第12話『決戦は、風上にあらず』
プレーオフ準決勝、対戦相手はリーグ2位・横浜アクアティカ。
パスワークの精度と、絶対的エース・クラウディアを擁する攻撃力で「美しき海の猛獣」と呼ばれる難敵だった。
「いとを止めれば、久留米など恐るるに足らず」
試合前の記者会見。アクアティカの若き司令塔、日比野アイナは笑みを浮かべながらそう語った。
「あなたのその即興的なプレー、論理と統計の前には“戯れ歌”ですわ」
試合当日。スタジアムの空気は異様な緊張に包まれていた。
キックオフ直後から、アクアティカは徹底して花村いとを封じにかかる。二重三重のマーク。視線、スペース、パスコース――すべてを断ち切られる。
「……これは、我が身に吹く逆風か」
いとは軽く笑っていた。想定済みだった。いや、むしろ――。
「風、強まればこそ、羽ばたきも冴える」
後方へと自ら下がり、ボールに触れず囮となったいとは、ピッチ全体を俯瞰する。
「澪、上がれ。背の影に風を送る」
その声は澪にだけ届く、戦場の詩。
三宅澪は一瞬、目を見開いた。
「……囮? わたしが、“いと”になるの?」
中央のマークがいとに集中している。裏を返せば、澪への警戒は薄い。
舞子のロングパスを澪が一閃。胸トラップからワンバウンドで叩いたボレーがゴール右隅を揺らす。
1-1。同点。
横浜の守備陣に動揺が走る。
「矢となれ。風を纏いて、標を射よ」
いとの声が、もう一度。
後半30分、再び澪へ送られたのは、ラインとラインの“間”を裂くスルーパス。
「そこまで見えてるの……?」
ダイレクトで振り抜いた右足が、ネットを突き破らんばかりの一撃を放つ。
2-1。逆転。
スタジアムが沸騰する。
解説者は言った。
「いと選手は、“見せないことで”チームを勝たせた……これは、逆転の知将だ」
その言葉の通りだった。
相手が「いとを止める」ことにこだわるあまり、久留米は“いとのいない久留米”を見せつけたのだ。
残り時間、いとは一度も敵陣深くには入らなかった。だがその存在は、全ての攻撃を操る“風”だった。
試合終了。
2-1。久留米FCレイヴンズ、決勝進出――。
「ついに……来たね」と舞子が呟く。
ほのかが泣き笑いしながら叫ぶ。「レイヴンズ、決勝だぞおおお!」
いとは、静かに息を吐いた。
「風上に立つのではない。風となりて、仲間を舞わせるのじゃ」
実況がその言葉を拾い、テレビ画面に大きく字幕が表示された。
《風上に立つのではない。風となれ》
黒鴉の舞は、ついに決勝の舞台へ――。




