの少女を見た。


 背後から襲われたために分からなかったが、そちらの少女のほうは吸血鬼ではなかった。

 額から真っ直ぐに生えた円錐状の黄色い角。そして鮮やかな緑色の髪は変わらずに後ろで纏めてポニーテールにされている。

 記憶にある姿より少し成長した彼女は今黒を基調とした丈の短いエプロンドレス……所謂ミニスカメイド服に身を包み、瞳にも以前には見られなかった強い意志が宿っている。


 見間違う、はずもない。


「ティオ……?」


「レン……?」


 俺が拉致され、一度はもう会えないかとも思った大切な家族。

 鬼人族のティオが、俺と同じように呆然とこちらを見つめていた。


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