↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
舟送り  作者: 網笠せい
第一章 香川県多度津町佐柳島 1
PR
1/18

第一話

 ──こんな日が、いつか来るとは思っとったけど。


 長男・(たかし)は実家の壁に張られた白黒の鯨幕から、そっと目を逸らした。僧侶の読経に合わせて、木魚の音がポクポクと聞こえてくる。午前中に火葬を済ませた父のお骨を見ていると、隆が握りしめていた数珠の一粒が、汗でつるりと滑った。


 三男の(たく)が「こら」とひそめた声を出す。隆が顔を上げると、何処からか紛れ込んだ猫が、座布団の上で丸まっていた。


 次男・(じん)は、猫を見て忍び笑いをもらしている。三人兄弟は読経の邪魔にならないように、ひそひそと小さな声で会話した。


「猫もご焼香しに来たのかもしれん」

「追い出せよ。親父の葬式だぞ」

「よくうちに来るんよ。拓や兄さんよりも」


 仁の言葉はにこやかだが、そう言われてしまっては、隆も拓も立つ瀬がない。


 三人兄弟の実家は、瀬戸内海に浮かぶ佐柳島(さなぎしま)にある。長男・隆は関西の大学に進学したのを機に、故郷を離れた。三男の拓は広島県呉市の専門学校に進学したときに、やはり島を出た。島に残ったのは、次男の仁だけである。


 三人がそれぞれに座り直すと、座布団の上で丸くなっていた猫が大きなあくびをした。


 読経は続いている。線香の香りが漂う中、隆は正座していた脚をくずして、あぐらをかいた。


 隆とて、実家や父のことを気にかけていなかったわけではない。


***


 神戸に住む隆の元に、弟の仁から連絡があったのは、昨夜のことだ。


 突然の訃報に、隆はとるものもとりあえず、故郷である香川県佐柳島へと向かった。新神戸から新幹線に乗った隆は、車窓の向こうに広がるのどかな景色を見つめて、喪服を詰め込んだ旅行カバンを脚の間にぎゅっと挟み込んだ。


 岡山駅で特急に乗り換えると、瀬戸大橋を走る特急列車の窓から、隆は海を見下ろした。バタバタと支度をしたこともあって、ようやく一息つけたような気がした。無骨な橋脚が、いくつも視界を過っていく。隆は父の節くれだった指を思い出した。


 ──まだ元気そうやったのにな。


 隆の記憶に残っている父の姿は、漁船の上にいる姿である。海の中からロープのついた蛸壺を引き上げていく父の横で、隆は蛸壺をカゴに放り込む。そうして二人で、新しい空の蛸壺を海に沈める。蛸壺が沈むときは、とぷんと音がして、遅れて海面に小さな気泡が上がってくる。


 隆が進学する前の話だから、少なくとも十数年は経っている。進学や就職をしてからも何度か実家には帰省したが、隆がいつも思い浮かべるのは、昔の父の姿だった。


 風が強いせいか、海が荒れていた。多度津(たどつ)から隆が乗った小型フェリーは、波をかきわけて瀬戸内海を進んでいく。小型フェリーのスクリューに泡立つ波を眺めながら、隆は潮の匂いのする風を浴びた。今日は海が荒れている。ときおり波飛沫が飛んできた。


 小型フェリーは海上で弾むように跳ねる動きをしながら、荒波を乗り越えていく。


 晴れた日には波間に踊るようにゆらゆらとした光の帯が見えるが、今日の海は灰色の空を映して、薄く濁って見える。


 隆は荒れる海面をぼんやりと眺めた。電話では父と何度かやりとりをしていたが、帰省するのは数年ぶりだ。


 佐柳島は、瀬戸内海にある小さな島だ。猫が多く、世間からは猫の島とも呼ばれている。島民よりも猫の数が多いのだから、そう呼ばれるのも自然なことだろう。最近では猫目当ての観光客が多く来島するというが、隆が子供の頃は、ほとんど観光客を見なかったような気がする。


 ただ、猫の姿は島のあちこちで見かけていた。波止場にも防波堤にも往来にも猫がいて、寝そべったり散歩をしたり伸びをしたりと、気ままに過ごしていた。隆が思い出す島での生活には、そこかしこに猫がいた。


