第三十五話 夏の道場
夏休み初日の夜、寝る前にスマホを見ると、グループLINEの新着通知が溜まっていた。
「んー、だからやなんだよな……」
しぶしぶトーク画面を開くと、俺以外の四人の会話が流れてきた。
「五百城が言うてたんは、これか」
俺抜きで、海に行く予定がほとんど決まっていた。
五百城が同じグループにいると、部活を理由に断れない。
自分の部屋の扉を開けて、声を張った。
「おとん、水着もっとん?」
リビングからデカい声が返ってきた。
「ああん? 水着? なんでもええんか?」
「ブーメランちゃうならな」
「ブーメラン履かしたろ思てたのに」
「トランクス、あんねんな?」
「あるで~」
俺の親父は、アウトドア好きだ。
あるもんは仕方ないな。
〈りょうかい〉
LINEにはそれだけ返答した。
「……もう戻れへんとこまで来てんのやろな」
言葉とは裏腹に、少しだけ頬が緩んだ。
悪くもないかなと、この時は思えていた。
そして数日が経過しても、清水のせいで始まった部活動には、全員が毎日参加していた。
正直、半分はサボると思っていた。
「なぁ、大西。練習量増やしたいと思うけど、どう思う?」
清水が稽古後に聞いてきた。
「今以上? しんどいで?」
「でも、今のままやと新人戦に勝てる気しない」
……熱血するな。
緩い感じが、この部の良い所。
「去年さ、大西と日置さんだけ、夏休みに練習来てただろ?」
「たまに、ほかの先輩もおったけどな」
「それで、常連校に食いついたじゃん。大西はまだいるし、俺らが強くなれば来年こそってな」
やめろ。担ぐな。モブらせろ。
「せやかてなぁ。勉強したい人もおるやろし、日中は暑うてかなわんで」
「二年は五人しかおらん。俺とお前以外は、とにかく弱い」
おいおい。はっきり言うな。
「一年からは、藪と村上を出すとして、あと一枚足りない」
「うーん。そやけど……」
「女子も、五百城が一番動けてるくらいだぞ。見栄えで試合は勝てん」
うまいこと言いやがる。
「ほな、午後も練習したらええんちゃう。俺帰るけど」
そう言って部室に戻ろうとした。
「大西、少しは自覚せーや」
道場の壁が、清水の大きな声を反射した。
みんな先に帰ってて助かった。
「なにがやねん。練習なんて、好きな人がやればいいやろ」
清水が俺の胸倉をつかんだ。反射的に構えた。
「……あ、すまん」
清水はすぐに手を離した。
「……いや、ええよ。でもな、全員が熱血スポコンしたいわけちゃうんねん」
「……」
「ほな、帰るわ」
清水は折れなかった。折れてくれ。
「この部で、お前が一番うまい。お前が教えてくれないと他が伸びない。頼む」
ここで「しらんやん」と言うとしよう。
スポコンなら喧嘩してからの仲直り――からの猛練習。
それはいやだな。
「んー、わかった。でも、強制すんなよ。自由参加にしーや」
「サンキュー、大西。ありがとう」
清水は顧問に伝えるためだろう、教官室の方に走っていった。
結局、夏休みは午前が全体練習、午後は一五時から一七時まで自由参加となった。
十二時から十五時までは、冷房の入った教室に避難して、それぞれの時間を過ごした。
「なんだかなー。帰りたいわー」
俺は机に突っ伏したまま、五百城に愚痴った。
「なんで? みんな楽しそうだよ」
頭を上げて、少し周囲を見渡した。
宿題をする人もいれば、スマホで遊ぶ人もいる。
たしかに満足そうな顔をしている。
だが、全員、汗をかいた道着を着たままだ。
部員以外がこの部屋に入ったら、匂いで倒れるだろ。
バンッ
教室の扉が激しく開いた。
もう見なくても音で分かる。中元だ。
「ねぇ、スイカ割りしよーよ! 道場の前ね! 清水先輩が奢ってくれた!」
一年生たちが一斉に中元の方を振り向いた。
「マジ? 行く行く」
みんな中元を置いて走っていった。
「元気やなー」
五百城が、そう言う俺を横目で見ながら微笑んでいる。相変わらずキレイな顔だ。
「伊織先輩、行かないんですか?」
中元が甘えた顔で聞いてくる。
「あー、俺パス。暑いもん」
「じゃあ、私行こうかな。中元さん、私も行っていいの?」
ん? 五百城も乗るの?
びっくりして五百城の顔をガン見した。
中元が溌剌とした笑顔で答えた。
「ダメなわけないじゃないですか! いきましょ!」
五百城は中元と一緒に走っていった。
結局、俺一人が、教室に残った。
クーラーのファンの音が響いて聞こえる。
落ち着く。
これぞ至福の時。
スマホを手に取った。
紗奈からのメッセージだった。
〈来週のどっかで午後時間ある? 映画行こうよ〉
〈なんかな、部活やねん〉
〈え? 午後休みじゃなかった?〉
〈五百城から聞いてない?〉
〈なんにも~〉
五百城と紗奈は情報ダダ漏れじゃないのか。
〈清水が張り切って、午後も稽古することにしたんや〉
〈え~、なんかさみしい〉
〈ほんま、めいわくな話やで〉
少しの間、送信が来なかった。
窓の外を見た。まさに夏の空。
この部屋は涼しい。天国だ。
ピロン
〈そっか。じゃあ、仕方ないね。海でね!〉
〈すまんな。ほな、海で〉
既読が付いたことを確認して、スマホを伏せた。
時計を見て、剣道場に向かった。
道場の前では、また中元を中心にして、水遊びが始まっていた。
五百城も楽しそうにしている。
このまま近くに行くと、「え~い」とか言って水をかけられる。
見つからないように遠回りをして部室に向かった。
その日、午後の練習はなくなった。
みんなの道着がびしょ濡れだからだ。
「おまえらなぁ、午後練するって言ってんから、ちゃんとせーや」
外に物干し竿を設置しながら、清水に言った。
「すまん。いやな、中元が……」
「それはわかる。あの妹顔には逆らえへん」
「え? お前のことやからあきれるかと思ってた」
「あきれてるで。でもまぁ、ええんちゃうか。楽しかったら」
「これ、明日までに乾くかな?」
「そんなん知らんやん。お前らだけ半乾きの袴はいて稽古せーや」
俺は、袴を干す部員を尻目に道場を離れた。
五百城が笑って話しながら袴を干していた。
それを見て、なぜか俺も嬉しかった。




