ごくありふれた、いつも通りの日常
――いつだって、絶望は日常の陰から何食わぬ顔で僕らを手招きしているんだ。
蟲 蟲 蟲
からりと晴れた、陽気の良い日だ。ここ数日は雨もやみ、太陽と草木の青臭い匂いが鼻腔を満たす。ああ、この匂いはどこの世界でも変わらない。
一週間とちょっとが過ぎ、調査の日がやってきた。
各所との調整も兼ねて時間がかかってしまうのは、人が増える以上仕方がないことではあるだろう。蟲籠周辺はちょっと見ないくらいの人が集まっていた。これも定期調査では見慣れた光景である。
蟲籠における外界調査の目的は、まあいろいろとあるわけだが、大体は周辺環境の調査が主なものとなる。
周域から浅域まで、数日間にわたり定められたルートを通って、その間に遭遇した蠱獣を記録、場合によっては狩って数を減らす。そして出会った蠱獣の種類や数、周囲の地形の変化、植生などを記録していくのだ。
人にとっては自分たちを襲ってくるイメージが強い蠱獣だが、彼らだってこの世界に生きる生物の一つなのだ。全体を見れば植物を食べるものや菌類を食べるもの、他の小型蠱獣しか食べないものなど、人に害を及ぼさないものだって多い。
そして、いずれにしても環境の影響と言うのはとても重要である。
餌資源となる植物が枯渇していないか、蠱獣や植物の生育環境が変動していないか。蠱獣の数は過度に多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。自然が豊かであればよいわけでもないし、人の手が入りすぎてもいけない。
ほんの些細な変化が後々に影響する可能性もあるため、継続的に調査をすることが必要なのだ。即ち、日々の調査がいかに大事か。
個々の彷徨者たちからの報告はあるし、それらだってもちろん重要だが、それらはあくまで散発的かつ主観的なものでしかない。確実かつ信頼性を高めるためには、蟲籠主導でこういった定期調査を行う必要がある。
ってのが、一応の調査に対する最もらしい建前と理屈、ってところだ。
ここに集まっている人はおおむね3種類に分けられる。
一つは戦闘員。これは言うまでも無く、調査中の蠱獣との戦いにおける主戦力だ。
彼らが居ないと調査が立ち行かないことは必至であり、ここに選ばれるにはかなりの実力が求められる。まあ、こっちには縁のない話だね。
もう一つが調査・鑑定員だ。こっちは蟲籠から同定士の資格を持つものが数名随行することとなっており、こちらも調査には欠かせない人員である。
現地での蠱獣の記録を取る際はもちろんのこと、見た目から蠱獣の大体の種類を割り出すだけでも戦う際の方針決めが出来るし、特に危険な種類の情報など、そういった面で専門家として、戦闘要員に足りない部分を補うことができる。
そして最後にその他大勢。扱いが酷くないかって? いや、だって実際そんなものなのだから仕方がない。
ここの人員は、物資の運搬や回収しきれない素材やら何やらをとにかく拾い集めることが多い。はっきりと決まった役割があるわけじゃなく、割と誰でも入り込む余地のあるグループだ。個としての戦力はそこまで期待されていないけれど、とにかく人手があって困ることは無いので、それなりに動けて、それなりに戦えて、邪魔にならない彷徨者なんかがここに呼ばれたりする。
まあ、荷物持ち兼回収要員と言えば聞こえはよいが、ぶっちゃけ、雑用だ。だが楽して稼ぎたい彷徨者なんかにはうってつけの仕事だったりする。蟲籠としても、勝手に素材を回収してくれるし、参加する側としても強い敵は戦闘専門の人たちが倒してくれるし、winwinの関係だ。そして、不慮の事故で死んでも自己責任である。
そしてイオの立ち位置としてはここに該当する。どちらかと言えば回収要員として。いや、言わせてもらうけど、回収要員だって割と実績が無いと呼ばれないのだ。
新人でも、どっかのファミリーに所属しているなら、場合によってはそっち方面から参加できなくはない。いわゆるコネって奴だ。けど、これが無所属の彷徨者となると、それまでの信頼とか実績とか、そういったものがないと中々呼ばれることは無かったりする。
確かに、ここらの仕事は誰でも出来るかもしれないが、人の数はなんだかんだ大事だ。有象無象を呼んで、さっさと死なれて数が減ったらそれはそれで支障をきたすこと間違いなしだ。
つまり、調査に呼ばれるのも地味にステータスなのだ。これが年数ベテランとしての面目躍如である。ふふん、どうだすごかろう。
厳密にいえば、他にも非正規でこっそりと紛れ込んで、素材をこっそり取っていく彷徨者もそれなりの数いたりする。通称「モドキ」と呼ばれる奴だね。
