story3 世界一の名探偵 8
一階のレストランでは、すでに準備が整えられていた。
各テーブルには花が飾られ、空のグラス、ナイフとフォークが並んでいた。給仕らしいシルクハットをかぶった数人が、シャンパンのビンを置いていく。
着飾った二十人ほどが、レストランの入り口付近で待ちかまえていた。
ウェディング姿のキャサリンと、その手を取るジョニーとが姿を現すと、レストランの壁が震えるほどの拍手。
「おめでとう、キャサリン──!」
「お幸せに!」
「いよっ、色生物!」
口々に祝福の言葉が投げられる。
ジョニーは誇らしげに胸を張り、頬を染めたキャサリンは、ピンク色のブーケを手に、しずしずと歩を進めた。長い時間をかけ、レストラン奥の、一際豪華なイスに座る。細長いテーブルには、やはり色とりどりの花束。
二人──一人と一匹──のあとから、そろりそろりと入場したシャルロットとエリスンは、出席者全員が席につくのを待ち、空いた場所へこそこそと座った。早々に持ち場へついたミランダとは同じテーブルで、ちゃんとネームプレートも飾られていた。他には、グレます隊で見たような気のする数人と、テーブルは違うが派手な老婆やその孫の姿も見える。ついでに、白くて丸くて浮いているもう一匹。下座に控える髭紳士は、まだ男泣きの真っ最中だ。
「……結婚式、だとは思わなかったわ」
「正式にはレストランウェディングかな。いやなに、私はもちろん気づいていたがね! はっはっは」
シャルロットの笑いにちょっと覇気がない。
つまり、シャルロットの推理もまったくの的はずれではなかったというわけなのだと、エリスンは内心で少しだけ感心する。全員が探偵のふりをしたショー──シャルロットのためではなく、ジョニーとキャサリンのためではあったが。
バッグにつっこんでいた要項をそっと取り出し、こっそりと確認した。『ショーへは必ず参加していただきます。辞退は認められません。但し、決定戦についてはその限りではありません』という注意書き。読んだときにはなんとも思わなかったが、種明かしされてしまえば納得だった。全員が決定戦に参加して、宝であるキャサリンを求めてしまったのでは、一体誰が主役なのかわからなくなってしまう。
髭紳士は、本気で参加していたようだったが。
「ミランダさんは、知っていたんでしょう? どうしてあたしたちだけ、知らなかったのかしら……」
声をひそめるようにして、ぼやく。隣に座るミランダは苦笑した。
「キャサリンたちがサプライズにしようとしたのかもな。アンタたちはなまじホンモノの探偵だから、疑問も持たないだろうし。アタシたちのとこへ届いた封筒には、名探偵決定戦としての案内と、詳細の書かれたちゃんとした招待状と、二枚入ってたぜ」
「そうなんですか? ──んもう、事前にちゃんと教えておいてくれればいいのに。キャサリンさんったら」
エリスンは唇をとがらせた。それから、ふと思いつく。
確認してしまってはいけないような気がした。
だが、一応持ってきているはずの最初の手紙──もしかしたらヒントになるかと、やはりバッグに入れたままだ。
そっと、小さなバッグから、封筒を取り出す。
挑戦状じみた一枚を抜き取ると、封筒と同じ色のもう一枚が、張り付くようにしてきっちりと同封されているさまが、よく見えた。
──見なかったことにして、そのままバッグに戻した。
「さあ、それではね、ただいまより、お二人のウェディングパーティーを始めたいと思います」
のらりくらりとした、しかしよく通る声でそう告げて、シルクハット老がゆっくりと歩いてきた。ジョニーの右側、少し離れた場所に立ち、参加者に向かって頭を下げる。
「司会進行は、わたくし、『トレードマークはシルクハットとジャパネスク、驚きのプランでみんながハッピー! 創立五十周年ウミノイエ・ウェディング』に勤めて三十五年、ロリン=リーダント。今回は新郎新婦さまのご希望により、名探偵決定戦ウェディングの形式を取らせていただきました。皆様、お楽しみいただけましたでしょうか」
「……あの帽子ヤロウ……!」
