逆説的信仰心
クエルクス・ツリータウン中層。
幹から枝先へと少し歩き、途中にある住宅地を抜けた先、とある敷地の中に建てられた、大きな建物。そこの中庭に一人の女性と、その女性を囲むようにたくさんの子供が座っていた。
「――して、その蟲は神さまの力をぬすんでいってしまいました」
時折顔にかかる、見方によって黒にも白にも見える不思議な髪を、肩の後ろへと除けながら、女性は一冊の絵本を開く。時に大げさに、時に悲しそうな声音を使い分け、ゆっくりとした言葉でその内容を子供たちに語り聞かせていた。
「おこった神さまは、彼らをつかまえようとしました。しかし、蟲はずるがしこいことに神様の手のとどかない地上に、にげてしまったのです」
話をじっと聞く女の子や、退屈そうに船を漕ぐ男の子、ソワソワと他のことに気を散らして話を全く聞いていない子。ぴちゃり、と樹冠から零れ落ちた雨粒が男の子の頭に落ちて、男の子が目を覚ます。
そんな彼らを一人ずつ見つめながら、女性は話を続けた。
「神さまはかんがえました。どうすれば蟲たちから力を取りかえせるのだろうと。
そして、そんな盗人である蟲たちから力を取りかえすための存在として、わたしたち『ヒト』が創られたのです」
それは、教会に伝わる世界創生のお話の一節だ。
「わたしたちヒトは、蟲が神さまから盗んでいった力を取りかえし、それを神さまへと還すためにこの世界に遣わされたのです。けれど」
パタリ、と本を閉じ、女性は目を閉じた。
「それから幾数年。神さまは私たちヒトを遣わしてから今まで、私たちがどんなにがんばっても、それっきり何もしてはくれませんでした。
どんなに私たちが蠱獣を倒しても、倒しても倒しても、何も変わらず……、まったく……っ!
まるで勝手に貢いでくれる都合の良い何かと勘違いしてるのか……たとえどれだけ超常的な存在であったとしてもちゃんと信仰には報いるべき、そう思いませんか?」
「はい、シスター!」
「ぅはひっ!? しすちゃー!」
子供たちが(一部を除いて)元気に返事をする。少し遅れて、居眠りしていた子も素っ頓狂な声を上げる。
「幸い、私たちはその神さまが与えて下さった力があります。神さまが与えて下さった翅があります。戦って蠱獣を倒せば倒すほど、強くなることが出来ます。
そんな私たちがするべきことは何でしょうか?」
「強くなって神さまをぶんなぐる!」
「はい。よく出来ました」
その子供の答えに慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべるシスター。
そんなシスターに向かって、一人の男の子が生意気そうに口をひん曲げた。
「シスターは本当に神さまなんて信じてるのかよ」
「あら? カイルは神さまのことを信じていないのかしら? でも私は信じていますよ」
シスターはそこで言葉を切り、だって、と続けた。
「神さまが居てくれないと、いつか会ったときに殴ることが出来ないじゃないですか?」
「およそ教会に所属する聖職者の端くれとは思えない発言なんだけど!」
「あら、イオさん。久方ぶりですね」
――なんて物騒なシスターなんですかねぇ!
そんな中庭にふらりと入ってきたイオに、シスターが振り返って悠然と微笑んだ。
蟲 蟲 蟲
子供たちがはしゃぎながら駆け回る声が耳をくすぐる。雨の日だというのに、この元気さは流石と言うべきか。
「此度も、尊き命と巡り合えましたことに、心よりの祝福を。生きていて何よりですね。イオさん」
「一巡前に来たばっかりっすよ」
「いえ、それ以来めっきり顔を見せないものですから、どこかでくたばったものかと」
「言いおるな」
優しく子供たちを見守る姿は、一見するとまるで聖女のように思えなくもないが、その実、さっきのように割ととんでもないことを言い出すあたり、本当に教会に所属している身なのか前々から疑っている部分もある。
彼女はここ、クエルクス・ツリータウンの教会に所属しているシスターで、同時に教会に併設されている孤児院の院長も務めているらしい女性だ。名前に関しては、何度尋ねても「シスターとお呼びください」の一点張りで、教えようとしてくれなかった。ちなみにイオの知っている限り、彼女の名前を教えてもらった人は居ない。
外見年齢はイオとそう変わらず、若そうに見えるものの年齢は不詳。以前それを聞こうとした奴がいたが……。悲しい事件だったね。
「まったく、子供に何を吹き込んでるんだか」
「若いうちに知っておいた方が良いこともあるのですよ」
「あれは寧ろ信仰が歪められてない? てか教会の教義を全否定してるよね」
「心外ですね。それにわたしほど神様の存在を信じている人はおりませんよ」
「嘘くせー……」
「嘘だなんて、もう」
ふふふ、と口に手を当て、上品そうに微笑むシスター。
