第871話・【三人称視点】そばにいるから
神栖拳誠と弟の征児が伯父夫婦にお世話になってから1年以上経った頃、悲報が届いた。
母が病気で亡くなった。
それは伯父夫婦から神栖だけに伝えられ、征児には伏せられた。
昔飼っていた猫が死んだ時も鳥が死んだ時も、征児は感情を爆発させ、なかなか収拾がつかなかった。そのため父の死の時も征児には伏せられ、彼は今でも父が母と別れただけで、遠くで生きていると思っているのだ。
葬儀には神栖と伯父夫婦、いとこが出て、征児は留守番をしていた。征児には、母が療養のために遠くへ行き、しばらくは会えなくなったのだと説得した。
それから数日後。
家のポストに封筒が入っていた。夫婦がいない間、いとこの弟の方がそれを見つけたのだ。
「何だ、これ? 汚い字だな……ああ、宛先不明で戻って来たのか?」
「と言うか、そもそも宛先が書いてないじゃない、これ」と、姉も覗き込んで言った。
「本当だ。ああ、やっぱりな。征児が出したんだ。それが返って来たんだ。ハハハ、見ろ。よく見たら切手も使用済みのやつを貼っているぞ! ああ、これなんか、切手ですらない。ただのお菓子の包み紙のイラストだ。これで届くわけがねぇだろ!」
「アハハ、バカねぇ~」
廊下で大騒ぎするいとこたち。
神栖は部屋から出て、彼らに近寄って行った。
「おい、拳誠! こんなんじゃ届かないぞって征児にちゃんと教えてやれよ? これじゃ、郵便屋が迷惑だ。ポストはゴミ箱じゃないんだからよ」
「わかったから、返せよ」と、神栖はにらみつけて言った。
「いや、返す必要ねぇだろ? だって、これ、お前の母親宛だぞ? また書き直しても、どこに出すんだよ? 天国か?」
「いいから返せって」と、神栖は詰め寄った。
「処分、処分! いつまでも嘘言っていてもしょうがないんだから、お前から伝えてやれよ? お母さんは死んだって」
いとこ2人は神栖を押し返し、弟の方が封筒を破った。
「おい……やめろよ!」
神栖はいとこの弟の方に飛び掛かった。そして彼のお腹を殴った。
「ぐあっ!」といとこはその場で丸まり、神栖はその手から破れた封筒を取り返した。
「大丈夫? ……ちょっと! 待ちなさいよ!」
いとこたちの声を無視し、神栖は部屋へ。
征児はそこで昼寝をしていたので、今の話は聞かれずに済んだ。
神栖は壁に寄りかかりながら、封筒の中の手紙を読んだ。幾つかに破れてしまっているが、内容は読める。字は確かに汚いかもしれないが、一生懸命書いた字だ。
神栖は指でなぞって丁寧に読んだ。
『おかあさん、げんきですか? ぼくとお兄ちゃんはげんきです。おじさんたちはこわいときもあるけど、やさしいときもあります。でも、おかあさんのほうがやさしいです。だから、おかあさんにあいたくなります。いつかお兄ちゃんといっしょにあいにいきたいな。おかあさんがもっとげんきになるように、いつもおいのりをしています。びょうきにかって、はやくげんきになってね。かみすせいじより』
神栖は目頭を強く押さえ、一度自分の膝を叩き、涙をこらえて手紙を折り畳んだ。
それを、棚の奥に隠すように置いている箱に入れた。
その箱は以前母から渡されたもので、中にはこれまで征児がポストに投函した父宛の手紙の山があった。今回と同じように、ポストに出しても父の名前だけで宛先を書いていないし、切手も使える物ではないから当然家に戻って来ていた。それを母が集め、この箱にしまい、返事は父のふりをして母が書いていた。
この箱を渡す時に母は神栖に言った。
「あの子は、寂しい時やお父さんのことが心配な時、こうやって手紙を出すの。まだ遠くで生きていると思っていて、名前を書いてポストに出せば届くと思っているの」
そして頼んだ。
「拳誠。もし私が死んでしまった時、あの子が手紙をポストに出したら、その返事を書いてあげて」
「騙すことにならないかな?」と、神栖は訊いた。
「うん、そうね……。でも、あの子は人も動物も死んじゃうともう会えなくなるってことはわかっているの。鳥ちゃんや猫ちゃんの時のように、悲しみで自分を見失って、突拍子もない行動に出てしまうかもしれないわ。それが心配なの。もう少し、みんながもう少し大人になるまで、ね? お願いよ、拳誠……」
神栖は征児の寝顔に目をやってから、テーブル代わりの空箱の上で手紙の返事を書き始めた。