エリスンの怒りが舞い戻ってきた。そもそも帽子がすべての元凶だったような気すらしてくる。
「はっはっは。ウミノイエ・ウェディング」
シャルロットは空笑いのなか、何か重大な事実に気づいたようだった。固有名詞であるならば、表記が他と異なっていても不思議はない。
「ええと、開始の前にですね、今回のショーの種明かしをね、みなさんがた、気になっているところだと思いますので。見事新婦さまのところへ到達した新郎さまはご存じかと思いますが、ここはわたくしの口から説明させていただきましょう。──隠されたヒント、それは、各部屋に用意されていた携帯食でした。さすがに招待しておいて夕食が携帯食、というのはおかしな話ですので、気づいていただけたかと思いますがね」
「…………っ」
別段誰かに見られているというわけでもなかったが、エリスンは急に恥ずかしくなって視線を落とした。
おかしい、とは思ったが、ヒントだとは思わなかった。
完全に、してやられた気分だ。
それがショーの一環だったのだといわれてしまえば、文句もいえなくなってしまう。
「ふむ、推理どおりだな」
シャルロットのつぶやきは無視。
「では具体的に、どんなヒントだったのか? 思い出してください、携帯食のラインナップをね。ココア、プレーン、メープル、小倉……つまり、あん。これこそが、宝のありかを示す暗号だったのです。すなわち、『ここは(ココア)、不霊園、明古庵』! なんと難解な暗号! これを解読し、新婦さまのもとまでたどり着くとは、まさに愛の奇跡!」
会場内がどよめいた。それは確かに奇跡だ、とだれもが納得する。
「探偵の推理とレベルが近いな」
ぼそり、とミランダがつぶやいた。
僅差でシャルロットが負けていると確信したが、どっちもどっちだ──エリスンはあえて返事を保留する。
「さあ! ではまず、新郎のジョニーさまに、一言いただきたいと思います! そして、愛の指輪の交換を──!」
シルクハット老の合図で、ジョニーが浮き上がった。
ヒュヒンヒュヒン、と咳払い。
それから男らしい目でまっすぐ前を向き、
「ヒュイ!」
挨拶をした。
拍手のしようもなく、会場内が静まりかえる。しかしかまわずに、立ち上がったキャサリンと向き合った。
「ヒュイ、ヒュイ、ヒュユユ」
何事かを囁いて、右手の上に乗せたリングを、差し出す。キャサリンが自ら、それを左手の薬指にはめた。それからキャサリンは、どこからか手錠のような輪を取り出し、ジョニーの指──はないので、手そのものに、ガションと取り付ける。
「ジョニー、おめでとうだワン! 父は嬉しいワン!」
親族席から、ワンダフルが吠えた。
エリスンは、深く考えないことにした。
母の存在が激しく気になったものの、見てはいけない気がして視線を逸らす。
逸らした先では、髭紳士が洪水を作り出す勢いで涙を流していた。隣で少女のように若々しい、キャサリンによく似た美しい女性が、ほほえみながら髭紳士の耳をつまみ上げている。
髭紳士の身体は、イスから浮いていた。
やはり、考えないことにした。
「それではみなさん、豊富な酒、多様な料理を楽しみつつ、素晴らしいひとときをお過ごしくださいませ。僭越ながら、わたくしが。──乾杯!」
シルクハット老がきりりとした声で告げ、カチン、とグラスが鳴った。
一気に飲み干して、エリスンはグラスを置いた。食事が次々と運ばれてくる。空腹ではあったが、それよりも胸がいっぱいだった。キャサリンを見つめ、うっとりと手を組む。
「キャサリンさん、本当に綺麗。とうとう、あの二人……というかなんというかが、結婚なのね。なにはともあれ、めでたいわ」
ほうっとため息を漏らした。こみ上げたモロモロは、一言の中に押し込んだ。なにはともあれ、の深さ。
「まー、相手がアレだけどなー」
あえて伏せたのに、ミランダが台無しにする。
「うむ、思えば彼らと出会って、もう何年にもなる。感慨深いものがあるな。私が世界一の名探偵であることが証明されたこの日に、結婚とは。素晴らしい」
すでにビン一本分を空けたシャルロットが、堂々とそんなことをいう。どうやら記憶の混乱が生じているようだ。いつものことではあるが。
