25、オレンジの人、ふたたび
三番街の衛兵所はかわいらしい、味のある建物だった。
はちみつ色の石材が青空に映えていて、ハンギングバスケットには明るい色の花が咲き乱れている。
門前に押し寄せた大勢の人がいなければ、時間を忘れて見とれていたに違いない。
何を隠そう衛兵所に来るのは、初めてだ。
お役所関係や税金の手続きは全部ギギ老がやってくれたし、店舗の申請書類は全部ディーが持っていってくれた。
世界は他人の善意でできている。
内扉の横には長い槍を持った銅の鎧が二体立っていて、隊長さんの姿を見ると敬礼をした。小柄なマントが頷きを返せば、当然のように内扉が開いていく。
驚く私に、どうだと言わんばかりに隊長さんが顔をあげる。兜をかぶっていても「凄いだろう?」というセリフがみえるようだった。
入ってすぐの部屋は、銀行のホールやレストランを思わせた。仕切りのついたカウンターと、年季の入ったテーブル席が交互に置いてある。壁にかけられた風景画の作者は分からないが、気分をリラックスさせる効果はあるようだ。
外から予想した面積と、実際の内部の面積はかなり異なっていた。
つまり、広い。
おそらく大規模な拡張魔法がかけられているのだろう。それだけ、三番街の衛兵所は市民の利用率が高いということだ。利用率や希望者が多いほど、衛兵所にはさまざまな機能がたされて巨大な施設と組織になっていく。
ホールの中もまた、情報を集めたい人たちで溢れていた。怪我や壊れたという単語はひとまず聞こえなかったので安心する。
対応に追われているのはもっぱら銅色の鎧を着た人たちで、あちらへ、こちらへ、動き回っている。
「あの鎧。室内で着ていて、暑くないのかな」
「これがなかなか快適でして。時々脱ぎ忘れて家に帰るくらいです」
「ほほう。それは商売チャンスの気配」
私とディーは取調室と書かれた部屋に通された。
途中、建物内で人目を避けるように移動したのは気のせいだと思いたい。
お土産マグカップで出された紅茶だったけれど、良い茶葉だった。ほっとする甘みが口の中にひろがる。
取調室とは言っても、明るく綺麗な部屋だしお茶請けもある。思ったより、忌避感はなかった。
木製のテーブルと椅子。それからキルトのテーブルかけ。
どこか素朴な雰囲気のおかげで待つのは苦にならないのだけれど、たったひとつ。すぐ隣の壁が鏡なのが気になってしまう。
鏡の向こうから見てくるのは自分自身なのだけれど、誰か別の人に見られているようで、おちつかない。
「すいません。本当なら会議室で待ってもらえたら良かったのですけれど。いまは全部使っているみたいで」
「いいよいいよ。忙しいだろうし」
だからこそ、このタイミングで捕まえられた手際の良さが謎だ。
忙しいのか、「すぐ戻る」と言った隊長さんはなかなか戻ってこない。
正面に座ったディーは、廊下や壁を見ながらソワソワしている。
やはり職場とは言え、取調室は慣れないのだろう。
「それにしても」
「ひゃいっ!?」
「鉢から出ても元気だね。この子」
おかげでマンドラゴラ観察がはかどっている。
邪龍について考えてもらちが明かないし、ちょっと前にあった「小さな事件」のことを思い出してしまう。かといって、お店のことを考えれば、そちらが気になって仕方ない。
だから精神衛生上、別のことを考えて気を紛らわせることにした。
この部屋で一番堂々としているのは、持ってきたマンドラゴラだった。
神経が図太いのか、維管束が図太いのか。優雅に机の上でお茶を飲んでいる。
正確にはコースターを座布団替わりにカップをグイッと根っこに当てているだけなのだが、どことなく嬉しそうな雰囲気だった。
「おぉ、中身が減っていく……」
「身体として動かしている部分が根だから、どこからでも水分を吸収できるのかもしれません……」
「紅茶って植物にとっては葉の出し汁、もとい風呂の残り湯みたいなものなのでは? 飲んで大丈夫かな」
