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あがきを疾み(あがきをはやみ)  作者: 理猿
最終章 冬、奇跡再び
100/106

Prelude to GRAND PRIX

 東京都港区高輪にあるシティホテル。

 有馬記念を今週末に控えた木曜日の夕方。そこの大きな会場のひとつに大勢の競馬関係者と報道陣、一般抽選で選ばれた数百人のファンが詰めかけていた。

 有馬記念公開枠順抽選会。

 一般的に枠順抽選は毎週非公開で行われコンピュータでランダムに割り振られるが、その年の競馬の総決算である有馬記念ともなると、枠順を決めるだけの抽選会でさえ大々的なイベントとなる。

 競馬関係者の面々も普段の姿とは違い皆正装だ。青も今日ばかりは黒を基調とした細身のドレスにぎこちなく身を包んでいる。

 クラッシュオンユー関係者に割り当てられた円卓で、馬主の武市はにこにこと壇上を見つめ、咲島調教師は目を閉じてむっつりと腕を組んでいる。

『それでは最後に意気込みをいただきたいと思います』

 はい、と壇上に立つ千崎が勢いよく言うとマイクがハウリングする。少しの笑い。ひとつ咳払いして千崎が話し出した。

『チャンピオンズカップに続いてこんなに早くまた中央のG1レース、それも有馬記念に乗ることができ感謝しております。――ただ、俺はここにただ乗りに来たわけじゃない。船橋のプライドを賭けて今度こそ結果で期待に応えてみせます』

 大きな拍手。千崎は調教師らと一緒にゆっくりと降り、隣の円卓へと座った。

「緊張してた? すっごく真面目だったじゃん」

 耳をほんのり赤くして千崎が青を睨みつける。

「うるせえよ。お前だってどうせあそこに上がったら緊張するくせに!」

「私はしないよ」

「する!」

「しなーい」

「うるさいぞ日鷹」

 咲島が二人の言い合いをたしなめる。

 あんたのせいで怒られたじゃん、と青が千崎を睨みつけた時、会場がわっと盛り上がった。

 今回の枠順抽選会は、十六頭からまず馬を抽選籤で選び、そこで選ばれた陣営が枠順の書かれた籤を引くことで枠順が決定する。これを十六回繰り返す。もちろん十六頭目は自動的に決まるのだが。

 この盛り上がりは、次の馬が選ばれたことによるものだった。

『さあ、続いては十頭目――クラッシュオンユーです! 陣営のみなさん前へどうぞ』

 咲島が立ち、続いて青が立った。

「緊張すんなよー」

 にやにやと茶化す千崎に、青は振り向きざま小さく舌を出した。

 壇上、並んで立つ咲島にマイクが向けられる。

『咲島調教師はあのノッキンオンハート以来の有馬記念ということになります。その産駒であるクラッシュオンユーでの参戦というのは思うところがあるんじゃないですか?』

『どうだろうな。あんたがそう思うならそうでいいよ』

『ははは、気合十分ということで』

 恰幅のいい司会の男は顔を少し引きつらせてさっさと進行に移る。

『ええっと、籤はどちらが引かれますか?』

『はいっ!』

 と、青が食い気味に手をぴんと上げた。司会は表情を緩める。

『では、日鷹騎手に引いていただきましょう』

 一歩前に出た青は、飾り立てられた抽選箱に腕を入れ、ぐるぐると大きく二回円を描いた後に青が一枚の折り畳まれた紙を引いた。

『さあ、まだ一枠、二枠といった内枠も空いておりますが――』

 青が紙をゆっくりと広げてカメラに向かって掲げる。

 

 【16】

 

 その数字に会場に詰めかけた人々がどよめいた。 

『ああ、なんとここで大外十六番が出ました!』

 青に司会者から早速マイクが向けられる。

『さあ、ここで痛恨の大外となってしまいましたが、どうでしょう日鷹騎手。もう少し内の枠が良かったですか?』

『え? なんでですか?』

 青が首を傾げる。戸惑ったのは司会者だ。

『え? なんでって……。有馬記念のフルゲートでの八枠――十六番を引いた馬は過去一度も勝ててないんですよ。やっぱり不利じゃないですか。みんな大外だけは嫌だって心で祈ってますよ、絶対』