どっちにせよやってることは回収要員とあんまり変わらないし、基本的には勝手についてきて好きに拾っているだけなので、あんまり影響はなかったりする。
お偉方が出発前の最後の確認をしているのをぼんやりと眺め、調査が始まるのを待っていると、ふらりと調査員集団から一人抜け出してこちらへと近づいてきた。
「久しく、死体漁りのイオ殿ではござらんか。なじみの顔を見ると落ち着くであるな」
寄ってきたのは、無精ひげを生やし、伸び放題にボサついた髪を後ろでまとめ、常世国の意匠を取り入れた着物チックな装備に身を包む男。
「なにさ『丸裸のマンティ』。今日はちゃんと服着てるんだね」
「まるで人を露出癖のあるように言うでない、心外な。拙者とて、好きで全裸になったことなどあまりないぞ?」
「いや、少しはあるのかよ」
割とドン引きだわ。
そんな応酬をするものの、イオもマンティも口元は緩んでいる。お互いに腕を挙げて肘と肘をぶつけ合った。
「話し合いはいいの?」
「一人二人抜けたところで変わらんでござるよ。それに某のような放浪者が首を突っ込んだところで無益にかき回すだけである」
「さいですか」
「何、心配は無用。任務はきっちりと遂行するでござる」
『丸裸のマンティ』。何やら酷く不名誉な通り名を付けられているわけだけれど、彼こそが装備全壊最速記録の持ち主たる彷徨者、マンティである。通り名の由来は言うまでも無く、装備を一日でことごとく潰して、ほぼ全裸のまま街まで戻ってきたことだ。
本人が見た目に気を使わないことも不幸して『街を歩く薄汚い全裸の男』、なんて変質者の汚名を着せられた悲しきリサーチャーだ。
そんな彼は、東方にある常世国の出身だとか。どことなく和装チックな衣装と反りのある片刃の剣を携えたその姿は、流れ者のサムライ、といった具合である。
イオと同じくどこのファミリーにもトライブにも所属していないフリーの彷徨者として活動しているため、ぼっち同士なんだかんだ交流はあったりする。
フリーではあるけれど、調査員としての手腕は確かだし、そして戦闘を本職としていないくせにコイツ三本脚なんだよなぁ。どうしてどこにも所属しないのかについては、『流れ者の身であるが故、縛られることは双方にとってよくござらんよ』と言っていた。良く分からなかったが、まあ何かしらのこだわりがあるのだろう。
「聞いたでござるよ。また何やら珍妙なるものに遭遇したとか。イオ殿の運命力とやらには脱帽でござる」
「運命力とか言うな。好きで大型種に遭ってるわけじゃないんだけどねぇ」
こっちはひっそりと生きていたいだけなのに、どうにもこれまで厄介毎に遭遇する頻度は割と高いのだ。なんでだろうね。
「お互い無事でよかったよ。最近全然蟲籠に顔出してなかったから、知らないうちにまた誰か死んでるんじゃないかと思ってたし。まあ、今回も気楽にやっていこうや」
「うむ。しばらくの間ではあるが、よろしく頼むでござるよ」
合掌し深々と頭を下げるマンティにつられて、ついイオも頭を下げる。
「……前々から不思議に思っておったが、イオ殿は別に常世出身というわけではござらんよな? 妙にこちらの習慣になじみがあるように見受けられるのだが……」
あー、まあ確かにどことなく常世国は日本と似通った部分あるからな。こっちとしてはむしろ懐かしく感じるだけだけど。
「あれだよ。常世国は魂の故郷だから」
「た、魂の故郷であるか……。深い響きでござるな」
いやごめん特に考えて言ったわけではないんだ。
そんな感じで旧交を深めていると、どうやら蟲籠側も話がまとまったらしく、ようやく人の動きが見え始めた。
「あー、なんか前の方で喋ってるね」
「む。拙者も一旦戻るでござる。また後程」
「へいほー」
集団に戻っていくマンティに軽く手を振る。
と、その先に見覚えのある姿が見えた。あれはこの前の酔っぱらいじゃないか。てことはあのあたりに暴飲暴食のファミリーが集まってるのかな。
翠の髪をなびかせ先頭を歩くのはリーダーのトリアだ。どこかぽやーんとした雰囲気だが、あれで戦闘となると恐ろしく強いんだよね。一部には、物憂げな表情がミステリアスとかで謎に人気があるとかなんとか。
それに続くのはポリートにフラヴィ、そしてハルと――おや、あの若者集団も参加してるのか。ちらりとあたりを見渡すハルと一瞬目が合ったような気がしたが、すぐに視線が外される。
そして、次々と調査集団が次々と外界へと繰り出すのを見届け、その他大勢たるイオたちもそれに続いた。
【――――】
――ん?
なんだろう。何か覚えのあるような。
一瞬街を振り返るが、気のせいだったのか。イオは首をかしげてから、外界へと調査集団を追いかけた。




