第二十三集:桜舞殿
酸素濃度と気圧が極端に低下した天上界上空に、罪改牢はある。
鉄格子で仕切られた牢屋は三畳となかった。照明の灯は点々とあるが辺りは非常に薄暗く、冷気を溜めた床は石床のため足元が酷く冷たい。
カツン、カツン、と足音が響き渡る。
拘束された四界の罪人は、気力も体力も奪われ静かだ。牢屋の隅で皆、背中を丸めている。静寂に満ちた空間は、天上界か疑うほどに、不気味であった。
タリアが目の前を歩く人物を見やる。
「(……フォルティか)」
彼は罪改牢の牢長、中級三神の神次官、男神フォルティだ。
外見は厳つい。黒髪短髪に、ごつごつした骨格の強面、2mある長身で色黒、タリアの背筋を伸ばすくらいの迫力は十分にあった。
服装は筋骨隆々のがっちりした体型に黒い直裾袍を着ており、衿の縁や腰紐は白く、下は袴に白い脚絆、靴は底が分厚い黒革のブーツを履いている。
「――タリア様、こちらに」
随分と長い廊下を進み、ようやく、フォルティが最奥の牢屋で止まった。
「ありがとう」
タリアの礼にフォルティは機敏な所作で拱手する。
「――――」
眉間の皺を一層に深め、フォルティは踵を返した。来た道を戻る足取りは速い。
「……、焔?」
タリアは一息置き、鉄格子を覗き込んだ。真っ暗で何も見えない。きょろきょろ視線を彷徨わせる。
「――ほ、む」
もう一度名前を呼んだ瞬間、鉄格子の奥から伸びてきた両手にタリアは抱き締められた。秋の匂いが鼻腔を擽る。力強い腕にタリアは身動きが取れない。
「……タリア」
耳元で囁く声の主は焔だ。タリアの頭に自分の頬を擦り付け、存在を確かめている。鉄製の棒が体に減り込み、焔の髪の毛が擽ったいが、タリアは我慢した。
安堵したのか徐々に徐々に、抱擁が緩まる。身動いだタリアは焔の前髪を指先で掻き分け、泣いた痕跡がある赤い目元を撫でた。長い睫毛を落とす焔の表情は艶めかしい。
タリアは春の日差しのような、柔らかい笑みを浮かべている。
「……焔、迎えに来た。私の宮殿に行こう」
「タリアがいるなら、何処にでも付いて行く。体は平気なの?」
焔はタリアと額を合わせ、至近距離で訊ねた。語調は落ち着いているが、タリアを心配する声音は弱々しい。
「ああ、平気だ。君も無茶をするね、心臓を抉り出すなんて」
「全然、こんなの無茶に入らない」
火鬼は不死身に近く、実際、焔は生きている。タリアは火鬼の生体に詳しくない。焔の発言を本当か嘘か見抜くには些か時間が必要だ、故にいまは信じることにした。
「……ここを出よう。鍵はある」
タリアの手の平に古く錆び付いた鍵が握られてある。後程返さなければならない預かった鍵は、ウォード錠の原型だ。タリアは牢屋の鍵穴に自分が持つ鍵を差し込んで、カチャカチャ内部を探りながら開けた。ギィ、と滑りが悪い扉が鈍く唸る。
「ありがとう」
焔は無事に解放された。
「痛いところは? 歩けるか?」
タリアが焔の服をぺたぺた触って確認する。冷えた布の感触しかしないはずなのに、懸命に自分を案じるタリアの姿に焔は小さく微笑んだ。
「痛いところはない、歩ける。ちょっと待って」
そして自身の能力で鬼火を散らばらせた。一気に周囲が明るくなる。
「ありがとう、助かったよ。実は暗闇が苦手で、素晴らしい鬼火だ」
タリアは苦笑し告白した。片頬をぽりぽり掻き、眉尻を下げる。鬼火でくるりと光り輝く瞳は無垢で尊い。
「俺の隣にいれば怖くない、行こうか」
焔はタリアの左手を掬い、出口に導いた。タリアに歩調を合わせる焔の表情は至極優しい。二人の仲睦まじい姿を目撃してしまった番官、これが罪改牢で飛び交い、明日瞬く間に噂が拡散するのである。
* * * * *
天上界内城の北側に、タリアの宮殿はあった。
正面手前の池に向かってコの字型が特徴の寝殿造りだ。面積は約15,500平方メートルと中々に広い。
