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2話

 今朝目を覚ますと、そこらの人間からはらわたが飛び出して見えるようになってしまった。

 行き交う人々、会社の上司や先輩や同僚、テレビの画面に映っている人間からも。そのほとんど全ての腹から臓物が飛び出て見えるのだ。


 時間が経てば治るかもしれない、と期待したりもしたのだが、結局それが視界から消えることはなかった。

 俺は職場の人間の腹からはみ出るワタに気を取られながらも、ごく普通に仕事を終えて今はこうして自宅で一人、はらわたについて思いを馳せている。


 ひとまず、眠ろう。明日も仕事だ。

 部屋の照明を消す。

 目が覚めたら、はらわたは消えているかもしれない。





 朝。

 アラームの音で目を覚ました。

 なんだか酷い夢を見た気がする。額に汗が滲んでいた。


 俺はいつものようにテレビをつけた。

 画面の中の天気予報のお姉さんが、こちらに向かって微笑んでいる。

 しかしやはり、彼女の腹からははらわたが飛び出していた。お姉さんはでろろんとワタの引っかかった指し棒を持ち上げて、ニコニコと予報図を指している。

 本日は快晴、だそうだ。


 現実、そんなに甘くはないかあ。現実からを逸らしているから幻覚が見えているんだろうけどさ。でもこりゃねえぜ。

 なんて思いながらテレビを消して、準備を済ませて靴を履く。


 ドアを開けると、隣のおばちゃんの家から、はらわたが飛び出しているのが見えた。家のドアに挟まった腸がアパートの廊下に一直線に伸びている。彼女ははらわたを収めないまま家の中に入ってしまったのだろうか。

 ひょこひょこと、はらわたを踏まないようにして俺はアパートを出た。


 街行く人々。やはりどいつもこいつも、相変わらずはらわたを飛び出させていやがる。今日は土曜日のため私服姿の人間が多いが、それでも皆ワタを振り回して歩いていた。電車内でも同様に撒き散らしていた。


 職場に着くと、さっそく萎れたはらわたの上司に命じられ、俺はいつも通りに便所掃除を始めた。


 トイレブラシを掴んで小便器の前に屈み込む。

 そして気合を入れて磨くのだ。


 ごしごしと。念入りに。

 上司に「汚れてんぞ」と叱られないように。

 ピカピカと。念入りに。

 上司に「お前出来てねえじゃねえか、全く使えない奴だな」と悪態を吐かれないように。


 そう考えながらも便器を執拗に磨いていると。

 ぐわり、と突然、押し寄せるようにして脳裏に何かが舞い込んできた。


『また便器磨いてるんですかあ』

『ウケるわ』

『なんであの人トイレ掃除ばかりやらされてるんだろう』

『係長に嫌われてるんだろ』

『仕事が出来ないから?』

『便器磨きは上手じゃん』

『あはははははは』


 それは記憶の断片。

 くすくすという笑い声。

 俺を嗤う人間ども。


『あはははははは』

『あはははははは』

『あはははははは』

『あはははははは』

『あはははははは』

 あはははははは。


 俺は便器を磨く手をとめる。

 そして思った。


 ああ。やっぱり病院へ行こう。こりゃ行くべきだ。


 幻覚(はらわた)は外的刺激による心理的ストレッサーのせいだ。要するにストレスのせいだ。俺は見るべくして幻覚を見ているのだ。そうだ、きっとそうに違いない。

 決めた。さっそく今日の昼休みに予約を入れよう。このままじゃ本格的におかしくなっちまう。


 俺は決意をして、再び便器を磨き始めた。





 昼になると食事をする時間が与えられる訳だが、「コンビニに行ってきます」と一声かけて俺は会社を飛び出した。

 近所にある寂れた公園へと向かう。あそこならば今日が土曜であれ人はあまりいないはずだ。


 公園には一組だけ、親子がいた。

 若い女性とその子どもと思われる女児。


 錆び付いたブランコに乗った女の子が、身体と腹より飛び出たワタを風に揺らしている。その姿を母親が暖かく見守っていた。

 いかにも幸せそうな親子だった。

 二人とも臓物を垂れ流してはいるものの、それは俺が見ても微笑ましいものだった。こういう和やかなもんを最近見ていなかったなあ。見る余裕もなかったもんなあ。


 そこでハッと気が付く。

 そうだ。

 こんなんを黙って眺めている余裕など、俺にはないのだ。


 その場を離れ、公衆トイレへと向かった。

 トイレの裏の狭い隙間へと入り込む。そこでスマートフォンを取り出した。これから近所にある心療内科を検索し、予約の電話を入れようという訳だ。早く、どうにかしたこの頭をどうにかして貰わなくてはならない。


