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22、揺れるオールドチェス

 胃の浮く感覚。ひび割れた大きな音。

 浮遊感があるということは、縦に揺れているのだろうか。分からない。

 ガチャガチャと揺れるガラスの音が、止まった。

 たった一瞬のできごと。なのに、体感は随分と長いものに感じた。


「お怪我は、ありませんか?」


 最初に身を起こしたのはケイシーさんだった。

 私に向かって差し出された細い手を、やや遅れてとる。


「いまの、凄かったですね」

「そうだな。まさか王都で地震が起こるなんて」


 ズボンを叩きながらディーも立ち上がる。単純だが、他の人も同じ感想を抱いたようだ。カウンター下で身体を支えていたエミリオさんが頷いてみせる。

 彼は真剣な顔をしていた。生気がなかった時とも、普段の気のいいお客さんの時とも違う、責任を負うべき人の顔。

 普段からそういう引き締まった顔をしていればいいのにと、チラリ横をうかがう。

 大きな目を更にかっ開いたケイシーさんが硬直していた。さもありなん。


 落ちるものが無かったのか。陳列の(たえ)か。床に落ちた商品は無かったけれど、それでも床にうずくまった店員の顔からは怯えが消えていない。


「ケイシー。すまないが、倉庫の様子を見てきてくれないか?」

「へっ? あ、あぁ、はい!」


 エミリオさんの「気をつけていけよ」の声を背に、ケイシーさんは外に飛び出していった。その動きは弾けたピンボールに、よく似ている。

 開け放たれた扉から見える景色に異常はない。

 しかし外を歩く人は別だった。地震の驚きが抜けきらず、恐怖を顔に張りつけている。大通りのざわめきが、店のなかまで聞こえてきた。

 不安は視覚から伝染する。リトルマーケットは古い。そして所せましと商品を並べている。品数の多さ。それは良い点であり、悪い点でもあった。瓶は、ポーションのような水物は無事なのだろうか?


「私も店の様子を見てくるね!」


 唐突に生まれた不安を抱え、開いたドアに向かって走る。

 例えば、もし窓際に置いてあるマンドラゴラの鉢が落ちていたら。

 もし窓ガラスが割れて中に泥棒が入っていたら。

 マイナス方面に加速する思考は、一度転がると止まらない。


「おい! 見てくるって言ったって此処からじゃ…」


 止めようとするエミリオさんの声を無視して店から飛び出した。

 そして、より詳しく見た大通りに驚いた。

 一等地の大通りは荷馬車や辻馬車が至る所に停まり、中から溢れてきた人でぎっしりと埋めつくされている。ざわつきは止まる気配を見せない。その前を、小柄な身長の小娘が一人立っている。

 生まれたての亀が海の大波を前に立ち向かうようなものだった。


「アンさん、待って下さい! もしかすると、また大きな地震があるかも」

「道、ぱかっと開かないかな。……開けちゃおうかな」


 おもわず零れおちた呟きをひろったディーが、私を見た。

 道の様子を見て、もう一度私を見た。

 シベリアンハスキーが、周囲を警戒するような動きだった。

 しかし私は知っている。

 あれは『どうしよう』『そうだ、諦めよう』と現実から目をそむけるときの動きだ。

 私の背後で何度か見たので、店長、ちゃんと覚えています。

 

「これ、持ってて」


 慎重に眼鏡を外してディーに押しつける。

 顔を半分隠す黒いフレームのそれはアクセサリーとして気に入っている。

 ローワンフォードでは、あっても無くても、どちらでもいいソレ。

 王都では必須のソレ。

 混乱しているディーを無視して、足首に纏わりつくスカートをいっきにたくし上げた。

 足の風通しが良くなり、スースーする。開放感と共に動きやすさが加わる。


「よし、これで動きやすい」

「ちっとも良くありませんけど!?」

「お店のことは私に任せておいて。ディー君は衛兵の詰め所に戻っていいよ」

「ちょっ、あのっ!?」


 きっと忙しいと思うからと言い捨て、綺麗に切り分けられた白い石畳を蹴る。

 後ろで悲鳴じみた声が聞こえたが、丸ごと聞き流す事にした。

 ふわりとスカートが膨らむ。

 ディーも、本当はエミリオさんたちと一緒に居た方が安全だろう。けれど、一応、しかも新人とは言え彼は町を守る憲兵だ。いくら謹慎中とはいえ町の一大事。一度、詰め所へ様子を見に行った方がいいに決まっている。

 欲を言えば情報を持って戻ってきてくれたらな、とは思うけれどディーだから期待はできない。


「あとで返してねー!」

「あんさーーーん!?」


 いまや、私が彼を見下ろす立場。

 駆ける。一直線に、飛ぶ。重力に逆らってバルトロメイ・ル・ヴィの屋根から隣のルメ・ド・オーシャンへと飛び移る。そこから大聖堂の三角屋根を踏み台に、緑の風見鶏へ。ぴょんぴょんと屋根の間を走っていく私を見ているのは、幸いにも、真っ赤になったディーだけ。


 風が気持ちいい。空が青い。白い雲が塊で浮かんでいる。

 上から見下ろす王都の街並みは普段と変わらない。

 あれだけの地震だったのに崩れているところも壊れているところも見当たらない。

 建物から出てくる人は、誰もが不安な顔をしている。

 まるで群れからはぐれた羊だ。どこへ行けばいいのか、何をすれば良いのか分からずに迷っている。


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