実はこの家に移って来てから何度か、征児が書いた父宛ての手紙や母宛ての手紙が戻って来ていた。
神栖はいつも家のポストを気にし、手紙が返ってきていないか確認し、誰よりも早くそれを回収した。そして母に届け、返事の手紙を送ってもらっていた。
しかし母はもういない。この手紙の返事も、神栖が書かなくてはならないのだ。
その夜……。
神栖は家を追い出された。いとこの腹を殴ったことが、姉の口から伯父夫婦に伝えられ、伯父が「恩知らずな子だ」と怒ったのだ。
最低限の食事は用意してやるが、家には入るな。庭の倉庫で寝ろと言われた。
神栖は例の箱や最低限の物を部屋から持ち出し、言う通り倉庫で眠ることになった。
征児は追い出されたわけではないのだが、兄を思って彼も倉庫で寝るようになった。
「お前まで来ることないのに」と、神栖は儚げに微笑む。
「ううん。お兄ちゃんといる方がいい。お兄ちゃんも、僕といる方がいい?」
「そうだな。一緒にいよう。俺がもう少し大きくなったら、働ける。そしたら、新しい家に二人で住もう」
「ミクちゃんやチサちゃんやケンちゃんはどうしているかな? 一人で寂しくないかな?」
倉庫の端で、征児は膝を抱えながら呟いた。
「みんな、新しい家族がいるからな。でも……千紗の家には久しぶりに行ってみるか?」
「うん。あのお父さん、怖そうだから」
「ああ……」
神栖はわずかに顔を曇らせた。
征児は知らないことだが、数カ月前から千紗の家族にも変化が起きていた。彼女の養母も病気で亡くなったのだ。
それから神栖は一人で千紗の家の様子を何度か見に行っていた。
そこで神栖が見たのは、憔悴しきった千紗の養父の姿だった。そして彼が、酔っぱらって家の前に倒れていたところも目撃した。
また、子供たちを怒鳴っている声も耳にした。千紗の名前は聞こえなかったが、養子の兄の光泳の名前がよく叫ばれていた。
自分たちのこの先のこともあるが、千紗のことも気になっていた。
「お兄ちゃん?」
「うん? あ、ああ、そうだ……」
不安が顔に出ていたため、征児に声を掛けられた神栖は、ごまかすように微笑んでズボンのポケットから手紙を出した。自分で書いた、征児への『母からの手紙』だ。
「母さんから届いていたぞ?」
この世界の郵便屋としては少し速い配達(手紙の往復)になるが、たまにそういうこともあるので(逆にかなり遅いこともある)、いいだろう。
「やったぁ、書いてくれたんだぁ。嬉しいなぁ……あれ? でも字がいつもより大きい。少し変な形だし……」
返信が速いことには気づかなかった征児も、そこには気づいた。
「そうか? まぁ、苦しい中、書いてくれたのかもしれないから……」と、神栖はわずかに顔を引きつらせて言った。
「そうだね。病気なのに、ありがとう、お母さん」
征児は納得し、嬉しそうに手紙を読んだ。
神栖はわずかに罪悪感を抱いたが、同時に征児の幸せそうな顔を見て、これでいいのかもしれないとも思った。
食事やトイレ、三日に一度の風呂以外は基本的に伯父一家の庭の倉庫で生活するようになった神栖兄弟。
それから数カ月後、やけに伯父夫婦が優しい日が訪れたと思ったら、兄弟のうち一人を養子にしたいという夫婦がやって来るからだった。
二人はもちろん倉庫から家の方へ戻され、風呂にも入れてもらい、綺麗な服を着せてもらった。
その日、神栖はいつもより無愛想に努めた。相手の夫婦が質問しても汚い口調で返し、時には無視した。
夫婦が養子にできるのは一人までだ。夫婦が自分よりも征児を選ぶように仕向けた。
そして神栖の思い通り、夫婦は征児を養子にすることにした。神栖の悪態にも優しく対応し、安心できる夫婦に思えた。神栖は心の中で安堵する。
別れの日、征児はたっぷり泣いた。
「大丈夫。お前の新しい家はここからそんなに遠くないんだ。しばらくは俺が毎日のように遊びに行ってやるから」
そのように神栖が何度も励まし、ようやく征児は新しい両親と共に旅立っていった。
それから約束通り、神栖は毎日のように征児の様子を見に行った。
征児の新しい両親は本当に優しく、神栖にもケーキやジュースを出してくれたし、時にはおもちゃや靴を買ってくれた。
別れ際にはいつも悲しい顔をする征児も、それ以外ではいつもニコニコし、幸せそうだった。
だが……。
一方で、下の妹……千紗の新しい家の方に問題が起きていた。