 スマートフォンの電源を入れる。

 開くと一件、メールの通知が入っていることに気が付いた。

 ここ最近、俺は誰とも連絡を取っていない。

 仕事に追われ返事をするのが遅れていると、いつの間にか連絡そのものが来なくなっていたのだ。会社の人間とは支給された携帯電話でやり取りをするのみ。

 これは迷惑メールだろうか。


 そう思いながらも開いてみると、そこには大学時代の友人の名前があった。画面にはこう書かれている。


『ちょっくらこっちに帰ってきた。今度会おうぜ』


 佐藤。

 昔はよくつるんでいたが、ここ一年ほどは連絡も取っていない男だ。


 佐藤は、俺とは全く違うタイプの人間だった。

 脱色しきった髪を後ろで括り、いつも派手で人目の引くような格好をしていた。要はチャラチャラとしていた。


 最初話し掛けられた時は、絡まれたのかと思いそれはもう戸惑ったものだったが、数ヶ月も経つと俺もすっかり心を開いてしまっていた。

 なかなかに嫌みのない良い性格をした奴だったからだ。


 一緒にアルバイトもやったなあ。馬鹿なこともやった。

 あの頃は楽しかったな。

 結局、佐藤が「オレバンドマンになるわ」と言って卒業まで就職活動をしないという暴挙に出たためそのまま疎遠になった訳だが、今は一体何をしているのだろうか。


 俺は思わず、返事をしてしまった。

『忙しいから会うのは難しいと思う。しかしお前今何やってんだ』

 好奇心が湧いたのだ。


 いや、けれども今は病院の検索だ。

 そう思いブラウザを開いたところで、音が鳴る。返信が早いな。


『バンドやってる』


 文字の下には写真が添付されていた。

 スタジオなのか、薄暗い中に佐藤が写っている写真だ。

 満面の笑みを浮かべ、こちらを向いてピースをしている。


 佐藤は相も変わらず派手な格好をしていた。やはり髪は脱色されておりそれを頭の後ろで括っている。顔の横には新しく緑のメッシュが入っていた。また派手になっていやがる。

 彼はドラムに跨っていた。どうやら他人に撮ってもらったのだろう。

 雰囲気はあまり変わっていなかった。


 と、そこで気が付く。


 はらわた(・・・・)が、出ていない。


 どういうことだ。

 はらわたが飛び出していないのは普通のことだ。けれども今の俺には皆の腹からワタが飛び出して見えるはずだ。


 しかし、佐藤の腹には何もない。

 目を見開いてみても、目を細めてみても、佐藤の腹からはらわたは飛び出して見えない。

 ただただ普通の腹があるだけだった。


 俺は慌てて公衆トイレの裏から飛び出した。

 そして先ほどいた、女の子と母親を探す。


 親子は滑り台のある場所にいた。

 錆び付いた滑り台を、女の子が腹から出たワタをたなびかせながら滑り降りている。母親も、微笑みながら臓物を地面に垂れ流している。


 はらわたが、見えなくなった訳ではないのだ。


 それならば。

 どういうことだ。

『佐藤からは』はらわたが飛び出して見えないということ、なのか?


 俺は佐藤にメールを送った。

『そうか。バンドやってんだな。会うの難しいって言ったけどお前もそうそう帰って来れないだろうし、やっぱり会うか。時間作るよ』


 会おう。

 会って、確かめるしかない。

 本当にはらわたが飛び出していないのか。


 すると、すぐに返事が来た。

『おう』

 決まりだ。


 ひとまず、病院に行くのはやめるか。

 佐藤に会ってはらわた云々を確かめた後でも良い気がする。


 そう思い、俺はスマートフォンを閉じた。

 コンビニに向かうために公衆トイレの影を出る。

 すると再び通知が鳴った。やはり佐藤からだった。


『ところでオレ、今**タワーへ来てる』


 タワーというのはこの街の名所だ。

 しかしこの土地に住んでいる人間はわざわざ立ち寄らない。いつも見ている風景を眺めたってどうしようもないからだ。

 佐藤は上京して一年と少し、この土地の人間じゃなくなったということなんだろう。懐かしんででもいるのだろうか。


 メールには再び画像が添付されていた。

 それにはまた、佐藤が写っている。タワーの展望台で自撮りをしている写真だ。こいつ、自分大好きだなあ。

 佐藤は先ほどの写真と同じく満面の笑みでピースをしていた。


 そして、


 その腹からは、はらわたが飛び出していた。


 飛び出すどころか飛び散っていた。盛大に吹き出していた。どしゃあと溢れ出していた。


 俺は慌てて、最初に送られた方の写真を見る。ドラムに跨っている佐藤。やはり、ワタは飛び出していない。

 俺は目を移す。今送られた方の写真を見る。展望台にいる佐藤。やはり、ワタが存分に溢れ、飛び散っている。


 俺は一人で首を振った。溜め息を吐いて笑う。





 病院に予約を入れた。

 たまたま、休みが入っていた日に予約が空いていたそうだ。

 良かった良かった。と思いながらも会社へと戻ると、「遅い」とはらわたを振り回し、上司が憤っていた。


 全く、困ったもんだぜ。

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