「いつもこんなに揺れるんですか?」

「普段はこんなに揺れませんね。珍しいですよ」


 佐柳島行きの小型フェリーには、何人かの女性客が乗っている。おそらく猫目当ての観光客なのだろう。多度津の港で楽しそうにはしゃいでいた彼女たちは、今日の海の荒れように、船酔いをしているらしかった。


 隆の乗った小型フェリーは島の周りをぐるぐると渦を巻くように回って、港に近付いていく。瀬戸内海は潮の流れが混み入っていて、潮目を読むのには慣れが必要だと、以前父が言っていたことを隆は思い出した。風が強く、海の荒れている今日のような日は、尚更だろう。


 船が汽笛を鳴らす。これまでの人生で何度もフェリーに乗ってきたはずなのに、隆は船酔いで胸焼けがしてきて、でこぼことした甲板に座り込んだ。


 冷や汗を拭うと、潮風のべたつきが急に気になった。もしも父がまだ生きていて、この場にいたなら「漁師の息子なのにか?」と呆れながらも笑われただろう。「ご先祖様は海賊だったんだぞ」と言い出すかもしれない。


 ──もう何年も、船に乗ってないもんな。


 隆は手すりを握りしめながら、立ったり座ったりをくり返して、なんとか船酔いをやり過ごした。


 島に近付くごとに船の揺れは少なくなっていった。ようやく到着を知らせる船内放送が聞こえてきて、隆は足元をふらつかせながら佐柳島の港に降り立った。雨が降っている。


 せっかく地面に降り立ったというのに、まだ揺れているような気がする。同じ船に乗っていた観光客は、青ざめた顔でよろよろと港の桟橋に降り立った。


***


 神戸から佐柳島へは数時間で着くが、隆が帰省するのも一苦労あったのだ。島で暮らしている仁には、到底わかるまい。


 弔問客の島民たちが両肩に襟巻きのように紫色の布を垂らして、念仏を唱えている。隆にはあまり馴染みがないが、御詠歌というらしい。


 隆は喉元まで出かかった文句を飲み込んだ。仁は仁で、通夜の手配などに忙しかったはずだと、灯りのついたぼんぼりを眺めた。


 座布団で寝ていた猫がゆっくりと起き出して、読経している僧侶に近付いていく。祭壇にでも登られたらことだ。拓が「これ」と再びひそめた声をあげるが、猫は祭壇の前で座ると、前脚で毛繕いをはじめた。座布団についた猫の毛をとりながら、隆は仁に視線を向ける。


「親父も猫、好きだったからなぁ」


 忍び笑いをもらす仁に倣うように、御詠歌を唱えていた島民たちも微笑ましい目で猫を見守っていた。


 隆は尚も不満そうにしている拓の肩を叩いて中座した。あぐらをかいていたというのに、脚の痺れが限界だった。


 台所に置いてあった灰皿を持って玄関前に出る。隆は煙草に火をつけると、ほうっと息をついた。後についてやってきた拓も、同じように煙草に火をつける。


「葬式で猫を自由にするって、いかんやろう。祭壇に登ったり、お供え蹴散らしたりするかもしれん」

「この島では、いつの間にか猫が偉くなっとるんかもしれんな」

「……観光資源いうやつか」


 煙草の先についた火が、赤々と燃え上がる。隆は吐き出した煙が宙に溶けて行くのを眺めながら、「俺らにはできへんことや」と力なく笑った。


 実際、佐柳島という小さな島に観光客が押し寄せるようになったのは、猫のおかげだ。過疎化と高齢化で人が少なくなってきた島から出て行った隆や拓が、猫と暮らしている島の人々をどうこう言えることはないのだろう。島に観光客を呼ぶという、人間がどう逆立ちしても叶えられなかったことを、猫たちは島でのんびりと暮らすことで叶えたのだから。


「親父、そんなに猫好きやったか?」

「知らん。邪険にはしとらんかったけどな」


 並んで煙を吐き出す隆と拓の前を、座布団で寝ていた猫とは別の猫が小走りに駆けて行った。


「猫嫌いやないけんど、あいつら自由な生き物じゃろ」

「まあ、獣やしなぁ」


 家の中から聞こえる御詠歌は、まだ続いている。昨日降っていた雨はすっかり止んでいた。植え込みの葉に乗っていた雫が、海風に揺られてぽたりと落ちる。穏やかな波の音が聞こえていた。