「冗談がお上手ですね、イオさんは」
「その『私、カトラリーよりも重たい物を持ったことがございませんの』とか言いながら
ハンマー持って人に殴りかかろうとしているような笑みを止めてからもう一回同じこと言って欲しいかな」
あなたの信じている神さま、最初に「邪」とか付きませんよね? もしくは「堕」とか。
目が笑ってないんだよなぁ、この人。その笑みから逃げるように顔を逸らす。その先では、何の遊びなんだろうか、走り回る子供たちの姿があった。
ここにいる子供は、みんな孤児である。
なに、この世界じゃ孤児なんて珍しいものではない。ちょっとした拍子に親が、親族が死んでしまうことなんて、ありふれた話だ。
ふと服の裾が引っ張られる感覚に、見下ろせば女の子がイオを見上げていた。
「イオだー」
「あー、うん。イオだよ」
この孤児院には、イオもぼちぼち顔を出すため、顔を覚えている子も多い。別に慈善活動のつもりはないものの、たまに相手をしたりもするのだ。
「わたしね、大きくなったら」
女の子が無邪気に笑って言った。
「シスターと結婚するの!」
「そっかー。じゃあそれまで死なないようにしないとね。ところで、それを僕に言う必要あったかな?」
……正直、子供は苦手だ。未知の生物と言ってもいい。何を考えているか分からないし、突拍子もないことをする。
それ考えると、アリスはかなりおとなしくて相手しやすかったなぁ。まあ、一応翅を持っていたから成人――10歳は超えているんだろうけど。
数日前に連れ歩いた少女を想起して遠い目をする。そこに新たに男の子が駆け寄ってきた。
「ああああっ! 来やがったな! 彷徨者野郎!」
「とりあえずお前は人の名前を覚えるところから始めろ、カイル」
「うるせえ! お前なんか彷徨者野郎で充分だ!」
生意気盛りの少年、カイル。とりあえず大人に対して反発から入ってみる恰好を覚えたのか、最近特に絡んでくる奴だ。
やたらと大きな声でわめきたてながら、カイルはびしっとイオに指をさす。
「今に見てろよ! そのうちオレも彷徨者になって、お前よりもすごい二本脚になってやるんだからな!」
「まず二本脚の枠組みから脱却するところから始めようね」
三本脚に昇格するという選択肢を覚えてほしい。
頭痛くなってきた……。なんでだか、ここに来ると子供たちが寄ってくるんだよなぁ。とにかくカイル、あんたは彷徨者とか二本脚とかその辺りの勉強からやり直してきなさい。
はぁ、と小さくため息を吐いたイオに、さらに違う女の子が寄ってきた。
「イオ、イオ! リディア、しょうらい蝶々さんになりたい!」
「ヒトの枠組みを脱却しろとは言ってない。どんな完全変態だよ!」
なんで将来の夢を宣言しに来るのだ?
だぁーーー! っと吠えるときゃっきゃ言いながら蜘蛛の子を散らすように子供たちが四散していった。
「子供に好かれていますね」
「嬉しくない……」
離れつつも遠くからこちらの様子を伺ってくる子供たちに嘆息する。子供の好意を無下にするつもりはないけれど、苦手なものは苦手なんだよなぁ。こう、大げさに感情を伝えるのが良く分からないというか。
――と、あれ?
「そういえば、ジョンとミリアは?」
いつも絡んでくる二人の子供の姿が見えず、イオはシスターに尋ねた。
彼らと同じくやかましいくらいに構ってきた子供たち。その返答は簡潔だった。
「死にました」
「…………え」
「数日前に二人でここを抜け出して枝先に向かった時にはぐれに襲われたようです」
目を見開いて聞き返すイオに対して、帰ってきた言葉は変わらず。
「良く持ち歩いていたぬいぐるみだけが落ちているのを見つけました。おそらく飛んできた蠱獣に捕まったのではないでしょうか」
外界は子供が生きていけるほど、優しくない。
おそらく、もう――。
その先の言葉は雨音に溶け込み、消え去った。
街に張られている虫除けは、彷徨者が外界で使うものと異なり、樹木内を巡るマナを用いた大掛かりなものであるが、その対象は専ら中型種、大型種であり、反面小型種はすり抜けやすい。
そもそも、樹木の維持にも蠱獣の活動は欠かせない部分もあり、完全に排除することは出来ない。けれど、その分このような悲劇も起こりうるのだ。
「……そっか」
「やんちゃが過ぎると、本当、あれほど言ったのに、馬鹿な子たち……」
どこか悲しみを滲ませた吐息が、シスターの口から零れ落ちる。
「共同墓地にお墓がありますから、あとで顔を見せてやってください。あの子たちもきっと喜びます」
「――了解」
骨なんて残らない。それもこの世界ではありふれた話だ。
だからこそ、形あるものを人は求める。
――まったく、この世界はつくづくままならない。
本を閉じるまでが教会に伝わる世界創生のお話。