「やっぱり、結婚ってある意味で女性の憧れよね。いいなあ」
エリスンは、目を閉じた。
輝いているはずの己の未来を色々と想像しようと、想いを馳せる。
しかし、断念した。いつもの絶好調な妄想力が発揮できない。疲労のせいか、ひたすら探偵に振り回されるビジョンしか浮かんでこない。
幸せをつかむためには、とりあえず探偵社を出るべきかもしれない──本気で考えて、暴飲暴食真っ最中の上司をちらりと見る。
視線に気づき、シャルロットはまぶしいほどの笑顔を見せた。
「はっはっは、エリスン君、結婚に憧れるのはいいが、どこそこの王子様と結婚などという夢は早く捨てたまえよ。そろそろ痛々しいのでね」
「な、なんで知ってるのよ!」
カッと頬を染めて、エリスンが怒鳴る。いまのはごまかすべきところだったとすぐに気づくが、もう遅い。
笑いながら、シャルロットは続けた。
「君の秘密のポエムノートを読むのは、私の日々の日課でね」
「この会場を血の海にしてもいいのよ……!」
エリスンが拳を構えた。島に来てからひたすらにたまっていった負のすべてを、いまこそぶつけるときだと確信する。
「──それはあとでいいだろ、助手さん。ブーケトスするみたいだけど、行かなくていいのか?」
「え? 行く!」
ミランダの言葉に、エリスンは慌てて立ち上がる。キャサリンのもとへ集まる他の女性たちと同じように、足早に進んだ。
しかし、ミランダは動かなかった。
テーブルに残り、肘を付き、呆れたようにシャルロットを見やる。
「ちょっと聞いてみたいんだけどさ。たとえばアタシがここでアンタに交際を申し込んだら、アンタどうすんだ?」
それは奇妙ないいまわしだった。心も込められていない。ただ、単純に疑問を口にした、という口調。
「まったく愚かな問いだね、サイポー君」
シャルロットは肩をすくめた。小走りに駆けていく、後ろ姿を見やる。
「私の相手は、もうずいぶん前に決めてしまっている。ご遠慮いただけるかな?」
ミランダは目を細め、だよなあ、と苦笑した。
***
舞台は、フォームスン探偵社──
肘掛け椅子に座り、窓の外を眺めていた名探偵が、ふとこちらに気づく。椅子を回して向き直り、パイプをデスクに置くと、優雅に笑む。
「やあ、皆さん──今回のこの名探偵の活躍は、いかがだったかな。考えてみれば、こうして推理らしい推理を披露するのは久しぶりのように思う。この私の頭脳の素晴らしさに、打ち震えたことだろう──なあに、名探偵の頭脳というものは、あまりに常人のそれを凌駕しすぎていて、ときには理解されないものだ。今回の名推理もそういった一面があるものの──問題ない、私が世界一の名探偵であるということはすでに事実であり、私自身がその事実を知っている限り、それは揺るがないものだからね。そうそう、探偵社に帰ってからというもの、エリスン君は秘密のポエムノートの隠し場所を変えてしまったようだ。まったく、楽しみが減ってしまって非常に残念だ。しばらくは秘密ダイアリーの閲覧で我慢するとしようかな。……──ああ、もう、こんな時間か。準備が整ったようだ。今日はジョニーさんとキャサリンさんを招いて、ささやかながらのパーティでね。このあたりで失礼するよ。残念ながら、もうみなさんとお会いできることはないかと思うが……ロンドドの空の下、この名探偵シャルロット=フォームスンの名推理がいつでも冴え渡っていることを、覚えておいて欲しい。それでは──」
一礼し、立ち上がるシャルロット。ダイニングに向かって歩き出す。テーブルの上では、花瓶に入ったピンク色のブーケが、こちらを見守るようにちらりと揺れて──
──暗転。
読んでいただき、ありがとうございました。
これで、名探偵シリーズは一応の完結となります。
最初から連載形式ということで始めたこともあり、全体的に長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方に、心からの感謝を。
HPから、シャル祭りのページにジャンプできます。いただいたイラストやSS等、盛りだくさんです。
今後も精進致します!!