20、ヴァルトロメイ・ル・ヴィ
店内は優しい香りで満ちていた。異国の花や果実のような不思議な匂いに、かぎなれた茶葉の匂い。たくさんの香りが交じりあい、一定の調和をもってふわふわと店内を漂っている。まるで花畑に足を踏み入れたようだった。
茶葉の入ったガラス瓶がぎっしりと詰められた棚は柔らかく高級なニスに磨きあげられツヤツヤとした光沢が飴色に輝いている。
「往生せえやァー!」
「エミリオ様、今日こそ一発殴らせてくださいーっ!」
「よーしよしよし、今日も元気で結構なことだ」
そして店内は殺気でも満ちていた。ぶつけられるたくさんの怒号。店に入るなり一等級の店にあるまじき猛々しさと共に現れたソムリエエプロンたちが蝶のように舞い、蜂のように刺すべく一斉に拳を振りかぶった。その怒りの矛先はどれも一足先に入店した暢気なエミリオさんに向かっている。そして次の瞬間、一斉に叩き落とされた。
「ち、ちくしょう」
「あと少しでマイスターに届かぬ拳……」
「修行が足りてないぞ、お前ら~」
これが一級調合士の実力。無駄のない足運びと的確に一撃で店員を床に沈める威力。棚に並んだ茶葉入りのキャニスターは振動すら感じていないのか一切揺れていない。
すごい。この間まで目に光が無かった人とは思えない。そのうえ、茶屋問屋も調合も、全然、関係ない。この人たち何やってんのというツッコミする気力すら沸き起こらない。
こんな人ばっかりか、王都オールドチェス。
色々と大丈夫か、王都オールドチェス。
拳骨一発ずつで見目麗しき店員たちを床に沈めたエミリオさんが腰に手を当て、屍の上にカラカラと笑いながら君臨している。何が起こっているのか分からないまま、口を開けていると店の奥から軽い足音が近づいてきた。
「ちょっと、開店準備の途中で走り出すなんて一体何が」
奥から現れた女性は不自然にことばをシックな黒いワンピースに白地のエプロン。オレンジのランプに照らされる布の光沢には品がある。遠目からでも分かる程に高い生地をつかった服だ。乱れなく編み込まれた煉瓦色の髪に耳の横からくるりと巻いた小さな羊角。奥から現れた愛らしい女性は小柄な体躯に似つかわしくない巨大なホウキをぎゅっと握りしめた。
彼女は床で悔し涙を流す従業員、陽気な顔で手をふるエミリオさん、そして彫像のように固まった私達を順に見渡し、プルプルと小刻みに震えた。
「よう、ケイシー。おはよう」
「なにがおはようですかーっ!」
爆発しそうな緊張感を呑気な声で破ったのはエミリオさんだった。そもそも最初から、彼だけが飄々とした態度を崩していない。まるで当たり前のように襲撃にも対応していたし、目の前で真っ赤な顔で叫んだ女性にひるみもしていない。
「やっと出社したと思ったら来なかったり……来たかと思えばぱっと消えたり……手品の鳩でもそんなに出たり消えたりしませんよっ。あまり心配をかけないでくださいっ」
エミリオさんに詰め寄った女性は思いっきり巨大なホウキを振りかぶり、迷いなく降り下ろした。天井につかなかったのは奇跡か。それとも調度品の少ない店内のおかげか。
わははと笑って受け流すエミリオさんとケイシーと呼ばれた女性。すっかり出来上がってしまった二人の世界に入り込めずにいる。先程まで地面に寝転がっていた店員さんは呆れた様子で立ち上がり、ディーは私の横でひきつった笑みを浮かべていた。
「仲が良いのですねぇ。うらやましいなぁ」
いや、ちっとも引きつってはいなかった。彼はホノボノ気分で、あたたかい眼差しと微笑みを浮かべていたつもりだったのだ。
すまない、ディー君。また心情を正確に察することができなかった……。心のなかで謝っていると、気がすんだのか。ケイシーさんがため息をつきながらホウキを下ろした。
「……驚かせて申し訳ありません、お客様。ようこそ。王都一の茶問屋『ヴァルトロメイ・ル・ヴィ』へ。店長のケイシーと申します」
彼女は一流店にふさわしい仮面をかぶった。柔らかい笑みを浮かべ、何事もなかったかのようにエプロンの裾をつまみ上げる。
それはもう優雅な一礼だった。同じ「いらっしゃいませ」でも一朝一夕真似できない、細部や角度にこだわった、すごい礼だった。片手に巨大な獲物が無ければカンペキなのに。
よく使い込まれたホウキの使用用途が本来の清掃であることを願う。
「かか、か、開店まえに」
「おじゃ、おじゃましています」
ディーと私は一文を切り分け、交互に話す。こめつきバッタのように頭を下げるのは自然な動きであったと我ながら思う。
今のやりとり、見てませんよね?
目の前の女性が言葉以外で伝えてくるのだ。
テレパシーでもなければボディランゲージでもない。ただ、純粋な威圧。その小柄な体のどこに秘められていたのかというほど、強烈なものがビシバシと伝わってくる。
そんな中でもエミリオさんは平然としていた 。心臓に毛でも生えているのだろうか。生えているに違いない。
「前に話しただろ。この子たちが棘のない時薔薇を売ってるんだ」
「あぁ。数日前とつぜん買ってきたかと思うと、店先の一番目立つ場所に飾れとごり押しした例の時薔薇ですね」
「ちょっと待て」
口笛でも吹きはじめそうなエミリオさんと呆れた様子のケイシーさんの会話に聞き捨てならぬ点があった。示しあわせたかのように二人が向けた視線の先には、大輪の赤いバラが飾られている。どうも見覚えのあるバラだ。
「若者へ向けた、俺なりの心配りってやつだ」
茶色で統一された店内で、唯一はっきりとした色がついた部分。一度見つけてしまえば非常に目立つ。ガラスケース越しでも分かるほど鮮やかな真紅、蕩けそうに柔らかな花弁。瑞々しく滑らかなトゲ一つ無い色濃い緑の茎。
くっきりと、そしてばっちりと。ウチの商品が咲いていた。
「予想外の広告塔でしたね」
「ひょっ、ひっ、ほわっ」
ほうーと感心したような声をもらすディーとは対照的に、私はしゃっくりのような声を出すことしかできない。
まさかの一番街。まさかの王室御用達。そんな雲の上で宣伝されるなんて誰が思うだろう。謎の大流行。その謎がとけた。
リトル・マーケット本来の顧客層とは違う客層が来ていたのは、コレが原因だったのだ。何が恐ろしいってそんなお貴族様のニーズとうちの村の特産品が合致してしまったこと。やっていけると知ってしまったことだ。
わーあ、単価の高い商品も売れるなぁ、やったーなんて思っていたけれど、これって帰って来たギギ老が知ったらマズいのでは?
昨日のようなパニック状態がこれから毎日続くかと考えると、それだけで腰が引ける。今すぐに手を打たないと……。
意識を遠くに向けていると、服の袖をディーがちょんとつまんだ。