 ああ、と納得したように青は頷く。

『だったら私たちが初めて勝つことになりますね』

 会場が今日一どよめく。

『これは、これは……。実に心強いですね、咲島先生』

 司会者は呆気にとられた顔のまま咲島に話を振った。咲島は鼻で笑う。

「馬鹿なだけだ。それも、大の付くな」



 同週金曜日。

 中山競馬場で行われる週末のレースに向けて続々と競走馬が馬運車で運ばれていく。

 大型の十トントラックをベースに改造した馬運車。その車体周りを若い茶髪の男が入念に最終チェックしている。

 箱型の荷台を四つに区切った馬室。その一区画、上から見て右前に当たる位置の外扉を開けて男が降りてくる。

「すみません。待たせちゃって。もう大丈夫です」

「あっ、生島(おじま)さん。お疲れ様です。全然気にしないでください。えっと」

 茶髪男は手元のリストから生島が所属する咲島厩舎の競走馬から名前を探す。

「――クラッシュオンユー、どうかしました?」

「いや、少し興奮してて。ようやく落ち着いたんで今のうちに出してください。うるさくなったらこっちでどうにかするんで」

「わっかりました! あとはよろしく頼みます!」

 茶髪男は生島に向けて右手の親指を立てる。生島もぎこちなく親指を立てて返した。 

 リストに最後のチェックを入れ、よし、と呟く。少し離れた所で調教師と話す男に声を掛ける。

「岩倉さん。馬も厩務員さんも全員乗り込みました。準備オッケーでーす」

「おっしゃ。じゃあ乗れ。さっさと行くぞ。――じゃ、市口さん。またあっちで」

 言うが早いか、咲島厩舎の市口調教助手に挨拶すると岩倉はガタイのいい体を運転席に押し込む。茶髪男も慌てて反対側にまわり助手席に乗り込んだ。

「なんかトラブったのか?」

 岩倉はギアをドライブに入れ、パーキングブレーキを解除する。 

「いや、クラッシュオンユーがちょっと気が立ってたみたいで。まあ、生島さんもいるし大丈夫じゃないっすかね」

「……クラッシュオンユーか」

 岩倉が意味深に呟き、

「あいつの親父を思い出しちまうな」

 皮肉に口の端を上げる。

 発進。見送る人々に手を上げて応える。茶髪男が岩倉の顔を興味津々に覗き込んだ。

「なんかあったんすか?」

「昔の有馬でな。ようやくこの仕事に慣れ始めた頃にあいつの親父――ノッキンオンハートを運んでよ。今日みたいにノッキンオンハートも馬運車でもピリピリしてたんだが、中山に着いたら大暴れしてさ。ありゃ大変だった。ほら」

 そう言って左腕の袖を捲くる。その中央、縦に五センチほど線状に盛り上がっている箇所があった。

「まだ蹴られた跡が残ってらあ」

「……今回はなんもないといいっすね」

 神妙な顔をして茶髪男は唸った。岩倉はそれを笑い飛ばす。

「ま、任せとけや。無駄に歳食ったわけじゃない。ファーストクラスよりも快適な旅路を提供してやるよ」

 続いて交通情報です。日本道路交通情報センターの――。カーラジオから流れる声が、軽妙な語り口の(しゃが)れた男から穏やかな口調の女に変わる。

『はい、お伝えします。関西地方は事故もなく主要道路に大きな渋滞は発生しておりません。関東地方では本日未明から降り出した雪の影響で、東名高速道路は――』

 茶髪男は顔をしかめた。

「うへえ、雪かあ。道路大丈夫っすかね、あっち」

 岩倉は鼻を鳴らす。

「雪が降ろうが槍が降ろうが関係ない。安全に迅速に馬を競馬場に届ける。それが俺たちの仕事だ。気分はさながら命を賭して走るメロスだな」

「なんすかメロスって?」

 岩倉が呆れた様子で声を荒げる。

「メロスも知らんのか。走れいうたらメロスかマキバオーだろうがっ」

「はあ……」

 茶髪男は気の抜けた返事をして困ったように頭を掻く。

「……まさかお前、マキバオーも知らんのか」

「まあ、……はい。有名な競走馬の名前っすか?」

「名前といっちゃそうだがな……。まったく、競馬界にいてマキバオーを知らんのはもぐりだぞ。今度全巻持ってきてやるよ」

「全巻? ……あ、もしかして漫画っすか。漫画なら好きっすよ、俺」

 午前九時を過ぎ、馬運車は中山競馬場に向け唸りを上げる。



 今冬、関東平野で初観測された雪は昼を過ぎて地面を薄っすらと覆った。ほの薄暗い雲が空全体を塞ぎ街が灰色に沈む。レースカーテンの隙間から灰色が部屋にじわじわと染み込んでくる。それを払うように手元のリモコンでリビングの電気を点けた。

