最終話 大事にしているもの
「おかあさまー!」
「はい。エリュム」
剣術の稽古を見に行きますと、4歳になった息子が私を見つけて駆け寄ってきます。
稽古中とはいえ、まだまだ子ども。可愛らしいことです。
「剣術、見ていてくださいね」
「はい。見ていますよ。上手くなったと聞いています」
そう答えると、嬉しそうに稽古に戻っていきました。
ヒェイル様と私の息子ですのに、活発に身体を動かすのが好きなようです。
清く強くたくましく。私の実家の家訓も受け継ぎ、無事に育って欲しいです。
なお、リドを息子の世話係に任命しています。
リドとはまるで親子のように仲が良く、たまにケンカさえするようです。
リドは非常に有能で頼もしい、そして優しい人間ですが、あまり我儘を言わないように息子をしつけなければなりません。
指南役とリドが私に挨拶の礼を取ってきます。
私は頷きを返しました。
***
ヒェイル様が亡くなってから変わってしまったこと。
一つ、私に愛人と言いますか、恋人ができたこと。
リドです。
ちなみにエリュムが生まれて2年ほど経ってからです。
妊娠してからは、距離をとっていました。
言いわけじみておりますが、ヒェイル様について思い出話をしあえる貴重な人なのです。
そして、私は単純らしく、大切に思い続けてもらい、私も好意を抱いてしまいました。自分の事ながら微妙な気も致しますが、仕方ありません。
私がリドに好意を持ったことで、たまにリドが自己嫌悪に陥ります。
リドは変わっているので、なおも私を好きだと言ってくれるのですが、ヒェイル様について思うと憂いてしまうようです。
ヒェイル様の奥様を、自分は盗ってしまったと。
「男の人というのは、どうしても、少し馬鹿なのでしょうか」
と私は少し笑ってしまいました。
少し捨て犬のようになっているリドを慰めてみます。
「私は盗まれた覚えはありません。ヒェイル様がおられた時、私があなたに少しでも心を寄せたことは一度もありませんもの」
なお、その態度、つまりヒェイル様だけを慕う姿勢もまた、リドが好ましく思っていたという事など、当時は知りませんでしたけれど。
リドがじっと私を見つめています。
「私は浮気が嫌いですが、これは浮気とは呼ばれませんし、盗まれたわけでもありません。・・・未亡人には、新しい恋が許されていると思います。それとも、私が世間知らずなだけで、違うのでしょうか」
リドは少し目を伏せました。
「・・・。いえ」
少し考えたようにリドが私を見つめます。少し困ったように微笑んで。
「浮気ではありませんから・・・私が盗んだわけでもない・・・」
「はい。むしろリドは、親切にも、落ちて一人取り残されてしまった私を拾ってくれたのですわ」
私も少し困ったように笑いかけると、リドが眩しそうに目を細めました。
「リド。心から、感謝しています」
「感謝よりも別の言葉を求めています。いけませんか」
「・・・愛しています。とても。・・・照れてしまいます」
「奥様、心から愛しています。・・・旦那様のお陰で・・・生涯、奥様とエリュム様を大事にします」
「ありがとう。頼りにしています。エリュムは父親を亡くしています。あなたは父親代わり。どうか支えてください」
「私の命に変えても必ず」
「死んでは嫌ですよ」
そう言うとリドは苦笑します。
「こんな私に、勿体ないお言葉です」
どうしてそんな答えになるのかしら。
死んでは嫌です。少し拗ねて甘えたくなってしまいます。
***
息子は順調に育っています。
本当に私そっくりで、私の実家のお兄様が息子を大変可愛がって下さり、有難い限りです。
私たちは、私の実家と、屋敷の者たちと、ヒェイル様のご友人の方々に支えられています。
なお、ご友人の方々の奥様たちとも交流が生まれて、こんな私ですが気の合うお友達ができました。気に入ったお花のしおりを作って送ったりと、文通させていただいております。
ヒェイル様が私にもお友達を下さったようで、とても嬉しくて有難いです。
ヒェイル様を殺した家への復讐は、もう考えておりません。
私は純粋に家を守るべきだと諭されました。リドや実家のお兄様に。
とても悔しく思いましたが、特にお兄様が、優しく私を諭しながら、黒い笑顔も見せてくださったのです。私は何も知らない方が良い、と判断することができました。
その方が、きっとこの家と息子を守っていける。
***
「エリュム。あなたは私に顔が似て、相手を見つけるのに苦労するかもしれません」
私の言葉に、息子のエリュムが不安そうな顔を見せました。
「大丈夫です。お母様もお父様と結婚できました。私たちはとても仲のいい夫婦でした。皆が知ってくれています」
「はい」
コクリと大きくエリュムが頷きました。
「だから、あなたも大丈夫。ただ、頑張るほかはありませんよ。でもね、お母様でも可愛いと言ってもらえたのだから、エリュムも良いお相手がいるわ」
「はい。でもどう頑張れば良いですか?」
「お相手を想い、思いやりを行動にして、幸せにするのですよ」
「はい!」
とエリュムが答えます。
それから首を傾げました。
「他はどうすればいいですか?」
「そうですわね」
と、私も首を傾げてしまいました。
新しいアドバイスを求めてきたようです。
「リド、良い提案はありますか」
「え。私ですか」
傍に控えていたリドが驚いたように慌てました。
私とエリュム、ついでにこの部屋に控えている皆の注目を集めています。
リドは目を泳がせました。
「声、を、磨いてみるとか・・・」
思わぬ発言に私は黙ってしまいました。
そういえば、牢屋で私の声を聞いて、惹かれたとか・・・。
顔に熱が集まってしまいます。いけません、皆の前で。誤魔化さなければ。どうしましょう。
「声というのは、歌ですか?」
「それも良いかもしれません」
「じゃあ、僕、歌を勉強したいです!」
リドとエリュムが話を進めています。
私は困って他の者に目を遣り様子を眺めてみます。
皆、リドとエリュムのやり取りを楽しく聞いているようです。
私は普段通りの表情を取り繕い、エリュムに声をかけました。
「分かりました。試してみるのは、良いかもしれませんね」
「はい!」
「でも、剣術や算術、地理や歴史もありますよ」
「はい!」
「では、良い先生を探しましょうね」
「はい! おかあさま、ありがとうございます!」
目を輝かせる様が可愛らしいです。私も楽しみで嬉しくなってしまいました。
***
エリュムも様々な苦労をしてしまうはず。
ただ、私の結婚のような例もあったのです。
加えて、エリュムには言えませんが、リドも私を慕ってくれています・・・。
どうか立派に大人になりますように。想い合える相手と出会えますように。
息子の成長を見守る日々の中、亡きヒェイル様に囁くように願います。
どうか、お言葉通りに、私が生きていけますように。
***
ーーーねぇ。
昔、あなたは、リドへの浮気だけは構わないと、言われましたね。
ではどうか。仕方ないと大目に許してくださいませんか。
リドを愛しているのに、エリュムの成長を知るたび、亡くなったあなたが恋しくなるの。
あなたに何度も浮気するの。
恋しくてまだ悲しくて仕方ありません。
会いたい。とても。
とても、幸せでした。
私は今もなお、あなたから頂いた幸せを、握りしめて生きています。