「……最近、仕事はどうなん?」

「相変わらず船作ってるよ。隆兄さんは?」

「こっちも相変わらずやな。事務仕事やわ」


 隆が口を噤むと、二人の間に沈黙が漂う。その隙間を、そっと潮騒と読経が埋めていく。隆は足元のアスファルトに視線を落とした。


 亡くなった父は、漁と船作りを生業にしていた。漁の仕事は次男の仁が受け継ぎ、船作りは三男の拓が受け継いだようなものだ。


 その一方で、長男である隆が父の仕事から受け継いだ要素はない。神戸で背広を着て日々満員電車に揺られ、オフィスに出社して、パソコンやコピー機を駆使して仕事をしている。故郷の訛りはすっかり消えて、関西弁に馴染んでいる。


 普段は気にも留めないが、こうして目の当たりにすると一抹の寂しさを覚えるなと、隆は煙草を灰皿に押し付けた。灰皿の中に灰と煙草の葉が広がる。部屋から聞こえてくる読経が途切れて、おりんを鳴らすチーンという音がした。


「この後、お骨とデコ持って埋め墓に行くんじゃろ?」

「せやな」


 デコは瀬戸内海の一部地域に伝わる、桐材でできた人形である。人形といっても人間を模したものではなく、砲弾のような形をしている。佐柳島ではデコを埋め墓に供える風習があった。


 隆は先ほど祭壇でデコを見かけたことを思い出して、玄関で靴を脱いだ。いつの間にか散らばっていた弔問客の靴を揃える隆の横をすり抜けて、拓が部屋に入っていく。


 隆が室内に戻ると、僧侶の横で祭壇に見入っていた猫が振り返った。隆は咎められているような気がして落ち着かず、まだ痺れの残る脚を正座にした。


 僧侶が祭壇に一礼した後、立ち上がる。そろそろ埋め墓に向かうようだった。


「お骨は誰が持つ?」

「隆兄さんじゃろ。長男やけ」

「いや、仁やろ。島に残ったんは仁なんやから。俺はデコ持つわ」

「じゃあ俺は親父の遺影持つけん。お墓に供える生米、忘れんでよ」


 埋め墓へと向かう三人は、はからずも長男・隆を先頭に、次男・仁、三男・拓の順番に並んだ。デコを手にした隆、遺骨を持つ仁、遺影を抱える拓の順に家を出る。船着場に、父が漁に使っていた漁船がつけてある。


 背広で漁船に乗り込むことになるとは思わなかったなと、隆は船の縁をまたいだ。足を乗せた瞬間、船は波に揺れて少しばかり沈み、すぐに元の位置に浮かんだ。


 遺骨を抱えていた仁が、漁船を動かす。エンジンの動く音がして、船は穏やかな海の上を滑り出した。


「この漁船も、親父の相棒みたいなもんやからな」

「機械の部分は業者さんじゃけど、あとは親父が作ったんじゃろ? ちょうどええ」


 昨日とは打って変わって、静かな波の音が響いている。島内の埋め墓に向かう船の上を、さっと海鳥の影が通り抜けていった。


 佐柳島の埋葬は、全国的にも珍しいものだという。埋め墓というお骨を納める墓と、参り墓というお参りをするための墓がある。佐柳島で育った隆は特に違和感がないが、通常の墓はその両方の役目を一基で果たすらしい。


 防波堤にいた猫がぴょんと跳んで、道の真ん中に寝そべった。晴れた日差しの中で、猫が何匹も、船を見送るように歩いていた。


「人より猫の方が多いって言われるだけあるわ」


 この佐柳島も、かつては島民で賑わっていたのだろうか。塩飽(しわく)水軍がいたというから、活気に溢れていたのかもしれない。隆は、かつてこの島で暮らしていた人々が猫になって戻ってきたのではないかという気がして、船上で目を細めた。


 ──いつか、親父も猫になって戻ってくるかもしれへんな。


 隆は防波堤の向こうに、昨日小型フェリーで一緒になった観光客を見つけて会釈した。今は佐柳島も観光客で賑わいを取り戻しつつある。喪服のネクタイが、潮風に踊った。


 埋め墓の近くの船着場に漁船が停まる。隆はゆっくりと船の縁をまたいで、陸地に降り立った。海を流れて丸くなった石が、辺りを埋め尽くしている。墓石の上に生米を置きながら革靴で進むと、ほんの少し足元がぐらついた。