回廊で囲まれた池は唐橋や反り橋が架かっており、中央に築山の人工的な中島も築いてあった。西は白虎楼に西の対、東は青龍楼に東の対、北は正殿に北の対があり、正殿や対屋を繋ぐ渡殿や吹き抜けの透渡殿もある。敷地の周りに土壁はない。
周囲は漂う雲の中で滝が流れ、桜や白梅、紅梅の花びらが舞っている。正に桃源郷だ。
水分が豊富で空気はおいしい。焔は後ろで腕を組み、聖域に相応しい外観ではなく、隣を歩くタリアを眺めていた。
「――嬉しいな、タリアの宮殿に来られて」
「綺麗だろう? 桜舞殿と名付けている」
「ぴったりの名だ。まあ、綺麗さはタリアに劣るね」
風で靡く髪を耳にかけるタリアの横顔に、焔は釘付けだ。タリアはきっぱり断言した焔を見上げ、面映くはにかんで吐露した。
「はは、ありがとう。実は客人は焔が初めてなんだ。ずっと誰かを宮殿に招待したいと思っていたんだよ、やっぱり縁がある」
タリアは一本一本が潤沢な長い睫毛を細め、しっとりとした薄い唇の口角を上げる。焔はタリアの上目遣いに射抜かれた。美の暴力だ。
五百年生きる火鬼も太刀打ちできない。焔が息を詰まらせ、上半身を縮こませる。
「――――ッ」
「ほ、焔!?」
咄嗟にタリアが焔の両肩を支えた。
「だ、いじょうぶ」
「心臓か!?」
自分で心臓を抉り出した反動がきたのかもしれない。タリアは焔の背中を成る丈、刺激を与えない程度に擦り、痛みを和らげようとする。
「…………」
すでに心臓は元通りの焔だが、憂いを帯びた悩ましげな面持ちのタリアを突き放す選択は断じてしない。間を置いて、甘える選択を選んだ。
「んー、かな? ちょっと寄りかかってもいい?」
「もちろんだ! 早く中に!」
タリアは疑わない。寄りかかる焔を受け止め、宮殿へ急いだ。門を潜らず近道で正殿内部に入り、簀子の廊下を進み、途中何かにぶつかりつつ、寝所の御帳台に焔を押し倒した。
四隅に垂れる白い生地に鳳凰が描かれた帳がはためく。
「―――ッ」
自分の真上にいるタリアに焔は瞠目した。「ごめん」などと体を起こし、自分を見下ろす、天地で随一の眉目秀麗な男神に二の句が継げない。
絡み合う二人の髪の毛、焔が無意識にタリアの細い腰に右手を回しかける。しかしタリアは「着替えがいる!」と飛び退き、行ってしまった。行き場のない右手、取り残される焔の溜息は深い。
「…………はあ」
むしろ幸運だ、タリアを傷つけずに済んだ。焔はタリアを探そうと寝所を降りる。刹那、硬い何かを踏ん付けた。
月明りのみで物体の正体が掴めない。
「…………?」
鬼火を灯らせる。成程、木彫りの麒麟だった。神代欅の共木で台がついてある。視線をずらせば、その横に片割れの麒麟があり、その横に一杢彫りの童観音があり、その横に欅材で彫刻された恵比寿大黒があり、その横に、その横に――と荒れ放題の床だ。
「(さっき、ぶつかってたやつか……)」
そこへ、タリアが衣類を数枚抱え戻って来た。熟練の技だ、上手く障害物を避けている。
「すまない! 少々、散らかっているが気にしないで」
「欠片も気にしない」
焔の返答にタリアがこの状態に至った経緯を説明をする。
「下界で買って帰るんだけど、中々、片付ける余裕がなくて」
「明日、俺が手伝うよ」
「君は初めての客人だ、ゆっくりしていてくれ。きっと君で最後になるし、しっかりもて成したい。エルや姉達が煩くてね、絶対に宮殿に誰もいれるなって。誓約書も書かされたんだ」
「ははっ、弟想いなんだよ」
上位神タリアの宮殿に誰も来ない理由が判明した。弟の型破りな一面を外に漏らしたくない兄姉の、心根のいい対策だ。
焔が肝心な点を問う。
「俺はいいの?」
「神は入れない契約書だ」
つまり火鬼の事項は契約書に記載されていない。
「じゃあ、俺は大歓迎だね」
「もちろん」
仁王立ちする焔にタリアは破顔し肯定した。くすくす二人は笑い合う。後に二人はひとつしかない御帳台で並んで寝ることになるのだった。
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