『さあ、もうすぐ年末! 本日はここ豊洲市場から年末にピッタリの――』 

 ソファに身体を預け、テレビを漫然と見ながら足を擦り合わせる。その時、机に無造作に置かれたスマホが規則的に振動した。

 電話がかかってくることなど滅多にないのに珍しいな、と思いながら日鷹みどりはスマホを手に取る。画面に映る名前を見て固まった。

「青……?」

 青から連絡が来るのはいつ以来だろうか。短いメッセージのやり取りは何ヶ月か前にしたが、電話となるととんとしていない。

 少し躊躇ったあとに電話に出た。

「もしもし」

 動揺を悟られないようにいつもの調子で話す。

『あ、お母さん? あのさ、明後日空いてる? 空いてなくても空けてほしいんだけど』

「明後日?」

 壁に掛けたカレンダーに目をやる。上半分。夜空を駆けるサンタクロースと(そり)を引くトナカイ。真っ白な袋から転がるプレゼント。十二月。最終週の日曜日。

『有馬記念に来てほしい』

「……行かない」

『来て』

 電話口の青は頑として引かない。

「あなたも大人なんだからお母さんが行きたくない理由、わかるでしょ?」

『わかるよ。でも来てほしい』

「行かない。――ごめんね」

 返事を待たずに通話を切る。スマホを裏返し少し離したところに置く。ごめん。

 そこで、インターホンが鳴った。モニターに映る人影。

 音を立てて玄関まで歩き扉を開けると、

「ごめん」

 青がぎこちない笑顔で立っていた。

「実は来てました」

 そう言ってはにかむ。

 溜息。みどりは諦めたような顔で額を抑えた。

「……なんであんたはいつもそうなのよ」 


「ごめんね急に来て」

 ダイニングの椅子を引きながら青は言う。台所の戸棚を開ける。

「もう慣れたわ。お腹空いてる? なにか作ろうか?」

「空いてるけど、レース前だから。調整ルーム入るからすぐ行かないといけないし」

「騎手を娘に持つとせっかくの料理の腕も生かす場所がないわね」

 棚からコーヒーカップを取り出す。インスタントコーヒーの粉を入れ魔法瓶からお湯が注ぐ。昔から変わらない、青専用のデフォルメされた白い子犬が描かれた陶器のカップ。

 はいどうぞ、と青の前にカップを置いた。淡く湯気が立つ。その向こうで青が少し笑った。

「騎手引退したらお腹いっぱい食べるよ。だから長生きして」

「何歳までやるつもりなんだか」

「わかんない。ずっとかも」

 沈黙。

 少しして青はコーヒーを一口啜る。無意識にテーブルの隅に置いたスティックシュガーの束に手を伸ばす。しかし、青は何事もない顔でカップを机に置いた。あてのなくなったスティックシュガーを持ったみどりを見て、青は得意気に笑う。

「砂糖なんかなくても飲めるよ」

 子供じゃないんだから。そう言って青は白い歯を見せて子供のように笑う。

 その顔を見て、気が付くと手を伸ばしていた。

 青の手にそっと覆うように手を重ねる。青が瞠目する。

「……どうしたの急に?」

 少し伸びた背。ほっそりとこけた頬。硬くなった皮膚。筋が浮かぶ手の甲。ブラックコーヒーを美味しそうに飲む姿。

 見ないうちに、青は随分変わった。

 ――私はどうだろうか。

 良くないとわかっていても、いつまでもあなたに囚われてしまう。テーブルに置かれた写真立て。そこに写る大洋の笑顔が滲む。

 そうしたままどれくらい経っただろうか。壁に掛かった時計を見て青が声を上げる。

「やばっ! 時間遅れちゃうっ! ごめん、お母さん、行かなくちゃっ! じゃあ、明後日、絶対来てね!」

 矢継ぎ早に言うと、青は荷物を持ちばたばたと走って家を出ていった。

 玄関のドアが半開きになり、外の景色が覗く。

 いつの間にか雪が止んでいた。

次回は3月24日(火)更新予定です。

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