「ここでええんか?」

「うん」


 小ぶりな石造りの墓の前にしゃがみ込むと、隆はデコをそっと置いた。仁の持っていた遺骨と、拓の持っていた遺影がそれに続く。三人は石をどけると、骨を納める場所を作った。遺骨のほとんどは納骨堂に納めるが、ほんの少しだけ埋め墓に埋めてほしいと、生前父が言っていたのだ。


 空をとんびが旋回して、ヒョロロロロと鳴いている。隆は額に滲んだ汗を拭って、遺骨を納める仁を眺めた。すぐに拓が石を持ってきて、墓の周りに積んでいく。隆と仁もそれに続いて、あっという間に墓が元通りになった。墓の手前にデコを置き直し、線香に火をつける。


 三人は数珠を持った手を合わせてしばし弔いをすると、立ち上がった。


「これで合っとんのかな?」

「わからん。仁、なんか聞いとらんか?」

「聞いとらんよ。……おふくろも、亡くなったん結構前やき、覚えとらんわ。隆兄さんの方が覚えとるんと違う?」

「覚えてへんなぁ」


 三人は困ったように立ち尽くして、積み上がった石の真ん中にある埋め墓を見下ろした。墓参りといえば専ら参り墓の方で、埋め墓には訪れないから、兄弟三人とも勝手がわからない。


「初七日とか四十九日は今日一緒にやってもらったんやろ? 初盆はどないするん?」

「灯篭船流すんじゃろ?」

「そう。灯篭船」


 八月のお盆には、死者の魂が戻ってくると言われている。キュウリやナスに割り箸などを刺して作った精霊馬に乗り、先祖の魂が戻ってくるという風習だ。


 一部の地域には、精霊船という風習が残っている。海辺の街に多く見られるもので、おそらくは移動に馬や牛よりも、船を使うことが多かったのだろう。お盆に毎年精霊船を作って川や海に流す地域もあれば、死者が亡くなって初めて迎える初盆にだけ、灯篭船を流す地域もある。


 きらきらと輝く波が絶え間なく満ち引きをくり返すのを、三人はぼんやりとながめた。綿毛のような雲が空に浮かんでいる。


「……なあ、灯篭船、作らん? 俺ら船大工の息子なんやし」


 隆の口をついて出たのは、そんな言葉だった。生前船大工でもあった父も、集落の人々に頼まれて灯篭船を作ることがあった。


 次男の仁も、三男の拓も、それぞれに亡き父から受け継いだものがあるが、長男の隆にはそういったものがない。せめてもの餞だ。


「ええね」

「いっちょ気張りますか」


 仁と拓は一瞬きょとんと目を丸くした後、破顔した。


「船の設計図は拓が作るやろ?」

「まあ多少勝手は違うけんど、なんとかなるじゃろ」

「俺は材料集めて仁のところに送るわ」

「島では手に入らんものもあるじゃろうしな」

「よし! 親父、待っててくれや」


 三人はもう一度埋め墓に手を合わせると、ああでもない、こうでもないと計画を練りながら船着場へと戻っていく。父の漁船に乗り込む直前、額に手を当てて海を眺めた仁のシャツに、汗が滲んでいた。


 海は穏やかな波の音を三人に聞かせている。水平線の向こうに、隣の島が見えた。

【参考資料】

Wikipedia / Weblio / 産経新聞2017.4.26『失われつつある習わし紹介 瀬戸内海歴史民俗資料館「昭和のお葬式とお墓」展 香川』https://www.sankei.com/article/20170426-QBTTIYBL6RKE5GQPCYIRCK7VD4/

怪異譚 2016.3.29 『【コラム】両墓制の残る島「佐柳島」探訪』

https://kaiitan.com/article/435889601.html

YouTube kota shashiki『謝敷康太が行く! -四国編- part4 佐柳島 陵墓制 おばあちゃんの話』

YouTube - たどりつく多度津 - 多度津町タウンプロモーション

『たどつ冒険の書1「佐柳島 伝説の墓」』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
編笠様 拝読しました。 読み終えた最初の感想は「続きが気になる」でした。 猫のいる風景、瀬戸内の風習、三兄弟の何気ない会話が胸にすっと入り込んでくる。 道産子は案外、道外の世情には疎い(私だけかもし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。