「そこに疑問を抱いてしまうと、そもそもお湯飲んで、茹でマンドラゴラにならないのか?という疑問も出ちゃいますね」
ごく自然にマンドラゴラの前にお茶が出されたことについては、触れない。ぬいぐるみが手放せない子供ではないのだが、そう思われたようで少し恥ずかしく思ったのだ。
「エミリオさんたちのところも、落ち着いていたら良いですね」
「そうだといいねぇ」
出てきたスナック菓子をぽりぽりかじりながら、ヴァルトロメイ・ル・ヴィでの出来事を思い出す。 ディーに、飛び出したあとのことについてまったく聞かれないのは幸いだった。
薄々、私がとる妙な行動を不審に思っているかもしれない。
もしくは、彼のことだから、まったく気にしていないかもしれない。うん、そっちの方が可能性が高い。
「そうだ、アンさん。眼鏡返しておきますね」
「ありがとー」
だけどいまは。あの跳躍について何も聞いてこないディーに、ほっとしている自分がいた。
このまま、何もなかったことにするのはズルイだろうか。
いや、今はもう少しだけ。とぼけたままで甘えさせてもらおう。
ディーを見ないようにして眼鏡を受け取り、顔にのせる。
いつもの、狭い視界が戻ってくる。
「カフェについての詳しい話を聞きたかったけれど、落ち着くまでは無理そうだね」
「そうですね。ミルクジャムの生産者さんに、連絡するくらいは良いと思いますが」
「お前ら、なにのんびり菓子食ってんの?」
声のした方向を向いて見れば、扉の横に呆れ顔のオレンジ頭が腕を組んで立っていた。
「あれ、マルク。お店は?」
「ひっさしぶりーーーー! 会いたかったよ、アンちゃーーーん!」
ニカッと犬歯を剥きだしにして笑うギザギザ頭。
前に店の手伝いをしてくれたディーの友達、マルクさんが両手を挙げながらバッと近づいてきた。
「あ、あははは。こんにちは、マルクさん。いつのまに来ていたんですか?」
人懐っこい笑顔のおかげかそこまで怖くはみえないが、じゃらじゃらと身に着けたアクセサリーと鋭い目には、あの「狂犬」の男たちとは違ったチンピラ感がある。
そのため、彼が取調室にいるのは自然な光景に見えた。彼も何かの誤解でしょっぴかれたのだろうか。
本人の前でチンピラっぽいなどといえるわけもなく、口から出かけた質問をぐっと飲みこむ。
お近づきの印とばかりに両手を握られ、上下に振られる。若干、相手の目がキラキラしているように見えるのは気のせいだろうか。
ぐいぐい来る人だと思ってはいたが、今日はやけに距離が近い。年若い男性に慣れているなどと、お世辞にも言えない私だ。戸惑うわー!!
「なぬななな」
「マルクー! アンさんが困ってるでしょうー!」
焦った様子のディーが間に飛び込んできた。思わず、手をつないだ相手と視線をかわす。ムキになるディーは、大変珍しい。
「だーかーら、お前のお姫さんに手はださないって言ってるだろー?」
「今の一連の流れ見てたら普通に心配になる!」
いくら仮とはいえ一国一城の主である店長。しかし姫とはさすがに盛り過ぎではないだろうか!?
オレンジの瞳がニヤニヤと笑って手を離す。どうやら、我々はからかわれたようだ。都会は怖いところですお母さん。
「こんなところで、一体どうしたんですか。マルクさんのお店は、七番街は大丈夫だったんですか?」
「俺の心配してくれんの? アンちゃん、優しい可愛いーっ」
「それはもういいから!」
ばっとマルクさんが両手を広げたので警戒する。
さっきの流れをまた繰り返しそうなので、丁重にマンドラブロックを発動。
いきなり持ち上げられた一株は冷静に、持っていたティーポットでマルクさんの両手をブロックした。
おかわり注ぐところだったのね、ごめん。
更にマンドラゴラの前に立ち上がったディーが割り込んだ。
即席の絶対防御。その名も、一番前の人の身長が高すぎて前が見えない陣。
どうだ、見たか。うちの店の連携力!




